1999年度 森基金結果報告書

国際共同研究-3「E-CELLシステムを用いたバクテリア走化性のモデル構築およびシミュレーション実験」

概要
「E-CELLプロジェクト」では、「E-CELL Simulation Environment」を開発、これを用いた全細胞シミュレーションという生物学における新しい手法を提唱し、その確立を目指した基礎研究を行っている。 今年度の研究経過は以下のようなものである。

  1. 汎用細胞シミュレーション環境の構築
    高橋恒一、斉藤裕介、相川智彦、米田元洋、岩田具治、三由文彦

  2. E-CELL System を用いた大腸菌の化学走性シミュレーターの改良と拡張
    松崎由理、石田貴士

  3. λファージ、大腸菌lacオペロン、大腸菌araオペロンの転写制御システムのモデリング
     橋本健太、妹尾紗恵、三由文彦

  4. 大腸菌DNA複製システムのモデリング
     三由文彦、橋本健太、藤田由起、松尾玲奈、山田洋平

  5. E-CELLヒト赤血球シュミレーターの拡張、および、定常化手法の開発と先天的遺伝疾患の病態モデル解析
     松嶋亮、喜田光洋、木下綾子、田中大訓、野口なつ美

  6. E-CELL System を用いたミトコンドリア・モデルの構築
     柚木克之、金井優子

  7. E-CELLシステムにおけるパラメータ推定モジュールの開発
     斎藤裕介、岩田具治、高橋恒一

  8. E-CELLシステムにおけるシミュレーションモデル解析モジュールの開発
     岡山真之、米田元洋、斎藤裕介、高橋恒一

特にバクテリアの化学走性のシミュレーションについては、ケンブリッジ大の Dennis Bray 氏と Thomas Simon Shimizu 氏との共同研究により進めた。

汎用細胞シミュレーション環境の構築

細胞シミュレーションのための理論的および技術的な 基盤の整備を目的とし、その実証および実用化のプラットフォームである 汎用細胞シミュレーションソフトウエア環境であるE-CELL Simulation Environmentを開発している。 E-CELL Systemは細胞活動を化学反応レベルの微分方程式系で表現し、それを 数値積分することによってシミュレーションを行う。E-CELL Simulation Environmentは 実際に計算実験を行なうE-CELL Core System、シミュレーションルールファイルの作成を 助けるルールファイルコンパイラ/ツール群、数値実験の全過程を統合的に支援するE-CELL Manager、結果データを解析するための解析ツール群などの様々なモジュール から構成される。 1999年7月から数度に渡ってベータ版(評価版)のインターネット上での配布を 開始した。2000年3月にはソースコードも含めて正式リリースする予定である。

実績
学会ポスター発表:
  1. "The E-CELL Simulation System: Software Environment for Whole Cell Simula tion" Kouichi Takahashi, Kenta Hashimoto, Yusuke Saito, Tom Shimizu and Masaru Tomita; Intelligent Systems for Molecular Biology '99 ; Heidelberg, Germany (1999)

  1. "E-CELL System を用いた細胞代謝の数理解析" 高橋恒一, 斎藤裕介,米田元洋,岡山真之,岩田具治,相川智彦; 第22回日本分子生物学会年会, 1999


E-CELL System を用いた大腸菌の化学走性シミュレーターの改良と拡張

E.coliS.typhimuriumは、非常に広い範囲の化学走性刺激物質濃度に対して反応すると同時に、その微少な変化に対しても敏感に反応することが知られている。これは化学走性を司る比較的少数の分子からなるシグナル伝達経路の特性によると考えられているが、その制御機構の全容は未解明である。

細胞活動の汎用シミュレーションソフトウェア E-CELL Simulation Environment を用いて、Che タンパク群の相互作用によるリン酸基の転移、受容体付近における複合体形成および Che タンパクとモーターのスイッチタンパクの相互作用によるモーターの回転方向制御についてシミュレーションを行った。

このシグナル伝達経路は主要な反応が細胞膜近くで進行しており、物質の局地的な濃度が反応速度に顕著な影響を与える。局所限定性のある細胞膜上の物質と環境、細胞質中の物質との相互作用を均一系を仮定した E-CELL で扱う工夫をし、刺激物質の影響のシミュレーションを行なった。速度定数をいくつか変更することで、現実に近いシミュレーション結果を得た。

また、夏期に冨田ら5名がケンブリッジ大を訪問し、 Bray 氏のチーム(シグナル伝達経路のシミュレーション)とシグナル伝達経路のシミュレーション手法などについてディスカッションと情報交換を行なった。ケンブリッジ大からは Simizu 氏が計2回、 2週間ほどずつ SFC に滞在し、E-CELL を用いたモデリングに共にとりくんだ。

実績
学会ポスター発表:

  1. "大腸菌の化学走性における受容体の複合体形成および鞭毛モーター回転方向制御のシミュレーション" 松崎由理、石田貴士、冨田勝; 第22回日本分子生物学会年会, 1999


λファージ、大腸菌lacオペロン、大腸菌araオペロン の転写制御システムのモデリング

我々が開発を進めているE-CELL Systemにおいて、反応速度の大いに異なる系で同時にシミュレーションを行なうことは、大きな研究テーマの一つといえる。

また、このシミュレーション技法の確立は、我々の目標である全細胞シミュレーションを行なう上で必須事項といえる。しかし、反応速度の異なる系でシミュレーションを行なうことは、計算方法や時間幅など、問題点が数多く存在するため容易ではなく、これまでに同様なシミュレーションが行なわれた例は非常に少ない。

そこで今回、反応速度の大きく異なる代謝系と遺伝子発現系の同時シミュレーションとして、λファージ、大腸菌araオペロン、lacオペロンに関して、それぞれモデル化し、シミュレーションを行なった。

実績
学会ポスター発表:

  1. "Generic Gene Expression System for Modeling Complex Gene Regulation Network Using E-CELL System" Kenta Hashimoto, Fumihiko Miyoshi, Sae Seno and Masaru Tomita; Genome Informatics 1999
  2. "ラムダファージ溶菌サイクル、大腸菌lacオペロン、及び、araオペロンの遺伝子発現制御システムのシミュレーション" 橋本健太、三由文彦、妹尾紗恵、冨田勝; 第22回日本分子生物学会年会, 1999


大腸菌DNA複製システムのモデリング

DNA複製・分裂は生命維持の根幹とも言えるべき反応であり、今回そのプロトタイプモデルとして大腸菌によるDNA複製・分裂のモデル構築を行なった。DNA複製・分裂に関しては従来より様々なシミュレーションが行なわれてきてはいるが、そのどれもが部分的なモデルにすぎず、DNA複製・分裂を一連の流れとして取り扱ったモデルは非常に少ない。全細胞シミュレーションを目指す本プロジェクトとして、DNA複製・分裂はあくまで反応機構の一部であり、独立したものではない。その意味で今回、我々がモデル構築を行なったDNA複製・分裂モデルは従来のモデルとは異なり非常に意義があるといえる。

今後、詳細にモデル構築を行なうことで、全細胞シミュレーションに向けての技術の蓄積、そしてまだ未知の機構に関してなんらか仮説を立て実際の実験にフィードバックする予定である。

実績
学会ポスター発表:

  1. "Towards Kinetic Modeling of DNA Replication Using the E-CELL System", Fumihiko Miyoshi, Kenta Hashimoto, Yuki Fujita, Reina Matsuo, Youhei Yamada, Masaru Tomita; Genome Informatics 1999


E-CELLヒト赤血球シミュレータの改良と拡張、および、定常化手法の開発と先天的遺伝疾患の病態モデル解析

ヒト赤血球細胞は一つの完結した細胞として、Glycolysis, Nucleotide Metabolism, Pentose Phosphate Pathway などの代謝系を持つ。実験的に良く研究されてきた細胞のひとつであり、酵素反応の詳細なパラメータなどの実験データが様々な研究グループから多数報告されている。我々はE-CELLシステムを用いて、このヒト赤血球細胞をコンピュータ上に再構築する試みを行なった。本研究はE-CELL プロジェクトとしてはじめての実在する細胞の全細胞モデリング、シミュレーションである。

ヒト赤血球細胞の43個の代謝物質の濃度と44個所の反応のキネティックパラメータは過去の実験系で得られたデータを参照した。酵素反応式には reversible/irreversible chemical reactionや Michaelis-Menten mechanism などの一般的な反応式を、ヘキソキナーゼ反応などいくつかの化学反応や9個所の膜輸送反応には専用の反応式をE-CELL システムに新たに実装して詳細なモデリングを行なう。こうして構築した赤血球モデルをE-CELLシステムでシミュレートし、その振る舞いを実験系から得られた実際の赤血球の振る舞いと比較し考察を行なった。

実績
学会ポスター発表:

  1. "Computer simulation of human erythrocyte using the E-CELL simulation system." Yoichi Nakayama, Ryo Matsushima, Natsumi Noguchi, Hironori Tanaka, Ayako Kinoshita : Intelligent Systems for Molecular Biology 1999 Hidelberg Germany 1999
  2. "ヒト赤血球細胞シミュレーションによる先天的遺伝疾患の解析" 中山 洋一、松嶋亮、木下綾子、田中大訓、野口なつ美、冨田勝;第22回日本分子生物学会年会、1999
  3. "Pathlogical analyses of enzyme deficiency in human erythrocyte using ECELL System." Ryo Matsushima, Yoichi Nakayama, Natsumi Noguchi, Hironori Tanaka, Ayako Kinoshita : Genome Informatics 1999


E-CELL System を用いたミトコンドリア・モデルの構築

本プロジェクトは平成10年秋より研究活動を開始し、ミトコンドリアの諸機能について反応速度論的モデル構築および病理学的シミュレーションを行うことを目的とする。モデル構築にあたってミトコンドリアの機能を大きく6つの系に分類した。その内訳は呼吸鎖、TCAサイクル、β酸化、代謝基質内膜輸送体、タンパク質輸送体、および遺伝子発現系である。平成11年度はTCAサイクル、代謝基質内膜輸送系、β酸化、タンパク質輸送体、および遺伝子発現系をモデリングし、これまでに構築した呼吸鎖のモデルと統合した。

実績
学会ポスター発表:
  1. "ミトンコンドリアにおける主要反応経路の反応速度論的モデル構築" 柚木克之、金井優子、冨田勝;第22回日本分子生物学会年会、1999
  2. "Kinetic modeling of mitochondrial metabolism",Katsuyuki Yugi, Yuko Kanai, Masaru Tomita;Genome Informatics 1999


E-CELLシステムにおけるパラメータ推定モジュールの開発

E-CELL Systemを用いたモデリングを行う際、モデルの記述に必要なパラメータが未知の場合、その値を推定する必要がある。これは最適化問題であり、解決するための最適化手法としてRosenbrock法・黄金分割法・修正Powell法・遺伝的アルゴリズム・Simulated Annealingを導入する。これらの理論を概観し、実際にこれらをプログラミングし、E-CELL Systemを用いてパラメータを推定するための環境を整えた。さらに、これらの最適化手法をE-CELL Simulation Environmentの解析用Moduleとして実装し、シミュレーション環境のより一層の高機能化を図った。

実績
学会ポスター発表:
  1. "E-CELL System を用いた細胞代謝の数理解析" 高橋恒一, 斎藤裕介,米田元洋,岡山真之,岩田具治,相川智彦; 第22回日本分子生物学会年会, 1999
  2. "Parameter Estimation Mechanism of E-CELL Simulation Environment" Yusuke Saito, Kouichi Takahashi, Tomoharu Iwata, Tomohiko Aikawa, Masaru Tomita; Genome Informatics 1999


E-CELLシステムにおけるシミュレーションモデル解析モジュールの開発

現在、E-CELL プロジェクトでは様々な代謝系モデルが作られ、それらのモデルのいくつかに関しては定常状態が同定されている。しかし、作られたモデルの系統だった解析手法は未だ確立されていないと。また、Computer 上での Simulation では大量のデータを用意でき、幾度にもわたる実験が可能であり、それらのデータを裁くモジュールの出現が望まれる。この2つを動機とし、E-CELL simulation environment の周辺モジュールとして以下の2つを作成した。

  1. 代謝系の解析を目的とし E-CELL Metabolic Control Analysis Tools (EMCAT)
    :Metabolic Control Theory の手法を用いた代謝系の sensitivity analysisを行なうモジュール
  2. フーリエ変換を発展させた形として wavelet 変換をデータ解析の手法としたモジュール
    :E-CELL のシミュレーションによって得られたデータに Daubechies の wavelet 変換を行い、その結果を示した。それにより wavelet を用いるとフーリエ変換よりもインパルスによる応答時間とそのときの大きさを顕著にかつ明確に検出することができた。


実績
学会ポスター発表:
  1. "E-CELL System を用いた細胞代謝の数理解析" 高橋恒一, 斎藤裕介,米田元洋,岡山真之,岩田具治,相川智彦; 第22回日本分子生物学会年会, 1999
  2. "Mathematical Analysis of Metabolic Networks Using the E-CELL Simulation Environment" Masayuki Okayama, Motohiro Yoneda, Yusuke Saito, Kouichi Takahashi, Masaru Tomita; Genome Informatics 1999
  3. "Multivariate Time Series Analysis of Metabolic Networks using E-CELL Simulation Environment" Motohiro Yoneda, Yusuke Saito, Masayuki Okayama, Kouichi Takahashi, Masaru Tomita; ISM International Symposium on Frontiers of Time Series Modeling, 1999


共同研究

以下にあげる海外の研究者、研究機関との共同研究が進行中である。

  1. "Modeling and simulation of bacterial chemotaxis"
    Thomas Simon Shimizu and Dennis Bray, Cambridge University, UK

  2. "Knowledge representation / Ontology"
    Christos Ouzounis, EMBL, U.K.

  3. "Machine learning of kinetic parameters of metabolic pathways"
    See-Kiong Ng, Carnegie Mellon University, Pittsburgh, USA

  4. "Stochastic modeling of gene expression network"
    Robert Andrews, EBI, U.K.



国内他大学との共同研究

以下の大学と共同研究を行っている。

広島大学 生物情報工学研究室
北陸先端科学技術大学院大学 知識情報研究科
九州工業大学大学院 情報工学研究科
三重大学 生物資源学部 生物情報工学研究室


展望
「E-CELL Simulation Environment」 は今年度数回行なったベータリリースを経て、 3月上旬に v1.0(ソース、バイナリ)を正式リリースする予定である。ユーザーのコミュニティづくりなどを積極的に進め、今後の研究活動がより大きく広がるような環境を作っていく。
E-CELL プロジェクトは「E-CELL Simulation Environment」開発を中心に、大規模モデルの構築実績や細胞シミュレーションにおけるプロジェクト管理ノウハウの蓄積、シミュレーション結果の解析手法の開発と実装、シミュレーションモデルの拡張と精密化、シミュレーション実験などの課題にとりくむ予定である。細胞シミュレーションという分野の確立にむけて、長期的な視野のもとに活動を続けていきたい。