(森泰吉郎記念研究振興基金2000年度助成対象研究「住民との社会的合意形成による交通環境整備方策の研究」活動報告A)

動的仮想評価法による中−長距離移動環境の現実的な障壁除去推進政策の研究

−フェ−ズI・長時間移動環境での交通弱者の移動課題抽出に向けて−

The Study of Barrier-free Policy by Means of “Dynamic CVM” on

the Environment in Which People Can Cover Long Distances

Abstract

In Japan, it is certain that the number of aged people will rapidly increase in the 21st century. The present tendency is toward improving the quality of our life, and so we must create an environment favorable for everyone to go anywhere easily and smoothly regardless of distance. This study aims at devising a socially agreed policy on barrier –free necessary for covering a long distance by adopting innovative “Dynamic CVM”, considering developers’ financial restrictions. This Paper focuses on the process of concept –making of this study.

 

キーワード:動的仮想評価法,障壁除去,社会的合意形成,動的情報,静的情報,グループインタヴィュー

Keyword:  “Dynamic CVM”, Barrier-free, Social Consensus, Dynamic Information, Static Information, Group Interview

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1.はじめに

21世紀に突入し,日本は本格的な高齢社会を迎える.これに併せて,障碍者増加も確実視されている.基本的人権に含まれるべきモビリティならびにそれに基づく基本的欲求の円滑な充足は,法的視点に立てば,万人に保証されるべき権限と言える.ただし現状では,公共交通環境での障壁除去施策が遅れており,高齢者・障碍者の円滑な欲求充足が実現されているとは言い難い.そうした実状を勘案し,国は2000年11月に交通バリアフリー法をスタートさせた.しかし,交通バリアフリー法も,既存鉄道駅の障壁除去を努力義務にしている点など,強制力の弱さが早くも指摘されている状況にある.

そこで,従前移動環境の障壁除去が遅れた原因を振り返ると,交通事業者・支援行政の財政的制約に起因していることが判る.ゆえに今後は,生活者側にもその実状を認識してもらい,開発者と生活者が共に障壁除去への必要技術の優先順位と最適量を客観的に決定する過程が重要となる.本研究は,環境経済学の仮想評価法を応用し,上記プロセスを実践するものであり,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バリアフリーな連続的な移動環境構築を検討する上で議論が遅れている,中−長距離移動環境(注:本研究では片道2時間を超える移動と定義)での必要技術の優先順位と最適量の把握を主題にする.本研究の成果は,西山敏樹の博士論文として完結する予定であるが,本稿はその第一次中間報告と位置づけられるものである.研究の第一段階の目的は,中−長距離移動時の高齢者・障碍者が抱える課題を統合的に解明し,後の仮想評価に含めるべき対策事項の抽出を行う点にある.本稿では,研究全体のコンセプトと本年度末までの進捗状況を中心にまとめていく.

 

2.本研究の社会的背景

2.1 日本国内での移動制約者数の急速な増加

  国立社会保障・人口問題研究所の高齢者人口推計は,2035年に全人口のおよそ 3割が,65歳以上の高齢者になると予測している.これに比例して,障碍者の人口増加も確実視されている.ゆえに,早い段階で公共交通環境から可能な限り障壁を除去し,多様な人々の欲求獲得支援に資する公共交通環境の構築が急務と言える.

2.2 非日常的な中−長距離移動への欲求高揚

  高齢者・障碍者増加の社会的背景を受け,確実に移動環境の障壁除去にかんする議論が活発になっている.しかし,人口の多い都市内区域やその周辺に議論が収束しているのも事実である.最近の電通総合研究所の調査結果は,障害の有無に関係なく,旅行を中心とした非日常的な中−長距離移動への欲求が総体的に高揚している事実を客観的に示している.この背景には,国民生活の量的志向から質的志向への移行のほか,1990年以降の地域福祉・在宅福祉重視への福祉政策転換があり,高齢者・障碍者の家族旅行への欲求は今後も高まるものと予想される.上記を勘案すると,近未来に向けた障壁除去政策の研究では,日常的な活動を超えた中−長距離移動環境に議論を早急に拡大する必要がある.

 

2.3 障壁除去の遅れと開発者側の財政的制約

  戦後,都市部に人口が集中し,今日まで公的施設の高密度化・重層化が進んできた.これに併せて,空間の有効利用の観点から,鉄道駅周辺の高架化も進んだ.結果的に,垂直移動の機会が増え,高齢者・障碍者の移動を困難なものにしている.路線バスでも,ノンステップ・リフト対応の議論が盛んになったのは,最近10年のことであり,いまだ乗降しづらい車両が多い.上記のとおり,高齢者・障碍者の移動環境には現在も多様な障壁が存在する.現状を鑑み,問題解決に向け交通バリアフリー法案など,法的インセンティヴも含めた障壁解消の議論が確実に活発となっている.しかし一方で,公共交通事業者・行政などの開発者側には,財政的な制約が厳然と存在する.例えば,既存駅にエレヴェータを 1基設置するとして,用地の買収が必要な場合も多く,莫大な資金が必要となる.路線バスでも,ノンステップ仕様は通常車両より600−700万円も高い.開発者側の財政的制約を勘案すると,今後もこれらの特別施策に十分応えることができない公算が強い.移動環境の障壁除去施策にかんする研究では,今後開発者の財政的制約を常に勘案していく必要がある.

 

2.4 必要技術量にかんする社会的合意の未醸成

  従前の移動環境の障壁問題にかんする研究は,2つの学問的傾向に大別される.ひとつは,交通工学・福祉工学などの工学分野での研究である.工学的研究の課題は,技術開発と紹介に重点が置かれ,開発者側に厳然と存在する財政的制約の考慮に欠ける傾向にあり,技術を実社会へ円滑に普及させる方法論の議論が極めて少ない点にある.もうひとつは,地域政策研究の交通領域の一分野として成立している.こちらは,移動環境の課題を解明する帰納的研究にとどまり,明確なヴィジョンに従い交通福祉政策の具現化を目指す演繹的要素に弱い.こうした学界の動向と,前項で示した開発者側の財政的制約を総合的に勘案すると,技術開発から技術普及までを包括的にとらえ,開発者と生活者の必要技術の優先順位・最適量にかんする近未来に向けた社会的合意の醸成に努め,その合意ルールに則った福祉交通政策構築の必要性が浮上する.

 

2.5 社会的合意醸成に資する調査手法の未成熟

  直前の項で記した問題意識は,西山が修士課程時代から抱いていたものである[西山 2000].西山は,修士課程での研究で,東京圏での開発者と生活者の必要技術量・必要技術の優先順位を客観的に把握するため,自然環境と交通環境の公共財的性質の類似性に着目し,環境経済学の仮想評価法を評価に援用した.仮想評価法援用で,生活者の必要技術量を貨幣尺度で客観的に把握でき,それは前述した社会的合意醸成を支援する極めて有力な手法である.しかし,仮想評価法特有のバイアスに加え,客観的判断に資する開発者の制約条件や該当技術導入による効果・損失を説明するための長大で難解な質問文,社会調査ベースのため他者との意見交流が事実上不可能な現実なども受け,真の客観的判断が得られるのか,疑問視する声も厳然と存在する.従前の仮想評価法に沿いつつも,上記課題を克服可能な決定的手法の確立が急務である.

 

2.6 交通バリアフリー法の課題克服の必要性

  移動環境の障壁除去の必要性が社会的に高まる中,交通バリアフリー法が2000年11月にスタートし,問題解決への法的推進力として期待を集めている.しかし,既存駅舎や見学施設など,障壁除去にかんして努力義務または法適用外とされている環境も少なくない.これに事業者・行政側の財政的制約の不変性も含めて総合的に勘案すると,法的インセンティヴが作用しない多様な施設の改良施策に対する,必要技術の優先順位と最適量を客観的に把握する研究の必要性が明白である.さらに,同法適用下での行政による対事業者財政的支援制度の妥当性評価にも,そうした調査研究手法が有効である.

 

3.研究の目的

3.1 価値観・制度・技術が整合した現実的な障壁除去政策の構築

  従前の本分野の問題解決を標榜する調査研究には,工学的研究から派生したものと,地域政策研究の一領域として成立しているものがある.これらは,現実的制約下での解決政策構築に弱い.本現状を勘案すると,現行の政治・経済・法律などの各制度状況や生活者の多様な価値観を十分勘案し,技術開発から技術導入までを包括的に捉え,開発者と生活者による必要技術の優先順位・最適量にかんする社会的合意に則った福祉交通政策を構築可能な学融型研究を実践する必要性が浮上する.我々は,自然環境と交通環境の公共財的類似性に着目し,環境経済学の仮想評価法を応用し,上記主旨の研究を中−長距離移動環境を対象として具現化させていく.

 

3.2 地域内移動が中心だった障壁除去施策研究のブレイクスルー

  従前実践されてきた交通環境のノーマライゼイション推進政策の関心は,住宅を起点とした日常的移動環境に置かれていた.それは,各地方政府による高齢者・障碍者の移動特性調査の多くが,日常的移動環境を対象区域にしていることからも明白である.もちろん,日常的移動環境での議論は重要だが,交通バリアフリー法などの法的インセンティヴが作用するようになり,障碍者・高齢者の社会参加機会拡大を目指す上でも,今後は住居近隣地域で終始していた点的な政策議論を非日常的移動環境にまで面的に拡大する必要がある.我々は,前述の慶應SFCらしいクロスディシプリン型アプローチに基づき,生活者が持つ多様な価値観・各種制度・関連技術が三位一体となった現実的かつ創造的な中−長距離移動環境の障壁除去政策構築を目指し,現行の議論をブレイクスルーさせる.

 

3.3 高齢者・障碍者の中−長距離移動環境での問題発見整理

  中−長距離移動環境にかんしては,障碍者・高齢者の連続的な移動特性の把握も遅れており,現状でも重点課題として指摘されている.パーソントリップ調査やOD調査には障碍者・高齢者特化型がなく,交通弱者の移動時の課題を把握する研究は僅少で,存在しても小地域限定型に終始している.非日常的な中−長距離移動環境にかんしては,実例が皆無に等しい.ノーマライゼイションの大前提である「空間の連続性・時間の一貫性」を保持していく上でも,中−長距離移動環境で高齢者・障碍者が抱える課題を的確に抽出する過程が喫緊の課題と言える.そこで我々は,従前のノーマライゼイションの議論で立ち遅れていた中−長距離移動環境も含め,障碍者・高齢者の移動時の課題,<どのような身体的障害で・どのような移動環境下の・どのような障壁に困っているのか>の解明を目指す.障碍者・高齢者が持つ移動環境の課題は,健常者が偶発的に障害を持った場合の移動時の課題にもなり,その情報の共有は,開発者と生活者が福祉交通環境を共創する上で非常に重要である.仮想評価法に基づく「生活者全体の各種障害除去施策に対する定量的貨幣価値評価」を行う際のシナリオ設定にも,評価の客観性を高める有益情報として調査に資するものとなる.

 

3.4 動的仮想評価法の開発とそれに基づく一層客観性の高い貨幣価値観の計測

従前の標準的な仮想評価法では,状態Aを状態Bにする過程への生活者の貨幣価値観を客観的に把握するため,調査質問紙上に仮想市場を創出し,「開発費用などの開発者側の多様な制約条件」「施策による恩恵と損失」などの情報を客観的に伝達し,該当する施策実行過程への支払意思額を質問している.質問は,社会調査用紙によるもののほかに面接形式もあるが,人的資源・時間的制約・費用効果の関係から通常前者が利用される.質問紙調査の場合,質問者が質問紙上で客観的に提供した静的情報(Static Information)をもとに,回答者自身の判断を回答欄に記すことになる.ゆえに,回答する生活者が調査主題に精通していないケースが少なくないため,価値判断の客観性に疑問が生じたり,棄権が生じるケースもしばしば発生する.西山の修士課程時の社会調査では,東京圏の公共交通環境での障壁除去施策の価値評価を取り上げたが,社会調査を展開した相模原市・国立市の両方で「質問内容が難しかった」という感想が散見された.こうした経験も勘案すると,社会調査の回答者が静的情報のほかに,動的情報(Dynamic Information)を効果的・客観的に吸収できるような仕組みを新たに構築し,一層客観的な立場から価値判断をできるように努めていく必要がある.特に,非日常的な中−長距離移動環境での改善施策の価値評価を目指すため,生活者を一層高度な客観的判断が可能な存在にする必要があり,静的情報・動的情報の効果的な提供方法が重要となる.手法は後で詳述するが,ヴィデオテープやコンピュータ・グラフィックスなどのメディア・コンテンツによる情報理解支援,グループインタヴィューの実施,障害体験器具の装着など,従来の社会調査用紙主体の方法に,こうした動的情報を効果的に派生させる手法を加えていくことで,生活者の客観性を一層高めていくことが可能になる.

最終的には,質問紙単体の調査の弱点を克服する新タイプの仮想評価法と従来の質問紙調査の結果を比較し,その性能評価までを目指す.

 

4.研究の具体的内容と手法

  この研究は,大別して以下の三つのフェイズに分けられる.以下では各々の概要を説明する.

 

4.1 高齢者・障碍者の中−長距離移動での移動特性把握と課題整理(ファーストフェイズ)

最近,移動環境の障壁除去の動向は確かに活発になっているが,移動距離が長くなればなるほど,障碍者・高齢者の移動時空間の連続性・一貫性が保たれていない.併せて,移動環境の具体的課題の把握もなされていない状況である.本研究では,そうした現状も勘案し,セカンドフェイズで行う「社会的に重要な障壁除去施策に対する導入技術の量・優先順位の客観的計測」に資する基礎的環境情報構築として,障碍者・高齢者が中−長距離移動時に<どのような身体的障害により・どのような環境下で・どのようなバリアに困っているのか>を把握し,その課題整理を目的とする質問紙による社会調査を遂行する.具体的な設問内容および質問文は,本年度のアウトプットの項でまとめて後述する.

  この社会調査により,障碍者・高齢者の中−長距離移動の特性,移動環境での課題を統合的に把握していく.この社会調査は,国内での抽象論導出を目指すため,都市部・非都市部に限定することなく展開する予定であり,調査時期としては,2001年初春の実施を目指している.

 

4.2 従来型仮想評価法と動的仮想評価法による障壁除去施策に対する導入技術量・優先順位の計測と結果考察(セカンドフェイズ)

  ファーストフェイズの調査で,従前のノーマライゼイションの議論で立ち遅れていた中−長距離移動環境で,障碍者・高齢者が<どのような身体的障害により・どのような環境下で・どのようなバリアに困っているのか>を解明することができる.併せて,交通弱者の指摘する障壁除去の整備優先順位が高い環境が抽出される.

  セカンドフェイズでは,はじめに障碍者・高齢者が障壁除去の必要性が高いと指摘した移動環境の障壁を実際に解消していく上での技術的に可能な解決策をリストアップし,その実施に際しての長所・短所や生活者一人あたりの負担費用などの客観的情報を整理し,導入への価値観を貨幣尺度で客観的に把握するための仮想評価調査の準備を行う.特に新規的な点は,従来の質問紙による仮想評価と並行し動的仮想評価を行う点で,以下ではこの新規手法を解説する.

◆動的仮想評価法のコンセプトメイキング

(A)動的仮想評価法開発にいたる問題意識

この「動的仮想評価法」の発案は,西山の修士号取得論文の研究に起因している.前述の通り西山は,従来型の質問紙基本の仮想評価法を用い,修士論文で首都圏交通環境における障壁除去施策に対する生活者の価値観を貨幣尺度で計測した.仮想評価法のバイブル的存在であるNOAAガイドラインを遵守すると共に,本研究プロジェクトで社会調査用紙の設計法に精通している片岡正昭と忠実に質問紙を作成した.

質問紙の中には,社会調査全般にかんする回答者の意見を書ける欄を用意したが,結果的に「質問内容が難しかった」「施策前と施策後の変化状況を理解するまでに時間を要し,理解までに時間がかかる」「施策を必要とする当事者や開発者との情報交換ができないので,理解できない部分がある」という意見が散見された.ここで抽出される課題は,以下のとおりである.

●従来型の質問紙の内容が,将来の不確実的要素に対する投資量にかんする客観的な判断を迫られている生活者が持つ,現在の情報の不確実性をどれだけ確実なものにしているのか.その確実性が,高い水準のものとは言い難い.

 

【資料1】従来の仮想評価法(静的仮想評価法)と我々が提示する新しい仮想評価法(動的仮想評価法)の概要比較

 

 


従来の仮想評価法

 (静的仮想評価法)

A情報などを参考に支払意思を提示

 
 

 


(判断要素)開発者側提示の静的な制約にかんする情報・自らの従前の価値観により支払意思額を提示する.

 

 

 


角丸四角形: 生活者(回答者)角丸四角形: 開発者(質問者)動的仮想評価法

 

 

 

 


(判断要素)開発者側が提示する静的な各種制約にかんする情報・自らの従前の価値観・経験知に加え,開発者とのリアルタイムな情報交換・多様な立場の公共交通利用者との情報交換・障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴・障害保有状態体験システムの共有などにより,客観的に支払意思額を提示できる.

  仮想評価法は,従前より一部の経済学者からバイアスの多さや上記のような疑問が指摘されており,手法としての不確実性を指摘する声も多い.それを補う形で,NOAAガイドライン作成,多数の導入書発刊などもされてきた.しかし,それらに遵守した形で質問紙を作り,調査を実施しても,調査内容全般に対し上記のような意見が集まったわけである.ただし,施策の定量的価値を生活者の表明選好で得られるという仮想評価法最大の長所を勘案すれば,仮想評価法への不安を的確に解消する過程に挑戦することの社会的意義は,極めて大きいと言える.

(B)従来型仮想評価法の内容理解が難しい原因

  そこで,従来型の仮想評価法の質問内容が全般的に難しいと指摘された要因を検討してみた.以下に,有力な要因を列挙してみることにする.

●生活者の客観的判断に資する情報を多数提供しようとすると質問紙上の情報量が増えてしまい,施策導入に対する生活者の直感的理解に混乱を来し,難しいという評価につながる.

●回答する生活者は,質問者が整理した施策導 入による長所・短所および個人負担金額などの静的情報(Static Information)と自分の経験知のみから貨幣価値観を決定・記入するが,これだけの情報から質問主題の内容理解度が高く,高度な客観的判断が可能な生活者が多数つくられている可能性は低い.換言すれば,判断の多くを静的情報に依拠せざるを得ない状況が,難しいという判断に反映されている.

  これらの要因を総合的に勘案すると,従来型仮想評価法の弱点が以下のようにまとめられる.

●生活者の客観的判断に資する動的情報(Dynamic Information)が極めて生まれにくい(この動的情報は,「回答者と質問者・開発者・施策を必要とする交通弱者・その他の生活者との本問題にかんするコミュニケイション」「障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴」「障害保有状態体験システムの共有」にもとづく情報を言う).

(c)動的仮想評価法のコンセプト整理と定義

  前項までの背景を受け,我々は従来の仮想評価法を静的情報に依拠する評価法であるため「静的仮想評価法」,一方,静的情報に上記のような動的情報(「回答者と質問者・開発者・施策を必要とする交通弱者・その他の生活者との本問題にかんするコミュニケイション」「障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴」「障害保有状態体験システムの共有」に基づく情報)を加えた新しい仮想評価法を「動的仮想評価法」と定義した.我々は,本研究で静的仮想評価法と動的仮想評価法の結果比較を交え動的仮想評価法の性能評価までを行い,多様な福祉インフラ評価への有用性を検証する.ファースト・フェイズ同様,中−長距離移動環境という普遍的題材を評価対象とするため,都市部・非都市部に限定されない多様な立場の生活者を回答者に選定する.なお,動的仮想評価法のコンセプトを改めて<資料1>にイラストでまとめておいたので参考に供されたい.

  回答する市民と開発者・質問者・施策を必要としている交通弱者・他の生活者との動的な情報交流を実践する上では,社会心理学に基づくグループインタヴィューの活用を予定しており,次章でその準備状況をまとめている.一方,障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴を実践する上では,鉄道総合技術研究所が開発しているインターネットを介した車いす利用者向け情報提供システムや障碍者の連続的移動状況を追跡したヴィデオテープやコンピュータ・グラフィックスの利用を考えている.こうした各手段の最適な組み合せで,諸科学横断型の新しい仮想評価手法を開発していきたい.

 

4.3 可変的諸条件を勘案した上での必要投資量  のシミュレイション(サードフェイズ)

  セカンドフェイズでは,静的仮想評価法と動的仮想評価法の両方法により,障碍者・高齢者などの交通弱者が改善を指摘する移動環境の障壁除去施策に対する,生活者全体の価値観を貨幣尺度で計測できる.特に,客観性が高い動的仮想評価法による価値観回答をもとに,生活者の経年による価値観の変化や貨幣価値の変化状況などの可変的条件を総合的に勘案し,最適技術への最適な投資量のシミュレイションを行う.

  この結果に基づき,中−長距離移動環境の障壁除去にかんする,投資量を基軸にした生活者と開発者の社会的合意に基づく実践的な解決政策を提言可能である.換言すれば,我々が開発政策担当者・技術開発担当者・生活者をむすぶインターメディアとなり,技術開発から技術導入までを諸科学横断的に包括的な視点でとらえ,多様な立場を勘案した社会的合意による中−長距離移動環境での福祉交通政策を立案していく.

 

5.これまでの作業進捗とアウトプットの概要

我々は2000年4月以降,上記の研究コンセプトを構築し,研究作業を継続中である.本稿は,その第一報として位置づけられ,以下では通常の社会科学系論文の「データ分析結果と考察」に代わる内容として,4月から年度末までの進捗状況を述べる.主な作業として,ファーストフェイズの中−長距離移動環境での障碍者・高齢者の移動時の課題抽出整理を目的にした調査票の設計作業,セカンドフェイズでの動的仮想評価法で動的情報を醸成する方法の検討を行った.以下,それらの活動成果をまとめる.

 

5.1 中−長距離移動環境での障碍者・高齢者の移動時の課題抽出を目指した調査票の設計

  本社会調査の主旨は,前述したので割愛するが,その主旨に則り社会調査質問票の設計を鋭意進めてきた.現時点で,一定の水準まで完成度を高めることができた.高齢者・障碍者が対象者になるため,可能な限り選択式回答を採用する.併せて,「文字よりも図版の方が情報を認識しやすい」という高齢者の視覚認識特性を勘案し,巻末<資料2・質問1の完全抜粋>のとおり,図版を多用した質問紙設計とした.併せて,質問2以降については,質問文を<資料3>に掲載した.なお,障害の種類や移動時の課題などの選択肢については,[秋山,2000]を基本に慶應義塾大学東日本旅客鉄道株式会社寄附講座独自の視点を交えて構成を行っている.

 

【資料3】高齢の方・障害をお持ちの方を対象にした長時間移動の現状調査・質問文案(質問文のみ一部抜粋)

-----

(質問2)最近10回の片道2時間を超える移動についてお聞きします.以下にあげた回答例を参考に,「どこから・どこまで・どのような手段で・どのような目的で」,片道2時間を超える移動をされたのか,空欄にご記入ください.また,その際に介助者がいた場合は,右横の空欄に○を記入してください.(回答欄は割愛)

-----

(質問3)現在,ご自身のお身体に何らかの不自由があれば,その不自由の種類を以下の項目から選んで○をつけてください.不自由が複数ある場合は,すべての種類に○をつけてください.なお,不自由のない方は「なし」に○をつけてください.(回答欄および回答の選択肢は割愛)

-----

●ご注意:下記質問4と質問5は,上記質問3で「お身体に何らかの不自由があり,不自由の種類に○をつけられた方」にのみおたずねします(「お身体に不自由がない」とお答えになられた場合は,質問6の回答に進んでください)

-----

(質問4)お身体の不自由を補う器具をお使いの場合は,器具の種類を以下の項目から選び○をつけてください.お使いの器具が複数ある場合はすべての種類に○をつけてください.使用されている器具がない方は「なし」に○をつけてください.(回答欄および回答の選択肢は割愛)

-----

(質問5)片道2時間を超える移動を必要とする場所にたどりつくまで,質問3であげられたお身体の不自由により,行きたいのに行きづらい場所が,現在ありますか(目的地に行く途中の駅やパーキングエリアなどの施設から目的地そのものまでをすべて含みますのでご注意ください).行きたい場所が「ある」とお答えの方は,それが具体的にどのような場所か,改良希望の優先順位が高い順に10ヵ所,選択肢Aグループから選び回答例のようにご記入ください.

  併せて,選ばれた場所の具体的にどのような障壁が円滑な移動を妨げる原因になっているのか,選択肢Bグループから選び,同じく回答例のようにご記入ください.行きたい場所が選択肢の中にない場合は,回答例のようにご回答ください.(回答欄および回答の選択肢は割愛)

-----

(質問6)最近,ボランティア団体などが,冊子やインターネット(コンピュータを通じた情報の発信とお考えください)を通じ,中−長距離移動施設の障壁除去工事の進み具合を流しています.そうした情報交流に参加したいと思いますか.「はい・いいえ」のどちらかに○をつけてください.「はい」とお答えの方は,参加したい理由を,「いいえ」とお答えの方は参加したくない理由をお書きください.(回答欄割愛)

(質問7)最後に,ご自身の現状にかんすることについておたずねいたします(年齢・性別・家計満足度・平均月収などを質問する予定である).

 

  上記の各種設問により得られた本問題にかんする重要な基礎的環境情報を,セカンドフェイズの動的仮想評価での生活者の客観的価値判断に資する重要な情報として提供する予定である.

 

5.2動的仮想評価法実現に向けての準備作業

  ファーストフェイズでの社会調査質問票設計に並行して,動的仮想評価法で問題にかんする動的情報を効果的・客観的に派生させるための各種手法の検討を行っている.ここでは,前述した三手法(「回答者と質問者・開発者・施策を必要とする交通弱者・その他の生活者との本問題にかんするコミュニケイション」「障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴」「障害保有状態体験システムの共有」)にもとづいて,現時点での検討状況を整理する.

(A)   回答者と質問者・開発者・施策を必要とする交通弱者・他の生活者との本問題にかんするコミュニケイション・プロセスの創発

 従前の質問紙による仮想評価では,回答者が質問者提示の静的情報と回答者自らの経験知に大きく依拠し,貨幣価値観の回答を行っていた.しかし,この状態では多数の利害関係者とのコミュニケイションが図られず,開発者との情報交流も困難である.ゆえに,客観的判断をする上で獲得希望の情報入手にも限界が生じ,結果的に客観的判断の水準低下を招く可能性も否定できなくなる.本背景を前提にすると,住民の障壁除去施策に対する情報の不確実性を補う上で,仮想評価に客観的情報を創発可能な動的コミュニケイションを含める必要性が明白となる.

 この過程を効果的に達成するのが,グループインタヴィューの手法である.グループインタヴィューの代表著作としては,[井下,1999][梅沢,1993]などがあり我々も精読した.その結果,グループインタヴィューの援用が,本研究に次のような貢献をすることが明らかとなった.

●グループでの議論自体が障壁除去施策についての真実の発言と相互刺激を産出し,相互作用的な議論が,生活者の本問題に対する知覚・信念・態度・経験についての一層多角的な観点からの客観的かつ深い理解につながる.結果として高度な客観的価値判断を得られる.

●質問者が,相互議論を通じ回答者の意思決定過程を詳細に理解することができ,各種障壁除去施策に対する優先順位などの志向を的確に把握できる.結果的に,アウトプットされた住民の貨幣価値観の解釈に効果を発揮する.また,各種施策に対する住民の一層の理解を広める上での克服すべき課題が明らかになる.

 上記のとおり,グループインタヴィューの援用は高度な客観的判断が可能な生活者の創出と福祉交通政策の新規戦略に資する部分が大きい.

(B)   障壁除去の効果を連続的に把握できる動画コンテンツの視聴と実践

 従来型の仮想評価法の限界としては,質問紙ベースという性格上,動画による直感的な状況変化説明が極めて難しいという課題も存在する.例えば,障碍者・高齢者の連続的な移動状況や多様な障壁を越えようとする状況,あるいは障壁が除去された場合の移動状況を的確に表現しようとすれば,動画の利用が最適である.特に,人間工学分野からは,「高齢になると文字情報よりも図画情報の方が情報を認識しやすい」という成果もあがっており,この点を勘案すると直感的に情報を認識できる動画コンテンツの援用が適当と言える.最近になり,鉄道総合技術研究所が開発しているインターネットを介した車いす利用者向け情報提供システム,地方政府や福祉団体による高齢者・障碍者の連続的移動特性撮影ヴィデオなどのメディア・コンテンツが充実してきており,客観的判断を委ねる生活者への障壁除去前後の状況説明には,これらのソフト・テクノロジーの援用やそれらを補う独自コンテンツの制作・公開も視野に入れていく.

(C)   障害保有状態体験システムの共有と実践

 最近,リハビリテイション工学などの分野で,健常者が多様な障害保有状態を体験できるシステムも開発されている.マスコミでも多数取り上げられているが,回答者の本システムの実体験も,生活者の高度な客観的価値判断に資する部分が大きいと考えられ,援用を視野に入れる.

  上記(A)(B)(C)を効果的に交えることで,中−長距離移動環境の各種障壁除去施策に対する価値観を貨幣尺度で客観的・定量的に計測する.

 

6.今後の本研究の展開

 当面は,ファーストフェイズの中−長距離移動環境での障碍者・高齢者の移動特性調査を実施に移す作業がメインとなる.2000年2月末現在,左記の社会調査用紙の最終調整作業を行っており,2001年3月には調査を遂行できる.

  今年度の森泰吉郎記念研究振興基金の一部は,この社会調査の郵送代に有効活用させていただいている.この社会調査結果をふまえ,2001年度夏季休暇までにセカンドフェイズの動的仮想評価の準備を進め,同年度秋学期中にセカンドフェイズを完了させる.さらにサードフェイズにつなげ2003年冬に最終成果を提示したい.

 

7.おわりに

 本稿では,動的仮想評価法を新規手法として用い,必要技術の優先順位と最適量にかんする開発者と生活者の社会的合意に基づき,中−長距離移動環境の障壁除去を推進する政策の立案を目指した研究の概念構築部分ならびに2000年度の活動成果を述べた.従来型の仮想評価法に対しては,多様なバイアスや手法的な限界から批判的意見を唱える経済学者も多い.しかし,特定施策への生活者の貨幣価値観を計測できる数少ない有益な手法でもあり,我々はそうした批判にも応えられるような手法を検討し,福祉施策計画段階の事前評価への有用性を検証する所存である.それこそが,技術開発と実践的な政策構築の有機的結合を標榜する慶應SFCのような諸科学横断型ポリシースクールから発信できる有効な問題解決策であると自負している.

 

                                           謝辞

  本研究は,森泰吉郎記念研究振興基金の財政的支援に依るところが大変大きく,ここに改めて厚く御礼申し上げる次第である.なお,本研究は慶應義塾大学東日本旅客鉄道株式会社寄附講座の構成員で進めているが,昨今の景気状況にともない,同社の財政的支援も不十分なものになっている.本研究は性格上,時間ならびに資金を大量に必要とするが,関連する従前の研究成果(関連研究成果の項を参照)は,学会などでも注目されている.従って,2001年度以降も変わらぬご支援を頂戴できれば幸甚である.

 

◆関連研究成果(2000年度の外部発表など)

(1)                                    T.Nishiyama and K.Gomyo "The Research into the Realistic Policy on Realizing the Non-barrier Transportation Environment by Application of "CVM" in the Metropolitan Area in Japan" (International Geographical Congress 2000 Seoul / Oral Presentation・2000.8・COEX)

(2)                                    西山敏樹・後明賢一『仮想評価法を用いた交通環境のノ−マライゼイション推進方策の研究』(『計画行政』第23巻3号・2000年10月・査読付論文・日本計画行政学会)

(3)                                    西山敏樹・後明賢一『仮想評価法応用による社会的合意形成に基づく福祉交通推進方策の研究』(政策分析ネットワ−ク年次大会"政策メッセ2000"・ワ−クショップ「費用便益分析の応用可能性」対象研究・西山がワークショップのパネリストで参加・2000年12月・慶應義塾大学三田キャンパス)

 

                                           本稿の主要参考文献

                                           秋山哲男・寺島薫「都市のユニバーサルデザイン」(都市問題研究会・『都市問題研究』第52巻5号所収・2000)

                                           S・ヴォーンほか著・井下理監訳『グループインタビューの手法』(慶應義塾出版会・2000)

                                           梅沢伸嘉『実践グループインタビュー入門』(ダイヤモンド社・1993)

                                           栗山浩一『公共事業と環境の価値』(築地書館・1997)

                                           園田恭一『地域福祉とコミュニティ』(有信堂・1999)

                                           T.Nishiyama "The Research into the Realistic Policy on Realizing the Non-barrier Transportation System by Application of "CVM" " (Master's thesis, Keio University Graduate School of Media and Governance,2000.3)             など