1999年度 森泰吉郎記念研究振興基金・研究成果報告書

         「交通環境空間の改善および有効活用方策の多面的研究」

 

                      研究者=有澤誠(環境情報学部教授 兼 政策・メディア研究科委員)

               野村亨(総合政策学部教授 兼 政策・メディア研究科委員)

                                                     片岡正昭(総合政策学部助教授)

西山敏樹(政策・メディア研究科修士課程)

山田千晶(政策・メディア研究科修士課程)

                                後明賢一(総合政策学部)

 

はじめに

 

  人間の基本的欲求である,「物」「場」「情報」「サーヴィス」の獲得を目指す要素として,移動環境は非常に重要である.まさに,移動を支援する交通環境の多様な問題解決は非常に意義深い.しかし,従前の解決策では,予算的実現可能性や民意を軽視したものが多い工学的視点,生活者の満足度調査に終始した感の強い社会科学的視点などにより,現実的で速効性のある問題解決には至っていないのが実状である.

 

  元来交通環境は,多くの生活者を対象とするものであると共に,計画・開発者側の経営的視点も考慮する必要がある複雑な対象である.幅広い定量的または定性的な社会調査・事例考察などのフィールドワークを交えつつ,「限られた資源の再配分」と「生活者と開発者の社会的合意形成」を視野に入れた現実社会に即応する問題解決策を研究し,成果を広く世に提示することは,21世紀の交通運輸環境ヴィジョンの構築を目指す上で非常に意義深いことである.我々は上記主旨の下,交通環境の主要問題である2つのサブテーマの解決策研究を目指すことにした.

 

  2つのサブテーマは,「都市中心部における空間共有手段としての公有道路の役割にかんする研究」「仮想評価法応用による現実的な交通環境バリアフリー推進政策の研究」であり,前者は研究者のひとりである山田千晶の1999年度修士論文として結実,後者は同じく西山敏樹の修士論文として結実した.また,主として前者には野村亨が,後者には片岡正昭・後明賢一が参加し,リーダーである有澤は,全体の統括を行った.

 

 以下,サブテーマごとの研究報告をもって成果報告に代え,最終的な総括をおわりに述べることとする.

 

 

 

1999年度 森泰吉郎記念研究振興基金・研究成果報告書(A)

 

都市中心部における空間共有手段としての公有道路の役割について

――アメリカのトランジットモールを題材として――

 

     本研究のアブストラクト

本研究では,歩行者と乗り物の効果的な空間共有を促進する手段としての公有道路,具体的にはトランジットモール内の道路に焦点を当てている.我々は,歩行者と乗り物の時間をずらした空間共有により交通用地の節約が可能であり,道路の両側の地域分断を防ぐことにつながると考えている.

本研究では,アメリカのトランジットモール二箇所――ミネソタ州ミネアポリスのニコレットモール(バス型トランジットモール)とカリフォルニア州サクラメントのKストリートモール(LRT型トランジットモール)――で,交通空間の活用現況把握を目指したケーススタディを行った.

分析には,これらのトランジットモールにおけるフィールドワークおよびコンピュータ・シミュレイションを行った.その結果,LRT型トランジットモールのほうがバス型トランジットモールよりも空間共有という点ではより効率的に機能していることがわかった.現在ミネアポリスにおいてLRT路線を敷設計画があり,この路線はミネアポリス南部の郊外地域からニコレットモールと交差する地点までの区間が予定されている.

本研究の結果より我々は,LRTをトランジットモール内に乗り入れることによってサクラメントのようなLRT型トランジットモールに変換することを提案する.これにより歩行者の回遊性を高めるのに十分な時間の道路が歩行者に供用可能になる.そして中心市街地の一体感が生み出され,都市の象徴として機能し,また都市部の活性化につながると考える.

 

キーワード

1.  トランジットモール   2.  空間共有  3.  LRT(ライトレールトランジット)

4.  ニコレットモール  5.  歩行者

 

●発表リスト

(1)山田千晶「公共交通機関にみる社会空間のバリアフリー実現可能性」(1999年3月4日・1998年度JR東日本慶應義塾大学寄付講座発表会口頭発表・JR東日本本社にて)

(2)山田千晶「公共交通機関にみる社会空間のバリアフリー実現可能性」(『交通運輸情報プロジェクトレビュー7』所収・慶應義塾大学有澤研究室発行・1999年2月)

(3)山田千晶「公共交通利用促進による都市移動時空間の最適配分の研究」(1999年10月10日・日本地理学会1999年度秋季大会にて口頭発表)

(4)山田千晶「公共交通利用促進による都市移動時空間の最適配分の研究」(1999年11月19日

  慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスオープンリサーチフォーラムにてポスター発表)

1999年度 森泰吉郎記念研究振興基金・研究成果報告書(B)

 

研究題目「仮想評価法応用による交通環境におけるバリアフリー推進政策の研究」

 

1.はじめに

  最近の交通事業者・行政の財政難は深刻である.しかし,技術偏重・費用軽視の工学的研究,満足度調査終始の地域政策研究では,開発者が「制約下で改善すべき項目と投資規模」を把握できず,現実的な環境改善策を立案できない.本研究では,福祉交通環境構築という公的性質を伴う時期的に重要な費用支出の意思決定において上記目的を達成するべく,仮想評価法の応用により市民の価値観を定量的に計測した.

 

2.研究の背景と目的

 日本は,先進国の中でも急速な高齢化が確実である.しかし,人間の基本的欲求充足を支援する上で重要な役割を果たす交通基盤の福祉的水準が極めて低く,改善が急務である.ただし実際には,前項のアプローチによる解決に終始し,交通事業者・行政と市民の社会的合意形成に基づく環境改善は遂行されていない.

上記の社会背景を受け我々は,利用者に予算面を中心に開発者の制約条件を簡明に伝えた上で,市民の需要を貨幣尺度で定量的・客観的に把握することが重要と考え,下記目的を設定し前述の調査を実現した.

 

(a)予算的・技術的制約条件の把握を前提とした利用者が必要とする技術量の定量的把握

(b)利用者の交通施設満足度や支払意思の強さに基づく整備プライオリティの把握

 

3.調査手法の概要

今回用いた仮想評価法は,市民への社会調査を通じ,自然環境の価値を金額で評価する環境経済学の一手法である.我々は,自然環境と交通環境が持つ公共的性質の類似性に着目し,本手法を交通環境評価に応用した.仮想評価法は,社会調査質問紙上に仮想市場を作り,「状態Aを状態A’に変化させるプロセスへの価値」を生活者に貨幣尺度で回答してもらう.その際,プロセスを遂行する主体の様々な制約条件を市民に効果的に伝えることで,変化のプロセスが持つ価値を定量的かつ客観的に把握することが可能である.

  質問票では,最近の各種改良施工事例をとりあげ,生活者一人あたりの基準負担額と技術的・財政的制約条件を提示し,各種対策における市民の改善必要技術量を貨幣尺度で計測した.事業者側は,自らの財政状況などの制約条件を把握した上での,市民の改善必要技術量を貨幣尺度で定量的かつ客観的に把握できるので,その結果に基づき,市民の要求も公平に反映された福祉対策への投資の意思決定が可能となる.

 

仮想評価法応用のポイント                                      ◎生活者と開発者の社会

                                                                的合意形成に基づいた

                                                                バリアフリー対策立案

 
                                @財政的制約などの情報開示

 

 


                                   A客観的な必要技術量提示

 

4.調査の実際

1998年6月〜9月には,神奈川県相模原市民約300人を対象としたランダムサンプリングに基づく社会調査を,1999年6月〜9月には,東京都国立市民約300人を対象としたランサムサンプリングに基づく調査を実施した.また1998年6月〜8月には,両市の社会福祉協議会を通し,下肢障碍者特化の社会調査も行った.

本研究では,交通環境のバリアフリー化における「応能負担」(家計能力に基づいた負担)の可能性を追究する目的もあり,首都圏で見られる多様な交通環境が適度に混在し,平均所得にのみ差異が見られる神奈川県相模原市と東京都国立市で社会調査を実施した.また,健常者と障碍者の間での支払意思の差異確認と結果の政策への反映も目指し,今回はランサムサンプリング調査と下肢障碍者特化の2種の調査を行った.

 

5.価値観の計測結果

前項で説明した社会調査から得られた,交通環境のバリアフリー化を推進する各種施策に対する生活者の支払意思(貨幣価値観)は次ページ冒頭に掲載した一覧表の通りである(<表1>を参照されたい).

         対策項目

参考提示金額(基準負担額)

相模原市ランダ

ムサンプリング

相模原市社会

福祉協議会

国立市ランダムサンプリング

国立市社会

福祉協議会

エレヴェータ【税金】

700円/年

646円/年

641円/年

774円/年

575円/年

エレヴェータ【運賃】

10円/回

10円/回

10円/回

12円/回

7円/回

ホームのかさ上げ【運賃】

10円/回

10円/回

10円/回

12円/回

9円/回

ホームの音声案内装置【税金】

1000円/年

786円/年

818円/年

862円/年

681円/年

ホームの音声案内装置【運賃】

10円/回

9円/回

10円/回

10円/回

5円/回

駅員増員【運賃】

10円/回

7円/回

8円/回

7円/回

5円/回

車イス対応バス【運賃】

10円/回

10円/回

12円/回

12円/回

10円/回

リフト付きタクシー【運賃】

650円/回

636円/回

616円/回

721円/回

671円/回

道路段差2cm化【税金】

1000円/年

804円/年

759円/年

932円/年

843円/年

歩道の音声案内装置【税金】

1000円/年

875円/年

877円/年

899円/年

838円/年

STS【運賃】

300円/回

311円/回

285円/回

346円/回

297円/回

STS【税金】

300円/年

376円/年

351円/年

583円/年

344円/年

(表1生活者の各種バリアフリー施策に対する貨幣価値観)

 

6.調査結果の考察

今回の調査で実証された事項について,以下で箇条書きにてまとめることにする(<表2>を併せて参照).

 

 

同市での2種類の調査結果の検定

2市間での同種の調査結果の検定

相模原市

国立市

ランダムサンプリング調査同士

下肢障碍者対象調査同士

STS (運賃)

0.141

0.406

0.011

0.697

STS (税金)

0.907

0.003

0.000

0.793

歩道音声案内装置(税金)

0.964

0.185

0.491

0.397

エレヴェータ(税金)

0.182

0.488

0.000

0.550

エレヴェータ(運賃)

0.197

0.003

0.049

0.072

ホームの嵩上げ(運賃)

0.200

0.007

0.000

0.339

駅員の増員(運賃)

0.082

0.034

0.202

0.339

ホーム音声案内装置(税金)

0.489

0.009

0.027

0.090

ホーム音声案内装置(運賃)

0.224

0.000

0.051

0.000

リフト付きタクシー(運賃)

0.418

0.232

0.000

0.073

ノンステップバス(運賃)

0.268

0.377

0.018

0.107

歩道の段差切り下げ(税金)

0.372

0.752

0.000

0.012

(表2各調査結果の平均支払意思の検定結果<有意水準5%>)

 

【考察】

(a)      12項目中9項目で所得の上昇につれて,バリアフリー化に対する支払意思も比例して上昇する傾向が確認された.この結果は,「応益負担」(受益者の公平負担)と「応能負担」(支払能力に応じた負担)の選択の議論に一石を投じるものであり,応能負担の優位性が本結果より証明された.すなわち開発者側は,所得に応じた資金徴収方法を実践しても問題ない(<表2>を参照されたい).

(b)     併せて,家計満足度が高くなると,多くの項目でバリアフリー化への支払意思も比例して高くなることが確認された.具体的には,神奈川県相模原市で12項目中6項目,東京都国立市では10項目で正の相関が見られ,(a)で述べた分析結果を支持する結果を得ることができた(<表3>を参照されたい).

(c)     自宅周辺で利用する交通手段への支払意思が,家計満足度の上昇と共に比例して,上昇している.

(d)     地域を越えて,また各年齢別に見ても,支払意思が強い項目と弱い項目の傾向はほぼ同様であり,満足度に優位な差がない状況を勘案しても支払意思に基づく地域横断的な施策展開が有効である.

(e)     <表2>のうち,国立市でランサムサンプリング調査の結果と障碍者向け調査の結果の間に優位な差が見られる項目が12項目中6項目ある.相模原市と国立市で,障碍者の支払意思に優位な差がない点を勘案すると,市民全般の所得水準の上昇により,障碍者と健常者の間に支払意思の格差が生じる可能性が高い.ゆえに上記該当6項目では,障碍者の負担軽減も検討する必要がある.

(f)       高齢の障碍者は,家計満足度が高く週間外出回数も多い.また,全般的に交通環境に対する満足度も高く,改善要望も少ない.高齢の障碍者ほど,質の良い交通環境に投資し,外出していることがうかがえる.障害を持つという「公平性」を考えると若年障碍者の財政的支援も必要である.

 

          対策

相関係数

相関度合

STS【税金】

0.89

(正)

エレヴェータ【税金】

0.58

(正)

駅員増員【運賃】

0.43

(正)

STS【運賃】

0.29

(正)

歩道の音声案内装置【税金】

0.27

(正)

リフト付きタクシー【運賃】

0.21

(正)

歩道の段差解消【税金】

0.15

ほとんどなし

ノンステップバス【運賃】

0.07

ほとんどなし

エレヴェータ【運賃】

0.06

ほとんどなし

ホームの音声案内装置【税金】

-0.70

(負)

ホームの音声案内装置【運賃】

-0.73

(負)

ホームのかさあげ【運賃】

-0.75

(負)

 

         対策

相関係数

相関度合

STS【税金】

0.97

(正)

ホームの音声案内装置【税金】

0.93

(正)

リフト付きタクシー【運賃】

0.93

(正)

歩道の段差解消【税金】

0.91

(正)

STS【運賃】

0.83

(正)

エレヴェータ【運賃】

0.77

(正)

歩道の音声案内装置【税金】

0.74

(正)

エレヴェータ【税金】

0.72

(正)

ノンステップバス【運賃】

0.65

(正)

ホームのかさあげ【運賃】

0.56

(正)

ホームの音声案内装置【運賃】

0.08

ほとんどなし

駅員増員【運賃】

0.04

ほとんどなし

(表3 両市ランダムサンプリング調査による家計満足度と支払意思の相関<上段=相模原市,下段=国立市>)

 

7.おわりに

 本研究では,交通環境改善施策の評価に,はじめて仮想評価法を応用した.技術重視でコスト軽視の工学的アプローチ,満足度調査に終始しがちな地域政策的アプローチでは,従前,開発者の経営問題までも勘案した施策は構築できなかった.しかし,仮想評価法を応用すれば,開発者の制約条件も勘案した上で,生活者が必要技術量を貨幣尺度にて示すので,社会的合意形成に基づく環境改善が可能になる.今後も,本研究手法を取り入れ,交通環境改善施策の評価と政策立案を行っていきたい.

 

発表リスト

(1)西山敏樹・後明賢一「生活者ニーズと支払意思を反映した交通環境のノーマライゼイション推進政策の研究」(『交通運輸情報プロジェクトレビュー7』に所収・慶應義塾大学有澤研究室発行・1999年2月)

(2)西山敏樹・後明賢一「生活者ニーズと支払意思を反映した交通環境のノーマライゼイション推進政策の研究」 (1999年3月4日・1998年度JR東日本慶應義塾大学寄付講座発表会口頭発表・JR東日本本社にて)

(3)西山敏樹・後明賢一「仮想評価法応用によるバリアフリー交通空間の現実的創造手法の研究」(1999年10月10日・日本地理学会1999年度秋季大会にて口頭発表)

(4)西山敏樹・後明賢一「仮想評価法応用によるバリアフリー交通空間の現実的創造手法の研究」(1999年11月19日・慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスオープンリサーチフォーラムでポスター発表)

(5)後明賢一・西山敏樹「仮想評価法応用による交通環境の福祉推進政策の研究」(1999年12月4日・政策・分析ネットワーク第1回年次大会・政策メッセ99にてポスター発表)

この他,本研究の成果が日本計画行政学会『計画行政』に,2000年初夏ころ掲載決定(査読済).

 

参考文献

(1)   栗山浩一『公共事業と環境の価値』(1997・築地書館)

(2)   竹内憲司『環境評価の政策利用〜CVMとトラベルコスト法の有効性』(1999・頚草書房)

(3)   秋山哲男・三星昭宏『講座・高齢社会の技術6〜移動と交通〜』(1996・日本評論社)

(4)   秋山哲男・小坂俊吉『講座・高齢社会の技術7〜まちづくり〜』(1997・日本評論社)

(5)   栗山浩一『環境の価値と評価手法〜CVMによる経済評価〜』(1999・北海道大学出版会)

 

 

謝辞

 

東日本旅客鉄道株式会社・森泰吉郎記念研究振興基金には経済的支援を,神奈川県相模原市社会福祉協議会・東京都国立市社会福祉協議会には調査協力をそれぞれいただきましたので,ここに深甚の謝意を表します.

 

●おわりに

 

 今回の2つの研究では,交通事業者の深刻な課題である「限られた資金と空間の活用」という重要なテーマに対し,有効な回答を提示することができた.交通工学の視点と交通政策・経営の視点を統合し,技術開発から導入政策までを一貫してとらえる,まさに諸科学横断を目指すSFC的な交通政策ヴィジョンを構築することに成功した.この成功は,森泰吉郎記念研究振興基金によるところが大きく,ここに厚く御礼申し上げたい.

 

また我々は,今後も交通工学と交通政策・経営を一貫してとらえ,生活者と開発者の社会的合意形成に基づいた,持続可能な交通環境の発展に研究を通して寄与したいと意を新たにしている.今後も主旨にご賛同いただき,ご支援を賜ることができれば幸甚である.