学術交流支援資金「海外の大学等との共同学術活動支援」活動報告書

慶應義塾大学環境情報学部 

今井むつみ

 

研究課題名: シンボルとメディアの認知システム:日本語話者、中国語話者、ドイツ語話者におけるピッチ情報の音声知覚に関する研究

 

メンバー:

代表 今井むつみ (慶應義塾大学環境情報学部・助教授)

共同研究者 

重松淳 (総合政策学部・教授)

伴野崇生 (SFC研究所・上席所員)

Hua Shu (北京師範大学,教授)

Song Yan (北京師範大学,講師)

Henrik Saalbach (Max Planck Institute, Post-doctoral Fellow)

 

研究目的

 

研究の背景と目的

 

本研究は大学院プロジェクト科目「シンボルとメディアの認知システム」のプロジェクトの一環として中国語話者、日本語話者、ドイツ語話者におけるピッチ情報の音声知覚について調査する。 単語の学習において学習者が最初にしなければならないのは音のパターンの弁別である。日本語では単語音声の弁別の手がかりは音素とアクセントパターンである。他方、中国語では音素とトーン(4声)が弁別に必要な手がかりとなる。アクセントパターンとトーンは共に音の高低(ピッチ)のパターンであるが、単語の音声弁別におけるアクセントとトーンの重要性は日本語と中国語で異なるように思われる。日本語では語によっては、アクセントが異なると意味が異なる別の語となる場合もあるが(例えば「雨」と「飴」、「橋」と「箸」など)、人によってアクセントパターンが異なる語も少なくない(「くま」「いちご」など)。また、近年ではアクセントの平板化が進み、以前には頭高だった語は現在では平板に発音される語も多数ある(例えば「高さ」など)。このことを鑑みると日本語ではアクセントが単語音声知覚において音素と並んで重要な要素とはいえない。他方、中国語では単語を形成するmorpheme(漢字一字)に対してトーンが決まっている。つまりmorphemeというのは音素とトーンの組み合わせであり、morphemeが単語を構成しているので、単語音声知覚の観点からは、単語に含まれるmorphemeで音素がすべて同じでも一つのmorphemeのトーンが異なれば別の語と認識される。したがって中国語におけるトーン情報は単語音声知覚において音素と同等に重要な情報である。かたや、ドイツ語の単語は日本語や中国語に比べ格段に音素数(シラブル数)が多く、ピッチ情報は単語認識においてあまり重要ではない。このようなアクセント、トーンというピッチ情報の扱いについての言語的差異を考えると、日本語、中国語、ドイツ語を学習する乳児と成人がそれぞれアクセント、トーンに対していつから、どの程度敏感で知覚的に弁別ができるのか、また単語の音声認識にアクセント、トーン情報がどのようや役割を果たすのかというは非常に興味深く、重要な問題である。そこで本研究は日本語、中国語、ドイツ語を母語とする乳児と成人がピッチ情報にどのくらい敏感なのかを実験的に検討することを目的として計画された。

 

研究の実施状況・経過と本年度の成果

 

本年度はまず、日本語、中国語、ドイツ語を母語とする成人に対して実験を実施した。

実験参加者は日本語話者21人、中国語話者10人、ドイツ語話者18人である。中国語話者はすべて標準中国語を母語とした。

 

実験刺激:

中国語 2音節単語(実在語,無意味語を両方含む) 

(1)                            語頭のトーンを変化 (1声+4声,2声+4声,4声+4声) 10セット

@1声+4声 ・・・ 日本語として自然(1型に聞こえる)

   A2声+4声 ・・・    〃    自然(1型に聞こえる)

   B4声+4声 ・・・    〃    不自然(1語の中に滝が2つある,滝は語弁別に意味がある)

 

☆ @1-4とA2-4の弁別は難しい(語頭の長音/撥音は高く出ても上昇でも区別しない)

☆ @1-4とB4-4の弁別は容易(アクセントの滝に気づきやすい)

 

 

(2)語末のトーンを変化 (4声+1声,4声+2声,4声+3声) 10セット

   @4声+1声 ・・・  日本語として不自然(下降―上昇は受け入れにくい)

A4声+2声 ・・・     〃    不自然

B4声+3声 ・・・     〃    自然

 

     @4-1とA4-2の弁別は難しい(下降した後高く出ないとき,上昇か平坦かの区別は必要がない)

     @4-1とB4-3の弁別は容易(下降―上昇は受け入れにくいので,上昇―下降に聞き誤る可能性がある)

 

 

中国語母語話者の女性に発話してもらい,録音する.

 

手続き:

    刺激は,語頭易ペア(@B),語頭難ペア(@A),語頭難ペア(AB),

語末易ペア(@B),語末難ペア(@A),語末難ペア(AB),

10セットずつ,合計60ペアを使用.

 これに加えて,語頭同ペア(@@,AA,BB),語末同ペア(@@,AA,BB),

10セットずつ,合計60ペアもテスト.

 

   全体の合計120ペアを1ブロックとして,2ブロックテスト,つまり各ペアを2回テストする.2つのブロック間で,ペア内の音声呈示順序のカウンターバランスをとる(最初の60ペアのみ).合計240試行

 

   課題は,same-different判断とした。2つの音声を1秒(あとで再検討)間隔で呈示し,5秒以内に,2つの音声が同じか異なるかを判断してもらった.呈示は,PC上でヘッドホンを通して行い、反応はキー押しで行った.

 

 

結果

3つの言語グループで弁別の成績、パターンが大きく異なった。中国語話者はトーンの変化が語頭でも語末でも、どのような変化についてもほぼ完璧に弁別が行えた。ドイツ語話者は変化が語頭でも語末でも弁別の成績が悪く、同定も弁別も平均エラー率は30%を超えたが、特に語末の2声から3声への変化において弁別の成績が悪く、エラー率は47%だった。日本人は全般的に成績がよく、平均エラー率は10%だった。しかし、ドイツ語話者で最も成績が悪かった語末の2声から3声への変化だけは弁別がまったくできず、エラー率は50%だった。

 

考察

母語での単語認識におけるピッチ情報の役割が成人のピッチ情報の知覚に大きな影響を与えることがわかった。ピッチ情報が単語音声に重要でないドイツ語話者は中国語のトーン変化の知覚が困難である。日本語は中国語のようにシステマティックなトーンシステムは持たないが、単語中の音素の高低は単語音声の重要な一部である。日本語成人話者が中国語におけるトーン変化をドイツ語よりも敏感に気づいたことは、日本語の単語音声におけるピッチ情報の使用が中国語のトーンの知覚に般化可能であることを示唆している。

 

今後の展開

母語の単語音声におけるピッチ情報の重要性の有無が成人のトーンの知覚に大きく影響することがわかったので、次は言語を学習しはじめて間もない乳児が、母語でピッチ情報を使わなくてもトーン変化を知覚できるのか、発達的にいつごろから母語の成人のパターンに移行していくのか、という問題を検証していく。