パラダイム転換を目指す地域通貨の現状とその可能性

 

政策メディア研究科 ネットワークコミュニティ 修士一年 横山天宗

 

1.はじめに

 2001117日で阪神大震災から6年がたつ。阪神大震災が起きた1995年、150万人を越えるボランティアが被災地に押し寄せ、ボランティア元年と呼ばれたが、同時に既存の社会システムの多くの限界を露呈した。震災現場で機能しない官僚機構、高度建築物の崩壊、高齢者の孤独死、また人間ではなく箱モノ優先の被災地復興・・・。

 被災者である作家の小田実氏が「日本は人間の国か」という深遠な問いかけを発しているが、まさに今我々はこの問いかけに答えていかなければならないだろう。現状の社会システムが行き詰まるなか、我々はどういった未来を築き、なにを追い求めてゆくべきなのか、またそれを実現するにはなにが必要なのか、これらの疑問に対して自分なりにこの論文で答えてゆきたい。

 

2.社会の変遷

  第一の波  第二の波 第三の波
A,トフラー        農業社会 産業社会

規格化、専門化、同時化

集中化、極大化、集権化

情報社会
 K,マルクス 個人の共同体 への埋没 社会関係の物象化による人間疎外 自覚的で個人の全体への従属性を

伴わない共同性

 レスター ブラウン 農業社会 産業社会 持続可能な社会
戸田清 自然への埋没 自然からの疎外 自然との自覚的共生
金子郁容   強さ ヒエラルキー 市場経済  弱さ ネットワーク ボランタリー経済

 A. トフラーはその著「第三の波」のなかで、社会の発展段階は3段階に分けられると述べている。まずは第一の波である農業社会、及び規格化、専門化、同時化、集中化、極大化、集権化の六つの原則に基づいた第二の波である産業社会、そして現在我々がその入り口にたっている第三の波である情報社会、の三つである。またマルクスは個人の社会における状況を、個人の共同体への埋没、社会関係の物象化による人間疎外、自覚的で個人の全体への従属性を伴わない共同性、の三段階に分けて論じ、人間疎外が起きている現状から第三の段階への移行を主張している。他にもアメリカのワールドウォッチ研究所の所長レスターブラウンは、農業革命によって成立した農業社会、産業革命によって成立した産業社会、そして環境革命によって実現する持続可能な社会の来訪を述べている。また環境倫理について論じている戸田清氏はその著作のなかで、個人の自然への埋没、自然からの疎外、自然との自覚的共生という三段階を提示している。また慶應大学教授の金子郁容氏はこれからの社会のキーワードとして「強さ、ヒエラルキー、市場経済」から「弱さ、ネットワーク、ボランタリー経済」というものを挙げている。

 これらの意見に対する私の考えであるが、おそらくこれらは対立するものではなく、同じ事を違う視点から述べているだけであろう。つまり情報社会とは違う角度からみれば同時に自然との共生が行われている持続可能な社会であり、そこでは自律した個人が共同体の中で共同性を持って生きているのである。そしてそれはまた市場経済や政府等のヒエラルキーといった強さに基盤をおくものが支配する世界ではなく、ボランタリー経済やネットワークといった弱さに基盤をおくものが主流となる世界であろう。そしておそらく既存の硬直した社会に変わって我々が追い求めるべき社会は、第三の波の社会というものであるといえるだろう。

 

3.社会の螺旋型発展プロセス

 以上で社会の変遷をみてきたが、ではその社会の発展は具体的にはどういったものだったのだろうか、またどうなっていくのだろうか。そのことについてこの章ではみていきたい。

 次に載せてある図は社会の3段階の発展プロセスを描いたものだが、発展の段階を螺旋状に描いている。これは慶應義塾大学教授の鈴木寛氏の「社会は直線的にではなく螺旋状に発展している」という考えに基づいている。

 

社会の螺旋型発展プロセス

第三の波

集合家族

多種少量生産

直接民主主義による分権政治

再生エネルギー

生活空間への回帰

 
 
 

第一の波

大家族

多種少量生産

非民主主義による分権政治

再生エネルギー

生活空間への固着

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは家族形態についてみてみよう。第一の波では土地を基盤とした大家族の形態が普通だった。しかし産業化により労働力の確保が必要となってくると、人は土地からはがされ、また祖父、祖母等の工場における生産とは直接関係ない人間は分離され、核家族化が進んだ。しかし近年急速に核家族の崩壊が進みシングルマザーの増加や高齢者による共同住宅の出現など、従来の血縁、地縁にとらわれない新しい家族形態が誕生しつつある。

 次に生産形態についてだが、農業社会においては専門化はそれほど進まず、基本的に自分たちの生活に必要な多種多様なものを自分達で生産し消費していた。しかし産業革命により大量の製品の生産が可能となり、生産者と消費者が分離していった。それにより単一商品の大量生産、大量消費が実現したわけだが、近年はむしろ多種多様な製品の少量生産が起こりつつある。たとえばアメリカのサン・マイクロシステムズやヒューレット・パッカードといったシリコンバレーの企業は、顧客が求めている機能をつけた製品を生産することにより、高い付加価値をつけた製品を提供している。それに対しDECといったルート128の企業は昔ながらの安価ながら代わり映えのしない単一の製品を大量に生産することにより、顧客に値段以外の付加価値をつけ提供することができず、シリコンバレーの企業にマーケットシェアを奪われていった。

 次に政治形態について述べたいが、第一の波では少数のエリートにより分権政治が行われていた。江戸時代は幕府の厳しい統制にありながらも、藩のなかではかなり自由度の高い政治が行われていた。だが産業化による中央集権化が進み、中央が地方を支配する形態が完全にできあがった。さらにその中央集権政治は建前として民主主義というものをとっていたが、市民は政治家を選ぶことしかできず、その意味では間接的な民主主義にすぎなかった。しかし最近になって公共事業等の是非に対する住民投票の実地といった、直接的な政治決定も実現しつつあり、直接民主主義の芽は広がりつつある。また地方分権化推進の動きが出始めているが、中央による統制が制御不能に陥っている現状を勘案すれば、分権化の流れは必然といえるだろう。

 では次にエネルギー形態について論じたいが、農業社会においては木材や水力といった再生可能なエネルギーであった。だが産業革命に端を発した化石エネルギーへの移行により、急速にエネルギー形態は変化し、同時に公害や地球温暖化といった深刻な問題を引き起こした。これに対応する形で風力発電や太陽発電への転換が叫ばれているが、おそらく第三の波においてはこういった再生可能な自然エネルギーが主流となっていくであろう。

 最後になるが生活空間の形態についてふれたい。農業社会においては生まれた土地に固定して人間は生活していたが、第二の波では産業化による集中化により人間は都市に流入した。しかし最近情報技術の進展により、SOHOや在宅ビジネスといった形態が増え始め、都市から生活空間への回帰現象が見え始めている。

 以上、いくつかの視点から社会の変化について概観してきたが、第一の波と第三の波はいくつかの点で似た性格を帯びていることに気づかれるだろう。これは社会発展を螺旋状に考えるとより理解しやすい。つまり第一の波と第三の波は同じ直線のライン上にあり、一見同じような要素を持っているのである。この考え方は途上国援助にも適用できる。第一の波の社会である発展途上国に情報技術を供与すれば第二の波を経由することなく直接第三の波への移行が可能だと、前述の鈴木寛氏が述べていたが、こういった直接的な移行という概念はクズネッツ曲線にも当てはまる。つまり先進国の技術供与により、高環境負荷の状態を経ずして直接、低環境負荷かつ低効用から低環境負荷かつ高効用の社会へ移行できる可能性があるのである。

 

4.社会の変化

 

 それでは次に三つの波それぞれにおいて、なにが変化するか自分なりの考えを述べたい。まず個が所属するコミュニティについてであるが、第一の波においてはその個人が生まれた地域のコミュニティにほぼ強制的に所属する形が一般的であった。第二の波においては企業コミュニティというどこの企業を選ぶか個人に選択権はありつつも、いったん所属してしまえば隷属せざるをえないという点で強制的なコミュニティで個人は生きてきた。しかし第三の波において個人はそういった束縛から解き放たれ、その個人の意識、価値観、利害によって自由に所属するコミュニティを選択することが可能となる。NPOやインターネット上のフォーラム等がその具体例である。

 次に利用原理と所有原理について述べるが、農業社会のコモンズはしばしば利用原理によって運営されていることは、文化人類学の研究によって明らかにされている。それが産業化という所有原理に基づいた第二の波によって覆されているのが現状であるが、第三の波においてはまた利用原理が社会運営の主流となると考えられる。たとえば持続可能な社会における新しい経済原理として、自然資本主義という概念が提示されているが、これは消費者が望んでいるのはカーペットを所有することではなく、利用することによって得られる効用である、という考え方に基づき、ものの所有ではなく利用によって得られる効用を提供していこうというものである。カーシェアリングもこの考え方に基づいたものといえる。おそらく地球環境というグローバルコモンズは所有原理ではなく、利用原理に基づき、我々は運営していくべきである。また産業社会においては資本や設備といったものを所有することにより企業は優位性を保てたが、情報社会においては情報という所有ではなく利用によって価値が発生するものが重要と成ってくる社会では、所有という概念は適さないということができる。

 次に社会の構造について述べるが、第一の波では宗教性を帯びた権威によって個人は支配されていた。しかし第二の波においては資本の集中による権力が発生し、その権力によって社会は運営されていた。だが第三の波においてはそういった権威は権力によるトップダウンではなく、個人の自発性に基づいたボトムアップ型の社会に移行していくと考えられる。

 A.トフラーは「第三の波」のなかで産業社会の原則として規格化、専門化、同時化集中化、極大化、集権化の六つを挙げているが、これらに対応する第三の波の原則として多様化、横断化、自律化分散化、身体化、分権化の六つが挙げられる。

 以上、いくつかの視点からそれぞれの波の変化について考えてきたが、私が考える第二の波と第三の波のもっとも大きな違いは、我々が追い求める価値が経済価値(静的価値)から動的価値に転換していくであろう、ということである。この言葉は動的情報、静的情報という概念をもとにしているが、静的情報が固定化されたすでに存在する情報(辞書、CD、統計等)に対し、動的情報は相互作用のプロセスによって生まれ出てくる情報(ディスカッションにより出てくるアイデア、ネット上のフリーウェア等)を意味する。これと同じように、静的価値が貨幣という画一的な尺度によってはかられる固定化された価値なのに対し、動的価値はその当事者間の相互交流によって生まれる当事者にとって意味のあるon the spotの価値を指す。たとえば阪神大震災の時、多くの人がボランティアとして駆けつけたが、この行動を経済学が想定するホモ・エコノミクスと比較すると非常に奇妙である。ボランティアは誰に命令されたわけでもなく、また金銭的に得をするわけでもないのに、自発的に他者のために活動をしている。しかし彼らが活動するのはそれによって得あられるその当人にとって意味のある価値というものを得るためと解釈すれば理解しやすい。またその価値はおそらく経済価値のように固定化されているものではなく、当事者間の相互作用によってわき出てくるものだと考えることができる。

 

 

5.動的価値共創プロセス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では動的価値に実際にどういったプロセスで生成させるのであろうか。その過程を表したのが上記の図である。まず多様なコミュニティ、多様な個人が、巨大な社会システムの一部としてではなく身体性を備えた一つの個として存在していることが必要である。そして次にある主体が自発性を発揮し、それゆえに弱さがうまれ、その弱さによって主体間に関係性が生まれ、その関係性を通じ相互作用が生じ、それにより動的価値が共創される。そして生み出された動的価値によりコミュニティなり主体に自立性が生まれ、また主体をヴァナキュラー化し、コミュニティ間や主体間につながりをつくる。そしてこういったプロセスが循環することにより、コミュニティ間や主体間に信頼が生成、蓄積されていくのである。

第二の波において我々は経済価値という結果を追い求めてきた。だが第三の波においては、動的価値及びそれを生み出すプロセスそのものを重視していく必要があるといえる。

 

7.地域通貨システムによるパラダイム転換

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでは実際にどういった方法で第二の波から第三の波へ転換していくことが考えられるだろうか。上記の左の図は現在の状況、人間意識と様々な社会システムが相互作用を起こして経済価値を追い求める方向に進み、それにより不平等の生産、環境の破壊、人間性の喪失といった問題が起きている事をあらわしている。この中で私は通貨システムが社会のベクトルを決定する上で大きな役割を果たしていると考え、従来国際通貨システムしかなかった通貨システムに、地域通貨システムという新しい社会システムを加える事により、社会のベクトルを動的価値を追求する方向に変え、それにより不平等の解消、環境との共生、人間性の回復をはかろうと試みている。

 

8.終わりに

 なにかが変わりつつある。既存の社会システムが行き詰まり、鋼鉄の檻の中で人が人であることから疎外され、地球環境問題といった新たな障壁が生まれる中で、なにかが動き出しつつある。もちろんその予感は実現しない可能性もある。人間は結局いつの時代でも現状に不満を感じ、変革を求め、そして失望するだけの生き物であり、現在感じている予感も、所詮は人間の変革願望に起因するだけのものかもしれない。しかし未来が見えない現在の社会の中で、確実に新しい胎動が動き始めている。夜明け前が一番暗いというが、その漆黒の闇の中で小さな、しかし明日を照らす光がところどころから確かに生まれつつある。もちろん新しい波、新しい社会は必ずしも無条件で我々の幸福を保証しないであろう。第三の波へ転換するには、第二の波の既成勢力、および環境問題を論じる人間にみられるような第一の波へ退行していこうとする勢力との衝突が避けられない。その衝突は農業革命、産業革命につぐ革命とよぶにふさわしい混乱を社会にもたらす可能性も否定できない。だがだからといって現状にとどまっていては、未来は見えない。明日を創るために、いまこそ我々は動き出さなければならないのである。

参考文献

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