平成25年度学術交流支援資金 報告書

1-11 認知・言語の発達と学習

慶應義塾大学 環境情報学部

今井 むつみ, 青山 敦

 現代社会を生きるために子どもたちが身につけなければならない知識といえば情報リテラシーだと考える人は多く、事実それは21世紀に不可欠な能力の一つである。インターネットは書物が主な情報リソースであったこれまでの学習とは性質の違う知識、能力を要求するようになった。しかし、その能力とはデジタル機器の使い方そのものではなく、むしろ情報収集のしかた、情報の統合のしかた、そしてなりより新たな知識を構築する能力である。

 新しい知識を獲得する、あるいは知識を作り出すために重要なのは知識についての理解のしかたである。知識とはどういう性質のものなのか、ということについての認識と言ってもよい。この認識を哲学者や心理学者は「エピステモロジー」(epistemology)と呼んでいる。本研究では、小学生、中学生、大学生が「情報」と「知識」についてどのようなエピステモロジーを持ち、そのエピステモロジーが科学的思考能力とどのような関係にあるかを検討することを目的とする。

 科学は理論を構築するプロセスである。では「科学を行う」ために、子どもは何を学ばなければならないのだろうか。学校で、理科の時間などで実験をし、データをとり、分析する、という学習はしているだろう。しかし、それは単に実験器具の扱い方、実験の仕方、結果の統計分析のしかたなどの個々のスキルを経験することにウエイトがおかれすぎ、科学的思考をするための訓練がきちんとされていないことが多い。科学的思考に必要なスキルとは、実験を正確に施行する技術や分析につかう統計の知識そのものではなく、むしろ、理論の検討のしかた、仮説の検討のための実験のデザインのしかた、データの分析のしかた、結果の解釈の仕方、結論の導き出し方などの論理スキルなのである。しかし、子どもの多くは科学についての適切なエピステモロジーをもっていない。例えば小学生の多くは、知識は人によって解釈され、構築されるものであるということを理解していない。彼らは科学者によって発見された知識が絶対的に正しい事実であると思っているし、科学者の仕事は「世界に存在する事実を集めてくる」ことであると思っている。事実を集めることが科学であり、知識構築の目的であるというエピステモロジーを多くの子どもは持っているのである。

 本プロジェクトでは、内田洋行が提供するフューチャークラスルームで実験授業を行った。コロンビア大学ティチャーズカレッジの研究者Stephanie Ramsey氏, Elizabeth Jewett氏、東京コミュニティスクール校長 市川力氏と共同で行う国際プロジェクト、ABLEにおいて10名の中学生を招待し、生徒がタブレットPCを活用でき、彼らの画面を電子ホワイトボードに投影したり、電子ホワイトボードを活用できる環境で「データを読み取り因果関係を推論する学び」と「動物実験をするべきかしないべきかをトピックにその理由を深め、論理の繋がりを俯瞰する学び」の二つを実施した。

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 Stephanie Ramsey氏による「データを読み取り因果関係を推論する学び」では、子どもたちがデータを読み取り因果関係を考える上で二つのことに注意せねばならないことがわかった。一つは、「一つの要因を原因であると帰属しがちであること」、そしてもう一つは「データからではなく、常識から原因を考えがちであること」である。

 「一つの要因を原因であると帰属しがちであること」から脱するためには、実験シュミレータや子どもたちが分析するデータの作り方に工夫をする必要がある。今回の実験では「90ヶ国の寿命とそれに関係するデータ」を取り扱った。寿命と言われると真っ先に「経済力」が関係するように思われる。しかし、このデータには「失業率」「土地の肥沃さ」「国民の健康度合い」「学校に通う年数」「平均最高気温」といったように「経済力」を様々な指標に分解された状態で提示される。つまり一口に経済力といっても様々な要因が連鎖した総体を経済力と読んでいるだけであって、その内容について掘り下げる必要性があるのだ。「経済力」を分析するために、これらのデータを使い様々な要因が絡み合っていることを認識することができるようになる。

 さらに、「データからではなく、常識から原因を考えがちであること」を子どもたちが認識するためには、彼らに「寿命」に関係する要因を発表する機会をつくりそれに対して子ども達に関わる大人が働きかけをする必要がある。今回の実験では「失業率が高いと経済力も上がり、寿命は下がる」という意見の発表があった。それに対して、Stephanie Ramsey氏は「それは常識に基づいている判断で、その根拠はどのデータから読み取れたの?」「How do we know that?」という働きかけを行っていた。データに基づいて結論をつくってゆくためにはこうした働きかけを行う学びを繰り返して行ってゆく必要があるということがわかる。

 Elizabeth Jewett氏と市川力氏によるProblem-Based Learning, 「動物実験をするべきかしないべきかをトピックにその理由を深め、論理の繋がりを俯瞰する学び」においては、二つのポイントが重要となった。一つは「動物実験への賛否への理由を一段階で終わらせないこと」、そしてもうひとつは「理由をフェアに考える」ことである。

 以上の二つのポイントは、既存の学校教育で行われている「ディベート教育」を例に挙げ比較するとわかりやすい。「ディベート教育」の作法ではまず賛成、反対に生徒たちをわけ、それぞれで自らの意見に理論武装を行い、意見を闘わせ、勝利者を決定する。しかし、多くの生徒は一段階、つまり「人間では実験できないから人間以外の動物で実験をすることを容認すべきだ」という意見や「人間以外の動物も人間も平等だから動物実験をすべきではない」という意見に終始してしまう。だが、それぞれがなぜそうだと言えるのか、例えば、「なぜ人間以外の動物も人間も平等だといえるのか」ということについて考えることは少ない。そこで「理由をもう一段階掘り下げる」段階を設ける。さらに、その中で「自らの理由を支持する理由」だけを考えるのではなく、「自らの理由を支持しない理由」を考えることで、見方を一つにまとまらないような学びのプロセスをつくる。多くのディベート教育で陥りがちなのは、「自らのチーム(賛否のチーム)の勝利だけを考え相手を論理で屈服させる」ことが生徒たちの目的になってしまい、自らの主張だけに終始してしまうことである。ただ、相手を説得するための論証(Argumentatioin)には自らの理由付けに対するフェアな見方が必要となる。自らの主張だけに凝り固まらず、自らの主張を支持しない理由にも目を向け、その上で意思決定を行うことは、科学的思考方法においても必要不可欠なプロセスである。

 さらに、こうした学びプロセスの構造だけではなく、関わる大人の資質も必要となる。子どもたちが出した意見に対して、それとは異なった見方を提示するのだ。生徒たちが考えている理由、根拠に対する対立軸を関わる大人が提示することによって新たな根拠を発見する手助けとなる。こうしたやりとりについても今回の実験では観察され、子どもたちの議論に拍車がかかる場面も見られた。

 以上の一見異なったトピックを扱いながらも共通したコンセプトをもつ「様々な見方をする」ための二つの取り組みによって「エピステモロジー」は形作られる。今回のABLEでの実験は「一つの解を発見する学び」ではなく、「論理の繋がりの全体像を俯瞰する」ことに的を絞った学びの展開が行われた。まさに俯瞰し全体像を変容させ続けることこそがエピステモロジーをつくってゆくことであり、そのためには「様々な見方をする」ためにデータの作り方や子ども達の学びに関わる大人の資質が重要であることがわかる。

 さらに、子ども達がどのように学んだかということに加え、どのような環境が探究型の学びに適切なのか、ということも今回の実験では浮き彫りになった。特に設備において二点の注意しなければいけなかったポイントがある。一つは、通信を行わないアナログな設備、例えば音響設備などに注意をしなくてはならない。今回は一般に使用されている棒形マイク2本、据置型マイク二台を活用し子ども達の学びを記録したのだが、子ども達が話す話し声、そこにダイナミックに関わる大人、動きの多い中での会話の記録については不十分であった。今後こうした学びライブのような実験を行っていくためには、同時に稼働するマイクが多数あったとしてもハウリングしない環境や、ダイナミックに動き関わる大人の発言やそれによって誘発された会話を記録するための音声のマネジメントが重要であるということがわかった。

 さらに、もうひとつはタブレットや電子白板には依然として制約があるということである。子ども達から老人まで多くの人にとって使いやすい「デザイン」そして「ソフトウェア」を実現せねばならない。今まで反転授業や電子白板を取り入れた模範授業などはいずれも「ハードウェア」つまり、性能の高い機器を入れることだけに注力されてきた。コンピュータの扱いに慣れている人にとっては良いことかもしれないが、しかし、世間には電子機器への適応の難しさを感じる人が多いにもかかわらず、苦手な人にコンピュータに無理やり適応させようとしていることになってしまう。今回の実験からは子ども達がうまく適応できているとはいえ、機器間の連携や機器内ソフトウェア面でのトラブルはまだ多く、スムーズなオペレーション・システム、やソフトウェアを実現する必要性があることがわかった。

 俗に云われる “デジタルネイティブ世代” といえども、タッチパネルを活用するデバイスが完全に使いやすいものとも限らず、さらにデジタルデバイスのみが発展する反面、アナログなその他の音響や外部との通信・接続設備についてはまだまだ課題があり、仮に従来の「詰め込み型の学び」はICT(Information Communication Technology)で実現されうるとしても、「探究型の学び」を実現する最適なICT環境へのさらなる実験と検証が必要である。