■問題意識
人々は、生産性・効率性と、さらに、同時に、豊かさを求めて行動する。そのような歴史的な繰り返しのなかで、私たちは、いま、緊迫した自然環境問題に直面している。
自然環境問題にとっての問題は「時間的無自覚」・「空間的無自覚」に依存するのではないかと私は感じている。「空間的無自覚」は、いまの自分の行動が最終的に、どこの地域に影響を与えるのかを自覚していないこと。例えば、ゴミをだして、自分の目の前から消えてしまえば、ゴミ処理における社会的負荷などを考えることもない。さらに、世界に目を向ければ、環境規制の緩い途上国への技術移転によって、先進国が経済的効果を得てきたという過去の事実は否めない。目の前の自分の生活領域に被害が及ばないものは、自然環境破壊・自然環境問題と認めない。
さらに、「時間的無自覚」とは、自分の行動がもたらす環境負荷が瞬間的に自分にフィードバックしないことから生じる無自覚であり、深刻な問題への鈍感さのことである。例えば、ゴミ焼却の際に生じる汚染化学物質は、発生者である私たちだけだけでなく、世代を超えて悪影響を及ぼしている。しかし、自分の生活行動と自然環境への負荷の関係性を自分で体感できない限り、時間的・世代的影響を自覚することができない。
このような時空間的無自覚こそが、私たちの自然環境問題をさらに複雑化している。これらに対する自覚への意識をもつことこそが、自然環境政策に、早急に、求められているのではないか。つまり、そこに、「空間的情報」「時間的情報」を与えることにより、自分の生活行動と自然環境への負荷の関係性を「可視化」していくことが必要である。しかし、自分と地球環境とを同次元で捉えることは難しい。そのために、自己と他者との関係性を明確にすることから始めたい。まずは、自分と目の前にいる人との人の関係性の把握から始まり、自分と自分の友達たち、自分と自分の暮らす地域、自分と自分の関心を共有する人たち、そして、最終的には、自分と地球環境にまで、その関係性は、自ずと、広がっていくのではないか。「情報による関係性の構築」を通して、自然環境に対する個人の意識や自発性を引き出したい。
そこで、「情報提供・発信」の手段として、「ネットワーク」を利用する。「ネットワーク」とは、人的ネットワークとシステム的ネットワークの両方を指し、それらは、補完しあいながら、互いに影響を与え合う、不可分なものと捉えている。「ネットワークによって構築される情報」を使って、これまで、外部不経済だったものが、どれだけ、社会システムに組み込むことが可能になるのかについて考察していく。
さらに、外部不経済を社会システムに取り入れる手段として、「個人の意識を反映させた、個人によって評価された環境意識・環境価値」に注目する。そして、それらの意識や価値を社会で流通させることを最終目的とする。価値流通を可能にするものの1つとして、貨幣という価値基準の存在がある。しかし、価値の流通さえ可能であれば、価値基準の手段は何でも構わないと考えている。そこで、貨幣でなくとも、「情報」という形態でも、個人の価値判断基準を組み込んだ価値の流通が可能なのではないかと期待を寄せている。「情報」による価値の流通が、貨幣による価値の流通と同次元で捉えられることにより、そこから、連鎖的な影響を期待している。
情報というメディアの存在を、「情報供給」と「価値流通手段」の両方向から捉えていきたい。その、具体的インターフェイスとして、地域通貨(エコマネーやLETS)に注目している。 <1.メディアとしての地域通貨>
そして、その「情報」を流通し、活用させていく空間として、「環境教育の場」の効果についても、自分でその空間を創造しながら、検証していきたい。 <2.環境教育の空間>
さらに、その「情報」によって生み出された価値を、いかにして、社会全体に組み込んでいくのか、自然環境問題における情報技術の効果の側面から、その可能性についても考察していきたい。 <3.企業と個人>