バクテリアゲノムおける
オーバーラッピング・ジーンの解析
政策・メディア研究科1年 福田陽子
abstract
バクテリアゲノムでは、2つの隣り合う遺伝子がコード領域 を一部共有するケースがしばしば見られる。このオーバー ラッピング・ジーンの、進化における意義や、発現機構の 法則等は分かっていない。この解析では、ゲノム進化とオ ーバーラッピング・ジーンの関連を明らかにすることを目 指し、以下の観点からバクテリアを近縁な2種で比較した。
  • E. coliH. influenzaeゲノムにおける網羅的比較・解析
  • ゲノムの変動とオーバーラッピング・ジーンとの関連
E. coliH. influenzae のオーバーラッピング・ジーンにつ いて個々の遺伝子の塩基配列を比較することにより、オーバ ーラッピング・ジーン生成過程ののモデルを考察した。また その相対的位置を明らかにするすることにより、ゲノム全体 の変化との比較が可能となった。これによって得られた結果 から、比較した2種に共通するオーバーラッピングジーンが ゲノム全体の変動を反映しているということが示唆された。
E. coliH. influenzaeゲノムにおける網羅的比較・解析

Mycoplasma genitaliumMycoplasma pneumoniaeとの比較・解析で は、オーバーラッピング・ジーンは主に遺伝子コード領域の3'末 端におけるストップコドンの消失によってできるということが分かった。 これが他の種でも一般にあてはまるかどうかを調べるため、同様の手法を用い てproteobacteriaに属する2種 E. coliH. influenzaeのゲノムにおけるオーバーラッピング・ ジーンの比較・解析を行った。
方法
隣り合う2遺伝子のコーディング領域(CDS)が一部重なっているものをオーバー ラッピング・ジーンとし、Genbankから、E. coli及び H. influenzaeゲノム中のオーバーラッピング・ジーンを抽出した。2種の homologousな 遺伝子に関する情報については、KEGGデータベース (http://www.genome.ac.jp/kegg)における遺伝子クラスターの比較を利用した。 対応する遺伝子を比較し、片方の種のみでオーバーラップしているものについて、 clustalWによるアライメントを行い、2種の塩基配列がどのように変化しているか詳細 に比較した。
結果
オーバーラッピング・ジーンはE. coliゲノム中に806組、H. influenzaeゲノム中には237組存在する。これらのうちで KEGGデータベースに存在し、種間で比較可能な遺伝子は106組であった。 どちらか一方の種でのみオーバーラップし、塩基配列比較の対象となったのは62 組であった (図1)。 一方の種でのみオーバーラップしている遺伝子では、オーバーラップ部位付近で 塩基配列の欠失または挿入による遺伝子領域の伸長が見られた。伸長の部位は 、前側の遺伝子におけるストップコドンの消失(3'end)と、後ろ側の遺伝子 におけるスタートコドンの消失(5'end)、及びストップコドン・スタートコ ドン両方が消失したケース(3'and 5'end)があった(図2)。

考察と今後の展望
M. genitaliumM. pneumoniaeとの比較では、主にストップコドン の消失がオーバーラッピング・ジーンのできる原因であったことから、3’末端 の調節部位が突然変異に対して抑制的に働いていると考えられた。しかし E. coliH. influenzaeの比較においては、5'末端に変異が起きた ケースは全体の約60\%を占め、5'末端部位の突然変異が抑制されているという結 論は得られなかった (図3)。この比較結果の違いから、以下の2点が考察される。

これらの点を明らかにするには、コンセンサス 配列にかわるタンパク質立体構造の傾向や、生物学的実験による変異頻度の違い を調べる、といったさらに多くの解析が必要であろう。

ゲノムの変動とオーバーラッピング・ジーンとの関連

2種の生物間を比較すると、ゲノムのある領域が入れかわったり、また個々の遺 伝子が他の領域にうつることにより遺伝子の順序に変化がみられる。 オーバーラッピング・ジーンの比較をゲノム全体から見た場合、このようなゲ ノム構造の変化と関連するかどうか分析した。
方法
M. genitaliumM. pneumoniae及び E. coliH. influenzaeのゲノム中から、2種の生物で比較可能な遺伝子 に関するすべての位置情報を、Genbankのannotationをもとに抽出した。この位 置を直線上にプロットし、2種の生物でhomologousな遺伝子の相対的位置を結ん だ図を作成した。

の3ケースに分けてこれらの図を比較した。 「2種の両方でオーバーラップしている遺伝子」については、前の遺伝子のスター ト位置のみをプロットし、「片方の種のみでオーバーラップしている遺伝子」に ついては両方の遺伝子のスタート位置をプロットすることとした。
結果
プロットされたデータの数(遺伝子組)は以下のようになる。
全遺伝子 2種でオーバーラップ 1種でオーバーラップ
M. genitaliumM. pneumoniae453135組(58%) 95組(42%)
E. coliH. influenzae64244組(42%) 62組(58%)

M. genitaliumM. pneumoniaeは非常に近種であり、ほぼすべて の遺伝子の対応関係が明らかになっているため、プロットされたデータはゲノ ムの変化そのものと見ることができる。 E. coliH. influenzaeの比較においては、比較の対象となった のは対応関係が明らかでかつクラスターをなす642の遺伝子である。これは H. influenzae全遺伝子のおよそ 37%にあたり、E. coli全遺伝子に対してはわずか15%ほどである。 しかしこれだけを見ても、対応した遺伝子を結んだ線の多くが複 雑に交差しており、バクテリアの中では近縁なこの2種でも、ゲノムの領域 が単純に対応している訳ではないことが分かった。 M. genitaliumM. pneumoniae、及び E. coliH. influenzaeそれぞれの比較を、3つのケース毎に次に示す。

考察
M. genitaliumM. pneumoniaeとの比較では、 すべての遺伝子の変動を見ると大きな領域の組み換えが2ヶ所見られた他、 遺伝子が数個単位で移っているケースも何カ所か見られた。一方の種のみでオー バーラップしている遺伝子には、これらの個々に移った遺伝子が含まれているこ とが分かる。 一方、両方の種でオーバーラップしているような遺伝子は、ほ ぼすべてが元から保存された部分と、大きな領域で組みかわった部分にのみ存在 する。 これに対して、 E. coli}とH. influenzae}との比較では、遺伝子の移り変わり が複雑であるため、ゲノム全体における領域の対応関係は明解でない。 大まかな傾向として以下のような点が挙げられる。
両方の種でオーバーラップした遺伝子による図と、片方の種でのみオーバーラッ プした遺伝子のものとの違いは、図からだけでは判断し難い。 E. coliH. influenzaeゲノムで、全体の遺伝子が上に挙げたよう な傾向にそった動きをしたとすると、両方でオーバーラップした遺伝子はこれと 同じ動きをしたといえるだろうか。 オーバーラッピング・ジーンが全体の遺伝子と同じように、 幾度も交差しつつゲノム全体に散在していることから、そうした可能性はあると いえる。
今後の展望
M. genitaliumM. pneumoniaeの比較では、 両種でオーバーラップした遺伝子の比較は、おおまかなゲノム構造の変 革を、少ないサンプルである程度忠実に反映させているということが示唆された。 両種でオーバーラップした遺伝子が、ゲノムの変革を端的に表現できる可能性 がある。生物のゲノムは、他種の様々なゲノムの一部がモザイク様に寄せ集まっ て構成されているのではないかとも言われている。そうだとするならば、全遺 伝子の対応からは見えてこないそのような進化の過程が、今後の解析によって明 らかになると期待できる。 両種でオーバーラップした遺伝子の相対的位置の変化が、ゲノム全体の傾向と 一致するのかどうかを明らかにするためには、今後データの数値化を行う必要がある。 オーバーラッピング・ジーンとその前後の遺伝子のならびが、異種のゲノム中 で保存されているかどうかを数量的に評価し、これを両方の種でオーバーラッ プした遺伝子と、片方の種のみでオーバーラップした遺伝子という2つのデー タで比較する。得られた結果に優位な違いが認められれば、同様の手法を用いて多くの 生物種が共通に持つ遺伝子を解析することによって、より進化的な考察を試み たい。