電子ペットを用いた、トレーニング支援システムの提案

大野彩子
マルチモーダルインタラクションプロジェクト
sai@sfc.keio.ac.jp

1 はじめに

近年、外出程度の軽い運動は可能な「元気な高齢者」が増加している[1][2]。高齢者というと、従来は、寝たきり・病気がち・弱者といったイメージがあり、医療・施設・福祉機器といった側面からの支援が中心であった。しかし今後は「元気な高齢者」が、できるだけ長く健康を維持するための、生活に密着した支援技術が必要である[3]。
日常生活における健康維持活動を支援するアプローチの一つとして、ペットロボットとの散歩を通じ、無意識のうちに簡単なエクササイズを取り入れられるシステムを現在提案している[4][5]。本システムは、一般に広く普及している「心拍トレーニング[6]」を採用したもので、運動中のユーザの脈拍数、あるいは心拍数を測定し、ペットロボットの動きを制御することによって、健康に有益なエクササイズを取り入れるものである。本レポートでは、提案するシステムの目標イメージを述べたあと、現状の実験システムについて説明し、実験を通じて明らかになった問題点をまとめる。最後に、今後の展開について述べる。

2.コンセプト

本システムの目標イメージを図1に示した。ユーザは脈拍センサを指、あるいは耳たぶに装着し、ペットロボットを連れて散歩に出かける。この際、脈拍データの中継、及び、ペットロボット制御のための装置を携帯しなければならないが、これをどこに装着するかは今後検討していく。
散歩中、ユーザの脈拍は連続的にモニタリングされ、その値によってペットロボットの動作が「じゃれつく」「駆け足で遠ざかる」などと変化し、これを通じてユーザの歩調と心拍数を制御する。例えば、ペットロボットが「じゃれつく」動作を行なうと、ユーザは自然に足を止めるため心拍数も下がる。(図2)
本システムでは一回あたり30分程度の散歩を想定し、ユーザの心拍数の変動が心拍トレーニングに適するよう、ペットロボットの動作を変化させる。ペットロボットは、言わばトレーナー役としてユーザの身体状態を把握し適切な状態に誘導する。これによりユーザ側は、強いモチベーションをもっていなくても、散歩の過程でトレーニングを取り入れることができる。
目標イメージ 設計方針
図1.目標イメージ 図2.設計方針


3.実験

3−1.目的

ペットロボットの動作を変化させることで、ユーザの自発的な歩調制御を引き出し、トレーニングに適した心拍推移を誘発できることの確認、及び、ユーザの心拍数の変化を考察する目的で実験システムを作成した。将来的には広い屋内を実際に歩き回って実験できる環境を用意したいが、電源、脈拍センサのスペック等の問題から、現状では室内(大学院研究室)でステッピングマシンを用いて実験を行なった。(図3)

3−2.システム構成

実験システムの構成を図4に示した。心拍数のモニタリングとデータ処理部分はMacintosh(Power Mac 8500/150)で行ない、アプリケーションはLabVIEW 5.01で作成した。光学式脈拍センサ(Ohmic製、ローコスト脈拍センサHR-03)からの出力を、A/D変換用ボード(National Instruments製、DAQ-PCI-1200 + SC-2072)を用いて取得し、その値によってペットロボット(Sony AIBO ERS-111[7])の動作を制御する。

3−3.手順

  1. 被験者はステッピングマシンの上に立ち、脈拍センサの検出部に指を当てる
  2. 被験者は、自由な強度でステッピングを開始する(実験は約15分間)
  3. 脈拍センサからの出力をPCで処理し、心拍数を計測する
  4. 心拍数により、ペットロボットの動作を判定する
  5. 動作制御のための信号を、ペットロボットに送信する

実験風景 実験システム構成
図3 実験風景 図4 実験システム構成


3−4.結果

ある被験者の実験結果の一例を以下のグラフに示す(図5)。横軸は時間、縦軸は心拍数である。グラフ中、2本の斜線で囲まれた部分は心拍トレーニングに効果的な心拍数の変化領域を示したものである。
実験結果

図5 実験結果


4.考察

実験中の被験者の動き及び心拍数を観察したところ、ユーザの自発的な歩調制御からトレーニングに適した心拍推移を誘発できることを確認した。
一方、本実験を通じて明らかになった問題点もある。本システムの実現のためには運動中のユーザの脈拍数、あるいは心拍数を測定することが必要だが、今回実験に利用した光学式脈拍センサには、以下のような問題があることがわかった。

(1)装着性
実験中の被験者の動きを観察したところ、センサの検出部に当てる指の角度や圧力によってデータが取得できないことがあり、装着のコツを掴むまでに時間がかかる。また、運動中は指の角度や圧力を一定に保つことが難しく、運動が激しくなると測定不能になる。

(2)取得データの信頼性
計測データを観察したところ、数秒で40拍以上値が上下するなど心拍値に揺らぎが見られる。センサ側の問題要因としては、外光ノイズ、運動による血流の乱れなどが影響していることが考えられる。さらに、センサを剥き出しの状態で使っているために実験室内の電気的なノイズも混入していることが考えられる。

(3)電源
電源の電圧あるいは品質の変動に対するセンサ回路の許容度が低く、故障の原因になっている。

5.今後の展開

実験で明らかになったように、運動時の心拍数を正しく計測するにはセンサの仕様や装着方法、データの処理方法が非常に重要であり、今後脈拍センサの選定を急ぎたい。
その他、現在検討中の課題について以下に述べる。

5−1.運動強度の調整

ペットロボットの研究開発は近年始まったばかりだが、この分野における期待は高まっており、今後も革新的な開発が進むことが期待できる。本研究で提案しているシステムでも、人間と外で散歩することが可能なペットロボットの開発が不可欠である。ここで、本システムで必要となるペットロボットの理想的な歩行速度について述べる。

本システムでは、ユーザの歩行速度及び心拍数の上がり具合を制御するために、振るまいの変化だけでなく、ペットロボットの歩行速度と張力を調整する必要がある。
現在市販されている代表的なペットロボットは4足あるいは6足歩行型(犬型やネコ型、虫型)と車輪駆動型の2種類がある。まるで生きているかのように感じさせるために、動物の足の動きを再現することは重要な要素だが[8]、前者は後者に比べ動くスピードが遅くなりがちである。ちなみに、車輪駆動型のペットロボットの中でも、歩行スピードが特に早いのはパーソナルロボットR100(NEC)[9]で最大走行速度60cm/秒である。
歩行や走行スピードに対する人間の心拍数は、性別、年齢、持久性能力の優劣によって異なるが、例えば30歳の健康な女性を本システムのユーザ対象とした場合、最高で130〜140(拍/分)まで心拍数を上げなければならない。ここで、ユーザに負荷をかけず単純にペットロボットの後を追随するようにすると、ペットロボットの歩行速度は約110(m/分)まで高める必要があり[10]、現段階では実現が難しい。一方、ペットロボット側から張力という形でユーザに負荷を与える場合には、規定の仕事量を実現しなければならない。上記の心拍数に達するためには、仕事量と心拍数との関係から約450(kpm/分)の仕事量が必要である。これらのデータを参考にして、今後ペットロボットの理想的な歩行速度及び張力を検討していく。

5−2.遊びインタフェースとしての評価

高齢者に適したインタフェースに必要な条件として「高齢者自らが興味を示すシステム」であることが挙げられており[11]、本システムでは、ペットロボットという「遊び心」のあるインタフェースを介在させることで、これを満たそうとしている。
そこでトレーニングルームで自転車エルゴメーターなどのトレーニングマシンを利用した場合と、ペットロボットとの対話を取り入れた実験システムを利用した場合とを比較し、この点についての有効性を検証する。
また、「リハビリ/トレーニング」と「エンターテイメント」の融合を目指す動きは産業界においても徐々に広がりつつあるが[12][13]、ここで問題となるのは「遊び心」という非日常的な要素と相反して、リハビリテーションやトレーニングでは「持続性」が要求されるという点である。この問題に対し、本システムではどのような要素あるいは機能を付加すべきか、今後検討していきたい。

今学期の成果



参考文献

[1]厚生省:保健福祉動向調査の概要,1997.
[2] 総理府広報室:体力・スポーツに関する世論調査,1995.
[3] 戸川達男:ホームへルステクノロジー〜医療に頼らない長寿社会を目指して〜,日本機械学会誌,vol.101,No.950,pp.10-13, 1998.
[4] 大野彩子,樋口文人,安村通晃:電子ペットを用いた対話型心拍トレーニング支援システムの提案,HIS2000,pp.61-64,2000.
[5] 大野彩子,樋口文人,安村通晃:電子ペットを用いた対話型心拍トレーニング支援システムの提案,日本ソフトウエア科学会WISS2000,pp.237-238,2000.
[6] P・Maffetone, 中塚祐文訳:革命的エアロビックトレーニング『マフェトン理論』で強くなる!,ランナーズ,pp.33-35,2000.
[7] http://www.world.sony.com/Electronics/aibo/index.html
[8] M.Fujita and H.kitano:An Development of an Autonomous Quadruped Robot for Robot Entertainment,Autonomous Robots,vol,5, pp.7-18,1998.
[9] http://www.incx.nec.co.jp/robot/
[10] 山地啓司:運動処方のための心拍数の科学,大修館書店,1981.
[11] 保坂良資:高齢者向け情報システムのマン-マシン・インタフェースについての一考察,人間工学第29巻特別号,pp.264,1993.
[12] Cathy Mullooly, Pam Fernandas:The Convergence of Exercise, Diabetes and Heart Rate Monitors, Proc. of "Technology and Persons with Disabilities"Conference,(2000).
[13] Shigeo Takizawa:The Development f Devices for the MOTIVATIVE Exercise of Impaired Extremities, Proc. of "Technology and Persons with Disabilities"Conference,(2000).