2001年度 森基金報告書 |
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高度成長期の首都圏における市街化傾向の分析 (申請研究名:アウターサバーブの自律的居住環境形成プロセスとその展望) |
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高度経済成長期に首都圏に大量に流入してきた人口を受け入れるために市街化した地域は現在、人口の停滞もしくは減少、定住人口の高齢化、そしてそれに伴う世代交代の時期にきている。都心部へ通勤するサラリーマン層のベッドタウンとして発展したこれらの地域は、一般的に「郊外」という言葉でひとくくりにされるが、「郊外」という用語の指す地域は固定的なものではなく、また、その範囲も明確ではない。大正から昭和初期にかけての「郊外」と、戦後に発展した「郊外」とは、対象となる地域は当然違ってくる。かつての「郊外」は現在では「郊外」ではなく、また、現在「郊外」と認識されている地域は、将来においても「郊外」であるとは限らない。そして「郊外」と「郊外の外」を隔てる境界線が存在するわけでもない。 だが、1990年代後半以降、20世紀の都市の一つの典型として「郊外型ニュータウン」の誕生と変遷を論じたものや1)2)、郊外型ニュータウンでのライフスタイルを現代社会を読み解くキーワードとして概念化したうえで社会現象を論じたもの3)4)が、相次いで出版された。これらに共通しているのは、戦後の「郊外」を扱っていること、そして「郊外」とは同じような属性を持つ人間が、同じような家族構成で同じような家に住み、同じようなライフスタイルを展開する画一的な場所である、という認識である。ここでは、「郊外」の範囲を示す明確な指標はなく、都心部のベッドタウンを意味していると思われる。 本研究の目的は、戦後、特に高度経済成長期に首都圏において市街化した地域を、DID面積を指標として、DID化した速度や市区町村におけるDID面積比率から分類することで、「郊外」と呼ばれる広範な地域の差異を明確にすることである。これにより、「郊外」といえども市街化してきた経緯は一律ではないことが明らかにされる。 「郊外」は都心部と比較すると、まちの将来像を描きにくい地域であり、どの市区町村もいかにして地域を活性化していくかが大きな課題となっている。私は、今後のまちづくりは住民発意型であるべきであり、居住者の意識がまちづくりの方向性を左右するという視点から、どのような人々がそこに居住しているのか、という人の要素と、そのような人々が居住する住宅は現在どのような状況にあるのか、という住宅の要素の2つを重要視している。本研究は、既存ストックがどの時期に大量に発生したものなのかを大きく捉え、首都圏の中で「郊外」と一般的に認識される広範な地域を細分化し、従来曖昧であった「郊外」について、市街化の速度と上限値という指標を用いて明確な定義を与えるものである。また、本研究の成果に、居住者属性による詳細な分析を加えることによって、まちづくりに関してそれぞれのグループが将来的に抱える課題を明示することが可能であると考えられる。なお、本研究は、建築協定地区を対象とした分析を行う前に、「アウターサバーブとは具体的にどのような地域であるのか」を定量的に分析するものであり、「アウターサバーブにおける自律的居住環境形成プロセスとその展望」研究の基礎研究として位置づけられる。 1) 福原 正弘(1998), ニュータウンは今, 東京新聞出版局 2) 角野 博幸(2000), 郊外の20世紀, 学芸出版社 3) 宮台 真司(1997), まぼろしの郊外, 朝日新聞社 4) 若林 幹夫他(2000), 「郊外」と現代社会, 青弓社 |
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1. 研究の方法と研究対象地域 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本研究では、高度経済成長期の市街化傾向を把握するために、市街化が急速に進行した指標として、1960年から2000年までの最大9時点におけるDID(人口集中地区, Densely Inhabited District)の各市区町村における面積比率を用いて、各時点tと面積比率ytを各市区町村単位でロジスティック曲線にあてはめた。ここで、変化曲線のモデルとしてロジスティック曲線を用いた理由は、1960年代から1970年代にかけて急速にDID面積比率が増加した地域を曲線にあてはめた場合、ロジスティック曲線が最もよくあてはまったということと、変曲点をもつ曲線であるために、市街化した速度が最も大きい時点を推定できるということの2点が挙げられる。 ロジスティック曲線は、 yt=k/1+αexp(-βt) k=上限値、α、βは係数 で表され、変化率はyt=k/2、すなわちt=logα/βのときに最大となる。ここで、各市区町村のロジスティック曲線が決まると、上限値、変曲点が定まる。これは、DID面積比率の最大値、市街化速度が最も大きかった時点の推定値が得られることを意味する。 そこで、本研究は、首都圏70km圏の市区町村のうち、1960年から2000年の9時点において国勢調査でDIDが設定されている市区町村を研究対象とし、データは各年度の国勢調査を用いた。ただし、高度経済成長期の市街化傾向を分析することが目的であるため、1980年以降に初めてDIDが設定された市区町村と、1960年の時点で既にDID面積比率が1である市区町村は、対象から除外した。また、1960年の時点で連続したデータが4時点以上得られないケースも、曲線へあてはめることができないために除外した。今回研究対象となったのは、147市区町村である。 |
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2. 1960年以降の首都圏のDID面積推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960年の国勢調査で初めてDIDが設定されたが、それ以降DID面積は拡大を続けている。DIDに設定された面積を各市区町村全体の面積で除したDID面積比率を1960年と2000年で比較するとその拡大は明らかである。2000年には東京都23区だけでなく、川崎市、横浜市のうち東京湾に面する区と中央線沿線の市部では比率は1となっている。
DIDが設定されている市区町村のうち、1960年から2000年までの9時点のDID面積比率の最大値と最小値の差をみると、20〜30km圏で特に差が大きく、この時期急速に市街化が進行したことが分かる。 |
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3. 分析結果 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3-1.
ロジスティック曲線の有効性 研究対象となった147市区町村のDID面積比率のロジスティック曲線へのあてはまりの良さを示す決定係数は平均で0.928である。0.98以上が27市区町村(18.4%)、0.95以上が83市区町村(56.5%)、0.90以上が114市区町村(77.6%)となっており、対象市区町村はおおむねロジスティック曲線による分析が有効であるといえよう。また、決定係数が高い地域は、およそ都心部から20km以遠の市区町村に分布しているといえる。 (1960年時点でDID面積比率が1であったものは決定係数0として表示) 3-2. 上限値kによる最大DID面積比率の推定値 上限値は、34市区町村で0.95以上となっているが、それ以外はどの値にも全般的に出現している。また、上限値の分布をみると、東京都と神奈川県の東京湾岸と中央線沿線の市区町村で推定値が高くなっていることが分かる。 (1960年〜2000年の9時点を通じて1であるものは上限値1として表示) 3-3. 変曲点による市街化速度の最大時期 変曲点を時期別にまとめたのが表である。最も件数が多いのは1970年代の71件であり、70年代前半は36件、70年代後半は35件となっている。累積でみると、70年代の前半までに対象市区町村の63.3%が、そして70年代後半まででは87.1%が変曲点を迎えており、大部分の市区町村は70年代までにその市街化速度は最大になっていることがわかる。 また、時期別の分布をみると、都心部から東西に伸びた形で変曲点が早い時期にあることがわかるほか、神奈川県南部は早い時期に市街化の速度が最大になったことがわかる。最も件数の多かった70年代をみると、およそ30〜50km圏に分布していることが確認された。 表1 変曲点の時期別件数
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参考文献 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古藤 浩・越塚武志(1990):首都圏における人口増加傾向の分析、第25回日本都市計画学会学術研究論文集 古藤 浩(1993):人口密度増加曲線による首都圏自治体の比較分析、第28回日本都市計画学会学術研究論文集 |