これまで日本の地方自治体行政は"集権的分散主義"といわれるように、中央政府による強い財源再分配政策の下で行われてきた。 このことによって、税源に乏しく財政力の弱い自治体には中央政府からの交付税交付金、および各種補助金等によって財源が補填さ れてきたのである。こういった再分配制度の目的は、平準的な行政・福祉サービスを全国一律に確保する事、いわゆるナショナル・ ミニマムの実現にあった。しかしながら、様々な政治的バイアスや地域住民の行政需要の高度化・多様化から、本来の趣旨を越えた サービスが行われてきたといえる。これは@地方自治体間の過度の財源移転(豊かな自治体から財源を取り上げ過ぎ、また貧しい自 治体へと過度に分配する事)とA国債による全国的な過剰サービス(借金が拡大しながら先送りされ続ける財政)に大きく分類でき るが、いずれも自治体に税収と支出の均衡を難しくさせるものである。これが、いわゆる財政錯覚の問題である。 さて、多くの自治体が財政錯覚に陥る中、政治制度における「地方分権化の促進」と経済制度としての「再分配政策の緩和」が行 われつつある。このような制度改革は、その要因は様々でありここではひとつひとつ取り上げないが、結果として財政錯覚に対して 再考を促す作用である事は確実である。すなわち、分権化と中央政府からの再分配の減少は、自治体が自らの意思により政策決定を 行い、かつ税収に見合った施策を行う事を要請しているからである。 このような昨今の制度改革の働きは、巨額の累積債務の影響下で、今後も中長期的に続いて行かざるを得ないと考えられる。その 結果、財源のある豊かな自治体は多くの行政・福祉サービスを提供できるだろうし、逆に税収に乏しい自治体は現行サービスの低下 を余儀なくされ、自治体間にこれまでに無い格差が生じることとなる。もちろん、中央政府は最低限の保障であるナショナル・ミニ マムに支障をきたさない仕方で、制度改革を進める事が期待されるが、仮にナショナル・ミニマムが確保されたとしても、現在の サービスを維持できない自治体が数多く出現する事は明らかである。現に、最近の介護保険制度の導入には、自治体間の格差を意識 させる結果となった。 自治体間の格差が拡大して行く中で、@中央政府がどこまでその格差を容認すべきなのだろうか。あるいは、どの程度の格差は是 正しなければならないのだろうか。さらに、Aそれはどのような手段によって是正する事ができ、Bどのような手段が公正という観 点から正当化できるものであろうか。以上が本研究の主な問題意識である。
3. 先行研究と本研究の独自性
地方自治制度についての研究・理論は数多く、ここでは逐一取り上げる事はしないが、自治体間の格差是正についての代表的な理論としてここではティブーを簡単にとりあげる。また、格差についての公正という観点からの経済思想的考察としてはこれも多くの研究があるが、議論を簡潔化するためにここではロールズ、ノージック、ドゥオーキンを扱う。3-1.ティブー理論の観点から ティブー理論はサミュエルソンなどの公共財理論の結論を修正して、地方財政については分権的価格機構に類似した仕組みが働き うることを示しているといえる。いわゆる"足による投票(voting with your feet)"といわれるものである。すなわち、地域的公 共財が数多くの自治体によって供給されている状況下では、住民はそれぞれの選好に従って、費用と便益が均衡する適切な自治体へ と移動を行う。このことによって、パレート最適を満たす地域的公共財の供給が可能であることを説いた。 ティブー理論はいくつかの前提の下で組み立てられている。 1) 住民の移動には費用がかからず、また彼らは財政上の条件(支出内容や税負担)にのみ反応する。 2) 地域的公共財はそれぞれの行政区画において最低平均費用で提供され、新しく流入する住民は、その住民に追加的に発生するコ ストを支払えばよい。 3) 行政区画間の外部性は存在しない。 4) 所得や好みでみたタイプの違った家計が相当数あり、またこれに見合って十分な数の地方公共団体がある。 5) 全ての所得は配当所得であり、労働所得は無い。 6) 公共財は一括税(lump-sum tax)で調達される。 7)土地、住宅はなくこれらに関する資本化もない。 以上の要件はきわめて非現実的な前提であり、理論の当否は議論の分かれるところである。しかしながら実際の研究ではこれらの条 件をいくらか弱めた上で検証を行っており、枠組みの提供としてはなお示唆深いといえる。とくに本論が注目したいのは、地域公共 財の提供主体を最小の単位で考えている点である。すなわち、市町村のような最小単位を扱う事で域内再分配の問題を排除し、本論 で取り上げる経済格差の問題の土台として適しているといえる。また同様に、次ぎの経済思想のところにも関連するが、財の強制的 再分配をノージックの"権限"という視点から行わない政府を想定するときにも、最も想定しやすいモデルである。つまり、経済格差 を中央政府の手によって是正しなくとも市場的作用によって自然に均衡するという主張が本論のそもそもの出発点となる。 さて、本研究ではこのようなティブーの議論を基に、新たな調査を行いたい。すなわち、ティブーは幾つかの前提をあげているも のの、現実世界で貧しい自治体に居住し、高い行政・福祉サービスを希望する住民はどういった移動戦略をとっているのだろうか。 先に述べたように、これまでは中央政府による貧しい自治体へのナショナルミニマムを越える財源移転が行われてきた。そのような 政府の施策によって住民の移動は抑制されてきたのではないだろうか。再分配が減少していく中で、住民はどのような行動を取るの だろうか。 以上、述べたようにまず第一に、@これまで政府の再分配政策が住民の移動を抑制してきた事を検証し、A今後再分配の減少に よって、住民がどのような移動戦略を取るのかを予測する。
3-2.公正という経済思想の観点から 経済格差を中央政府が是正してきたのか、または是正できるのか、という以上のような議論とは別に、格差をそもそも是正すべき か否かという規範的論な立場からの議論も必要である。格差の現状が分かったところで、これをどのような"根拠"に基づいて行うの か(あるいは行わないの)を示す必要がある。とりわけ、再分配の問題では、必然的に誰かの財、どこかの自治体の財を奪う事にな るからである。 ここでは、公正という視点に基づき議論を行っているノージック、ロールズ、ドゥオーキンをごく簡単に取り上げる。まず、ノー ジックはロック的自然権・自己所有権に基づく"権限理論"から、"獲得の正義"と"交換の正義"を主張し、政府が誰かの、またはど こかの財を強制的に取り上げる事になる再分配政策を強く批判した。いわゆるリバタリアニズムとよばれるような、夜警的最小国家 を提示している。次ぎに、ロールズはカント主義的な"原初状態"から導かれる"正義の二原理"を主張した。"格差原理"もここに含 まれ、最低限の人・主体の格差是正を政府の行為に要請する。最後に、ドゥオーキンだが、彼はロールズよりも強い再分配を主張す る。すなわち、保険原理に基づく"平等な尊重と配慮"の実践を説き、政府の強い介入を結果的に承認している。 さて、このようにノージック、ロールズ、ドゥオーキンの順に、夜警的国家から強度の再分配国家へと政府による再分配への比重 が推移するわけだが、サンデル・マッキンタィアのような共同体主義者も含めて現在でも論争が続いており、はっきりとした結論は 出ているわけではない。本論では、このような現況をふまえた上でBA・センが主張する"潜在能力の平等"という視点を加えなが、 あるべき再分配政策を模索したい。