研究課題名           イスラームとグローバル・ガバナンス研究プロジェクト

研究代表者氏名    奥田 敦

職名       総合政策学部教授、政策・メディア研究科/研究科委員

 

研究課題              アラブ・イスラーム圏における研究拠点ネットワークの拡大と充実を図るとともに、すでにSFCと各拠点の間において研究者レベルから学部レベルまで様々な形で展開されている共同プロジェクトを多元的に展開していく。シリア拠点(アレッポ大学日本センター)、レバノン拠点(セント・ジョセフ大学)の充実にとどまらず、リビア拠点などの可能性も探りながら、従来型の地域研究や異文化理解・交流の地平を超えて、お互いがともに何者になれば未来へのビジョンを共有できるのかという問題意識から、学生間の相互訪問交流プログラムを含めた、地球大のガバナンス構築に資する実践的な研究・交流プロジェクトを実施する。

 

研究の背景:アラブ・イスラーム圏についての研究に、そして同圏域との学術交流に、この時代ほど大学独自のスタンスとチャネルが求められている時代はない。国益に資するためだけの研究や交流を続ける限り、アラブ・イスラーム圏の平和も安定も、また、よき隣人としての共生も覚束ない。米国とその同盟国によるイラク侵攻の結果が、侵攻後4年経ってますます激しくなるイラク人同士の大量の殺し合いであり、反米感情の著しい高まりであることが、そのことを証言する。「未来を創る大学」に集い、研究するわれわれにとって、国家主導の、国益誘導型の研究・交流は、少なくともアラブ・イスラーム圏においては、人々に希望も幸福ももたらしてはおらず、その意味において、われわれは、彼らとともに、よく生きる未来のために、何ものにも囚われない真に学問的な立場とネットワークによって、アラブ・イスラーム圏を研究し、また彼らとの学術交流を進めていかなければならない。

こうした基本的なコンセプトに即する形で、ここ数年間、SFCのアラブ・イスラーム圏における研究および交流活動は、目覚しい展開を遂げることができた。シリアのアレッポ拠点を中心に、レバノンのベイルート拠点が機能しはじめ、様々な共同プロジェクトや学生レベルの相互訪問を中心とした研修交流が盛んに行われるようになってきている。大学院生を中心とした研究プロジェクトによるフィールド・ワークでは、シリア・レバノンを中心に、しかしながら、インドネシアから北アフリカ・セネガルに至るまでフィールド・ワークの裾野は広がりつつある。グローバリゼーションの浸透の傍らで、国益重視の国際関係の視点では捉えることのできない、様々な事象、とりわけ21世紀型とも呼びうる静かなイスラーム台頭の動き(テロリズムとは対極にあるような)が前年度までの研究において確認されつつある。

2025年には、世界人口が80億を超え、イスラーム教徒の世界人口比が30%を超えて、キリスト教徒の25%を上回るとされる。共通の未来を築くべくお互いが変わるためには、「彼らが何ものであるのか」を問う従来型の認識的で受動的な研究では必ずしも十分とはいえない。グローバルレベルでのガバナンスの構築・実現を視野に収めながら、共有できる未来を積極的に創っていくという観点から「われわれはともに何ものになりうるのか」に資する研究や交流が先導的に行われる必要が痛感される。

 

研究の概要:本年度は、アラブ・イスラーム圏における研究交流拠点とそのネットワークのいっそうの充実と拡大を図ると同時に、拠点機能を十分に生かした形での共同研究プロジェクト、フィールド・ワーク、相互訪問活動をより多元的な形で展開させる。

具体的には、シリアのアレッポ拠点、レバノンのベイルート拠点では、拠点機能やそれぞれに行われているプロジェクトの充実を図る。シリア・レバノン以外では、すでにここ数年で訪問を行った、エジプト、チュニジア、イエメン、モロッコのほかに、リビアにおける研究拠点形成をプロジェクトの実施とともに考えている。さらに、都市計画から人間の心理に至るまで幅広い分野で、しかもインドネシアからセネガルに至るまでの広い地域で行われているSFCのフィールド・ワークの中から新たなる拠点構築やプロジェクト形成についても構想する。

拠点における研究・教育活動については、年々着実に拡大している昨年までのプロジェクトの実績を踏まえつつ、拠点間の連携も図りながら、成果の発表にむけてさらなる発展を狙いたい。

 

個別の研究・交流プロジェクト:主な研究・交流プロジェクトの成果概要を研究拠点ごとにまとめておく。

●湘南藤沢キャンパス(SFC):

@クルアーンと人工知能プロジェクト(学術フロンティア「デジタルアジア」プロジェクトと一部連動):すべてのイスラーム教徒とその社会の行動の根源的な規範をなすクルアーンのデータ性・メタデータ性に着目し、究極の質問応答システムの構築の具体的な手がかりをオントロジーあるいはベクトル空間の方法を援用することによって掴む。直交ベクトル意味空間の手法によるデータベースの方法論について、清木研究室を数回にわたって訪ね、清木教授から方法について直接教えていただく。方法論的には可能であることが明らかになり、サンプル作りができる態勢が整った。

 

Aアラブ・イスラーム圏におけるヒューマンセキュリティー研究(学術フロンティア「グローバル・セキュリティ」プロジェクトと一部連動):イスラーム圏の各地で確認できる新しい静かなイスラーム台頭についてヒューマンセキュリティーの観点から、フィールド・ワークを中心に明らかにする。アレッポにおける女性の社会参加としての慈善活動に関する研究成果を得た(植村さおり、修士論文)。アラブ圏ではないが、インドネシアについて、博士課程の野中葉による数度にわたるフィールドワークが実施され、現在観察される台頭の歴史的思想的背景の端緒が明らかになった。また、イスラーム金融について、奥田がイスラームビジネス法研究会(西村あさひ弁護士事務所、大宮正氏らが発起人)の設立メンバーとして活動に加わった。そのほか、セネガルについてはダカール大学在籍中で、来年度からSFCの大学院修士課程に入学予定の阿毛香絵がコミュニティーに関する修士論文(ダカール大学提出)を完成させている。

 

Bアラブ・イスラーム世界との実践的な双方向的文化交流プロジェクト:第6回になるアラブ人学生の日本研修プログラム(ASP=アハラン・ワ・サハラン・プログラム)を実施した(2007115日(月)〜1122日(木))。レバノン、セントジョセフ大学から2名、モロッコムハンマド5世大学から1名、シリアアレッポ大学から3名の計6名を招聘した。今年度は、トヨタ財団からの助成も得て、前年度から規模を縮小することなく、開催することができた。シリアのビザ取得手続きに変更があり、シリア組の到着に遅延が生じたが、ORFへの参加が可能になった。日本語の学習方法にテーマ別のディスカッションを取り入れるなどの工夫を施し、学習効果が上がったと考えている。共同制作の映像として、「サバイバル日本語2」の撮影を行い、すでに編集も済ませている。

 3月のこちら側からの訪問については、リビヤを予定しており、実際にリビヤとSFCの間で橋渡し役を務めてくれている木村節氏および彼の旧知であるムハンマド・ホデイリーセブハ大学総長(リエゾンは、サイード、アリーの両氏)らの尽力でビザ取得の準備がすべて整ったところで、奥田の大学緊急用務のため、中止を余儀なくされた。5月に再訪問を行う予定にしている。

 こうした活動のアラブ・イスラーム圏との間のガバナンス構築の実践的な試みとして理論的な側面からの評価としては、G-secの最終報告書において、拠点形成による学術交流がヒューマンセキュリティや平和構築において果たす役割として考察した。

 

Cアラビヤ語マルチメディア辞書データベース構築プロジェクト:前年度3月にアラビヤ語の現地研修を通じて収集した約2000の単語およびその用例のうち、半数以上の一次的な入力を行った。現地の専門家も含めたチェック体制については、作業の流れについての検討を行った。実装については、3月の現地研修以降の課題となる。

 

DSFCのアラビヤ語教育・教材ヴァージョンアッププロジェクト:SFCのアラビヤ語教育を「日本人のためのアラビヤ語によるアラビヤ語学習・教育」方法の確立を目指して、より効率的で、より一貫的な教育方法と教材の開発を既存の成果に基づきながら図っていく。ベーシックアラビヤ語では、テキストの全面的な改訂作業を済ませた。文法のハンドブックである、「ジャダーウィル」についても改訂版を完成させた。

また、現地研修のテキスト、あるいは、中長期的なスパンによるテキストの全面的な改訂に向けた準備作業が環境情報学部3年間瀬優太を中心に進んだ。

Eポリコムによるビデオクラスプロジェクト:アレッポ大学日本センター日本語クラスとの間でアラビヤ語と日本語の共同授業の実現を目指して、実用的な回線を安定的に確立に向けて数度の実験を試みたが、20秒遅れの会話になるなど、この時点での実用化は断念せざるを得なかった。日本センターの移転(20073月)に伴うネットワーク環境の変化に期待するほかはない。

 

●シリア(アレッポ大学日本センター):

@日本・アラブ共同デジタルビデオ制作プロジェクト:イスラーム教徒の倫理観をテーマにした作品制作(環境4年秋山貴人)にむけて、準備を行った。ASPにおける撮影は、その一環と位置づけることもできる。今年度は、レバノンでの撮影も視野に入れながら、準備を進めてきたが、レバノンの政局が不安定で、秩序の混乱にまで至っており、レバノンでのロケは断念せざるを得なかった。来年度以降の実現を引き続き模索していきたい。

Aアラビヤ語マルチメディア辞書データベース構築プロジェクト:日本側で入力したデータについて現地の専門家も含めたチェック体制の確立を、3月の研修時にアレッポ側のスタッフと協議したい。また3月には、アラビヤ語現地研修の期間中に、授業の一環として、日本センターの全面的な協力を得て2000語規模の新たな単語収集を行う。

BSFCのアラビヤ語教育・教材ヴァージョンアッププロジェクト:現地研修(インテンシブ2)のテキストについて、コミュニカティブメソッドを前提としてアラビヤ語教材用会話の収集を行い、改訂へ向けた具体的な準備を行った(5月から9月にこれについて間瀬が在外研究を行った)。

C日本フェアの共催:北シリアにおける日本紹介行事としてすっかり定着してきた日本センターの「日本フェア」が910日に開催された。SFCから、奥田研の院生および学生6名が、準備段階から参加した。

 

●レバノン(ベイルート、セント・ジョセフ大学)

@日本センターの開設:SFCとの間の包括的学術協定に記されている学術交流日本センターが9月に開設された。8月末に奥田が訪問を行い、具体的な準備を先方の国際関係担当理事、カラム教授、および行政担当副学長とともにおこなった。312日には、開所式が予定されており、総合政策学部の福井教授と奥田が慶應SFCから参加の予定である。

A日本語教育:日本センター副所長の佐野光子氏によって、積極的に進められた。在レバノン日本大使館からは、レバノンで唯一の日本語教育機関として、全面的な支援をいただくに至った。SFCとの間の具体的な協力・支援については、今後の課題である。

Bカラム教授日本訪問:セントジョセフ大学国際関係担当理事ハリール・カラム教授が12月に来日。SFCの両学部長と研究科委員長、三田の国際関係担当理事との面会を果たし、今後の関係について意見を交換した。また、国際交流基金にも奥田とともに訪問し、日本語教育を中心に今後の協力を要請した。

*セント・ジョセフ大学では、近時、孔子学院による大掛かりな中国キャンペインが展開されているが、日本センターの設立を機に、各方面からの協力も取り付けつつ、大学間にしかできない学術交流モデルのいっそうの確立に努めたい。

 

●その他の国々

@リビア:リビア政府から研究代表者に講演訪問の打診が届いており、またリビアの民主化プロセスの推進にかんして、「イスラームとグローバルガバナンス研究プロジェクト」に研究チームとして参加の要請も届いている。学術交流の可能性も含めてリビアについての研究・交流の本格的な構想を開始する年としたかったが、前述の通り、3月の訪問は断念せざるを得なくなった。しかしながら、関係者との関係は引き続き保たれており、5月あたりに早期の訪問を実現したい。

Aモロッコについては、ASPにムハンマド5世大学のラシーダさんを招聘した関係もあって、先方の副学長から、交流開始の打診があった。来年度の課題として前向きに検討したい。

B湾岸諸国、ヨルダンについては、SFC研究所上席研究員(訪問)の山本達也が、インドネシアについては、博士課程の野中葉が、セネガルについては、修士入学予定の阿毛香絵がそれぞれ継続的にフィールドワークを重ねている。また、水資源問題に関して、中央アジア研究も文科省のニーズ対応型地域研究に採択されて始まった。イエメン、アルジェリア、マレーシアなどその他の地域も含めて、これらは、「イスラームとグローバルガバナンス研究プロジェクト」が注目する諸国となる。フィールド・ワークを中心に研究拠点の構築と交流の可能性を引き続き見据えたい。