言語教育デザインプロジェクト2015年度成果報告書
日本人駐在員と家族の言語行動をめぐって:言語管理理論からのアプローチ
平高史也(総合政策学部)
1.プロジェクトメンバー
平高史也(慶應義塾大学・代表)
木村護郎クリストフ(上智大学)
福田えり(龍谷大学)
福田牧子(バルセロナ自治大学)
2.研究の経緯
上記のプロジェクトメンバーは、2011年度から3年間にわたって実施した「海外主要都市における日本語人の言語行動」プロジェクトに関わり、質問紙調査を行っている。2015年度は、同プロジェクトの成果発表と上海での聞きとり調査に重点を置いた。
3.主な活動
1)これまでに実施したデュッセルドルフ、バルセロナ、マドリッド、上海の調査
結果をもとにした国際学会での成果発表
・33rd Conference of the Spanish Association of
Applied Linguistics(AESLA)
16-18 April 2015, Madrid, Spain(第33回スペイン応用言語学会国際大会)
・XIII. Kongress der Internationalen Vereinigung
für Germanistik (IVG), 23-31.
August 2015, Shanghai, China(第13回国際ドイツ語学文学会大会)
・4th International Language
Management Symposium, 26-27. September,
Tokyo, Japan(第4回言語管理研究国際シンポジウム)
2)質問紙調査を行った上海でのインタビュー調査(2015年8月、2016年3月)
3)2015年の研究のふりかえりと今後の研究計画の打ち合わせ(2015年12月)
4.
研究の概要
1)バルセロナ、マドリッドの日本人駐在員の言語生活
この研究では、バルセロナおよびマドリッド在住日本人の言語生活に焦点を当てている。2014年に実施したアンケート調査をもとに、両都市に住む日本人(主に駐在員およびその家族)の現地生活の満足度を規定する要因を質的に分析した。分析には言語能力、現地語および英語の必要性、コミュニケーション満足度を変数として使用し、(1)言語使用のパターンはコミュニケーション場面によって異なる、(2)現地語の使用はコミュニケーションおよび生活全般の満足度を規定する、(3)現地語能力とその使用の必要性は都市によって異なるという仮説を立て、検証を試みた。その結果、言語使用のパターンに両都市で違いが見られた。バルセロナではコミュニケーション場面によって異なる言語使用パターンが見られたが、マドリッドは場面にかかわらずスペイン語が主流言語として使われていた。英語の使用は両都市とも公的な領域および仕事の場面に限られていた。次に、言語能力とコミュニケーション満足度に関しては両都市で正の相関関係が確認された。一方、現地語能力は必ずしも生活満足度を決定する要因ではないということも確認された。英語に関しては、能力とコミュニケーションおよび生活の満足度との間に相関関係は見られなかった。現地語の必要性に関しては、マドリッドでは現地語の能力との間に相関がみられなかったが、バルセロナではこれらの変数の間に正の相関がみられた。
本研究の結果から、非英語圏における現地語の重要性が示唆され、コミュニケーション満足度を決定する要因となり得る一方、必ずしも生活全般の満足度を決定するわけではないということが分かった。また、現地語の能力と必要性は都市によっては必ずしも関連しているわけではないことも示された。
2)デュッセルドルフ、上海の日本人の言語生活
この研究では、デュッセルドルフおよび上海在住日本人の言語生活を取り上げた。2012年度に両都市で実施した質問紙調査に、2015年2月にデュッセルドルフで行ったインタビュー調査の結果を交えて、両都市に住む日本人(主に駐在員およびその家族)の現地での言語使用の実態を探った。その際、特に現地語と英語のニーズと能力に焦点を当て、ドイツ語教育への示唆についても考察した。
顕著な違いは両都市の職業領域における英語の使用に現れた。すなわち、デュッセルドルフに住む日本人の英語使用率が全体的に高いのに対して、上海ではそれが非常に低かった。現地語の使用に関しては、デュッセルドルフでは仕事でドイツ語を使う人が少ないのに対して、上海では仕事関係の場面で中国語を用いると答えた人は少なくなかった。上海で仕事の場面で最も使われているのは日本語であった。
この結果から、海外でのビジネスでは英語で事足りるといった言説は、本調査の結果を見るかぎり、デュッセルドルフにはあてはまるが、上海には妥当しないことがわかった。デュッセルドルフではビジネスのネットワークがドイツ人だけではなくヨーロッパ人全般によって形成されているためか、英語によるコミュニケーションが前提になっているのであろう。一方、上海では日本企業の中国人職員や現地サービス分野のスタッフの日本語能力の高さが日本語の使用率を押し上げ、その分、英語の使用率を低くする背景となっていることが考えられる。
両都市とも飲食、買物、交通機関の利用の場面では現地語の使用率が高かったが、コミュニケーション満足度は低かった。このことから、被験者の現地語能力がまだこうした場面での問題解決には不十分であることが示唆された。日常生活の場面で多少なりともドイツ語が使われ、また、インタビューではドイツ語ができると世界が広がるといった意見も聞かれたので、今後は渡航前のドイツ語研修の機会を駐在員だけではなく、家族にも提供するなどの改善策が考えられる。
3)個人レベルの言語習得管理プロセスに関する考察:上海在住駐在員配偶者の例から
この研究では、言語習得がどのように管理されているかに注目し、その管理プロセスにおいて各人が決定する言語席次language statusが重要な意味を持っていることを示すとともに、どのような要因が席次決定に関係するのかを探ることを目的とした。
例として、夫の海外勤務に帯同する駐在員配偶者をとりあげ、2014年に上海に在住する日本人の駐在員配偶者を対象に、現地語(中国語(=普通話)、上海語)の習得過程と学習動機に関するインタビュー調査を行った。
データ分析の結果、中国語の習得には個人内の言語席次が影響していることがわかった。たとえば、A氏の場合、自らの英語コンプレックスから子どもに同じ思いをさせたくないと日本にいたときからインターナショナル・スクールに通わせるほど英語に高い地位を与えていたが、自分も上海赴任後は中国語習得に意欲的に取り組み、高いレベルに到達した。子どもの学校も英語だけでなく中国語も学べるようにとシンガポール系インターナショナル・スクールを選択した。にもかかわらず、中国語ができても中国人のメンタリティに共感できずに傷ついた経験を幾度も経て、「やっぱり英語にしようと思った」「日本の魅力を再確認して今は日本語を友人に教えている」と、中国語と英語、日本語の席次が逆転している。中国語学習に無動機な例として、多くの国で生活した経験を持つB氏は、上海での生活は特に衛生面が堪え難いもので「中国語を必要だとも学びたいとも思わない」と中国語には一切の地位を与えず、英語、日本語にのみ席次を与える姿勢を貫いている。
以上より、中国語の習得プロセスには接触頻度や必要性だけではなく、言語に与える席次が関係しており、その席次管理においては過去の言語学習・使用経験、現地生活や現地人に対する評価、理想自己像ideal self、言語ができるという有能観などが影響していることが明らかになった。また、配偶者の言語席次や言語習得状況が子どもの教育環境設定、すなわち家族レベルの言語管理にも影響を与えることがわかった。このように言語管理を長期的なプロセスで動的に捉えることが重要だと考える。
4)上海でのインタビュー調査
2015年8月および2016年3月に在上海の日本企業数社で日本人駐在員や配偶者に
インタビューを実施した。アジア経済の中心地の一つであり、町自体の経済発展も著
しい上海は政府の特区に選ばれている。そうした上海の特殊性ゆえか、金融業では英
語の使用率が高いようで、ある銀行では社内公用語が日本語と英語になっている。現
地スタッフとの接触も日本語上級者とは日本語だが、英語でやりとりをしている場合
が多い(営業職は中国人と直接交渉をするので中国語のニーズがあるが、バックオフ
ィスの使用言語、特に書類などはほぼ英語だという)。日系企業が上海で優秀な人材
を確保するのは難しく、欧米系や国内の成長企業にとられている現状もあるが、上海
で金融機関に勤める学生には優秀な人が多く、特に若手の英語能力は高い。銀行に勤
務する現地スタッフで日本留学経験のある人の話でも、業務上は英語ニーズが高まっ
てきているという。ただし、普段は日本語と中国語を使っており、上海人同士ではビ
ジネスの話題も上海語になる。また、ビジネスのネットワークに香港やシンガポール
が含まれると、英語の使用率も上がるようである。
一方、日本語と中国語を多用し、英語はほとんど使用しないというメーカーもあっ
た。それにはいくつか理由があるが、その一つが日本語能力の高い中国人が多いとい
うことであろう。そうした中国人がほぼ通訳のような役割を果たしている。中国の日
本語学習者には高等教育での学習者が多いが、日本企業に採用される可能性がかなり
あるためでもあるのだろう。
こうした事情のためか、上海在住の日本人は中国語ができなくてもあまり困らないため、駐在員の間では中国語のニーズは認識されておらず、使用場面も買物やタクシーの利用等に限られる。配偶者の中には中国語の学習に熱心な人もいる。
以上のように、職種によっても言語使用の実態は異なることが明らかになった。最後に、北京や広州拠点では使用言語日本語か中国語がより多く使われるのではないかという話も聞かれた。
5)今後の計画
来年度以降は、これまでの研究をまとめて単行本にして刊行することになり、今後はその可能性を探っていくことになった。
4.2015年度の成果発表
Makiko,
Fukuda (2015) Language life of Japanese
expatriates in non-English speaking countries: the cases of Barcelona and
Madrid. 33rd Conference of the Spanish
Association of Applied Linguistics(AESLA), 16-18 April 2015, Madrid, Spain
Eri, Fukuda
(2015) A Study on how
status management and learning management affect the individual-level language
management process. The case of Japanese expatriate spouses living in
Shanghai. 4th
International Language Management Symposium, 26-27. September, Tokyo, Japan
Fumiya Hirataka (2015) Aus der
Untersuchung zum „language life” von Japanern in nicht-englischsprachigen Großstädten:
Schwerpunkte Düsseldorf/Shanghai. XIII. Kongress der Internationalen
Vereinigung für Germanistik (IVG), 23-31. August 2015, Shanghai, China