2009年度学術交流支援基金電子教材作成支援 報告書

 

【研究課題名】 認知科学

【申請者】 環境情報学部教授 諏訪正樹

 

【研究背景】

知能における身体性の重要さは認識されつつも,従来の知能科学は身体と切り離した形で知能を研究してきたといっても過言ではない.90年代以来ロボットのハードウェア研究が盛んに行われるようになってからも,身体を強く意識した研究と言えば,動作と知覚のコーディネーションに関するものが主流であり,思考(もしくは意識)と身体の相互作用を扱った研究は皆無である.その最大の要因は,知能を客観的に分析することにより知能を解明しようとする方法論に固執していることである.思考や意識を客観的に外部観測することは不可能であるため,思考(意識)と身体の関係が科学的探究の俎上にあがることが少なかった.

 認知科学は「心をブラックボックスとして扱うこと(行動主義)」への反省から生まれた学際的学問であり,上記の問題点の解決への糸口を開拓することが期待されている.思考や意識を探究するためには,客観的外部観測により得られたデータでないと「科学」ではないという呪縛を捨て,「内部観測」も意義あるデータ収集法として認める必要がある.なかでも,本人が自分の身体や意識を振り返って語る“身体的メタ認知行為”は,身体と意識の関係を探る有効な内部観測手法であることが近年の研究(例えば[諏訪2005][Suwa 2008])により明らかにされている.

 諏訪研究会(特に開講科目「認知科学」)では上記の問題点に焦点を当て,これからの知能科学がとるべき方法論を議論する.学生にメタ認知的言語化の実践体験をさせ,その体験を基に思考(意識)と身体の関係を探究し,知能科学における内部観測の役割に関して議論させる.そのためには,身体的メタ認知の継続が効率的に行えるような支援環境が必要となる.これはメタ認知研究においても近年指摘されてきた問題点である.

 

【目的】

 身体的メタ認知プロセスは,

1.    身体や身体を取り巻く環境中に,自分にとって重要な変数を見出し

2.    変数間の関係を見出し

3.    身体が環境中でどのような変数を意識しながら振る舞うのかに関する全体的関係性(仮に“身体環境統合モデル”と呼ぶ)を編み出し

4.    身体での実行を模索する

というサイクルからなる.プロセスの詳細や各ステップの意味は,ボーリングスキルに関するメタ認知実践[諏訪&伊東2005]や野球打撃スキルのメタ認知実践に基づく理論化[諏訪2009;古川他2009]など,数々の実践研究で示されている.身体的メタ認知プロセスの本質は,“自分の”身体で“自分なりの”身体環境統合モデルを編み出すという,個人固有性,状況依存性を強く孕む性質にある.従来の「科学的」方法論では普遍性を強く求めるが,身体知の本質は普遍性—個人固有性の狭間に存在するため,個人固有性を無視するわけにはいかない.研究の評価方法論や学問の定義自体を問い直そうという動向が学会で生まれつつある[諏訪他2009].普遍的に重要な変数と,自分の身体に特化した変数が混在する.例えば,コーチ(先生)から指摘を受けた変数が,自分の身体にとって重要な変数であるとは一概に言えない.変数の見出し(ステップ1),関係性の見出し(ステップ2),身体環境統合モデルの発見(ステップ3)のいずれも,自分の身体に“問い”ながら模索して初めて可能になる.“身体で身体を考える”作業が必要である.

 その模索プロセスの継続には支援環境が必要である[松原他2010].そこで本研究基金での助成を基に,意識断片を外化しながら変数発見,関係性発見を継続的ソに行うことを支援する電子教材(ソフトウェア)を開発する.

 

【成果】

 身体的メタ認知の模索には時間がかかる.ばらばらに意識にあがっていた複数の変数が,ふとしたきっかけで繫がり,そのうちのいくつかは身体環境統合モデルの形成に一躍を買う.本研究では,変数の外化と,それに基づく関係性の創成を支援するための外化ツール「アース(Earth)」を開発した.研究会や授業でも試用し始めている.

 「アース(Earth)」は,ユーザーがノードとリンクを漸次的につくり,注釈を書き加えながら考えるためのツールである.見出した変数をノードとして外化し,変数間に見出した新たな関係性をリンクとして外化する.ノードとリンクそれぞれに注釈を付すことができる.いや,「注釈書きができる」ではなく「注釈書きを強く促す」と言った方が正しい.そこに本ツールの最大の特徴があるといっても過言ではない[松原他2010].ノードの注釈とは,その変数がどんな変数であるのかに関するユーザー自身の思い(意識)の外化である.リンクの注釈とは,その関係性がどんなものであるのかに関するユーザー自身の思い(意識)の外化である.ある変数や関係性に意識が及んだ瞬間にノードやリンクを即座に生成し,その直後にそれに関する注釈を「必ず」記述するという使い方が好ましい.体験してみると身を以てわかるが,変数に関する注釈を記述することが新しい関係性に気づくことを促し,関係性に関する注釈を記述することが新しい変数に気づくことにつながる.注釈書きは変数や関係性の見出しを連鎖的に促すのである.「アース(Earth)」の名称は

F06C      Externalize:変数や関係性をノード・リンクとして外化すること

F06C      Annotate:注釈を書くこと

F06C      Relate:関係づけを漸次的に進化させること

F06C      Think:そうやって考えること

から生まれた.

 

 

 

図1:「アース(Earth)」の本質は何かを整理する過程で形成された図

 

 本ツールに関する論文を記述するにあたって,「アース(Earth)」の本質は何かを考え整理するために「アース(Earth)」を使ってみた.その過程で形成されたノード・リンク図を図1に示す.現在考えていることの表出(外化と注釈付け),構造化(関係づけ)のループを常に行い,現時点での全体を俯瞰する.それが現在の意識構造の外(つまり環境)を意識させ.新しい変数の見出しにつながる.発見した変数はどの場所に配置するのか? 次にはどのノードと関係づけることができそうなのか? とりあえず注釈を書きながらそう考え始めるのである.

 関係づけがある程度進んでくると,幾つかのノード(変数)はハブ的性格を持ち始める.自分の考えのなかの何がハブなのかを意識できるのも「アース(Earth)」の利点である.ぼんやり考えるだけ,もしくはただひたすらに文章を書いているだけでは得られない効果である.マウスでノードを動かしながら考え,リンクを張り,注釈を書くからこそ見えてくる.ハブ的変数が登場し出すと,後はしめたものである.当然ハブとハブを繋ぐ関係性を考え始め,考えは加速する.

 このツールを使う際に重要なことは,自ら考えることである.上の例では,必ずしも「身体的」な例題で考えることではなかった.身体に関して考える身体的メタ認知では,

F06C      自分の身体に問うこと

F06C      そこで得た断片的な気づき(変数や関係性)を外化すること

F06C      それに関して注釈的に言語化を試みること

F06C      外化した言葉の観点から再度身体に問い直すこと

のサイクルが必要である[Suwa2008].“自分の身体で身体を考える”際に「アース(Earth)」は役立つはずである.

 

【今後への発展】

 地(earth)に足をつけて考えよう! それが諏訪研究会での合い言葉になりつつある.諏訪研究会所属の総合政策学部4年の赤石智哉が行った剣道スキルに関する身体的メタ認知実践は,まさに“地と身体の関係を模索する試み”であった.その詳細は学会発表資料[諏訪&赤石2009]をご覧いただきたい.本ツールの開発と彼の実践は時期的にほぼ同時並行であったため,「アース(Earth)」を彼の実践に試用することはなかった.むしろ赤石実践が「アース(Earth)」のコンセプト創出に多大な影響を与えたといった方が正しい.

 アース(Earth)を始めとして,身体知メタ認知を支援するツールを開発し,実践的にその効果を評価検証する必要がある.身体知の研究では,支援環境のデザイン,実践,理論化のサイクルをできるだけ短期間に回し,実践的に個人固有性の高いケースを蓄積することが必須である.一足飛びに普遍的な知見を得ることはできない.個の実践から何を学べるか,その学問的価値はどこにあるかという学問的方法論の議論も必要である[諏訪他2009].知の研究はそういうフェーズを迎えている.

 

 

【参考文献】

[諏訪 2005]  諏訪正樹. 身体知獲得のツールとしてのメタ認知的言語化,人工知能学会誌, Vol.20, No.5, pp.525-532.2005).PDF

[諏訪&伊東2006] 諏訪正樹、伊東大輔. (2006). 身体スキル獲得プロセスにおける身体部位への意識の変遷、第20回人工知能学会全国大会,CD-ROM. PDF

[Suwa 2008] Masaki Suwa. A Cognitive Model of Acquiring Embodied Expertise Through Meta-cognitive Verbalization. Transactions of the Japanese Society for Artificial Intelligence, 23(3), 141-150. (2008). PDF

[諏訪2009] 諏訪正樹.(2009).身体性としてのシンボル創発,計測と制御, Vol.48. No.1, pp.76-82. PDF

[古川他2009] 古川康一編著,植野研,諏訪正樹他著.(2009)スキルサイエンス入門—身体知の解明へのアプローチー(7章:“身体的メタ認知:身体知獲得の認知的方法論“pp.157-185),人工知能学会編,オーム社,20093

[諏訪他2009] 諏訪正樹,和泉潔,工藤和俊,須永剛司,田村大,中島秀之,平嶋宗,藤井晴行,藤波努,古川康一.(2009).知能研究の評価方法論の模索.日本認知科学会第26回大会ワークショップ,日本認知科学会第26回大会ワークショップ論文集, pp.16-23. PDF

[諏訪&赤石2009] 諏訪正樹,赤石智哉.(2009).身体スキル探究というデザインの術.2009年度日本認知科学会冬のシンポジウム「デザインの学と術」(Dec, 5. 2009)論文集, pp.12-21,日本認知科学会.PDF

[松原他2010] 松原正樹、西山武繁,伊藤貴一,諏訪正樹.(2010).身体的メタ認知を促進させるツールのデザイン.身体知研究会(人工知能学会第2種研究会)SIG-SKL-06-03, pp.15-22. 東京201019日.PDF