イスラーム圏における研究拠点とネットワークの充実

 

研究代表者:奥田 敦   

総合政策学部教授

T プロジェクトの概要

 

シリアのアレッポ大学は、昨年度の末、SFC との間に包括的な学術協定を締結し、名実ともにイスラーム圏におけるSFCの研究拠点になった。本研究は、このアレッポ拠点はもちろん、アレッポ以外にも こうした研究交流拠点をイスラーム圏内に発展させ、SFCも含めた拠点間のネットワークの充実を図ろうとするものである。まず、アレッポ大学日本センター の研究交流拠点としての可能性をさらに引き出すために、従来からの活動の見直しとレベルアップを通じて、これまでに行なわれてこなかった分野について新た な形の学術交流の展開を試みた。アレッポ側スタッフの日本視察、遠隔授業によるアレッポからのアラビヤ語の授業の実施、アラビヤ語形態素解析プログラム構 築とそれにかかわるアレッポ側専門家とのアレッポでのコラボレーション、さらにアレッポ大・慶應大の合同チームによるレバノン、ビデオロケの敢行などがこ れにあたる。この合同チームのレバノンロケは、セント・ジョセフ大学にて行われたが、同大学との間には、小島学部長の訪問を契機としてこれまでの活動を基 礎に大きな協力関係の展開が期待される。 本研究では、さらに、イエメンについても、奥田敦研究会の特別研究プロジェクトによる視察訪問を行い、その滞在中の活動を通じて、交流の必要性が再確認さ れ、今後の交流の展開に展望が開けた。

 

U 活動の概要

■アレッポ■

◎人的交流:

これまで3 年間にわたって行ってきたアラブ人学生歓迎プログラム(ASP:アハラン・ワ・サハラン・プログラム)の特別プログラムとして、日本センターの事務局長で ある、アブドゥッ=ラッザーク・バナナ氏夫妻を6月30日から2週間、SFCに招いた。小島先生を表敬訪問し、今後の交流の方向性について話し合った。奥 田研学生による短期集中日本語講座を受講すると同時に、「宗教と文化」(奥田担当)やアラビヤ語の授業に参加し、またアラビヤ語学習者への個別レッスンに も対応していただいた。アラブ料理教室も開催し、夫人の指導の下、アラブ料理作りにも挑戦した。横浜、鎌倉、都心などの視察のほかに、愛知万博へも出か け、奥田研卒業生、友岡梢さんがスタッフを務める「地球回廊」にゲスト出演し、シリアを紹介するとともに、アレッポとつないで、インターネットによる対話 を行った。

12 月には、日本センターの運営責任者である、アフマド・マンスール副所長がSFCを訪ねた。留学のためアレッポ滞在中の奥田に代わって、マーヘル・カブラー 訪問講師が出迎えた。奥田研の学生たちも含めて、シリアとの学術交流やアラビヤ語学習をテーマにディスカションを行った。また、小島学部長とともに三田 キャンパスで坂本国際交流担当理事を訪問し、今後の交流の可能性を探った。

3 月4・5日には、小島学部長が、アレッポを訪問。急用で不在の学長に代わって、アダス学事担当副学長と面会。アレッポ大学日本センターの今後一層の充実の 必要性で一致した。日本センター主管の山本達也氏の案内で市内を視察した後、日本センター主催の昼食会に出席。アレッポ=SFC共同制作のビデオ撮影に参 加している、シリア人・日本人学生にとっては貴重な懇談の機会ともなった。

 

◎遠隔ネットワーク:

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所 学術フロンティア研究「危機管理に関する人文・社会科学学際研究」 中間報告会(2005/11/3) に、シリアから遠隔で参加するべくポリコムを持ち込み、秋学期のアラビヤ語インテンシブ1期の授業(の一部)や、2006年2月27日SFC学術フロン ティア研究「デジタルアジア」中間成果報告会にもポリコムを用いるべく接続実験を繰り返した。インターネットとISDN回線の両方について実験を試みた が、前者については、シリアでは大学でもインターネットカフェでも固定IPの取得が難しいことが、後者については、シリアのISDNはポリコムの通らない 回線であることが判明し、結局ポリコムによる接続はかなわなかった。11月3日には、画像はメッセンジャーのビデオ送信で、音声は電話を使うことで何とか 参加を果たした。全体で5回行ったシリアからのインテンシブの授業は、メッセンジャーで文字情報を、電話で音声を流すことで何とか対応した。2月27日の 報告では、メッセンジャーで音声をやり取りし、画像は事前に送信しておいたものをSFC側で流してもらった。

メッセンジャーによる通信はシリアとの間では、最も現実的な選択肢であったが、シリア側の接続回線の太さや、SFC 側の教室の機材の関係にも左右された。実績として最良の状態だったのは、アレッポ市街の中心部のコンコルドというネットカフェから行った講義で、音声は電 話でつなぎながら、画像と文字情報がメッセンジャーで双方向にやり取りできた。2月27日の通信で協力を得たアスハーブというネットカフェの回線はさらに 早い。27日は、SFC側の機材の関係で、上述のように音声のみのやり取りにとどまったが、メッセンジャーによるやり取りにはある程度のめどが立ったと見 てよい。とはいえ、約半年にわたって断続的に行ったポリコムによる接続実験の結果は、全体としては否定的なものであった。しかしながら、シリアでは近時プ ロキシサーバーから自由で、固定IPも確保できるインターネット回線が、個人住宅向けに売り出されはじめている。ポリコムも、固有の機材を用意した。ア レッポ大学日本センターの日本語授業クラスと、SFCのアラビヤ語クラスの合同授業も計画されている。そのためにも引き続き、ポリコムを用いた接続実験を 行い、実用性を早く確保したい。

 

◎研究拠点機能

1)イスラーム圏研究

イスラーム圏研究の拠点としても引き続き有効に機能している。2005 年9月初旬より修士課程1年の植村さおり君が、修士研究のイスラームのザカー・サダカなどの富の循環によるセーフティ・ネットの自律的形成の一端を担う慈 善団体に関するフィールド・ワークと、アラビヤ語の文献研究を、日本センターを拠点として、2006年6月までの予定で行っている。

2006 年3月には、政策・メディア研究科に博士論文を提出したばかりの山本達也君が、ICTに関する最新の動向に関する調査を、日本センターを拠点に行った。同 じ3月に、2006年度4月から修士課程に入った小牧奈津子君が、修士研究の自殺に関するシリアの若者の意識調査を、日本センターで日本語を学ぶ学生たち 100名に対するアンケートによって行った。

なお、2005 年10月から、特別研究期間(福沢留学基金による)の奥田が滞在。副所長として日本センターの運営にかかわりながら、同センターを拠点として、クルアーン のグラマトロジー解明も念頭に置いたクルアーンの研究を行うと同時に、イスラームの教えと現実を照らしあわせながら、イスラームの法と社会に関する考察を 行っている。なお、11月、2月に上述の研究発表を遠隔にて行ったほか、12月30日には、ダマスカス、アブー・ヌール学院で催された国際シンポジウム (同志社大学COEプロジェクトの一環)で「イスラームとグローバル・ガバナンス」という報告を、3月28日には、日本センター主催の年次講演会にて「人 間性の教えとグローバル化」という講演をそれぞれアラビヤ語で行った。

 

2)アラビヤ語研究

e- アラビヤ語辞書構築プロジェクト関連で奥田研学部3年の岩井貴史君を中心として進められているソフトウェアの開発が、「アラビヤ語形態素解析エンジンの開 発と学習者向け辞書システムへの応用」の研究として、(独)情報処理推進機構の2005年度未踏ソフトウェア創造事業(未踏ユース)に採択された。接頭や 接尾の変化が多いため、アラビヤ語では辞書が完全に引けるようになるまで5年かかるという学習者の悩みを一気に解消できるプログラムの開発である。e-辞 書のインターフェースとしてこのプログラムが装着できれば、辞書のコンテンツがより多くの人に共有され、辞書データベースの拡充にもつながる。夏休み前あ たりから、基礎データの打ち込みなど作業は本格的に始まったが、アレッポ拠点とのかかわりで重要なのは、11月の末にセンターで行われたプログラム(α 版)の運用実験である。岩井君がプロジェクトメンバーである三浦稔隆君(情報3年)とともにアレッポを訪れ、奥田、植村と合流。プログラムの試用結果を、 センターを通じてアラビヤ語の専門の先生方4 名に1週間にわたるチェックをお願いし、マンスール先生も交えて、問題点に関する議論まで行った。また、滞在の最後には、日本センターでプロジェクトに関 するプレゼンテーションの会合も催された。今回の実験は現地の専門家の協力をこうした形で得て行われた点ではじめての試みであった。日本センターの研究拠 点としての新たな可能性が引き出されたといって過言ではない。なお、2月にも追加のチェックが行われ、β版の完成にまでこぎつけ、3月には、未踏ユースの 最終報告も無事に終了した。

 

◎教育拠点機能

SFCインテンシブ2期(現地開講)

昨 年度までの反省を踏まえ、今年度の現地研修には大幅な改良が加えられたといってよい。@クラス数を3つに増やす:午前中の教室での授業について一クラス4 人という少人数クラスを実現した。これまで以上に学生たちは手を抜けなくなった。先生とのつながり、クラスのまとまりの点でも、非常に好ましい変化が見ら れた。Aチューターの増員:午後のグループワークのチューターを増員し、日本人学生1人ずつにチューターをつけた。チューターは従来どおり、日本センター で日本語を学んでいる学生たちから募集し、マンスール先生、山本先生の面接試験によって最終的に選ばれた。B単語集めの対象を名詞から動詞に変更:これま での外に出て物の名前を集めてくるという方式を見直し、部屋でチューターとともに重要動詞の文章を作ることとした。これまでであれば、移動などに使ってい た時間が一切省かれ、缶詰状態でアラビヤ語漬けになった。C寮での宿泊:これまではホテルに滞在していたが、本年度からは、アレッポ大学のゲスト専用寮に 宿泊した。昨年までは2 人、3人部屋であったが、今年度からは、1人一部屋となり、午後のグループワーク(単語集め)も、宿舎の各部屋で行った。1日3時間みっちり付っきりで家 庭教師について教えてもらうのと同じ格好になった。

本 年度の研修は、病気で寝込む者もなく、また学生のモチベーションも最後まで下がらず、近年にも増して充実していたという印象を持っている。それも、上のよ うな改良によるところも大きいのではないかと考えている。そうした改良が容易に実現するのも、日本センターの存在と、先生方、スタッフの皆さんの全面的な 協力があってからこそと思われる。この点においても、センターの拠点としての新たな可能性が引き出されたといえよう。

 

◎交流拠点機能

アレッポ=SFC共同ビデオプロジェクト:

シ リア・日本の共同によるビデオ作成は、今回が4回目。レバノンとシリアで撮影を行った。今回は、日本側がシナリオ、絵コンテを担当し、シリア人の親切さの 深さを、日本人の余裕のなさと対比的に表わした「そこにあるもの」という作品を制作した(日本語)。シリア、日本以外の場所へ撮影隊が遠征するのは4回目 ではじめて。ロケ地として選んだのはレバノン。レバノンには、セント・ジョセフ大があり(後述)、昨年来SFCと の関係の中から日本語教室が開講されていることと、シリア人にとって最も行きやすい外国ということが理由であったが、出発前になって、両国の関係は悪化。 当初同行の予定だったマンスール先生に大学から出張の許可が下りなかったのが、両国の関係の危うさを如実に物語る。シリアナンバーの車両に対する投石事件 が頻発してもいた。それが理由になってシリア人学生たちもなかなか行きたがらなかった。そこで、レバノンナンバーのバスを手配。すると、シリア側から男子 学生5名女子学生3名の参加希望が入った。3月3日、前日にシリア入りしていた日本隊(引率の奥田を含め、特別研究プロジェクト参加の15名)とダマスカ スで合流。ベイルートに向かい、セント・ジョセフ大学での歓迎昼食会に参加した後、同大学が手配してくれたホテルに移動。夜半までミーティングを行い、4 日にセント・ジョセフ大学構内2ヶ所で撮影を行った。4日には、小島先生もベイルート入りし撮影の光景を一部ご覧いただいた。国境を越えるときに、シリア 人の国境通過税が20 0シリポンから800シリポンに値上げさせられているのを発見したが、それほど両国の関係は険悪であり、相互の行き来をできるだけ阻みたい意図も見えた。 そのような厳しい両国の関係の中にあって敢行した今回のレバノンロケは、たった1泊の旅行ではあったが、その意味は非常に大きかったと考えている。政府間 の関係は一発触発でも、民間レベル、とりわけアカデミックなレベルでは、こうした協力関係の構築が可能であることを、それもSFCとの関係を軸として示せ たと思えるからである。

4 日の深夜にはアレッポに到着。翌5日は、ジュダイデ地区を中心にアレッポでの撮影を行った。しかし、5日には予定の撮影が終わらず、21日(アラビヤ語現 地研修の調整日)に共同撮影チームが再集合し、撮影を完了した。なお、撮影作品「そこにあるもの」は、撮影の中心的存在であった秋山貴人君(環境1年)に よる集中作業によって編集が終わり、4月4日の新入生外国語ガイダンス語種別説明のアラビヤ語ブースで上映された。

 

 

■ベイルート■

レバノンについては、2004年9月の訪問以来、日本語講座の開設などで緊密な協力関係を築きつつある、ベイルートのセント・ジョセフ大学との間の関係に大きな進展が見られた。

◎日本経営学講座の開催

セ ント・ジョセフ大学側からの要望で、経営学部(学部長:ジョージ・アウン教授)にて日本経営学の講座が開かれ、まずは、学期初めの10月に総合政策学部の 花田教授による集中講座が行われた(3時間1セットで4クラス分)。日本への学術的関心は、同大学の諮問委員の1人、日産社長カルロス・ゴーン氏からの指 令とされ、今回の講座は、セント・ジョセフ側の申請による国際交流基金からの支援によった。花田教授の滞在に合わせて奥田もベイルートに向かった。セン ト・ジョセフ大学国際交流(アメリカ・日本)担当カラム教授と今後の交流についてのミーティングを行ったほか、セント・ジョセフ大学主催の夕食会では、在 レバノン日本大使館の村上大使はじめ大使館スタッフも招かれ、レバノン・日本間の今後の学術・文化交流について積極的な意見交換がなされた。3月には、総 合政策学部長の小島教授が同大学経営学部における集中講義のために訪問した。訪問中は、1泊2日でシリア訪問も行うなど精力的に動かれたが、ベイルートで は、集中講座のほか、カラム教授、 奥田とともに今後の両サイドの交流の方向性を探求するミーティングを行い、さらに大学主催の夕食会にも招待され、村上大使とも意見交換を行った。また、自 身の主催でアレッポ=SFC共同撮影隊の学生たちと昼食をともにし、懇談の機会も持たれた。

 

◎日本語講座の新展開

セント・ジョセフ大学側からの要望で昨年秋から始まった日本語講座は、今年の1月までコースの運営と教育を1人で担当した三枝奏君(修士課程2年)に代わって、SFC 研究所上席研究員の佐野光子君(2003年度政策・メディア修士課程修了)が赴任した。アラブ映画を専門とする佐野君にとって、映画学部を擁し多くの優れ た映画監督を輩出し続けるセント・ジョセフ大学は、研究拠点としても大きな意味を持つ。日本語講座は、こうしたSFCの若い研究者たちの努力によって、現 在第3学期目に入っているが、引き続き安定した学生数を集めており、セント・ジョセフ大学における外国講座のひとつとして定着してきたといえる。

 

◎アレッポ=SFC撮影チームの受け入れ

3 月3・4日の合同撮影チームは、今回のレバノン訪問に際して、セント・ジョセフ大学側から、昼食会への招待、学長先生との面会、撮影場所の提供、宿泊場所 の提供と全面的な協力と支援を得た。3日の昼食会には、アントニー・ホカイム副学長、カラム教授、ヘンリー教授(言語センター所長)、ラナ講師(言語セン ターアラビヤ語教育主任)らが出席。レバノンのキリスト教系の名門大学であるセント・ジョセフ大学が、シリアの国立大学からのムスリム学生を中心としたグ ループを含む、今回の撮影チームに対して予想をはるかに超えた最大限の歓迎であった。今後ともセント・ジョセフ側の期待を裏切らぬよう両サイドの学術交流 の発展をこころして進めていきたい。

 

◎セント・ジョセフ=慶應・交流オフィスの設置へ向けて

10 月のミーティングの成果を受けて、セント・ジョセフ大学は、「セント・ジョセフ=慶應・交流オフィス」の開設の準備があることを公式的に表明した。SFC 側は、小島学部長のセント・ジョセフ大学訪問を契機に、SFCとの間の包括的学術協定の締結の準備に入った。日本経営講座、日本語講座、アラブ人歓迎プロ グラム(SFCにおけるアラブ人日本語短期研修)などの具体的な交流項目の調整を行いながら、2006年度の夏を目指して協定締結を行い、交流オフィス開 設にも早期にこぎつけたい考えである。

 

 

■イエメン■

2003 年のアラブ人学生歓迎プログラムにイエメンのムハンマド・ハイド氏を招いて以来、念願となっていたSFC側からのイエメン訪問がついに2006年3月に実 現した。3月8日から13日まで奥田研の特別研究プロジェクトの一環としての訪問となった。秋学期のうちから、ムハンマドさんと連絡を取りながら、準備に 入り、最終的には、アラビヤ語を習い始めて1年足らずの1年生たちの多くの参加を得て、総勢15名(引率責任者:奥田)による訪問となった。

イエメン側の受け入れは、ムハンマドさんと、彼の主催する「源グループ」がほんとうに盛りだくさんのプログラムを準備してくれた。8 日には、日本大使館訪問(石井大使への表敬訪問。2003年の歓迎プログラムでは外務省文化交流部政策課から支援をいただいた服部書記官がイエメンに赴任 していて、旧交も温めた)、ムハンマドさんが日本語を学び、現在は教えてもいるイエメン・日本友好協会での歓迎パーティ。9日には、友好協会の日本語学生 たちとの交流活動(サヌア旧市街でのワォークラリー)。10日には、イマームの館(通称:ロックハウス)などサヌア周辺への小旅行。11日には、文部省留 学生として日本で学んだサヌア大学工学部のアミーン・アクラン博士の案内で、同大学医学部を訪問。その後引き続き1泊で、シバーム、スラーなど近郊の山岳 地帯への旅行。12日夜には、大使館から宮本文化担当官、サヌア大学から、イエメンで働くJOCV隊員などの出席も得た送別パーティが行われた。

日本紹介として、歓迎パーティでは、珠算の模範演技と電卓との計算競争、奥田研制作のSFC紹介ビデオ等の上映を、また送別パーティでは、柔道、剣道の模範演技を行った。また、今回の特別研究プロジェクトのテーマソング「そこにあるもの」(環境1年菊池創太君 作)を全員で披露した。友好の発展の祈りを込めた千羽鶴や日本の伝統玩具も、記念品とともに贈呈した。さらに送別パーティでは、参加者一人一人にアラビヤ 語でスピーチの機会が与えられ、聴衆の前で、イエメン訪問の印象やムハンマドさんはじめとする関係者への感謝が述べられた。イエメン側からは、ムハンマド さんや来賓の方々の挨拶、ジャンビーヤダンスのパフォーマンスがあり、最後に、宮本文化担当官から、記念品を贈呈された。なお、イエメン訪問の様子は、 「そこにあるもの」のメロディーとともにDVDに編集されている(SFCでは4月4日の新入生への語学説明会で上映された)。

ア ラブの最貧国のひとつとされながらも、明るく力強く生きる人々が暮らすイエメン。社会主義、ナショナリズムへの偏向も克服し、過激なイスラーム主義とも距 離を置きながら、民主化の優等生ともされる政治体制。カート禍は否定できないが、女性の優秀さと社会意識の高さも垣間見せる社会。イスラームの教えでは、 シリア(シャームの国)と同様に、神によって祝福された地とされるイエメン。こうしたイエメンとの継続的交流の必要性と確かな展望の存在が、関係者の努力 と協力によって実証された訪問となった。

 

 

V 活動の成果

l         ア レッポ大学学術交流日本センター:研究、教育、交流の各方面で新しい可能性が引き出された。着実に発展していると見てよい。情報処理系や心理学系の新しい 研究が拠点を中心に展開されつつある。情報処理系の「形態素解析エンジン」の開発における試用実験の成功は、アレッポ拠点における新しい形の研究プロジェ クトの進め方の可能性を示唆している。

l         イスラーム圏研究:松原康介君、山本達也君がこれまでのイスラーム圏に関する豊富なフィールド・ワークを背景に、博士論文を完成した。松原君は学位取得、山本君も4月末に学位取得の予定。奥田『イスラームの人権』(慶應義塾大学出版会、2005年)もアレッポ拠点の存在なしには上梓し得なかった。

l         ビデオ制作:アレッポ大学日本センターとSFC 奥田研の合同チームが編成され、レバノンロケに出かけた意義は大きい。通算4回目になる今回の活動は、単なるコラボレーションを越えて、ひとつのチームと して文化学術外交のアクターにさえなりうる可能性が示唆された。また、制作作品「そこにあるもの」は、イスラーム的な美徳を日本人との対比で描き出してお り、テーマの設定に新境地を開いている。

l         セント・ジョセフ大学:日本経営講座の開催と成功、日本語講座の定着は、今後の交流の方向性を示している。セント・ジョセフ=慶應交流オフィスの開設の提案は、研究・交流拠点形成に対するセント・ジョセフ側の積極的な姿勢の表れとして受け止めたい。

l         人的交流:日本側からは小島学部長から学部生に至るまで、さまざまな行き来があった。小島先生には、シリア・レバノンのそれぞれの関係者のほか、SFC 生も含めて学生たちと直接対話する機会を持っていただき、アラブ・イスラーム圏とSFCの交流の現状と展開の必要性を改めて認識いただいたように思う。い た。シリア側から、日本センターの中心的存在である、アフマド博士とバナナ氏の二人にSFC訪問の機会をいただいたのも、今後の更なる交流の発展の布石と なろう。

l         イエメン:本格的で継続的な交流を開始するにふさわしい今回の視察訪問となった。現地では、ムハンマドさんを中心に、彼の「源グループ」、友好協会、大使館など日本関係の機関が非常に良好な有機的関係にある点が印象的であった。そういった面からも、SFCがその仲間に入れてもらうに十分な下地があるように思えた。2年前にムハンマドさんをSFCに推薦してくれた在イエメン日本大使館、ムハンマドさんご本人、そして、今回の研修旅行受け入れにかかわってくださった皆様にこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。

 

 

W 今後の課題

l         アレッポ大学日本センターには、研究・教育・交流のそれぞれの面でさらなる充実を期待したい。

l         研究においては、ITとクルアーン研究、e-アラビヤ語辞書構築、イスラーム社会における女性の役割(セーフティ・ネットの自律的形成をめぐる)、イスラーム社会の死生観などが具体的なテーマとなる。

l         教育においては、アレッポ大学日本語教室とSFC奥田研との合同クラスの開催である。

l         交流においては、アレッポ大学と慶應義塾全体の学術交流への展開についても考えたい。

l         アレッポ拠点に限った話ではないが、まずは、アレッポとの間で遠隔による接続を実用域に近づけたい。

l         レバノンのセント・ジョセフ大学については、具体的な交流活動を準備しながら、SFCとの間に包括的学術協定を結び、セント・ジョセフ=慶應交流オフィスの開設へ結び付けたい。

l         イエメンについては、今後も交流を続けていきたい。まずはイエメンとの間でビデオ共同制作のプロジェクトを進めてみるのも一案と思われる。

l         2006年の秋には、アラブ人歓迎プログラムを開催し、シリア・イエメン・レバノンからできれば各国から複数の学生を招聘し、交流の基礎作りと拡充に努めたい。