2000年度森泰吉郎記念研究振興基金
修士過程 研究助成金 報告書

価値観の変化に対応した土地評価モデルの開発及びその応用

坂本 愛
asaka@sfc.keio.ac.jp
政策・メディア研究科 修士課程2年


研究課題

空間多基準分析(SMCA)とファジイ構造モデリング(FSM)を統合した 個人の居住環境評価支援システムの構築


研究概要

背景と目的 : 「個人の居住環境評価」の必要性

近年の不動産証券化や外資参入という流れに伴い、不動産市場において、その情報が量的にも質的にも大変不透明であることが指摘されている。 これは、欧米のデュー・デリジェンスにそぐわない市場構造の原因ともなり、国内外の環境リスク情報利用促進の動き(PRTR法、情報公開法、土壌・地下水汚染を土地価格に反映するISO14000の条項等)に遅れをとっている要因の一つとして挙げられる。

一方で、個人の居住環境に対するニーズは、価値観の相違やライフステージ、地域性に起因して、益々多様化が進み(土地白書平成12年度)、従来の利便性、生活の質といった評価軸に、存続価値(健康や安全)という新しい軸が加わろうとしている。

このように、供給者と消費者の双方が、個別の土地に関する透明な情報の開示と評価を必要としている現状を踏まえて、本研究では、十分な情報を入手した時に、人々はどのような評価を行うかという視点から、個人の価値観に対応した居住環境評価を支援するシステムを構築することを目的とする 。

特徴

流れ

Step1: 居住環境評価手法の開発
Step2: 環境プロフィールDBの構築
Step3: 居住環境評価支援システムの開発
Step4: 居住環境評価手法の検証
Step5: まとめ

研究成果

Step1: 評価手法の開発

空間多基準分析(SMCA)とは
多基準分析(MCA)をGISをツールとして展開したもの。これにより、局地性の問題に対応することが可能となる
  
At the most rudimentary level, a spatial multicriteria decision problem involves a set of geographically defined alternatives (events) from which a choice of one or more alternatives is made (their ordering performed) with respect to a given set of evaluation criteria.(Malcqewaki 1996, pp90)

    
MCAの意思決定行列(左)とSMCAの評価基準レイヤ群(右)

ファジイ構造モデリング(FSM)とは
項目間の従属関係を1−0で表現するISMにファジイ理論を応用し、項目間にあいまい2項関係及びあいまい代数演算を導入することで、その利用上の制約を緩和した社会システム構造化手法。これにより、人間の志向や判断のあいまいさをそのまま積極的にデータとして採用し、柔軟で現実性をもった評価構造モデルを導く。
本研究では、個人の評価構造を同定し、その階層構造に基づいた重みづけを行うための手法として、採用した。


環境選好Aから求めた環境選好構造(左:直接順位づけ法、右:FSM法)
FSMでは、まず、全環境要因に対して、1対比較で互いの従属度を0から1の値で入力した環境従属行列を作成する(赤いセルは、選好Aの2つの優先関係に従っている要素)。この従属行列から、あいまい代数を用いたFSMのアルゴリズムに従って階層構造及びその従属度を決定する。レーダーチャートは、この2種類の構造によって求めた重み係数を示す。

SMCAとFSMの統合

 

Step2: 環境プロフィールDBの構築

  
環境プロフィールの一覧
各種社会経済データ(人口、商業、交通利便性、土地・建物利用、交通量等)を入手し、GISを用いて、多様な環境プロフィールを100mグリッド形式で整理した。

大気汚染:環境アセスメント手法に基づいて、全国道路地図及びH9道路交通センサス調査結果(現況交通量)を用いて、移動発生源による排出量を算出し、点煙源からの窒素酸化物拡散濃度を年平均の気象条件の下で予測した。

公園: 近隣公園を基準に、200ha以上の大規模公園と小規模公園の機能は異なるものと仮定して、それぞれ最寄公園迄の最短距離と、一定距離圏(誘致距離を参考)内の総面積という2種類のデータを作成した。
迷惑施設への近接性:東京都都市計画情報の土地建物利用データから、供給処理施設や工場、倉庫運輸関係施設を迷惑施設として抽出し、各グリッドから半径1km圏内の迷惑施設総面積を算出した。


Step3: 評価支援システムの開発

  
居住環境評価支援システム(LEES)
server: Fujisawa, Kanagawa, SFC, Keio
mirror server: Mita, Tokyo, GSEC, Keio  


Step4: 評価手法の検証

  
東京都区部をケーススタディエリアとして、構築したシステム(Step3)とデータベース(Step2)を用いて、本評価手法(Step1)の検証を行った。 具体的には、分析に用いる評価基準のシナリオを作成し、個人の評価軸を反映するための効用関数と、重みづけについて個別にその感度を分析した。 まず、一定の優先度シナリオを用いて、個別指標への影響を測り(感度分析1)、それらが統合された時の総合指標への影響を調べた(感度分析2)。 次に、一定の環境属性と各効用関数を用いて、シナリオ別に重み係数の感度を測り(感度分析3)、FSMで従属関係を左右する閾値pの感度に着目した(感度分析4)。 そして最後に、この2つの感度が同時に影響したものとして、典型的な3つの環境選好タイプ(都市志向・自然志向・災害回避型)を想定し、各環境選好による評価の比較を行った。
 
評価基準シナリオの設定

自然的
地震危険度 E

緑被率 G
公園 P

経済的

大気汚染 A
迷惑施設 F

容積率 C
交通利便性 T
Risk
Benefit
地震危険度、大気汚染、迷惑施設への近接性、緑被率、公園、容積率、交通利便性の7つの環境属性を取り上げ、それらを4つの領域に分類した。この領域図は、縦軸でリスクに関するものかベネフィットかの分類を行い、横軸でそれらが自然的なものか経済的なものかを表現している。

さらに、 Risk-Benefit軸のシナリオ3パターン(リスク-ベネフィット同等、ベネフィット重視、リスク重視)と、 リスク及びベネフィットに関する自然-経済軸のシナリオをそれぞれ3タイプと2タイプ組み合わせて、計18通りのシナリオを設定した。 このうち、感度分析2と4ではシナリオ3を用い、分析3では全通りを用いた。

  Benefit-Risk
中間
Benefit
重視
Risk
重視
自然-経済的Risk中間 経済的Benefit重視 Scenario1 Scenario7 Scenario13
自然-経済的Risk中間 自然的Benefit重視 Scenario2 Scenario8 Scenario14
自然的
Risk重視
経済的Benefit重視 Scenario3 Scenario9 Scenario15
自然的
Risk重視
自然的Benefit重視 Scenario4 Scenario10 Scenario16
経済的
Risk重視
経済的Benefit重視 Scenario5 Scenario11 Scenario17
経済的
Risk重視
自然的Benefit重視 Scenario6 Scenario12 Scenario18


感度分析1・2: 効用関数の感度


一次指標と効用関数の関係
下図は、山手線迄の時間に対する効用関数を変化させた時の影響を示す。
適用した効用関数は、左が、山手線から遠くなるにつれて効用が減少する比例減少型、右が、ある程度離れている時に最も効用が高くなるという考え方による凸状の放物線である。
また、マップ上段は、それぞれの効用関数を適用した個別指標(つまり効用)の分布である。この分布傾向は、一次指標の分布状況が大きく影響するため、中央値付近で分布度数が高くなる都区部を空間対象範囲とすると、後者(放物線による尺度化)は、都心部を除く殆どの地域で効用が高くなる。

比例減少型による個別指標分布
放物線(凸)型による個別指標分布
比例減少型による総合評価分布
放物線(凸)型による総合評価分布


総合評価のスコア帯別占有面積率
*横軸が大きくなるにつれて、スコア帯は高くなる
マップ下段は、総合評価の標準偏差分類図であるが、ここでも、山手線環状内の評価傾向が逆転していることが分かる。
各総合評価の等間隔分類別占有面積率(左図)を見ると、比例減少よりも放物線の方が、全体的に高い評価の傾向になることが分かる。
このように、尺度化で設定する効用関数は、個別指標への直接的な影響と、総合指標への間接的な影響を与え、それは一次指標の分布に左右されることが確認された。


感度分析3: 重み係数の感度

重み係数の感度が小さい地域、つまり、全シナリオを通して総合評価が高くなる地域を、“居住多様性の高い地域”として、総合評価が平均+1標準偏差以上となるシナリオの出現頻度を、5段階の等度数分類で表示したものが下の3つのマップである(赤い地域程、多くのシナリオで総合評価が高くなっている)。


全シナリオ
→都心部拡大

リスク重視シナリオ

ベネフィット重視シナリオ
全シナリオを通して居住多様性を調べると、皇居や赤坂御用地、代々木公園、新宿御苑、上野公園などの山手線内の公共オープンスペースを中心に、居住多様性の高い地域が分布していることが分かる。また、リスク重視に関するシナリオ、及び、ベネフィット重視のシナリオを別に集計すると、それぞれ異なる地域で居住性多様性が高くなっている。

さらに、現況の土地価格ヘドニックモデル(1996年公示地価)を、同様に等度数に5分類した空間分布(右図)を見ると、公共オープンスペースの効果が特に高いということはなく、むしろ、偏回帰係数の値から、商業用地として正確が強いと思われる。


現況土地価格(1996公示地価)


感度分析4: FSMにおける閾値(p)の感度

次に、感度分析4でFSMの従属関係を左右する閾値の影響について調べた。 下図は、シナリオ3を用いて、閾値Pを変化させた時の、環境選好構造の変化を示したものである。これを見ると、閾値を大きくするにつれて、階層レベル数が減少し、上位レベルから連結が解かれていく様子が分かる。 また、レーダーチャートから重み係数を見ると、P=0.75以上では、重み係数値がほぼ均等になっており、p=0.5では、ファジイ関係ではなく2値的な関係と同じになるため、重みの大小がはっきりしていることが分かる。


閾値と環境選好構造の関係


閾値と重み係数の関係


閾値0.5の時の総合評価分布

閾値0.7の時の総合評価分布

左のP=0.5では、大規模公園の影響を確認することができる。これは、p=0.5の構造では、他のp値では最下層に位置する公園への近接性が、独立層となって最上位レベルと同等に扱われていることによる影響だと考えられる。 このように、同じ入力値から、多様な閾値を設定して、評価主体が自分の環境選好構造に適したものを探索することができるというのが、FSMの最大の利点である。


環境選好シナリオによる評価の比較

最後に、都市志向型、自然志向型、災害回避型という典型的な3つの環境選好を想定して、評価を行った。入力値は、感度分析で使用したものと同一の環境要因群に対して、それぞれの選好に応じた効用関数と、環境従属行列である。以下の出力は、FSMによる(p=0.6, λ=-0.3)環境選好構造と、評価構造から算出した重み係数値のレーダーチャート、及び総合評価分布(標準偏差分類図)である。



都市志向型
効用関数型   E A F G P C T
修正指数(凸・減少) E 0.00 0.50 0.44 0.40 0.31 0.76 0.85
修正指数(凸・減少) A 0.58 0.00 0.46 0.41 0.45 0.78 0.87
修正指数(凸・減少) F 0.75 0.64 0.00 0.42 0.59 0.95 0.93
ロジスティック曲線 G 0.74 0.60 0.40 0.00 0.65 1.00 0.81
比例減少 P 0.74 0.58 0.53 0.28 0.00 0.86 0.93
修正指数(凹・増加) C 0.24 0.17 0.07 0.12 0.22 0.00 0.82
修正指数(凹・減少) T 0.25 0.16 0.23 0.03 0.15 0.36 0.00
 


自然志向型
効用関数型   E A F G P C T
比例減少 E 0.00 0.94 0.41 0.74 0.62 0.02 0.15
修正指数(凹・減少) A 0.28 0.00 0.42 0.84 0.57 0.13 0.21
比例減少 F 0.40 0.81 0.00 0.85 0.59 0.20 0.21
修正指数(凸・増加) G 0.29 0.43 0.19 0.00 0.46 0.02 0.04
比例増加 P 0.57 0.75 0.40 0.85 0.00 0.08 0.18
修正指数(凹・減少) C 0.79 0.76 0.62 1.00 0.82 0.00 0.55
放物線(凸状) T 0.79 0.73 0.66 0.87 0.71 0.37 0.00
 


災害回避型
効用関数型   E A F G P C T
修正指数(凹・減少) E 0.00 0.28 0.03 0.16 0.31 0.00 0.32
修正指数(凸・減少) A 0.88 0.00 0.21 0.59 0.38 0.05 0.71
修正指数(凸・減少) F 1.00 0.64 0.00 0.67 0.58 0.21 0.76
比例増加 G 0.85 0.42 0.32 0.00 0.65 0.37 0.72
比例減少 P 0.81 0.31 0.42 0.44 0.00 0.48 0.23
修正指数(凸・減少) C 0.95 0.77 0.43 0.55 0.72 0.00 0.76
放物線(凸状) T 0.89 0.22 0.17 0.30 0.21 0.33 0.00
 


重み係数値のレーダーチャート
全体的に、各環境選好をある程度反映していることが確認できる。 個別にマップを見ると、都市志向型では、山手線環状内で評価が高くなり、特に都心では、交通と容積率に関する効用が同時に高くなるため、評価が著しく高くなっていることが分かる。 自然志向型では、河川敷緑地で評価が高くなる他、外側付近に見られる分布形状がまばらな高スコアの地域は、緑被率の影響だと思われる。 災害回避型では、地震危険度の影響が大きく、その空間集約単位である町丁目の形状が確認できる。また、容積率に関しては、地震災害時における影響を考慮し、凸型の減少指数関数で厳しく評価したため、東京都心で著しく評価が低くなっている。

以上の3タイプは、予め想定できるものとして多少限定的要素を含むが、本評価手法が、環境選好に基づく評価基準をある程度反映していることを確認することができる。


Step5: まとめ

結論
本研究では、居住環境評価を、空間多基準分析という視点からIntarnetGIS上で展開し、FSMによって人間の判断や嗜好のあいまいさを反映する評価手法の開発を行った。 また、その手法による評価支援システムを構築し、提案した評価手法の感度分析も一部行った。 そこでは、効用関数アプローチの尺度化と重みづけによる総合化において、評価主体の環境選好を十分に反映することを確認した。 また、FSMの導入により、総合関連性や連結強度を反映した評価結果を導くことや、多様な閾値を設定することにより、「忘れている構造はないか」と教えられる学習効果が得られることを確認することができた。 本研究は、環境認識や評価の多元性を抽出し、それに共通の価値をつけて明示的に結果を示す方法を提案したものと言えよう。ここでは、最終解を導くというよりもむりそ、そのプロレスが重要となる。

今後の課題
今後の課題としては、次の4点を挙げることができる。 まず、1)本システムは、現実社会における実運用を図る必要があり、現在、あるポータルサイトと社会実験を交渉中である。そして、2)本システムによって蓄積した個人のフェースシート情報と環境選好の関係を調べ、集団特性から環境選好の傾向予測を試みようと考えている。 次に、3)多様な評価主体のニーズに即した環境プロフィールデータを随時更新し、充実させる必要がある。さらに、4)環境の価値を貨幣価格に変換するという問題が残っている。現在、CVM等多様な表明選好手法が盛んに研究されているが、未だこれらの手法は発展途上であると判断し、本研究では、効用という価値尺度を使用した。 最後に、5)システムの限界という点に触れたい。本システムは、スクリーニングプロセスには有効であるが、やはり現地調査が必要であり、現実サイトの確認と補完的に用いることで始めてその機能を発揮すると思われる。

展望
本システムの展開可能性としては、消費者、ディベロッパー、投資家、環境教育者、政策管理者等のユーザ層を想定することができる。さらに、個人の意思決定に限定することなく、合意を得ることが困難な問題における、住民参加や議論の場として、集団的な意思決定問題にも応用することが可能だと思われる。