修士論文要旨 1998年度 (平成10年度)

フリーソフトウエアの取引の分析

-ゲーム理論的アプローチ-

論文要旨

 新古典派経済学の文脈における合理的主体を前提とすれば、経済取引の過程において人々は個人的な便益を追求するが、これは必ずしも他人の便益あるいは彼または彼女が属する社会全体の便益と一致しない。経済取引における中心的課題であるインセンティヴの問題は、ここに起因する。従って、取引当事者が自分の便益を最大化しようとすれば、そこには必然的に機会主義的行動への誘因が潜んでしまうことになる。

 第2章、第3章において、それらの機会主義的行動への誘因を未然に防ぐためにこれまで採用されてきたガヴァナンスのメカニズムについて検討を行うが、特に第2章では、契約理論や所有権のアプローチを援用して、制度・組織内部において、いかにして取引の安全性が確保されるかを検討する。第3章では、特定のメンバーの間での長期的な関係がある場合には、「評判」を守ることによるメンバーシップによるガヴァナンスの仕組みを概況する。

 インターネット等分権的な社会においては、それら従来のガヴァナンスのメカニズムの適用は一層困難になるが、インターネット上のフリーソフトウエアのコミュニティーでは、世界中の利用者が公開されたソースコードを利用し、機能拡張、アプリケーションの開発と移植、ドキュメントの作成、ローカライゼーション等の作業を自発的・協力的に行っている。第4章では、フリーソフトウエアのコミュニティーにおける人々の自発的協力の事例を参考にし、そこでは、self-enforcement(自生的秩序)が機能していることを示す。

第5章、第6章では、フリーソフトウエアの取引における人々のインセンティヴについてモデル化を行い、本稿の中心的な結論を述べる。取引当事者が事後的な便益 (ex post benefit)をどう評価するかによって、ゲームの構造自体が変化し、フリーソフトウエアの取引においては、「お互いが協力すればお互いの便益が増加する」というコーディネーション・ゲームとして定式化が可能となる。従って、ここにおいては、第2章、第3章で見たようなガヴァナンスのメカニズムは必ずしも必要ではなく、むしろその集団内でのコーディネーションのメカニズムが重要になることを示す。また、あるフリーソフトウエアの開発に協力することから得られる利益がそのソフトウエアの所与のシェアの増加関数となる「ネットワーク外部性」がフリーソフトウエアの開発過程において存在することを示す。

キーワード

1.フリーソフトウエア  2.ガヴァナンスメカニズム  3.自生的秩序 

4.コーディネーション・ゲーム  5.ネットワーク外部性