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2000年度　森基金報告書

Interaction Design for Cybersound

慶應義塾大学大学院　政策・メディア研究科　笹岡大樹

　身体の位置づけ

　身体の稀薄感について論じる前に身体について考えたい．身体とはそもそも何なのか？　身体について考えるとき，われわれはその対概念として，たいてい精神を意識する．精神と身体につての論議は心身問題というかたちであらわれ，古くは紀元前のギリシアから現代にいたるまで，哲学や思想・宗教の中で盛んに行われた．聖パウロは身体を「精霊の宿る神殿」とし，このような考え方はキリスト教での禁欲主義や苦行をもたらした．近代哲学の祖とされるデカルトは『方法序説』において「ゴギト・エルゴ・スム，我思う，ゆえに我あり」を哲学の第一原理とし，人間を精神と身体と二分割した機械主義的な考え方は近代科学の達成に大きく貢献した．精神と身体という二元論的枠組みが問い直されたのは20世紀初頭のメルロ＝ポンティによる，「両義的な身体」という考え方が提示されるまでなかった．現象学にあっては，デカルト以来の「主観-客観」の図式を超克することが主要な目的だったが，それを可能にするのがメルロ＝ポンティにとっての身体だった．いずれにしてもそれぞれの時代において，身体についてのそれぞれの考え方が提示され，普遍的な一致にはいたっていない．
 

　身体の稀薄感

　身体の稀薄感とは何なのか．ひとことで言えば，それは「精神・身体二元論の彼岸」にあるものと表せる．身体はギリシア彫刻やルネサンスの絵画に見られるように，その美しさが讃美の対象としてアートに再現前化されたり，宗教において時にはその動物的欲望のために禁欲などをつうじて排斥されるべき対象でもあった．
「精神と身体」という二元論的枠組みにおいては，その批判されるべき，統合されるべき両者の存在が疑われることがない．私が自己の身体や他者の身体を認識するのだから，身体はそこにあって当然である．性欲や食欲を欲するのは他でもない，このわれわれ自身なのだから．
　けれども近年，私はそのような認識からはみ出してしまう身体の感覚を感じている．もちろん実際には，性欲や食欲を感じる私の身体も存在してはいるが，そこのみに収まりきらない身体なのだ．──それが身体の稀薄感である．この稀薄感は性欲や食欲のように，積極的・具体的に感じ取れない非実体的な感覚なのだ．それはもやもやとしていて，なかなかつかみ所がないように感じられる．
　ポール・ヴァレリーは『身体に関する素朴な考察』において次のようなことを言っている．「認識不可能の対象，──それを認識すれば，こうした問題〔身体という主題が喚起した難問〕はすべて一挙に解決されるだろう，それらの問題にこの対象が含まれているのだから──そういう認識不可能の対象を，私は〈第四の身体〉と名づけよう1 」．このような認識不可能の対象としての身体にわれわれは積極的なイメージを抱くことが不可能だ．
　では，この稀薄な身体はどのようにもたらされるのか．この感覚は近現代の社会に特徴的なものだろう．近現代に高度に発達した社会──それを形成したのは人間の脳である．解剖学者の養老孟司によれば，「現代は脳の時代」であり，脳が個人の死すべき存在であるヒトに対して社会を作り出す．個人は滅んでも社会＝脳化は滅びないからである．滅びゆく身体は脳によって抑圧される．
　また浅田彰は「爆発的に進化した脳」というメタファーのもとに近代社会を論じているが，近代社会は「恐るべきフレキシビリティを備えており，いかに異質なものであろうと，こともなげに脱コード化し解読して，自らのうちに取り込んで」しまう．
　したがって身体は脳が社会を形成するスピードについていけず，抑圧された結果，認識不可能の対象としての身体が現れたのではないかと私は考えた．

　このような身体の稀薄感はわれわれが生きる現代においてより顕著にあらわれる．身をもって知る直接的な経験が少なくなり，情報による経験は人工的な膜を隔てて世界と接触しているような苛立たしさをわれわれに感じさせる．これはコンピュータを媒介にしたコミュニケーションにおいて，一方で自己表現の自由を得ながらも感じられるのではないか．
　対面的なコミュニケーションでは相手の身体的な領域の特徴──性別，年齢，容姿などの特徴をすぐに判断できるが，コンピュータを媒介にしたコミュニケーションではその知覚可能な部分を受け手の思考活動に委ねられるのだということが正村俊之によって論じられています．いわばモザイクのかかった映像から本来の姿を思考によって補うようなものだろう．本来，身体の側にあるべきものを思考，つまり脳によって補っているのだ．この構図は脳によって排除された構図とアナロジーを見せる．これらが身体の稀薄感のもとになっているのではないか．そこで身体を何らかのかたちで介在させることによって，誰かに身体を意識させる何かを制作したいと私は考えるに至った．
 

　センサー楽器

　私の研究領域であるコンピュータ音楽の分野では，コンピュータは音響合成や作曲支援のツールとして使われ，身体の問題感心がないように思われる．またいわゆる「テクノイズ・マテリアリズム系」のアーティストたちはノートブック型コンピュータによって「演奏」を行うが，それはまるでただぼんやりとモニターを眺めているようで，そこにも身体が入っていく余地はないように思われる．身体をコンピュータ音楽に取り込むのは，楽器制作や演奏面においてである．
　1989年にマサチューセッツ工科大学に在籍する作曲家トッド・マコーヴァーによって，ハイパー・インストゥルメントが開発された．これはヒューマン・インターフェイスの研究成果を用いた演奏システムである．
　また人間の身体情報や生理情報をセンサーにより感知し，演奏に役立てる楽器として，バイオ・ミューズが挙げられる．これはミュージシャン・研究者であるアタウ・タナカが開発した「新楽器」であり，筋電位センサーの技術を用いたものだ．
　ヤマハが開発・製品化したMIBURIもまた，身体情報や生理情報をセンシングする楽器である．これは関節の力学的な曲げセンサーを用いて身体情報を得るものだ．MIBURIを演奏するためには，MIBURIスーツを着用し，腕や関節の曲げ具合によって強制的に決められた音階と演奏方法とを会得する必要がある．
　数多くのアーティストとのコラボレートや自身の作曲支援として長嶋洋一も，センサーを利用した楽器の開発を行っている．「ハープセンサ」は赤外線ビームの弦を弾く情報が，MIDIと呼ばれるコンピュータとデジタル機器の統一規格の信号になり，それがコンピュータによって処理されるというものだ．センサー技術を応用し，コンピュータ音楽にそれを取り込むことによって，身体の稀薄感に対する打開策として何らかのかたちで貢献できると私は考える．