2005年度 学術交流支援資金報告書
3-6 フランス語(スキル)(原典講読)

中級~上級レベルのフランス語学習者を対象とした、ウェブ上でフランス語による詩作品の暗唱を支援する電子教材の構築

研究組織:
國枝孝弘(研究代表)総合政策学部助教授兼政策・メディア研究科委員
内村尚志政策・メディア研究科修士2年
中里修作政策・メディア研究科修士2年
樫田小夜総合政策学部4年
音声録音協力者:
グルナック、エレーヌ・セシル総合政策学部非常勤講師
ルロワ、パトリス総合政策学部訪問講師
サントニ、ジャン=ガブリエル広島大学助教授

1. 教材作成の目的

 フランスをはじめとして、ヨーロッパでは伝統的に優れた文学作品である詩を暗唱することを言語教育の場で重視してきた。外国語学習という観点から見ても、詩の暗唱は新しい単語や表現の暗記にとどまらず、発音の改良やより深い文化的関心への橋渡しなど多角的な効果が期待できる。

 しかしながら、詩の暗唱を行うにはテクストの意味および語の正確な発音などの要素に加え、詩作品の中に現れてくるイメージやシンボルの微妙なニュアンスをも知る必要があるためどうしても教師と生徒とが一対一で行うことが主流であり、一方でまた詩の暗唱を支援するような電子教材はほとんどない。例えば、詩を掲載しているウェブページは多いものの、そのほとんどがテクストのみの表示であり、朗読が聴ける場合でも詩句ごとのような細かい指定はできないし、また個々のニュアンスについては知ることはできない。

 また、電子教材と外国語学習の関わりという観点から述べれば、従来の電子教材はどうしてもその対象者が初期から中期レベルの学習者になりがちであり、中級以上の学習者が使用し、満足できるようなものがあまり存在してこなかった。

 以上のような状況に関する問題意識に加え、そもそも詩に接する機会が少ないであろう利用者をも含めて想定し、中・上級レベルのフランス語学習者を対象としたウェブ上でフランス語による詩作品の暗唱を支援する電子教材を開発した。

2. 教材作成の際の根本原理

 本教材は言語教育で使用するものであり、またウェブ技術を利用するものであるという理由から、その基盤となる原理に、言語教育論的、そしてウェブ技術論的という二つの側面を持っていると考え、次のような原理に従って本教材を作成した。ここでは、それぞれの側面がいかなるものであるのかを述べた上で、双方の側面を統合した本教材の原理がいかなるものであるのかを示す。

2. 1. 言語学習論的原理

 本教材が基盤とする原理の第一の言語教育論的側面を述べる前に、まず言語教育が根ざしている教育論の基本的原理に関して記しておく。

 教育論的原理は、何よりもまず、教える側と教わる側の関係についてのものである。ここで両者をそれぞれ、教師と生徒と言い換えると、ここで採用している教育論の基本的原理は、教師の能力の限界が生徒の学ぶことのできる限界と一致してはいけない、というものである。教師は生徒よりも教えている分野に関する知識の点で、相対的に高い位置にいることを自覚しつつ、教育の目的を、生徒が持っている潜在的可能性の現実化を手伝うことに設定しなければならない。言い換えれば、教育とは、教師と同じ人間をもう一人作り出すことではなく、教師の持っている知識を通じて生徒の可能性を引き出し、成長させることである。

 以上のことを確認した上で、教育の一分野である言語教育に着目するならば、教育論的原理がここでは、コースデザインにおいて働いていると考えることができる。言語教育におけるコースデザインは、教師が生徒よりも知識の点で優位にあることを当然、前提としている。そのコースの目的は、第一に生徒に言語を習得させることであるが、同時に、言語の習得のみが達成されればいいのではない。言語教育は、ある言語を習得させることによって生徒の可能性を引き出すという役割をも負っているため、コースは教育する言語を接点として外に開かれている必要がある。

 コースは教材によって具体化する。各教材はコースの中に位置づけられることによって、言語教育の一過程という特徴を持つが、同時に、言語の習得というコース自体の目的の外に生徒を連れ出す可能性を帯びている必要があるのである。

2. 2. ウェブ技術論的原理

 本教材はウェブ技術を利用するが、ウェブ技術の基本的原理をハイパーリンクという言葉で表現することができるだろう。この一点において、ウェブ技術は、書籍からビデオなどを含めた他のITと区別できる。

 あるウェブページはそれ自体で完結しているのではなく、原理的にはハイパーリンクによって、他のウェブページに、そして広い意味ではウェブ体系全体につながることによって開かれている。また、ウェブページはテクストだけで構成されるのではなく、ハイパーリンクによって他のメディア、すなわち、音、映像などに開かれているのである。

 従って、ウェブ技術を利用した教材とは、ハイパーリンクという原理を持つものであるということができる。ウェブ技術を利用する以上、この原理を有効に生かせば生かすほど、その意義が高まるのである。

2. 3. 本教材の原理:言語教育論的原理とウェブ技術論的原理の統合

 言語教育におけるウェブ技術を利用した本教材は、これまで見てきた二つの側面を統合した形の原理を基盤にしている。したがって、その原理とは以下のようなものであるということができる。

 本教材は、生徒の言語習得を目的とするコースの中に位置付けられることによって、言語教育的意味を持つが、それと同時に、その言語を接点として言語習得用のコースの外に生徒を連れ出すという言語教育論的原理に従い、そしてその際に、ウェブ技術のハイパーリンクを利用する。ウェブ技術論的原理であるハイパーリンクに従うことによって、本教材は、言語教育(生徒の側から見れば、言語習得)の外に開かれることになるのである。

3. 実装

 具体的には本教材は、SFCのフランス語教育のスキルモジュラー(原典講読)の受講者を主な利用者として想定している。コースと本教材との位置付けという観点からいえば、授業の中で本教材に見られる詩作品が取り扱われる可能性はないわけではないものの、原則として本教材は原典講読というスキルモジュラーのコースの補助教材である。補助教材としてのあり方は二重であり、授業で得た刺激を元にして本教材へと赴いてもいいし、逆に本教材で得た知識や観点を授業の中で取り上げて議論したり、講読中のテクストの解釈のための布石とすることも可能である。

 以下に、教材中の個々のコンテンツを見ていくことで、より具体的に実装の内容を示したいと思う。

参照:http://web.sfc.keio.ac.jp/~takfrog/poesie/

3. 1. 「トップページ」ならびに「はじめに」のページについて

 本教材の開発のそもそものきっかけとなったSFC政策・メディア研究科2004年度秋学期の授業「ITと学習環境」での発表において、本教材のプロトタイプに対して「この教材はどのように利用できるのか」ということに関してのヘルプ機能の必要が開発上の課題として提出された。

 本教材のトップページからはヘルプ機能の一部、すなわち「教材の利用法について」および「推奨する暗唱の仕方」「閲覧のための環境について」を掲載したページにとぶことができる。

 またこれはヘルプ機能全般においていえることであるが、特に意識的に行ったことはヘルプ機能をつけることが教材の利用法を制限することにならないように努めることであった。例を挙げながら説明すると、原理上、本教材を学習者がどのように利用するかは自由であって例えば暗唱の仕方は一つではない。その一方で、どのような方法が一つの可能性として望ましいかも示す必要がある。したがって「推奨する暗唱の仕方」という項目もあくまで「推奨」という形で紹介しているのである。

3. 2. [メインページ]について

3. 2. 1. 「PpppC」のロゴについて

 ロゴ作成に当たっては次の二点に注意した。

 一つ目は、ロゴによってこのページが個別の詩へのリンクがはってあるメインのページであるということを学習者に印象付けることを目指すこと。

 二つ目は電子教材に特有の問題であるのだが、特にそれが補助教材である場合、教材の全体において学習者の興味を引く努力をする必要があるということである。

 したがってロゴには興味を引く工夫として動きを作り、またメインページであることを印象付けるために明快なデザインを心がけた。

[logo オブジェクトのリンク]
ブラウザの更新ボタンを押して動きを確認のこと。クリックすることで本教材の名称(Poésie apprise par coeur)を確認できる。

3. 2. 2. 詩の配置について

 暗唱する対象である詩の配置についても、利用者の選択の制約にならないように注意しながらも、上から下に向かって緩やかな難易度の段階がつくような配置を心がけた。難易度の基準としては基本的には詩の長さである。ただし「L'Invitation au voyage」や「Harmonie du soir」のように詩自体は長いが、それ以外の理由(曲になって紹介されていることや、同じフレーズの繰り返しが多いなど)によって覚えることが比較的簡単であると予想されるものは、例えばそれらよりも詩の短いソネット群よりも上に配置されている。

 また「Ses purs ongles tres haut ....」は暗唱する際の難易度は比較的高いと思われるが、詩の暗唱を楽しむという観点から不可欠と思われる「リズム」の要素を導入的に紹介するに当たって優れていると思われたので、一番上に配置した。

3. 2. 3. 詩の作者の画像について

 マラルメおよびボードレールの画像においても動きを作り出すことを重視した。また単に動きがあるのではなく、その結果として、すなわち、クリックし、リンクされたページへとぶことによって、それぞれの詩人の生涯の簡単な紹介を読むことができるページを作成した。

3. 3. 個々の詩のページについて

3. 3. 1. 全般的な説明

 個々の詩の部分の実装は、次の五つの要素から成っている。すなわち (1)「PpppC」のロゴ (2)詩の朗読再生ボタン「Ecouter tout?」 (3)詩のタイトル (4)詩の本文 (5)プラスアルファ・コンテンツ「PLUS!」である。

3. 3. 1. 1. 「Pppc」のロゴ

 個々の詩のページにおいても「3.2.1.『PpppC』のロゴについて」に紹介してあるのと同じデザインのロゴを使用した。ただし、マウスのカーソルが合うと「Top」と表示され、クリックするとメインページへとぶように設定してある。

3. 3. 1. 2. 詩の朗読再生ボタン「Ecouter tout?」

 詩の朗読再生ボタン「Ecouter tout?」を押すと、タイトルを含めた詩の全体の朗読を聴くことができるようにした。再生中は文字が「Arrêter...」に変わり、再び押すと再生が止まる。

3. 3. 1. 3. 詩のタイトル

 単に詩のタイトルを示すだけではなく、マウスカーソルが合ったとき、およびクリックでそれぞれの詩に対応した変化をするようにした。

3. 3. 1. 4. 詩の本文

 従来までの詩の朗読が聴けるウェブページと最も大きな特徴を一つだけ挙げるとすれば、この詩の本文の部分で、詩句ごとに再生ができるようにしたことを指摘する。これは非常に基本的なことのように見えるが、集中的に聴きたい詩句のみを聴けるようにする機能は他のウェブで見られないという意味で画期的であり、また簡単に何度でも再生が可能という意味でウェブ上の電子教材の利点を生かしているといえる。

 またどの詩句を一まとまりとして再生するか、ということの決定は、暗唱する際の基本的流れを規定するものであるので特に慎重に行った。

3. 3. 1. 5. プラスアルファ・コンテンツ「PLUS!」

 テクストの中に配置された「PLUS!」をクリックすると、詩に接するにあたってのヒントを書いたページがポップアップする形で表示されるように設定した。ポップアップしたウィンドウに表示されるコンテンツは、上述のように「詩に接するにあたってのヒント」を示すことを第一に目指しているが、それと同時に、詩を暗唱することが実際のフランス語学習および使用の中でどのように応用できるか、ということを暗示するように努めた。暗示するという段階で留めたのは、それが利用者の自由な利用を制約しないためである。

3. 3. 2. 個々の詩の選択およびプラスアルファ・コンテンツについて

 ここでは実際にコンテンツとして使用した詩の選択に関してと、各詩に付けたプラスアルファ・コンテンツについて説明する。

3. 3. 2. 1. Ses purs ongles tres haut ....

 詩の暗唱を実践する上でも、またそれを楽しむ上でも要となる詩における「リズム」の紹介として優れていると考え、この詩を選択した。この詩に関してのみ、プラスアルファ・コンテンツは作成していない。

3. 3. 2. 2. L’Invitation au voyage および Harmonie du soir

 比較的長い詩ながら、繰り返しが多いことや、別のウェブページにおいてメロディがつけられた歌として紹介されているということもあり、暗唱を行う際の導入的詩として選択した。プラスアルファ・コンテンツにおいても、江藤淳による解釈の紹介や、詩の構造の視覚的提示など、詩に触れる際の導入的なものとなるであろうコンテンツを作成した。

3. 3. 2. 3. À une passante

 暗唱をするのに適切な長さを提供するソネット形式で書かれていて、ボードレールの詩の中でも著名であるということから選択した。プラスアルファ・コンテンツでは、朗読のリズムを自分で体得できるようなものを作成した。

3. 3. 2. 4. Le Mort joyeux

 暗唱をするのに適切な長さを提供するソネット形式で書かれていて、ボードレールの詩の中でも著名であるということから選択した。プラスアルファ・コンテンツでは、詩の一部の単語を他の単語と置き換えることでどのような意味的変化を全体に及ぼすかを考えさせるようなものを作成した。

 このプラスアルファ・コンテンツは詩の暗唱をすることによって、暗唱できる文章の構造を利用して新しい文章を自分で作成できるようになることを学習者に暗示する意図も兼ねている(3. 3. 2. 5. も参照のこと)。

3. 3. 2. 5. Les chats

 暗唱をするのに適切な長さを提供するソネット形式で書かれていて、ボードレールの詩の中でも著名であるということから選択した。プラスアルファ・コンテンツでは、四行の詩句を異なる速さ(「ゆっくり丁寧に」「やや早く」「慌しく」「聞き取れる範囲でできるだけ早く」)で朗読した音声ファイルを用意した。

 このプラスアルファ・コンテンツでは、詩の朗読の早さを変えることが、まとまりとして読まれる部分に変化を生じさせ、結果として全体的リズムが異なるということを体験できるようなものを目指したものである。例えば、「ゆっくり丁寧に」というスピードで読まれた朗読においては、詩句のまとまりは「Les amoureux / fervents / et les savants / austères /」のようになっているが、「やや早く」のスピードでは「Les amoureux fervents / et les savants austères / Aiment également, / dans leur mûre saison/」、「やや早く」のスピードでは「「Les amoureux fervents et les savants austères / Aiment également, dans leur mûre saison/」という形で変化する。

3. 3. 2. 6. Le serpent qui danse

 暗唱をするにあたってはやや長い詩であるが、四行の詩句で一まとまりになっているのでその観点からすれば暗唱が比較的しやすいと考え、選択した。プラスアルファ・コンテンツにおいては、詩句の一部の単語を段階的に他の単語に置き換えていくことによって生じる文章のニュアンスの変化(意味的、感情的、表現的変化)を体験できるものを作成した。

3. 3. 2. 7. Les métamorphoses du vampire

 暗唱をするにあたってはやや長い詩であるが「AA BB CC...」のように脚韻を踏んでいるので暗唱が比較的容易と判断し、選択した。プラスアルファ・コンテンツでは、同じ文章を「泣きながら悲しそうに」「笑いが止まらない状態で」「テレビのニュースキャスター風に」の三通りの方法で読むことを提案した。また例を音声ファイルとして提示しておくことで読み方(発音、発声、および読むスピードの変化)によって同じ文章の意味がどのように変わりうるかを学習者が体験できることを目指した。

3. 3. 2. 8. Les bijoux

 暗唱するには長い詩である。そのため、「上級篇」となる「Les litanies de Satan」の直前に配置した。プラスアルファ・コンテンツとしては、マラルメの詩「Un coup de dés」およびメキシコの詩人オクタビオ・パスによるテレビ画面を用いた新しい詩表現の提唱に着想を得、詩の中で利用者が重要だと感じた単語や表現、あるいは単に響きや音が好きな部分を大きく、そうではない部分を小さく表示させ、声の大きさも文字の大きさに合わせて変えて読むことを提案するものを作成した。

3. 3. 2. 9. Les litanies de Satan

 暗唱を行うという観点から見れば非常に長い詩であるため、「上級篇」として位置付けた。プラスアルファ・コンテンツでは『悪の華』の異なる訳者による翻訳を紹介し、翻訳、すなわち、他言語との関わりという観点から詩にアプローチするということを提案するものを作成した。

4. まとめと今後の課題

 本教材は補助教材であり、また利用者の自主性を極力重視する性質のものである。本教材に課せられたその基本的条件は、積極的および消極的意味を持つものであった。積極的には、本教材は生徒の関心を引き出すという点に集中することができた。消極的には、どの程度まで何を扱うかという問題が生じ、例えば、各詩に登場する単語を、ウェブ上で閲覧できる単語帳としてまとめるか否か、という議論が起こった。単語帳の存在は一見、有益に見えるが、一方で、単語に付す日本語の選択が詩の解釈を制約してしまう危険性があるし、また逆に利用者の学習意欲をそいでしまうことが考えられたからである。

 展望を兼ねた今後の課題としては、第一に、暗唱を支援する詩の数を増やすということが挙げられる。それと連動してプラスアルファ・コンテンツの数も増やす必要があるだろう。また、すでに作成されたプラスアルファ・コンテンツも含めた全体的な動作環境およびアフォーダンス、内容自体の改良も行うことが望ましい。

以上