政策・メディア研究科修士1年 渡部厚志

研究テーマ(変更):

「タイにおける季節労働維持のシステム」

調査・研究実績:

  • 99年6月〜7月  
    • タイ語の学習  
    • 基礎的データの学習
  • 99年8月18日〜9月16日  
    • 第1回のタイ現地調査   
      1. バンコク :タマサート大学/National Statistical Office/労働省雇用局・福祉局にてインタビュー    
      2. チェンマイ:チェンマイ大学/国立図書館   
      3. ランプーン:Mae Tha郡 Tha Pladuk村、Si Sai Mun村の二村でインタビュー
  • 99年10月〜00年1月  
    • タイ語の学習  
    • 収集した資料の分析   
      1. 政府統計・白書など   
      2. 先行研究・論文・ルポなど
       
    • 次回調査のための概念構築
  • 00年2月8日〜18日  
    • 第2回のタイ現地調査   
      1. バンコク :チュラロンコン大学   
      2. チェンマイ:チェンマイ大学/Ban Ruam Jai Project

研究成果:

 ・研究テーマの絞込み
 「移動労働者政策の検証―近代化、経済発展との関連で―」という題目で、タイと日本の出稼ぎの比較をし、出稼ぎ政策の検証をするというのが当初の研究計画だったが、対象となる「出稼ぎ」は海外出稼ぎか国内か決めていなかった。
 2回のタイでの現地調査と文献調査によって、対象を「季節労働者」に絞込むことにした。日本とタイの経済発展過程・産業構造・経済政策・労働構造といったマクロな面での比較と、日本の出稼ぎ農民にとっての東京/タイの農民にとってのバンコクの違いをインタビュー調査によって明らかにするのが次年度の課題である。

   日本など先進国では、経済発展にともない産業の中心が2次・3次産業に移ると、ややおくれて雇用の中心も2次・3次産業に変わった。このことによって農繁期には農業を営み、農閑期には2次・3次産業に従事する季節労働者の数はピークの10分の1程度にまで減っている。一方、タイでは80年代初頭には、すでに2次・3次産業がGDPの大半を占めていたにもかかわらず、その後20年たった今でも農繁期で70%、農閑期でも60%が農業従事者である。
 このちがいはさまざまな理由から説明できると考えられる。現在までの基礎調査で推測するところでは以下の3点である。

  1. 農業政策の違い
     日本では価格を維持するために70年代から減反政策を始めた結果、農家数の減少、経営規模の二極化が比較的早く起こった。このため農業で家計が成り立つ大規模農家は農村に、それ以外の農家は都会に定着した。タイでは反対に都市の労働者を支援するためと税収確保のため、農産物の価格を低く抑える政策を取った。結果として、無秩序な耕地の拡大による生産性の低減をまねいた。

  2. 都市のキャパシティの違い
     日本では離農者や季節労働者の受け入れ先は東京圏のほか名古屋、大阪、北九州など各地にあるのに対し、タイには首都バンコクをのぞいて大都市は存在せず、都市での雇用のキャパシティはそれほど多くはない。このため、離農しても家計が成り立つ見込みは乏しく、季節出稼ぎを維持する要因になっているとおもわれる。  また、日本では80年代後半まで外国人労働者を極端に厳しく制限していたが、タイにおいては古くから中国系の「苦力」やラオス・カンボジアからの出稼ぎ労働者が安い賃金で雇われ、大きな役割を占めてきた。このことも、農村からの離農を思いとどまらせる原因であろう。

  3. 農村の社会の違い
     タイ政府は(2)に関連して、チェンマイ市やコンケン市など7つの市を地域開発拠点として選択して開発事業を行ってきたが、その成果はいまひとつにとどまっており、雇用の拡大も進んでいない。季節労働者の行き先に関してのある先行研究では、農民は「近隣の町に仕事がある」という公式の雇用情報を信用せずに、仲間のつてなどをたよりにバンコクに行くことが多いという。こういった、農民の選択のレベルでも、日本とのちがいがあることが予想される。

今後の予定:

次年度はさらに2回から3回の現地調査を予定している。
とくに、(3)の項目については綿密なインタビュー調査をおこなう必要があるので、はやめに調査対象の村を確定すること、質問項目などをつくることが課題である。