1999年度森泰吉郎記念研究復興基金
博士課程研究助成金報告書

所属: 慶應義塾大学政策メディア研究科 博士課程1年
学籍番号: 89966234
氏名: 橋本健太
研究課題名: 細菌の生化学代謝と遺伝子発現制御のコンピュータシミュレーションを用いた解析

 

研究内容

概要

ラムダファージ溶菌・溶原化決定ネットワークのモデリングとシミュレーションを行った。遺伝子発現制御を転写開始制御に置き換える手法を使って、遺伝子発現系のモデルを抽象化してモデリングし、実験による観察に準ずるシミュレーション結果を得ることが出来た。

1. はじめに

ラムダファージの溶菌化、溶原化決定ネットワークのモデリングとシミュレーションを行った。ラムダファージは、大腸菌を宿主細胞とするDNAウィルスである。ラムダファージは、宿主細胞の状態により、溶菌、溶原化を選択する。溶菌は、宿主細胞内で自己を増殖させて、宿主細胞を壊すことである。溶菌は、宿主細胞内で自己の染色体の複製を行い、体を構成する蛋白質を合成して組み立てることにより、行われる。
溶原化とは、宿主細胞の染色体に自己の染色体を組み込むことである。ラムダファージは溶原化すると、宿主細胞の増殖に伴って、自己の個体数を増やす。
本研究は、遺伝子発現制御ネットワークによる代謝系や他の細胞活動の制御をモデリングための手法を確立することを目的とする。ラムダファージの溶菌・溶原化の決定は遺伝子発現制御ネットワークにより行われる。そして、この仕組みは、これまで詳細な研究が行われてきているため、この目的のために最適なモデルであると言える。

2. モデルの説明

2.1. 遺伝子発現系のモデリング

2.1.1. 抽象化

遺伝子発現制御ネットワークをモデリングする上で、抽象化した遺伝子発現系のモデルを構築した。これは、計算効率を上げるため、また、単純な要素のみを考えることによって結果を解析しやすくするため、さらに、抽象化により遺伝子発現系のどの要素が重要であるかを評価するためである。
遺伝子発現系を抽象化すると、以下の要素が抽出される。
この抽象化をもとに、以下のように特徴付けられる遺伝子発現系のモデリングを行い、一つのリアクターとして実装した。
まず、ヌクレオチドやアミノ酸などの前駆物質の量は無視した。これは、前駆物質の量が常に十分量あると想定したためである。
遺伝子発現制御の方法は、全て転写開始に関わるものとした。上流の遺伝子の転写終結による制御など、他の方法による制御は、転写開始の制御として扱えるようにモデリングした。
遺伝子はオペロン構造を取らずに全て単独に存在する前提とした。オペロンの表現は、同じ仕組みで制御されることにより表し、プロモータ部位から転写終結部位までの長さを遺伝子の長さとして表現することにより、オペロン構造内での順番を表した。
以下にこの概念図を示す。
図の円は物質、正方形は反応、長方形は制御部位、左図の三本線はオペロン構造を表す。物質から出る実線は正の制御、点線は負の制御を表し、物質に向かう実線は物質の生成を表す。
左図が、実際の遺伝子発現と、その制御の概念図であり、右図は今回作成した反応モデルの概念図である。右図の正方形一つが、一つのリアクターに対応している。


2.1.2. キネティクス

転写開始頻度は、以下の計算式により計算した。

ここで、はRNAポリメラーゼの濃度、はRNAポリメラーゼの転写開始頻度への影響をミカエリスメンテン式様の式で表した場合のRNAポリメラーゼのミカエリス定数、、は、それぞれアクティベータ、リプレッサーの濃度、 、は、それぞれアクティベータ、リプレッサーの結合部位に対する解離定数、は、二重鎖の安定性に関する係数である。は、二重鎖が開裂する確率を表す。

2.2. ネットワークのモデリング

上記の反応モデルを用いてラムダファージの溶菌・溶原化決定ネットワークのモデリングを行った。以下に、モデルの全体図を示す。

このモデルでは、まず、シミュレーション開始直後に、図の中央のN蛋白質と左上のCro蛋白質が発現する。その後、宿主細胞由来のHfl蛋白質、LexA蛋白質の存在、非存在により溶菌・溶原化が選択される。Hfl蛋白質は、グルコース存在可で発現している蛋白質であり、LexA蛋白質は、UV照射があった場合に分解される蛋白質である。
Int蛋白質はファージの染色体を宿主細胞の染色体に組み込む機能を持つ蛋白質であり、溶原化サイクルが選択されたことを示す指標となる。図で、Partsと表記したのは、ファージの頭部と尾部を構成する蛋白質のことであり、この蛋白質が発現すると、溶菌サイクルが選択されたことが判断される。

3. シミュレーション結果

3.1. LexA蛋白質存在、Hfl非存在下のシミュレーション



LexA蛋白質存在、Hfl蛋白質非存在下においては他の場合よりもPartsの生成が抑制され、Int蛋白質が多く発現している。このことから、この状況下では、溶原化サイクルが選択されていることが分かる。

3.2. 他の状況でのシミュレーション

LexA蛋白質存在、Hfl蛋白質非存在下以外のシミュレーションでは、全て、Partsの発現量が大きく、Int蛋白質は発現しないという結果が得られた。次ページの例は、LexA蛋白質非存在、Hfl蛋白質存在下のシミュレーションの結果である。


4. 考察

実験などによる観察から推測される結果と同様の挙動を示す結果が得られた。ラムダファージの溶菌・溶原化の選択において重要な鍵となるのは、CII蛋白質の発現量である。
LexA蛋白質の存在は、このCII蛋白質の翻訳を阻害する4Sの発現を抑制するため、CII蛋白質の発現量の増加に貢献する。また、Hfl蛋白質はCII蛋白質を分解するため、Hfl蛋白質非存在下において、CII蛋白質の発現量が増える。これら二つの蛋白質の機能から、LexA蛋白質存在、Hfl蛋白質非存在下でのみ溶原化が選択されることが推測されるが、シミュレーションの結果は、この推測と同様のものとなった。

研究発表

上記の研究結果について、以下の学会で発表を行った。(または、行う予定である。)

  • "ラムダファージ溶菌サイクル、大腸菌lacオペロン、及び、araオペロンの遺伝子発現制御システムのシミュレーション"橋本健太、三由文彦、妹尾紗恵、冨田勝;第22回日本分子生物学会年会, 1999.
  • "Simulation of gene regulation system for lytic-lysogenic switch network of bacteriophage lambda, E.coli lac operon and ara operon"Kenta Hashimoto, Fumihiko Miyoshi, Sae Seno, Masaru Tomita; Genome Informatics 1999, 000-000, Universal academy Press Inc., Tokyo (ISBN 0-000000-00-0).
  • "Modeling a complex gene regulation network using the E-Cell System"Kenta Hashimoto, Sae Seno, Fumihiko Miyoshi, Masaru Tomita;The Fourth Annual International Conference on Computational Molecular Biology, 2000.