学術交流資金 報告書

 

研究課題名:医療福祉政策・経営

研究代表者:印南一路(慶應義塾大学総合政策学部)

 

研究課題:

本研究は、社会・経済的不平等と健康の不平等についての実証的研究を行うものである。

公衆衛生整備が進んだ先進国において、健康の問題は伝染病や栄養失調から癌などの慢性疾患へと移行している。この移行によって新たに引き起こされる問題として、不健康をもたらす社会的要因の影響が増大しているとの議論がある。この議論では、@経済的・社会的不平等、A社会資源量、Bライフスタイル、C社会関係資本の違いが健康にも影響を及ぼすとされているが、どの要因がいかなるメカニズムに基づいて影響を与えているかは実証されていない。そこで本研究は、この実証を行う。具体的には、未だに研究が進んでいない国内の既存統計の時系列的分析を進め、健康を規定する社会的要因について分析する。この結果は、今後の公衆衛生政策や健康政策に有益な知見を与えることが期待される。

 

本年度の調査報告

本年度は、主に以下の2項目について行った。

@    社会疫学の定期勉強会の開催、先行研究の渉猟

A    日本の健康状況についての時系列的分析

 

@    社会疫学の定期勉強会の開催、先行研究の渉猟

本研究プロジェクトは学際的なテーマを扱うものである。しかしながら、健康と社会的不平等については、経済学、社会学などの社会科学だけでなく、疫学的手法を用いた社会疫学についての勉強会を5回にわたって開催した。テキストとしては Berkman, L. F., and Kawachi, I., eds., Social Epidemiology, Oxford University Press, 2000 を取り上げた。なお、本勉強会は、プロジェクトメンバーである古城、渡邉がコアメンバーを務めているヘルスサービス研究会(http://hsr.sfc.keio.ac.jp)と共同で開催した。

また、先行研究について渉猟した。その結果、日本においては時系列的な分析が殆ど行われておらず(パネル調査を用いた分析としては小林(2009)、中田(2008)、菅(2007)など)、そのため、まず全国レベルにおける社会経済的不平等と健康についての分析をする必要性を明らかにした。そこで、Aで説明する時系列分析を行うこととした。

 

A    日本における時系列分析

都道府県単位のマクロ統計資料を用いた時系列分析を行った。

従属変数として年齢調整別死亡率(男女別)を用い、説明変数として以下の表1にあるように5領域21変数を用いた。各変数は原則として1985年から5年刻みに、1990年、1995年、2000年、2005年の5時点についてのものを扱っている。ただし、ジニ係数のみ、国内で都道府県別レベルで唯一ジニ係数が計算できる「全国消費実態調査」は西暦の一桁4年と9年のみ調査のため、それぞれ1年前となる1984年、1989年、1994年、1999年、2004年のデータを用いた。

なお、社会関係資本に該当する指標はマクロ統計では明確ではないため、今回の分析では扱わなかった。

 

領域

変数

領域

変数

経済的領域

ジニ係数

産業構造

1次産業従事者割合

CPI

2次産業従事者割合

一人当たり県民所得

医療費

医療費(一般)費用額合計

社会生活、社会階層

結婚件数(県民1000人あたり)

医療費(老人)費用額合計

離婚件数(県民1000人あたり)

医療費(一般)入院費用額

車所有台数(県民1人あたり)

医療費(一般)入院外費用額

新聞購読者数(県民1人あたり)

医療費(一般)歯科費用額

公衆衛生

上水道普及率

医療費(老人)入院費用額

下水道普及率

医療費(老人)入院外費用額

医師総数(県民1000人あたり)

医療費(老人)歯科費用額

病院数(県民1000人あたり)

   上記いずれも、千円、1人あたり

診療所数(県民1000人あたり)

 

 

 

まず基本的な知見として、経済的な不平等を示すジニ係数が死亡率と相関があるかについて調査した。死亡率は値が高くなると死亡率が増え、また、ジニ係数は値が大きくなるほど不平等が大きくなる値である。先行研究の知見では、疾病構造の変換後、経済的不平等は健康の不平等をもたらすとしている。そのため、仮説としては正の相関が見られるはずである。分析結果が表1である。この表からは男性は1985年まではむしろ負の相関がみられ、1990年以降はほぼ無相関(若干の正の相関)である。また、女性にいたっては200年までは負の相関が観察されており、2005年になって正の相関に転じている。ここからは、そもそも経済的不平等が健康の不平等をもたらしているとは言えない。しかしながら、時系列的に見ると、相関が強くなっており、疾病構造の変換によるメカニズムが影響している可能性もある。また、2変数のみの分析であるため、他の媒介変数による影響をうけている可能性もある。

 

2:各年別、性別別、年齢調整別死亡率とジニ係数の相関係数

 

1985

1990

1995

2000

2005

男性

-0.15

0.04

0.11

0.06

0.09

女性

-0.42

-0.43

-0.22

-0.12

0.14

 

 

 

 

 

N=47

 

そこで、経済社会的不平等と年齢調整別死亡率ついてより詳細に解明する必要がある。そのため、まず各年ごとに重回帰分析を行った。この分析では、3領域21変数のうち、医療費について医療費(一般)費用額合計(千円、一人あたり)と医療費(老人)費用額合計(千円、一人あたり)の2変数のみを投入し、説明変数としては17変数を扱ったモデル1と、より詳細な分類へと変更した21変数を扱ったモデル2の双方の分析行っている。この結果が23(参照はリンク先)である。

この結果からは、大きく3つの知見が得られる。第一に、

第二に、男性、女性ともに年齢調整別死亡率を説明する要素として歯科医療費が重要な要素になっていることである。男性のモデル2での結果によると、1995年以降については、医療費(一般)歯科費用額、医療費(老人)入院外費用額、医療費(老人)歯科費用額が比較的安定的に有意である。なお、医療費(一般)歯科費用額、医療費(老人)入院外費用額は正であるため、費用額が上がると死亡率が増え、医療費(老人)歯科費用額は逆に負である。女性については、医療費(一般)歯科費用額、医療費(老人)歯科費用額が男性と同様1995年以降に有意であり、正負の傾向も男性と同様である。

以上の結果からは、社会経済的不平等が健康の不平等を生み出しているとの知見は得られなかった。そこでさらに、時間変化を取り入れた計量経済学的な分析手法を用いて分析した。具体的には、ロング形式のデータセットを作成した上で、すべての年度を合算した回帰分析を行うプーリング回帰モデル、また、時間変化にともなう各ユニットの固定効果モデル、ランダム効果モデルである。また、分析結果のモデル間の比較はF検定、Hausman検定およびBreusch & Pagan検定を行った結果、男性、女性のモデル1、モデル2ともにいずれも固定効果モデルが採用された。分析結果は45(参照はリンク先)にまとめた。

ここではモデル間比較は行わず、モデル2のみについて述べる。固定効果モデルによる分析結果は、男性(モデル2)については結婚件数、離婚件数、一人あたり県民所得、新聞購読者数、医療費(一般)歯科費用額、医療費(老人)歯科費用額が有意であった。なお、結婚件数と離婚件数はそれぞれ死亡率の増大に対して正の効果、負の効果を持っており、直感に反する結果となった。一人あたり県民所得は経済水準が高いことが死亡率を下げる結果となり、これは先行する知見と合致するものである。また、情報収集に関する社会生活についての指標となる新聞購読者数も死亡率を下げる結果となっており、新聞購読率が高いことは健康に関するリテラシーの高さを代替していると考えられる。また、歯科医療費については重回帰分析と同様の結果となった。

次に女性(モデル2)については、男性と同様の結果に加えて、第1次産業従事者割合が有意であり、割合が高いほど死亡率が高くなっていた。すなわち、女性にとっては産業化水準が高いほうが死亡率が低いと言える。これは、産業化による影響がジェンダーで異なることを示唆している。仮説的であるが、産業の違いによる労働形態の違い(第1次産業が盛んな地域では女性も非雇用型労働に多く従事する必要がある)が考えられる。

また、いずれのモデルにおいても公衆衛生状況を示す上水道普及率、下水道普及率、医師総数、病院数、診療所数は女性(モデル1)の医師総数を除いて有意な効果はなかった。これは、疾病構造の転換意向の影響を示していると考えられる。

 

今後の展望

 本年は、社会経済的不平等が健康に与える影響を、都道府県単位での時系列的分析によって解明した。その結果、19852005年の時系列分析において経済的不平等が健康に影響を与えていると統計的には言えない点を確認した。この知見は、これまで単年度での分析を行って来た先行研究の知見と一部合致するものである。しかしながら、単年度の回帰分析の結果をみると、ジニ係数の影響は時間を経るごとに増大しているようにみえる。とくに2000年以降はこの傾向が顕著である。

そこで、今後、この19952000年頃を区切りとして、どのような変化がみられるのかをより詳細に分析してゆく必要がある。また、本年度の分析では都道府県単位を分析のユニットとして設定したが、ミクロデータの分析等も行うことで、本調査の知見についてより詳細な検討や先行研究の追試等をおこなってゆきたい。

 

 

参考文献

 

小林美樹 2009 「所得不平等が主観的健康に及ぼす影響」『生活経済学研究』29:17-31.

中田知生 2008 「高齢期における主観的健康悪化と退職の過程−潜在成長曲線モデルを用いて−」『理論と方法』23(1)57-72.

菅万理 2007 社会経済的階層による健康格差と老人保健制度の効果: 全国高齢者パネルを用いた試行的研究」『一橋大学経済研究所世代間問題研究機構ディスカッションペーパー No.308.