言語教育デザインプロジェクト

 

研究代表者:慶應義塾大学総合政策学部教授 平高史也

    共同研究者:上智大学外国語学部専任講師 木村護郎クリストフ

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士2年 礒貝日月

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士1年 石田桃子

 

1.はじめに

 

 本研究ではドイツ、カナダ、スイスの少数言語の維持や復興運動の実態を明らかにし、それを手がかりに政策としての少数言語・文化の保持や復興の可能性を追究し、モデル化することを目的とする。その際、総合政策学的なアプローチを援用し、政策プロセスの検証、アクターや当事者の役割、地域共同体の形成、復興に関わる要因の分析などを行う。以下、ドイツ(木村)、カナダ(礒貝)、スイス(石田)の調査地域ごとに報告する。

 

2.ドイツにおけるソルブ語の場合

 

本研究において現地調査の対象となった少数言語地域のうち、木村の課題は、少ない話者数ながら言語が日常生活言語として維持されているドイツ国内のソルブ語に焦点を当て、言語の維持や復興運動の実態やプロセスを調査することであった。そのため、2006年7月8日〜2006年8月14日、ソルブ語地域において現地調査を行った。

少数言語の維持は、あからさまな抑圧や弾圧がない場合、しばしば少数言語話者自身の問題であるとみなされやすいが、実際には、少数言語が教育や社会生活において存続・発展することは、同じ地域に住む多数派の認容、好意ないし支援なしには不可能であり、その意味で、直接に少数言語の話者ではない多数派も、少数言語維持・復興の当事者である。このような認識から、今回の調査においては、とりわけ、少数言語の復興を規定することになる多数派との関係性の構築を軸として調査を進めた。

調査課題の一つは、多数派住民がどのように少数言語を学んでいるかということであった。現地においては1998年以降、ソルブ語を母語としない子どもがソルブ語による没入(イマージョン)式の教育を受ける幼稚園が開設され、学校において「二言語+」というモデルによって継続が図られている。このモデルの導入をめぐる言説を、現地の教員をはじめとするソルブ語教育関係者との面談およびソルブ研究所の図書館資料によって調査した。

もう一つは、少数言語の使用に関する多数派の「寛容」の問題である。少数言語を公に使用する権利はソルブ語地域においては、公的機関の二言語表記にも現れているように法的に認められている。反面、現実においては公的、半公的な場面でソルブ語の使用はきわめて限られている。その背景の一つとして、ドイツ語のみを話す多数派住民が、ソルブ語という、自分たちに理解できない言語が話されることに不安を感じていることがあげられる。本調査においては、実際にそのような懸念が表明された例をもとに、現地のメディアに現れた、多数派と少数派が相互の「寛容」をめぐって表明する議論を分析した。多数派から散発的に表明される、ソルブ語を理解しない多数派への「配慮」を求める意見が、少数派が「自発的に」ソルブ語使用を控える一因になっていることが改めてうかびあがった。

以上の調査・分析をとおして、ソルブ語の教育制度の存続には多数派の参画が必要とされている現状、またソルブ語の使用に際しても、多数派の姿勢が決定的である様子が示された。少数言語の維持・復興は、従来、言語政策の枠組みで語られることが多かったが、政府などの政策、あるいは少数者の権利の法律などによる擁護は、実際の現場で多数派と少数派の住民がどのような関係を築いていくかを考慮することなしには成果をあげることはできない。多数派が自ら少数言語を学ぶか否か、また少数言語の使用を認容するか否か、という住民間の関係に関する要因を、言語維持・復興のモデルに不可欠な要素として組み込む必要性が明らかになった。総合政策学の観点からは、言語の維持・再活性化に多数派を巻き込むプロセスをつくっていくことを支援することが本研究の最終的な目標といえるが、その土台となる知見が整えられたのが本調査の成果である。

 

3.カナダにおけるイヌクティトゥト語の場合

 

本報告は礒貝が2006年8月30日〜9月11日の期間、カナダのヌナブト準州ホエール・コーブ村でフィールドワークをおこなった記録である。ヌナブト準州はカナダで1999年4月1日に新たに誕生した準州であり、総人口約30,000人の85パーセントを先住民イヌイットで占める。上記期間、ホエール・コーブ村を訪れ、イヌイットの家庭に滞在し、参与観察をおこなった。以下、まず研究の概要を述べ、その後、研究の手法についての報告、最後に結果ついて記す。

 

3.1.研究の概要

 

 本研究はカナダ極北地方の先住民イヌイット社会に関する研究である。言語を主な焦点とし、カナダ中東部極北地方にあるヌナブト準州在住のイヌイットを対象とする。主として言語に焦点を当てた理由は、イヌイットが言語を自身の社会で最も重要であると認識し、それと同時に、脅かされていると感じているからである。その根拠はイヌイットが先住民運動のなかで、言語の法的保障を強く政府に求めており、条件付ながら獲得しているという点にある。

インタビュー調査、参与観察から得られたデータをもとに、ヌナブト準州在住のイヌイットの言語の現状を把握し、考察し、今後の展望を示す。言語といっても、その文法構造や、発音といった言語の仕組みに着目するのではなく、イヌイット社会のなかで、イヌクティトゥト語がどのように使用され、どのような意味を持つのか、といった点に重点を置く。ここ50年あまりの急激な環境変化により、言語はどう変化し、今後どのようになっていくかを明らかにすることが、本研究の主題である。

 

3.2.参与観察

 

 2006年8月30日から9月11日の期間、ヌナブト準州のホエール・コーブ村に滞在し、実施した。

参与観察とは、調査地で、社会生活に参加し、インフォーマントと良好な関係を築き、観察することである[1][1]。そのため、イヌイットの家庭に滞在し、寝食をともにした。観察した結果は「経験に素直に耳を傾け」[2][2]、フィールド・ノーツ、日記に記し、後で気づいた点は、振り返りのメモとして記録に残した。

ミリアム(2004)によれば、データ収集法としての参与観察は主観性のつよい収集法であるため、観察・分析道具としての、「人間」の信頼性に目が向けられる。礒貝は2000年から2006年にかけて繰り返し、長期継続的に参与観察をおこなうことで、観察・分析道具としての「人間」の精度を高め、それと同時に、収集データの信頼性と妥当性を繰り返し精査してきた。また、本年度は実施しなかったが、2005年のインタビュー調査で得られたデータを活用して、トライアンギュレーションを用いて、内的妥当性を高めた。

 

3.3.結果

 

 人口約300人のうち非イヌイットが数10名のホエール・コーブで、非イヌイットは警察官、生協のマネジャー、看護師といったように、要職についている。そのため、人口比率に関係なく、英語かフランス語でのコミュニケーションが多くなる。非イヌイットはイヌクティトゥト語を話す必要性を感じないし、イヌイット自身もイヌクティトゥト語を話したいと思いつつも、英語を使うことが多くなりがちである。インターネット、テレビ、映画などから娯楽に関する情報を得るためには英語を使用しなければならない。ヌナブト準州の設立で、イヌクティトゥト語の政治的地位は向上したかもしれない。だが、言語の政治的地位の向上はイヌクティトゥト語話者に安心感をもたらすものではなく、依然として、英語という絶対的強者の力を強く感じるものが多い。このことは、フィリップソン(Phillipson)のいう「言語帝国主義」のモデルを想起させる[3][3]

 本調査で得られたデータをもとに、『カナダ・ヌナブト準州の内なる力、外なる力―イヌイットの言語と生業活動の現代的諸相―』と題した修士論文を執筆したので、詳しくはそちらを参照されたい。

 

参考文献

川喜田二郎(1967)『可能性の探検 地球学の構想』講談社。

佐藤郁哉(2002)『フィールドワークの技法 問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社。

S・B・メリアム/堀薫夫・久保真人・成島美弥(訳)(2004)『質的調査法入門 教育における調査法とケース・スタディ』ミネルヴァ書房。

W・F・ホワイト/奥田道大・有里典三共(訳)(2000)『ストリート・コーナー・ソサエティ』有斐閣。

Phillipson, Robert (1992)“Lingustic Imperialism.” Oxford : Oxford University Press.

Phillipson, Robert (2006)“Language policy and linguistic imperialism”In: Ricento,Thomas(ed.)“An introduction to language policy : theory and method”  

pp.346-361. Oxford: Blackwell publishing Ltd.


4.スイスにおけるルマンチュ語の場合

 

4.1.研究の目的

 

スイスの少数言語であるルマンチュ語の実態を把握し、今後のルマンチュ語が維持される可能性について探ることを目的とし、2006824日から918日までクールをはじめとするルマンチュ語地域で調査を行った。

 

4.2.調査方法、地域、協力者

 

グラウビュンデン州の居住者や言語維持活動を行っている人々を対象にインタビュー調査と参与観察を行った。調査地域はグラウビュンデン州で、クール(ルマンチュ語維持活動を行う中心角が存在する州都)、マイエンフェルト(ドイツ語圏)、サン・モリッツ(有名な観光地)、ツェルネッツ(ルマンチュ語話者が60%以上在住)、シュクオル、セントなど。

調査地域の選択の際には、ルマンチュ語話者の割合、町の特徴や規模などを勘案した。

調査協力者はルマンチュ語話者6名、非ルマンチュ語話者2名。また、言語維持活動者3名、住民5名である。言語維持を推進している人々および言語を日常使用している一般市民の両者から話を聞くことで、問題の真実の追究を試みた。

 

4.3.調査結果

 

4.3.1.言語使用の現状

 

州の公用語とされるルマンチュ語ではあるが、実際に目に見える範囲での使用は大変少ないことが明らかになった。その一つの要因として、言語地域によってさまざまな方言が存在することが挙げられる。ルマンチュ語は5つの方言に分けることができるが、それらの方言はすべて文字を持っており、互いに理解できる方言と理解できないくらい異なる方言が含まれる。このような場合、公的な標識での表示や商品の表示は大変困難になることが分かる。そのため、1982年に統一言語としてルマンチュ・グリジュンが作成されたが、それは現在でも大きな問題として捉えられている。

 

4.3.2.方言の実態

 

グラウビュンデン州のすべての町でルマンチュ語が話されているわけではない。5つの方言が7つの地域に分布されて記されているが、東と西で遠ざかれば遠ざかるほど、通じないことが明らかになった。隣り合っている言語同士は共通点が多く理解でき、地理的な距離が理解度の比較につながる。現在ルマンチュ語がほとんど話されていない地域もあり、市民はこのような方言の違いを大いに受け入れている。相手と話すことで出身地域がすぐ分かるため、そこから話題を膨らませる楽しみがあることが、ルマンチュ語話者同士の関係性構築の中で重要な情報源となっているようである。そのため、方言の違いはルマンチュ語地域内での独自性を表わしていることが明らかになった。

また東部の言語地域は性格が閉鎖的であり、西の言語地域はイタリアに近いことからイ

タリア的な開放的な性格であるということがよくいわれる。このことから、東と西の間に壁ができている可能性があるともいえる。

 

4.3.3.観光の言語に対する影響

 

グラウビュンデン州で観光開発が進んだ地域は、ルマンチュ語話者数の割合が急激に減少している傾向があることが明らかになった。

そこでは、「観光という形で、ルマンチュ語を商品化してほしくない。」という意見が聞こえた。こう言うのは、Lia Rumantschaで中心的に活動しているManfred Gross氏である。一発狙いの商品として、ルマンチュ語を売りにすることに抵抗感を感じているようだ。言語を軽く扱われたくないという意図である。

観光と言語を組み合わせることで言語を外部に発信する力があるという観点から、少数言語地域は言語を復興させる活動として観光を使用する場合があるが、ルマンチュ語地域ではその反対の動きがあることが明らかになった。観光開発が進むことで、外部からの流入者が増え、ルマンチュ語話者が減少する。標識やスーパーなど町で使用される言語も変化し、ルマンチュ語の存在が希薄になる。このような影響から、言語維持側が観光による言語の普及を拒否しているのである。

 

4.3.4. 統一言語 Rumantsch Grischun

 

ルマンチュ語地域で現在一番注目されている問題は統一言語のRumantsch Grischunルマンチュ・グリジュンの存在意義であることが分かった。この言語に対して、言語維持側と市民の声は異なっている。言語維持側は政府から補助金を受け、多くの活動を行っている。その一つとして統一言語の作成がある。しかし、市民はその動きに対して同意してはいないことが今回の調査で明らかになった。今後の更なる研究課題として統一言語のあり方があげられる。

 

4.3.5.今後の課題

 

以上の内容とともに文化、メディア、法律、教育などの分野でも現状を把握でき、非常に有意義な調査となった。これらを参考に今後の更なる研究課題としてルマンチュ語地域の言語のあり方と維持方法を考えていく。主に統一言語のあり方についてさらに調査を深め、他言語への応用の参考になるような研究成果を求めていく。

 



[1][1] 佐藤(2002:66-71)、WF・ホワイト(2000:304-311)参照。

[2][2] 川喜田(1967:206-214)より引用。

[3][3] Phillipson19922006)参照。