森泰吉郎記念研究振興基金 研究報告書
 

中国長江 三峡現地調査リポート


研究代表者:福井弘道(総合政策学部助教授)

研究概要:
総合政策学部福井弘道助教授は中国科学 院との共同プロジェクトの一環として、
1999年10月24日から11月1日までの9日間、長江 (揚子江)中流域および三峡ダムおよびそれらの周辺地域について、
三峡ダム建設がもたらす直接的間接的な自然環境、 社会環境などの諸変化について分析するためのフィールドワークをおこなった。


日程:

 10月24日 東京発 北京着 中国科学院側と合流し重慶へ移動、三峡 沿岸の調査のため船に乗り込む。
 10月25日 長江三峡と三峡ダムに関する講義を受ける。長江三峡沿岸都市の 調査。豊都、史跡鬼城などを訪れる。
 10月26日 史跡白帝城、小三峡、奉節などを訪れる。
 10月27日 カッシュウハダムを通過し、宜昌で下船。折り返し自動車にて三 峡ダム建設サイトに向かう。建設サイトを視察。
 10月28日 移民地区新姉帰の視察。ダム建設地周辺の地形的特徴を調査。
 10月29日 ダム完成に伴う水没予定地域の老姉帰をたずねる。史跡屈原祠を たずねる。
 10月30日 武漢へ移動。
 10月31日 武漢測絵科技大学を訪れる。北京へ移動。
 11月1日  中国科学院を訪れる。 北京を発ち東京へ着く。


調査地域:

中国最大の大河である長江を、重慶から宜昌まで約600kmにわたって 下った。また川幅の狭くなる三峡エリアとその前後では、長江に流れ込む支流を遡上し たり、いくつかの沿岸都市に上陸して、水没する住宅地や史跡を調査するなどした。ま たダム建設による川の水位上昇のため移住をした村などを訪れ、移民の現状を調査した 。また、ダム建設に伴うさまざまな災害の予測のため、ダム付近の地形調査などもおこ なった。あわせてこれらの過程の中でグランドツルースをおこなった。
三峡ダム建設と そ の影響
 
◆三峡ダム建設の環境への影響(地すべりの 問題、洪水の問題)
 
三峡ダムは、高さ185m、幅2300m、3 93億立方メートルを 誇り、世界最大のダムとなる。ダム湖は上流660kmに及び、上流にある中国第三の 工業都 市重慶に達する。

2003年に一部発電を始め、09年の全面稼働を目指し ている。発電量は182 0万キロワットで、現在最大のブラジル・イタイブ水力発電所の1・5倍になる。

現在、ダム,発電所建設計画は2009年の全面運開目指し推進中で あり、第1期工事(1997年)の右岸仮締めきりを終え、第2期工事(2003年)、第3期工事 (2009年)をへて 完成へと向け、工事が急ピッチで進められている。

三峡ダム建設に伴い、三峡ダム上流、下流を問わず、環境 は大きく変化す るものと思われる。現在も激しい長江流域の地すべりや土砂崩れの問題、頻発する長江 の氾 濫、土地の崩壊、三峡ダムの完成によって発生すると思われる地震の問題などが挙げら れる が、三峡ダム建設が果たして洪水を防げるのかどうかは疑問視されている。

政府側の発表によれば、1000年に一度の洪水にも対応 できるというこ とであるが、ダムへの堆砂問題、そして堆砂した土砂の排斥能力などを含めて、従来い われて いる機能がうまく働くのか、定かではない。

我々が長江を、重慶から宣昌まで下って観察をしたところ 、流域の右岸左 岸を問わず、幅100 mほどの峡谷が延々600km続いており、各支流の合流点やちょっとした谷の出合い 、垂直 にせりたった岩の壁など、至る所地すべりやデブリ、土地の崩壊などが起きており、土 砂の流 入は深刻な問題であることがよく分かる。

長江の本流と支流の合流地点では、水の色の違いが一目で 分かる。
 

別添の写真には、奉節における、地すべりによって崩壊し た建物の生々し い様子が写されている。この長江流域は往々にしてこのような崩壊しやすい斜面である と予測 され、地すべりの可能性は、ダム建設による住民移転の際の移転先などにも重要なファ クター となる。

昨年の夏、今年の夏と立て続けに長江は大洪水を引き起こ したが、これに も流域の地すべりや森林伐採などが影響していると目されている。

ダムが完成することに伴って、100を超える都市、村や 町が水没 、113万人が移 住を迫られるが、朱鎔基首相は「土壌流出をもたらし底知れぬ災禍 を残す」との見地から 25度以上の傾斜地 には開墾をしないことを決めた。これが住民移転先の不足をもたらすなど、一つのダム を建設 するに当たって、その影響は経済面から環境面まで多方面、そして細部にわたり深い影 を落と している。

 
 
◆三峡ダム建設の社会への影響(移民問題、文化財の喪失)
 
ダム建設で常に最大の問題となるのは、ダム水没地の地域対策である。三 峡ダムの場 合、ダム湖に沈むのは、長江両岸の人口の密集地、農耕地など合計630平方kmにわ たる。 移民の数は政府の公式見解では113万人だが、現地で聞いたところによると1000 万人に 上るともいう。建設の成否は史上空前の規模の住民移動を円滑に行えるかどうかにもか かって いる。

以下の写真は水没が予定されている街を撮ったものである。左が重慶市豊都県鬼城。 海抜150mのその街は、 2003年には、ダムの湛水開始とともに158mの水面下に沈む。 住民6万5千人 がダム完成を前に移住を余儀なくされ、長江の対岸に建設される新しい市街に暮すこと になる。 中央は姉帰県の県城、帰州鎮。ここも2003年には、眼下に広がる街並みが水の下に 沈んでしまうことになる。 左は帰州鎮内の建物。やじるしの位置に158mのラインの標識がある。

 

三峡ダム建設により、35万ムーの耕地が水没すると見られている。これらの耕地 はすべて 川沿いの平野部にあり、各県のもっとも肥沃な土地帯である。そのうち7.4万ムーの 柑橘園 が水没対象となる。今回我々が調査した水没予定地でも柑橘園が広がっているのを見た が、そ れらのほとんどが水没してしまうこととなる。

以下の写真にみられるような、三峡地区の風物詩ともいえるすずなりの蜜柑畑が見 られなくなる。

では、移民の移住先での生活はどうであろうか?湖北省に所属している姉帰県にて 調査し た。姉帰県は面積2427平方km、総人口42万人。県城のある帰州鎮は姉帰県の中 心、長 江の北岸にあり、移民受け入れ用に新しく作られた茅坪鎮は三峡ダムサイトからわずか 2km のところに位置する。

茅坪内にある銀杏沱移民安置小地区にて農家の女性(40歳前後)に生活状況を聞 いてみ た。本人の言うところでは、5万元(60万円)払って200平方km二階建ての家が 購入で き、前よりもいい生活を送っているとのことである。収入源としては道路をはさんで家 の対面 に広がる畑で落花生や芋をつくっているとのことで心配はないという。終始にこやかな 表情が 印象的だったが、斜面をコンクリートで補強してつくった畑や家の背後にある山の斜面 の小規 模な土砂崩れの跡などを見るにつけ、長期的にやっていけるのかどうか大いに疑問であ る。

以下の写真は現地の様子を撮ったものである。下の写真を見ると新築のきれいな住 宅が並んで いるのがわかるが、その背後には上にあるような土砂災害の危険度の高い斜面を控えて いる。

ダム建設でいま一つ問題とされているのが文化財の水没である 。

今回我々は重慶から宜昌まで600kmの間に、豊都県の鬼城、奉節県の白帝城、 姉帰県の 屈原廟、同屈原故里牌坊、同迎和門など多くの古跡を見たが、豊都鬼城以外は貯水水位 175 m 案の下で水没する。

以下の写真は左から順番に、豊都市鬼城、奉節県白帝城、 姉帰県屈原廟。

たとえば白帝城は周囲に堤防を築き、屈原廟は別の場所に 移転するなど文化財保護の方法も 掲げられてはいるが、これまで保護の経費はほとんど交付されてきていないというのが 現状で ある。