2008年度 学術交流支援資金 研究概要報告書
生体計測装置による都市再開発の景観評価: 新宿西口・下北沢における総合政策アプローチとして


菊地進一(環境情報学部専任講師)

研究協力者
福田亮子(環境情報学部専任講師)
古谷知之(総合政策学部准教授)
石崎俊(環境情報学部教授)





研究の概要
 地方自治体の制定する景観規制基準や大企業が重要な鍵を握る都市再開発においては、あいまいな 主観評価だけでなく、客観的な評価指標が存在することが望ましい。我々は多様な利害関係のある景観 評価にあたり、総合政策学的視点からの解析の必要性を指摘し、脳機能解析や視線解析などの生体計 測装置を用いた定量的な評価法を提案している。特に新宿駅西口や下北沢駅の再開発に向けた提言を しようとしている。本研究課題では、これまで得た色彩の強い看板や夜景への考察、自然景観との差異を 重点的に調べ、特に下北沢駅の地下複々線化による1階部分の跡地利用へ向けた景観評価および提言を行う。




研究の背景
 景観法が施行されたことで、各地方自治体の実態 に則した景観形成の基準をどのように構築してい くか、様々なレベルでの科学的根拠が必要となって きている。たとえば京都市などは比較的強い規制で 歴史的な眺望景観の保全を行っていくことを定め ているが、規制厳格化によるコストと比較して、そ れが人々にどのような影響を及ぼしたり、ひいては どう地域の活性化につながったりするのかは未知 数なままである。
 景観の保全には、建築物の高さ、形態意匠、色彩、 屋外広告物(看板や照明)などを規制することで全 体のバランスを保つことが多い。この他にも電柱・ 電線や放置自転車なども規制されることがある一 方、街路樹や夜景への考察が少ないといった問題点 も指摘されている(大影, 2005)。これらの説明変 数は市民に対して強い拘束力をもつにも関わらず、 その組み合わせの多さから生理的な影響を定量化 しきれておらず、長い年月をかけて自己組織化的に 決められてきたものが多い。つまりどの変数が最も 重要で、どのような組み合わせが有効であるのか、 そのしくみに関する資料集めが急務となっている。
 従来、都市景観の主観評価の尺度として、「美し い‐醜い」などの20〜30の形容詞対とそれらの因子 分析結果が用いられてきた(横田, 2005)。これら の説明には審美性や感情のような非常に曖昧な主 観量が含まれているが、被験者は判断の難しい主観 的な問いかけに対して、生じた思考を必ずしも毎回 言葉や数値によって表現できるわけではない。すな わち大規模な都市の再開発においては、このような 主観評価を基本としながらも、あわせて生体計測装 置による他覚的な数値指標の確立が重要と考えら れる。



研究の方法
 脳機能計測手法の一つである NIRS とは波長の異なる2つの近赤外光により、脳 内毛細血管中のヘモグロビン濃度を計測する技術 である(Hoshi, 1993)(図1)。脳波計と比べて2cm 程度と 空間解像度が高く、脳血流の変化からどの部位が活 性化したかを捉える装置である。EEG や核磁気共鳴 装置(Magnetic Resonance, MR)と比べて拘束性が 低いので自然な状態での計測が可能であり感性評 価に適している。またEEG における電気的な干渉の 問題も生じないことから、刺激画像を提示する我々 の研究目的に合致している。
 本研究の眼球運動計測に使用する装置であるTob ii社製Tobii2150はディスプレイ下部より照射され る赤外線により眼球運動を検出するもので装具が 必要なく、NIRSとの同時計測が可能である特徴をも つ(図2)。またNIRSにおいても、EEGと違い電気的な干渉 にも強いため、眼球運動を同時計測することができ るという特徴がある。
 主観評価ではこれまでに、「多彩な‐単調な」「調 和した‐不調和な」「広い‐狭い」などの構図に関 する因子に加えて、「快‐不快」「興奮‐沈静」「緊 張‐弛緩」という感情の3軸が研究されてきた(Russell, 1981)。 両者は密接に関係していることが知 られており、構図の因子群に対して因子分析を行う と「快適性」「躍動感」「遠近感」などが抽出され感 情の3軸に近づく(横田, 2005)。


図1:NIRS装置による脳機能計測 [日立メディコ社HPより転載]


図2:アイカメラによる視線解析 [Tobii社HPより転載]

 本研究では景観認知メカニズムの構築しやすい 構図の項目群から感情の軸を説明するという方法 をとる。脳機能解析ではより感情に近い解析、眼球 運動解析ではそれを説明するための構図に近い生 理的考察を行う。また興奮の次元は商業性に近くな るのに対し、快は美観の指標になることが示唆され ている(Kaplan S, 1972)。本実験では、「多彩な‐ 単調な」「調和した‐不調和な」「広い‐狭い」「美 しい‐醜い」「快適な‐不快な」の形容詞対を7段 階で評価した。計測する景観の中で最も主観評価の 高くなる構図による解析を行った。
 事前に被験者にインフォームドコンセントを行 い、実験を行った。都市美観(海外不特定都市の市 街地、昼景)、商業地昼景(新宿駅周辺)、商業地夜 景(不特定都市の商業地域)の3群の計測を行った。 健常者男女47名(年齢24.4±6.7歳、男性26名・ 女性21名)に対して、3×5プローブセットを左右に 用いて前頭葉‐側頭葉と側頭葉‐後頭葉を2回に 分けて計測した。プローブを横長に用い、左側の下 の部分を10-20法のFP1-F7-T3-T5-O1の高さにあわせ た(右側も同様)。計測には日立メディコ社製ETG4 000を用いた。商業地(昼景もしくは夜景)の画像 を眺める課題30秒、都市美観の画像を眺める安静課 題30秒を交互に6回行うシーケンスを設定した。画 像は1枚あたり5秒提示し、同一のシーケンス内で 計測を行った。刺激画像の選定にあたっては視線解 析をあらかじめ行い、予備実験で得られた知見を参 考に傾向の近い画像を抽出した。商業地昼景では色 彩の強い看板が多く含まれた景観が選ばれている。
 また上の実験で大きな男女差が認められたため、 さらなる実験として都市別の昼夜差と男女差の関係を 調べるシーケンスを構築した。用いた都市は、 表参道、みなとみらい、沖縄、ミュンヘン、中国農村 (以上、美観とされる快感情に分類される景観)、 香港、渋谷、新宿、下北沢、札幌(商業地景観とされる 興奮感情に分類される景観)の計10都市を用いた(未発表)。



研究の成果
 表1に各群6枚の提示画像に対する評価項目ご との平均得点を示す。各カテゴリーで得点の高かっ た項目はそれぞれ、美観が「調和した」「広い」「美 しい」「快適な」、商業地昼景が「多彩な」「不調和 な」「醜い」「不快な」、夜景が「多彩な」であった。 さらに美観と商業地に対する主観評価に男女差が 認められた。感情因子においては女性に「快‐不快」 傾向が強く分かれることが示唆された。また構図項 目においては、「多彩な」「不調和な」に対する差が 大きかった。一方、夜景ではどの項目でもそのよう な差は観察されなかった。 表2に評価項目間の相関係数を示す。商業地は昼 景・夜景ともに、「快適な」と「美しい」「広い」「調 和した」の間でやや相関がみられた。その他にも「美 しい」と「快適な」「調和した」「広い」にも同じよ うな関係がみられた。逆相関した項目は無かった。 これらの結果から、商業地の昼景と夜景では主観評 価をするときに似たような認知メカニズムを用い ていることが予想される。

表1:主観評価項目の平均得点(上段)と性別ごとの平均(下段:男性/女性)

表2:主観評価の項目間の相関(上:昼景全体、下:夜景全体)

 図3に都市美観を差分法の基準とした時の商業 地の昼景と夜景に対する酸素化ヘモグロビン濃度 の変化を示す。昼景においては、作業記憶や快・不 快感情などで活性の知られるBA9/46、色・形・奥行 きや視覚的注意などを処理するBA18/19からBA37 (腹側視覚経路、V4)を中心とした領域で酸素化ヘ モグロビン濃度の上昇が観察された。あわせて、言 語理解の部位である左側のBA22(ウェルニッケ野) においてもやや活性が見られる。一方、夜景では全 体的に低下している。 主観評価とあわせて考察するために、男女別に集 計したところ、昼景において、男性ではBA9/46で低 下しているのに対し、女性ではあまり変化しないか わずかに上昇しており、この部位で男女差が観察さ れた(p<0.001)。後頭葉ではBA37において男性では 上昇し、女性では変化がなかった(p<0.01)。また 女性では課題終了直後(美観に戻った直後)にBA1 8/19で急激な低下が見られた(p<0.0005)。夜景に おいては主観評価と同様に男女差はみられなかっ たが、BA22/41〜43およびBA39に小さい差が検出さ れた(ともにp<0.05)。


図3:商業地の昼景(A)と夜景(B)を見た際の5秒ごとの局所脳血流変化

 視線解析を用いて、実際にどのような注視が行わ れていたかを調べた。美観では、看板や通行人など にも視線は向けられていたものの、注視点は奥行き 方向の消失点に集中していた(図4上)。さらに消 失点から空の方へ向かう視線も検出された。 商業地では、これに対して消失点が存在するにも かかわらず手前にある看板や人物に視線が集中し、 奥行き方向には視線が向けられていなかった(図4 中)。特に文字の大きい、正面にある、他の看板と 接していない看板や、近い距離で正対している通行 人の顔が注視されていた。 夜景については遠近方向のラインや消失点が判 別しづらく、視対象となるべきものも照明やネオン サインなどに限られていることから、昼景と同じく 看板や通行人の顔に視線が集中していた(図4下)。 ただしネオンサインでなくても字の判別できる看 板には視線が向けられていた。 全体的に視覚的注意の対象としては、奥行き、空、 通行人の顔、看板、色彩、誘目性などの景観因子が 抽出された。また、昼夜でその傾向が変化していた。 とくに空は主観評価では視認が自覚されないにも 関わらず評価を良くする注視対象として知られて おり(横田, 2005)、他覚的な数値指標の重要性が 示唆される。


図4:景観画像に対する注視時間のヒートマップ (上段:都市美観、中段:商業地昼景、下段:商業 地夜景)

 景観認知メカニズムの仮説としては、「奥行きお よび空を基本認知とし、他要素への視覚的注意の容 量分配に阻害される」というものが得られた(図5)。 環境光やスカイライン、建築物の高低、色彩の強い 看板などに着目する先行研究とも矛盾せず、政策的 な優先順位を考慮する際の一助となることが期待 される。
 政策提言の場における本モデルの意義を考察す る。本研究で対象とした商業地において、奥行きと 空の認知を妨げないことを配慮した総合的な政策 づくりが必要となる。すなわち色彩の強い看板の規 制などは重要であるが、その方向性として上記のも のを阻害しない範囲に抑えるのが現実的となる。ま た男女間に関して、昼景に対して生理的にも主観的 にも非常に大きな差が認められており、よりきめの 細かい政策デザインの必要性が示唆される。


図5:期待される景観認知メカニズムと検証項目



参考文献
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Duchowski AT (2003) Eye tracking methodology: theory and practice, Springer-Verlag.



関連発表
菊地進一, 福田亮子, 簗島亮次, 古谷知之, 冨田勝, 石崎俊, “生体信号計測装置による景観評価因子の抽出”, 土木計画学研究発表会(春大会), 2008.
菊地進一, 福田亮子, 古谷知之, 石崎俊, “生体計測による景観認知メカニズムの構築と応用”, 湘南藤沢学会第6回研究発表大会, 2008.