研究課題名:イスラームとグローバル・ガバナンス研究プロジェクト

 

研究代表者名:奥田 敦

 

研究課題:

イスラームと民主主義〜「アラブの春」の行方〜

2010年末よりアラブ世界全体に広がっているアラブの民主化運動(アラブの春)について、各国の事情を踏まえながら、フィールドワークを通じて、彼らが目指しているもの、彼らを運動に駆り立てたものを明らかにし、またイスラームの教えの社会性に鑑みて、この運動の持っている意味を考察する。また、イスラームの改革思想を取り上げ、イスラーム的な観点から民主主義自体の問題点・限界についても理解を深め、イスラーム的な公共性に即した、統治する側もされる側も共有できる民主制のありようについても考える。

 

研究の背景:

西暦201012月チュニジアの野菜売りの青年による、政府の取締に対する抗議の自殺から一気に顕在化した民主化をめぐる一連の動きが、ほぼアラブ諸国全域に広がっている。チュニジアでは大統領が国外に退去し、エジプトでは大統領が辞任に追い込まれた。バハレーン、サウジアラビヤ、オマーンでは政府側の弾圧で動きは沈静化したが、ヨルダン、アルジェリア、モロッコではくすぶり続けている。

イエメンでは、大統領が辞任にまでは踏み切らず、混乱が続き、リビヤでは、体制側が武力行使によって攻勢を取り戻しつつあり、NATOの空爆も功を奏していない。シリアでは、政府側が盤石の体制を誇り、3月の時点では体制支援の行進が全国規模で繰り広げられていたにもかかわらず、結局は、民主化運動の波に洗われ、治安部隊との衝突で、死者が1000人に達したとされる。

長期にわたる強権的な支配体制による権力と富の集中、貧富の差の拡大、政治的腐敗の蔓延がしばしばこれらの民主化要求の根にあるとされるが、事情は各国によってかなり異なっている。加えて、この運動自体の具体的な目標が何なのかについては、必ずしも明らかにされてはこなかった。それらは、たんに「民主化運動」という言葉や、TwitterなどITのネットワークによって拡大した、twitter 革命という名前では表しきれないものと考えられる。

西側でさえ、民主主義が行き詰っているような状態の中で、またプラハの後の歴史を知り、アラブの政治風土の保守性を知っている以上、素直にアラブの春を歓迎することができない。むしろ、アラブの春を応援するとしたG8の声明にはむしろ大国の意図が見え隠れさえする。

そうした中で共通しているのが、これら一連の運動が共通して抱えているのが、出口の見えない状況である。各国の状況を踏まえながら、運動の目標は何なのか、彼らを本来的に導くはずのイスラームの信仰との関係はいかなるものなのかなども含めて、より総合的で包括的な検証が求められている。

 

研究の成果:

 上記の背景に基づきながら、以下の諸点に着いて明らかにしていった。

  

民主化運動の目的

一連の動きは、民主化運動とされるが、彼らの目指しているものは何なのか、彼らを動かしているものは何なのかの検証は不可欠である。なぜならば、運動を通じて垣間見えてくる各国それぞれの事情は、民主化要求の一言で括るには、多岐にわたるものであり、また、そもそも彼らの求めているものが、民主主義なのかどうかの十分な検証もなく、民主化運動と一括りにするのは、現実にそぐわないからである。

たしかに、一連の動きが起きている国々はいずれも長期独裁政権の国々であることには変わりはなく、民衆の声が無視され続け、様々な社会問題を引き起こしていることは否定できないが、彼らが西洋的な意味での民主主義を求めているのかは詳細な検討を要するところである。

本研究では、58日 にSFCにて『アラブの民主化の現状と展望』と題してメンバー間で緊急の座談会を行った。参加者は、奥田敦、山本達也、アフマド・アル=マンスール(総合政策学部訪問講師アレッポ大学学術交流日本センター副所長)、野中葉、小林周、植村さおり(敬称略)。エジプト、リビヤ、シリアを中心にしながら、インドネシアの事例も参照に積極的な議論が展開された。なお、座談会の内容は、『ハヤート(第2号)』に掲載された。

 

民主主義概念についての検討:

民主主義概念そのものについての検討も行った。マイケル・サンデルの著作をとりあげ、サンデルが唱える「正に対する善の優位」および共和主義的な公共哲学とはどういうものなのか、イスラーム社会思想との対比を意識しながら読み進めた。具体的には、『リベラリズムと正義の限界』と『民主政の不満公共哲学を求めるアメリカ』(結論部分)を全体で5回に分けて取り上げた。「善の優位として価値の問題を取り上げているものの、サンデル自身はその具体的内容について述べていない」とか「コスモポリタニズムなど人間的普遍性に対する解釈の問題」などが指摘された。

 

現代のイスラーム社会思想

ところで、今回の民主化運動を担っているのは、ほぼ全員がイスラーム教徒である。イスラームの教えが、高い社会性を持っていることに鑑みれば、今回の一連の運動とイスラームの信仰あるいはその実践との関わりも明らかにされてよい。現在のイスラームの改革思想には、1920年ごろからエジプトで始まったムスリム同胞団の社会改革思想系のものと、1970年代以降にサウジアラビヤが中心となって進めているサラフィー主義による原点回帰系のものとに大別される。本研究では、その両方の流れを統合する位置にあり、かつ、現在のイスラーム世界で最も影響力のある宗教者の1人である、ユースフ・カラダーウィー『優先事項のフィクフ』を取り上げ、原典の講読を進めた。いわゆる民主化運動とは異なるレベルのイスラーム法思想の拡がりを確認することができた。出版までにはまだ若干の時間を要するが、残り40頁程度のとこにまでこぎ着けることができた。

 

イスラームにおける豊かさ:

アラブ諸国における民主化を語る際に振り返っておかなければならないのが、イスラームにおける豊かさの概念である。民主化運動それ自体がそのことを見失っているような側面があり、したがって民主化運動それ自体を見ても、本来それが進むべき道は見えてこない。

その意味で、前年度から継続している「イスラームの豊かさ」についての考察を継続し、本年度は、研究のまとめとして、経済、教育、法律など様々な角度から考察と分析の公刊を通じて「豊かさ」の知見を深めた。

『イスラームの豊かさを考える』(奥田、中田編)丸善プラネット、20116月。

1部 総論(中田、奥田)

奥田:「イスラームにおける人間の豊かさ」

2章 経済における豊かさ(中田、野村、植村)

植村:「ザカート、サダカの実践と『豊かな社会』」

3章 教育における豊かさ(久志本、野中、前野)

野中:「インドネシアにおけるダアワの継続実践にみるイスラームの豊かさ」

4章 文明論と豊かさ(山本、浜本、間瀬)

山本:「文明論的視点から見たイスラーム的豊かさの不可避性」

間瀬:「アラビヤ語会話の『三者構造』に関する理論的考察」

5章 法における豊かさ(松山、奥田)

奥田:「シャリーアの豊かさについて考える」

あとがき 奥田敦

 

都市の力、国家の力:

 民主化運動が、内戦につながってしまったのがシリアの事例である。海外からの民主化要求のメディアの言説に、政府側も、民衆側も完全に支配されてしまったかのようにも見える状況である。本研究では、国家の力の暴力性と都市の力の持続力をそれぞれ明らかにすることにより、今回の民主化運動を位置付ける試みを行った。

 研究の成果は、『アラブ民衆革命を考える』(水谷周編著)の中で「都市の力、国家の力」(奥田敦)としてまとめた。

 

フィールドワークの成果と継続

いずれにしてもアラブの春と呼ばれた一連の動きは、決してその収束点を見出したとは言い難い。その意味で、今後もいわゆる「教え」の側面と、「現実」の側面から研究を続けていく必要がある。

秋学期には、フィールド研究の成果を「地域戦略研究」(大学院科目)での発表を通じて研究メンバー間で共有した。シリア、リビヤなど民主化運動の渦中にある諸国の他、モロッコ、ウズベキスタン、インドネシアなどについても取り上げられた。

年度末には、カッザーフィー後、日本人研究者としては初の入国となる小林周氏がフィールドワークを行う予定であるし、この一連の動きの直接的な動きを現在のところ食いとめているように見えるモロッコとヨルダンについてもそれぞれ複数の研究メンバーを派遣して、調査を進める予定である。

 

 

小括

各国の状況と革命のありよう:

それぞれの国のその後の展開が示すように、アラブの民主化運動は決して一様に語ることはできない。国際的なニュース報道では伝えられない部分がかなり抑えられたのではないかと思う。

 

インターネット革命というよりむしろアルジャジーラ革命か:

インターネットによる革命とされるような組織的運動の可能性と限界が明らかになると同時に、今回の運動が、アルジャジーラなどのメディアの意図に少なからず操作されている側面があることの発端を垣間見ることができた。その具体的な今後の課題となろう。

 

アラブ民衆革命ではあってもイスラーム民衆革命とは言い難い:

内戦状態に陥ってしまったシリアを見ると指摘せざるを得ないことだが、これをイスラーム民衆革命とは言えない。そのことは、イスラームの信仰との関わりで位置付けることにより、これが主としてアラブとしての動きであって、イスラーム教徒としての動きの側面が、意外と希薄であり、その点において、依然として活動の展開の余地が残されていることになる。エジプト、チュニジアの動きを注視していくことはもちろんだが、シリアなどの決してニュースに現われない民衆の心持についても明らかにしていかなければならない。

 

中道的イスラーム思想の必要:

そうした状況であるからなおさら、イスラームの改革思想の本流を、特にその中心を構成しうるシャリーア(イスラーム法)について明らかにすることが必要である。民主主義それ自体の限界についても、イスラームとの対比の中からであれば、かなり鮮明に明らかないできることは、サンデル等の比較からも明らかになった。イスラームとその価値観に抵触せず、むしろそれらを十全に実現するような形の民主制について、一定の示唆を行う必要は、アラブ民衆革命にとどまらない。

 

退避勧告が多くの国で出されている状況において、研究拠点とその学術交流連携の持つ意味が、実践性の検証は、さらに今後の課題としたい。