2007年度学術交流支援資金による研究助成
■海外の大学等との共同学術活動支援
研究課題名:「都市空間のリスクマネジメント」
氏名:古谷知之
所属:総合政策学部
本研究課題では,「東アジア交通・運輸・観光データベースの構築と空間計量経済分析」を課題とした.
東アジアでは,アジア・ハイウェイをはじめとする大規模交通・運輸インフラ整備構想が提案されているが,モビリティに関する社会基盤整備に伴う地域的な経済波及効果などが十分に示されていない.本研究では,UN ESCAPとの共同研究として,(1)ASEAN+日中韓における交通・運輸GISデータ,州・省・県レベルでの社会経済データに関する統合データベースを構築し,(2)空間計量経済学の分析フレームを用いた社会基盤整備による経済効果やリスクの時空間波及効果分析,を行うことを目的とする.それにより,交通・運輸ネットワーク整備による人流(ビジネス・観光)への影響をメソ・スケールで明らかにすることを目標とした.
具体的には,(1) 日中韓を中心とした交通・運輸・社会経済データに関するGISデータベースを構築し,(2) アジア・オープンスカイ政策による経済波及効果・環境負荷を分析する為の空間計量経済モデルを構築し,(3) 仮想的なシナリオ分析を行った.その成果は以下の通りである.なお、本研究は政策・メディア研究科後期博士課程院生大島英幹君との共同研究である。
1. はじめに
(1) 研究の背景
交通ネットワークが整備されると,地域間の経済的な結びつきが強くなり,資本投資した県だけでなく,近隣の県にも経済成長が空間波及(スピルオーバー)する.経済成長に伴い,環境負荷も空間波及する.
近年発達している空間計量経済学は,このような交通ネットワークによる地域間の結びつきの地域経済への影響を定量的に明示化できる.このため,これを用いて,これら政策の経済効果の分析が行われているものの,その蓄積は充分ではない.
(2) 研究の目的
本研究では,空間計量経済学を用いて,東アジアについて,航空ネットワークを改善したときの,環境負荷および経済成長の空間波及を明らかにし,アジア・ゲートウェイ構想など,今後のわが国内外の交通ネットワーク整備政策の促進に有用な知見を示すことを目的とする.
2. 本研究の分析方法の特徴
(1) 本研究の分析方法
本研究では,空間計量経済モデルを生産関数に適用する.空間計量経済モデルは,空間上の位置属性を持つデータを扱う計量経済モデルである.このようなデータは,空間的依存性や空間不均一性を持つため,目的変数や誤差が近隣地域の目的変数や誤差の影響を受ける,空間自己相関を生じることがある.空間計量経済モデルでは,近隣地域からの移動コストによって,近隣地域から受ける影響の度合いが減衰すると想定し,隣接行列で表現している.本研究では,隣接行列を政策変数として用いる.
(2) 交通ネットワーク整備による環境負荷と経済成長に関する既往の分析方法
これまで,交通ネットワーク整備による移動コスト低減に起因する環境負荷と経済成長の分析には,計量経済分析1)や一般均衡経済分析2)が用いられてきた.計量経済分析では時系列データが,一般均衡経済分析では産業連関表が必要である.これに対し,本研究の分析方法ではいずれも不要である.このため,過去のデータや産業連関表が整備されていない発展途上国でも分析できる.一方,これらの手法では財市場・労働市場の需給バランスを考慮するのに対し,本研究の分析方法では財の供給面に注目する.なお,産業連関分析3)では,これらとは異なり,交通ネットワークの建設自体による経済成長を分析している.
(3) 生産関数を用いた環境負荷や経済成長の空間波及に関する既往の分析方法
本研究と同様に,生産関数を用いた環境負荷や経済成長の空間波及に関する研究としては,1980年代までに,国全体の生産関数を計量経済分析で推計する研究が多数行われてきた.1990年代に入ると,地域別の生産関数の推計が行われるようになり,計量経済分析4),空間計量経済モデル5),一般均衡経済分析6)を用いて,空間波及を反映した生産関数が)提案されるようになった.2000年代に入ると,空間波及のメカニズム解明7)も行われるようになった.これに対し,本研究のように,交通ネットワーク整備と生産関数の関係を見た例はない.
(4) 空間計量経済学を用いた空間波及に関する既往研究
本研究で用いる空間計量経済モデルは,地価8),人口9),自治体の歳出10),事業所立地数11),貿易品の価格12),所得13),研究開発能力の生産性14),選挙の投票率15)など,さまざまな分野で適用されてきた.しかし,本研究のように,交通ネットワーク整備によって隣接行列が変化するような例はない.
3. 研究の方法
東アジア各省道県の労働力・固定資本形成額より,産業部門(第一〜三次産業)別のGRDP(地域総生産)を説明するSARモデル(空間的自己回帰モデル)を構築した.GRDPの自己回帰は,近隣省道県とのマルチモーダル移動コストで説明した.
さらに,産業部門別のエネルギー消費量・炭素排出量を算出した.
また,道路と航空が並行している区間では,各交通機関の選択率で加重平均した移動コストを算出した.
SARモデルを用いて,日本の航空自由化政策「アジア・オープンスカイ」が実施されたときの,各省道県のGRDP・エネルギー消費量・炭素排出量のシミュレーションを行った(図-1).
(1) モデル
交通ネットワークが整備されると,省道県間の工業原料・部品などの輸送や,打合わせ・セールスなどの人的交流が容易になり,経済的な結びつきが強くなる.この結果,労働力や資本を投資した省道県だけでなく,近隣の省道県でも生産額が増加するという,経済成長の空間波及を想定した.
これを表現するため,東アジア各省道県の産業部門別の地域労働力・固定資本形成額より産業部門別のGRDPを説明する,コブ・ダグラス型生産関数を基本としたSARモデルを構築した.
なお,本来,生産関数は労働力と固定資本ストックでGDPを説明するものであるが,固定資本ストックは国によりデータの制約がある.このため,日本の県別の固定資本ストック(固定資本形成額を,平均的な耐用年数である,過去40年間分積算)と相関(相関係数0.995)がある,固定資本形成額を代理変数とした.
さらに,GRDPの自己回帰を,近隣地域とのマルチモーダル移動コストで説明した.近隣地域とのマルチモーダル移動コストの逆数からなる隣接行列を用いることで,移動コストの小さい地域間の影響ほど大きくなる.
パラメータは最尤推定法で推定した.マルチモーダル移動コストは,加重平均移動コストモデルにより推計した.
(1)
(2)
ただし,
(3)
(4)
:
i省道県s産業部門のGRDP・労働力
:
i省道県の固定資本形成額
:
隣接行列
:省道県i・j間のマルチモーダル移動コスト
図-1 分析のフロー
(2) 使用データ
a) SARモデル
省道県別産業部門別のGRDP・地域労働力および省道県別の固定資本形成額は,各国統計年鑑を用いた.
b) エネルギー消費量・炭素排出量推計モデル
エネルギー消費量・炭素排出量原単位は,「産業連関表による環境負荷原単位データブック」17)を産業部門別に加重平均した(図-2,3).
c) 加重平均移動コストモデル
所要時間・運賃は,GIS上に道路・航空ネットワークを構築し,各省道県庁を各省道県の代表点とし,GISソフト(ArcGIS Network Analyst)で検索した.ネットワークは,交通事業者各社のホームページから得た路線・所要時間・運賃データと,「Global Mapping」18),「Digital Chart of the World Data」19)から得た省道県庁所在都市・道路・空港・駅の位置データを統合して構築した.ただし,航空ネットワークは省道県庁所在都市圏内の空港同士を結ぶ直行便のみを対象とした.道路から航空への乗り継ぎ・待ち時間は15分,出入国・通関手続き時間は45分とした.
平均給与額・平均労働時間は,「毎月勤労統計」20)を用い,時間価値は0.338米ドル/分とした.
(3) 対象地域
東アジア諸国(日本,香港・マカオを含む中国,台湾,韓国)を対象とした.
地域の単位は,各国の最も大きい行政区分を用いる.たとえば,日本は都道府県,中国は省・自治区・直轄市・特別行政区,韓国は道・広域市である.但し,台湾は全域を1地域とした.合計で97地域である.
(4) 政策シナリオ分析
a) 対象政策
日本の航空自由化政策「アジア・オープンスカイ」を対象とした.この政策は,首都圏以外の日本の空港への国際航空路線の就航を自由化するものである.
b) シナリオの設定
この政策の実施により,現在国際航空路線の就航している,首都圏以外の日本の18空港(新千歳・仙台・福島・新潟・富山・小松・中部・関西・岡山・広島・高松・松山・福岡・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・那覇)から,東アジアの主要空港全てへ,新たに国際航空路線が福岡空港と同程度(25路線)以上の路線を持つ8空港就航すると想定した.ここで,東アジアの主要空港とは,(上海・北京・成都・広州・昆明・西安・香港・ソウル)とした.
c) 評価方法
これにより,地域間の移動コストが削減され,各省道県の産業別の1)GRDP・2)エネルギー消費量・3)炭素排出量が変化する.また,各交通機関の選択率が変化することにより,地域間の交通機関の旅客・貨物別の4)エネルギー消費量・5)炭素排出量が変化する.本研究では,これら1)〜5)の変化から,政策を評価した.
4.
SARモデルの推計
SARモデルのパラメータは,第二・三次産業で有意なパラメータが推計された(表-1).これらの産業では原料や部品等の輸送コストや,人的交流の移動コストがかかるため,空間波及の距離逓減が大きくなることによると考えられる.対象地域全体では,第二・三次産業がGRDPの95.5%を占めるため,5.では第二・三次産業について分析を行う.
表-1 SARモデルのパラメータ
|
第一次産業 |
第二次産業 |
第三次産業 |
lnC |
0.166 |
0.346 |
0.423 |
Z値* |
1.487 |
7.189 |
8.553 |
lnL |
0.834 |
0.654 |
0.577 |
Z値 |
1.487 |
7.189 |
8.553 |
定数項 |
0.095 |
-1.927 |
-2.215 |
Z値 |
0.080 |
-4.892 |
-7.197 |
ρ |
0.580 |
0.875 |
0.900 |
Z値 |
2.636 |
11.091 |
14.310 |
AIC** |
320.310 |
137.140 |
119.420 |
OLSのAIC |
323.020 |
159.430 |
138.240 |
* : 変数のZ値≧1.96ならば有意.
**: OLSのAICよりも値が小さいほど,空間的自己相関をよく反映している.
5. 政策シナリオ分析
(1) 省道県のGRDPの変化
国際航空路線が新規就航する省道県のGRDPが増加するのに伴い,その近隣省道県のGRDPも増加する(図-4).このため,GRDP増加率で見ると,日本の航空自由化政策にもかかわらず,日本よりも中国西部で経済効果が大きくなる(図-5).
● 国際航空路線が新規就航すると想定した空港
図-4 省道県のGRDP増加額(M$)
● 国際航空路線が新規就航すると想定した空港
図-5 省道県のGRDP増加率
(2) 省道県のエネルギー消費量・炭素排出量の変化
GRDPあたりのエネルギー消費量・炭素排出量は,第三次産業よりも第二次産業の方が大きい(図-2,3)ため,第二次産業の割合が高い省道県では,現在のGRDPに対するエネルギー消費量・炭素排出量の増加量は大きくなる(図-6,7).
● 国際航空路線が新規就航すると想定した空港
図-6 省道県のエネルギー消費増加量(TOE/現在のGRDP 1M$)
● 国際航空路線が新規就航すると想定した空港
図-7 省道県の炭素排出増加量(T-C/現在のGRDP 1M$)
6. まとめ
本研究では,空間計量経済モデルを用いて,日本の航空自由化政策「アジア・オープンスカイ」により日本の地方空港の国際航空就航路線が増えた場合の,産業別の経済成長および環境負荷の空間波及を分析した.
この結果,GRDPおよび環境負荷の増加は国際航空路線が新規就航する省道県に留まらず,近隣省道県へも波及することが明らかになった.特に,現在のGRDPが少ない地域では,GRDP増加率が高い.また,第二次産業のシェアが高い省道県では,第二次産業のGRDPあたりのエネルギー消費量・炭素排出量が大きいため,経済成長に比べて環境負荷の増加が大きくなる.
このことから,地方空港の国際航空路線を設定する際には,当該空港の周辺地域だけでなく,就航先の産業構造や経済水準も考慮して設定することが必要と考えられる.
今後は,以下のように,モデル構造・対象地域・交通機関・対象政策を順次拡大してシナリオ分析を行うことが考えられる.モデル構造については,SARモデルの隣接行列に移動コスト以外の変数を加え,第一次産業のモデルも空間的自己相関を反映するようにする.対象地域については,過去のデータや産業連関表が整備されていない発展途上国でも分析できるという特徴を活かし,東アジアから南アジアにかけての各国を対象とする.交通機関については,高速道路・鉄道・船舶を加える.対象政策については,アジアン・ハイウェイ(国際高速道路)の整備,トランスアジアン・レイルウェイ(国際鉄道)の整備,アジア・ゲートウェイ構想‐貿易手続改革プログラム(通関等手続の時間短縮),高速鉄道の整備などを対象とする.
参考文献
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18) International Steering Committee for Global Mapping:Global
Mapping,http://www.iscgm.org/cgi-bin/fswiki/wiki.cgi,2008.1.18閲覧
19) Pennsylvania State University:Digital
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