2011年度用 学術交流支援資金 報告書  2012.2.28.

 

研究タイトル 「医療福祉政策・経営」

研究代表者 印南一路(慶應義塾大学 総合政策学部 教授)

研究組織  堀美奈子(東海大学)・古城隆雄(自治医科大学)・渡邉大輔(成蹊大学)

 

 

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本年度の報告

本年度の活動は,主に以下の2点を中心に行った.第一に,健康の社会的格差・不平等についての分析を始める前段階として,医療保障に関する理念を整理し,今回の研究で扱う医療へのアクセス保障に関する視点を整理した.

第二に,医療政策が保障するべき対象として設定することとなる医療へのアクセスについて2つの実証分析を行い,「救命医療へのアクセス」状況の実態と,医療へのアクセス(具体的には受診抑制の経験)に関連する要因について,長野県の調査データを用いて分析した.

 

1.医療政策における理念と政策課題の設定

 急速に進む高齢化と医療技術の高度化・専門分化によって,今後も医療ニーズは増加し多様化することが予想される.一方,長期にわたる経済成長の低迷と膨大な累積赤字によって,医療保障に割り当てられる財源についても厳しい目が向けられている.医療は,国民の生命と健康に関わる問題であるため,強い関心が寄せられている.しかし,その関心を寄せる国民の立場は一つではなく,患者や家族,医療関係者,一般国民,政治家,行政等によって,求める医療保障は大きく異なる.医療政策を前に進めるためには,医療をめぐる多様な利害関係者との調整が必要となるが,そのエネルギーは膨大になるため,どうしてもその調整コストを減らすような総花的・抽象的な議論に陥りがちになる.

確かにそうした政治的な利害調整は,民主主義社会である日本では避けては通れない.しかし,政治的な利害調整を行う前に,国としての医療保障のあり方を議論する方が先であろう.そのためには,医療保障のあり方を指し示す,医療保障の理念が必要となる.ここでは,医療保障の理念そのものを研究するのではなく,印南・堀・古城(2011)で提案した理念をベースに,本研究のテーマである医療アクセス(受診抑制)について考察する.

印南・堀・古城(2011)では,無差別平等に保障するべき「救命医療」と他者の幸福追求の自由とバランスを考えた「自立医療」の2段階の保障制度を提案している.本報告書のテーマである医療へのアクセスであるが,上記の理念に基づいた保障制度からすれば,救命医療へのアクセスなのか,自立医療へのアクセスのどちらを問題にしているのかについて,まず見極める必要がある.「救命医療」か「自立医療」の見極めができれば問題は無いが,国民自身は,自身が抱える医療問題がどちらに属するかは評価できないため,それを見極めるためのプライマリ・ケア医へのアクセスは,基本的に保障されるべきであろう.

よって理念ベースで医療へのアクセス保障を考える場合においては,患者の疾患や症候から「救命医療」か「自立医療」,「その他」に振り分ける能力を持ったプライマリ・ケア医へのアクセス,「救命医療」へのアクセス,「自立医療」へのアクセスの3つを区分して分ける必要がある.

もし,プライマリ・ケア医への受診抑制が生じているのであれば,また,緊急性を問わず致命的に成りえる疾患の医療へのアクセスにおいて,受診抑制が生じているのであれば,この原因を究明し受診抑制が生じないよう積極的な対応策がとられることが必要になる.一方,自立医療に関わる医療へのアクセスにおいて受診抑制が生じているのであれば,同じように原因を究明した上で,その対策に必要となる資源(人材,費用,時間等)を考慮しながら,資源最小化の原則に即した形で対策を取られる必要がある.

残念ながら,今回の報告書で使用している「医療機関への受診抑制の有無」は,その受診抑制の内容が明確に規定できておらず,すべての抑制経験を問うた設問をもとにしている.そのため,本報告書の分析では,医療機関への受診抑制に何が関係するのかという一般論に答えることを目標とし,その分析結果を踏まえて,今後詳しく医療へのアクセスを吟味した後に,関連する要因を明らかにすることとした.

 

2.医療アクセスについての実証分析(1 ):GISを用いた現状分析

「救命医療へのアクセス」状況についてGISを用いて地図化して現状分析を行った(下図、自治医科大学地域医療情報学部門の協力の下作成).この地図は,長野県の地域ごとに,脳卒中に対応可能な医療機関へのアクセス時間をGISを用いて分析したものである.この地図からわかるように,調査地域のアクセス時間は自治体ごとに異なり,また域内の多様性もあることが分かる.なお,丸がついている部分は,実証分析(2)において調査対象となった自治体であり,参考までに示している.

 

    

 

3.医療アクセスについての実証分析(2):受診抑制経験の分析

本章の分析は,渡邉(2011)に依拠している.ただし,今後の査読論文投稿のためにデータ分析部分の詳細は割愛し,調査内容と結果のみを掲載するにとどめている.

 

3-1. 調査の目的

医療アクセスについての実証分析として,医療アクセスの格差と社会階層についての関係を明らかにするために個票データを用いた分析を行った.日本では,医療へのアクセスは,国民皆保険制度によって一定の保障がなされている.しかし,医療についての地理的偏在(医療過疎問題)による医療資源へのアクセスの問題,医療費の負担の問題などが指摘されており,医療アクセスが平等に確保されているとはいえない.そこで,医療ニーズが高まる55歳以上の中高年者を対象に,医療アクセスへの格差と社会階層との関係についての分析を行った.本調査では,医療ニーズがあるにもかかわらず医療機関にアクセスしない「受診抑制」の経験を医療アクセスの代替指標として用いて分析している.

 

3-2. 調査の方法

長野県の8市町村に居住する5579歳を対象とした郵送アンケート調査データを用いた(対象とする8市町村は実証分析(1)の地図に示した).多変量解析を用いた分析を2つ行っており、第一の分析では従属変数としてJGSS-2008を用いて分析を行った埴淵(2010)の研究に依拠し,主観的な受診抑制経験の有無を設定して分析した.第二の分析では,受診抑制経験が健康に影響をもたらしているかを考察するため,従属変数として主観的健康感と健康関連QOLを用いた.独立変数は,社会階層(最終学歴,世帯年収など),健康活動(喫煙,健診受診など),健康保険の種類,病気時の介護者の有無などを用いた.地域の医療資源を考慮するため,医療施設数,医療機関への実際のアクセス時間(アンケートでの回答による)も統制した.

 

3-3. 分析の結果

分析の結果,この1年間に医療機関への受診を控えた人(受診抑制群)の,医療機関への受診の必要性を感じなかった人は除いた割合は35.1%であった.受診抑制理由は,「忙しくて時間がない」(51.2%)が一番多く,次いで,「待ち時間が長い」(29.9%),「病院に行くのが好きではない」(24.2%)であった.理由については先行研究の調査結果とは順位が異なっていた.

一つ目の分析として,受診抑制経験の有無を従属変数としたロジスティック回帰分析の結果,年齢,世帯年収,健康保険の種類,診療所へのアクセス時間が有意であり,地域差はなかった(自治体をダミー変数とした場合も,町村部を参照カテゴリとする市部ダミーを用いた場合でも同様に有意ではなかった).

二つ目の分析として,他の独立変数に受診抑制経験の有無を加えて一般化線形でモルを用いて分析した結果,主観的健康感,健康関連QOLのいずれにも有意な影響を与えていた.

 

3-4. 結論

一つ目の分析の結果から,年齢,世帯年収,健康保険の種類,診療所へのアクセス時間が,受診抑制に影響をあたえていることが明らかとなった.年齢と世帯年収に関しては先行研究の知見と同様である.今回のデータからは,地域の医療資源量が医療アクセスの格差を引き起こしているわけではないことが示された.二つ目の分析の結果から,受診抑制経験は,主観的健康感,健康関連QOLのいずれにも影響を与えており,医療アクセスの違いが健康意識や健康関連のQOLの格差をもたらしていることが示された.すなわち,受診抑制という医療アクセスの問題は健康の問題を生み出しており,政策的解決が必要な問題となっていた.

医療アクセスへの支援のためには,国民健康保険組合による情報提供,自治体による診療機関へのアクセス支援,アクセス時間の長い地区(市部,町村部の区分ではなくアクセス時間の長短が重要である)において受診抑制が起きないようにするための受診勧奨や,予防活動が有効である可能性が示唆された.

 

3-5. 今後への展開

地域の医療資源数は有意ではなかったものの,アクセス時間は重要な指標となっていた.これは,地域内でのアクセスについても格差が存在することを意味している.すなわち,アクセス時間だけでなく手段を含めた分析を行う必要があるといえる.

また,健康についての格差は現段階では検出できてない.これは分析上の問題なのか,実際に格差が少ないのかをより詳細に分析してゆく必要がある.

 

 

本年度の研究成果

l  学会報告

Ø  渡邉大輔,2011,「中高年齢者の医療アクセス格差と社会階層──受診抑制経験に注目して」『日本社会学会第86回大会』於関西大学.