2001年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究者育成基金 修士課程報告書

『「老い」の社会的形成に関する考察』(改題)

政策・メディア研究科修士2年 80032657 権永詞[gon@sfc.keio.ac.jp]

近代日本とアジア・北太平洋のマルチメディア・データベースプロジェクト所属

 

  老いとは身体的な機能の変化、社会制度による位置付けといった側面からだけでなく、それら変化に応じて老いをどのように捉えるかという自己意識によって構成されるものであるという観点から、従来の社会老年研究に対する検討と批判を行った。特に、加齢を中心に展開されてきた高齢者論や、家族論的役割によって規定される老人といった、一元的な高齢者に対する態度を焦点として、そのような視点が成立する背景に対する分析を行い、一元的に静止した状況を脱却していくための方策を探った。以下に概要を記す。

 

1)先行研究の類型

ライフサイクルアプローチ

・ 個人や家族の内部の影響に焦点を当て周期的な特徴を導き出す。

E・エリクソンの八段階説、レヴィンソンの4段階説など

     生理的な変化と同機するため、平均の抽出がなされる。その過程で、離婚者、未婚者、母子家庭などはイレギュラーとして除外される。

     内部の変化を重視し外部要因の影響力を軽視する傾向にある

1960年代以降、離婚率の増加など、従来の家族形態の変動から妥当性に疑問

 

ライフコースアプローチ

大きな二つの流れ

1)共同体から引き離された個人の再編成 ―― 近代化

→歴史的コンテクスト上に個人時間、家族時間が位置する。歴史時間の重視

1940までのシカゴ学派的アプローチ

「われわれ」から「私」への時間の再編成 「家族」−「個人」

  →時代と年齢を結びつける時間意識の欠如 歴史時間の軽視

1970以降の歴史時間の重視

 個人、家族、世代時間と歴史時間の関係に注目[1]

 エルダーのライフコース概念の導入[2]

 ハレーブンの産業時間と家族時間の研究

2)非連続的な発達段階から、連続した発達段階へ ―― 長寿化

→老年期が誰にでも訪れるようになることで、単なる年齢別階層から、発達段階のステージへと変化した ―― 横断的把握から縦断的把握へ

 

老年期研究

・老年を役割と捉え、社会構造論的文脈、相互行為論的文脈の中に位置付ける

 役割喪失、年齢規範、年齢高速などの観点から分析を行う[3]

・離脱理論と活動理論

 老年期を「個人と社会が離れていく不可避的な過程」と捉える離脱理論と「中年期の活動をなるべく引き伸ばすことで幸福な老年期が得られる」とする活動理論との論争[4]

 →過度の一般化に対する批判(Riely,1987

 →論争の帰結として、老化には多様な過程があるという点に帰結、同質の老人集団から老人間の多様性へと研究のテーマが移行

・近年の研究の流行として、高齢者の主観的幸福感、生活満足感などを対象とした研究が増加、1986年から94年までに『社会老年学』誌上で掲載された110篇の論文の1割が上記テーマに対する研究[5]

 →しかし、研究動機の前提に対する疑問や、研究の成果が常識的な理解の範囲を超え出ていないことから、研究テーマや手法に対する疑問がある

 

「老い」そのものを対象とした研究

・全般的に記述的、エッセイ調であり、明確な理論的基盤を持った具体的研究は行われていない。類型を行うとすれば、ジェンダー、フェミニズム的視点から老いを語ろうとするもの[6]、エイジズムの視点から[7]、一人の作家や文学に添った形で老いを提示するもの[8]などが挙げられる

・井上俊「物語としての人生」

 経験の物語化「人間の経験は物語の性質を持つ」(S・クライツ)

 →人生がまさに生きられているときに物語りはない →物語りは事後的に秩序付けられるものである

 人生には幾分かの物語的要素があり、それほど恣意的に構成することはできない

 →歴史的文脈上に位置しており、また周囲の他者によっても制約を受けている

 ディコースとしての人生

 →内的、社会的なコミュニケーションの課程を往来し、その中で確認され、変容され再構成されていく →日常の中で何度となく書き換えられていく人生の物語

 

 

2)先行研究への批判的検討

老年学研究の帰結としての「老いの多様性の認識」

↓ →・モダニティの特徴としての個人化(個別化と差異化の統合[9]

・個人に注目し、それぞれのライフヒストリー(生活史)を対象に分析を行う

→「物語としての人生」

 

・「物語としての人生」と個人による老いの内面化

 →産業社会のシステム維持の要請としての「老い」のカテゴライズ(ラベリング)

  ・年齢別階層化の必要性 ――学校、軍隊、工場(労働)などの社会化された再生産システム維持のため[10]

 →当然の帰結としての「個人への注目」

・伝統社会からの切り離しは、共同体内における人間の日々の行動に対して再帰的な

確認行動を強いることで、共同体内の有名的な存在から、社会における匿名の個人へと変化する。

 

・近代的な学問としての人生研究、老年研究

 →老年研究自体が「老い」の意味を求める、または老いることに対する動機を求める、というきわめて近代的な図式の中に位置しているため、対象の一元的な認識へと傾斜していく。

  「資本主義の精神の中心にあるものは、否定の倫理というよりは、むしろ

道徳律との闘いと密接に結びつく伝統的な枠組みを剥ぎ取られた「動機

付けの執拗さ」からであった」(A・ギデンズ)[11] 

 

・「老い」を巡る議論の可能性

 →個人による老いの内面化 ⇔ ステレオタイプ的区分を超えて流動化していく必要性

 →物語としての人生 ⇔ 日常の中での物語の書き換え

 

参考文献

タマラ・K・ハレーブン『家族時間と産業時間』早稲田大学出版部、2001

     辻正二『高齢者ラベリングの社会学』恒星社厚生閣、2000

     E・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店、20001983

     折茂肇編『新老年学』東京大学出版会、1999

     I・ロソー『高齢者の社会学』早稲田大学出版、1998

     井上俊他編『岩波講座現代社会学13 成熟と老いの社会学』岩波書店、1996

     井上俊他編『岩波講座現代社会学9 ライフコースの社会学』岩波書店、1996

     アードマン・B・パルモア『エイジズム』法政大学出版局、1995

     A・ギデンズ「ポスト伝統社会に生きること」『再帰的近代化』而立書房、19971994

     EH・エリクソン『老年期』みすず書房、1990

     森岡清美他編『現代日本人のライフコース』日本学術振興会、1987

     伊藤光晴他編『老いの人類史 老いの発見1』岩波書店、1986

     伊藤光晴他編『老いの思想 老いの発見3』岩波書店、1986



[1] 1960年代および1970年代の市民運動と大衆闘争は家族の実証的研究の前線に、社会変動、およびその先行物と結果を必然的に組み込ませることになった。こうした情勢の強化は、戦後における研究の横断的な性格、したがって、没歴史的な性格に厳しい批判を向けさせた」(Elder,G,1984)

[2] 「年齢によって区分された生涯期間を通じてのいくつかの軌跡、すなわち、人生上の出来事(event)についての時期(timing)、移行期間(duration)、間隔(spacing)、および順序(order)にみられる社会的なパターン」(Elder,G,1978)

[3] Rosow(1974),Neugurden(1965),Levinson(1978)

[4] 離脱理論としてはCamming,E&Henry,W,E(1961)が、活動理論としてはHavighurst(1968)が挙げられる。Rosow(1974)などは離脱理論に属する研究であるといえるだろう。

[5] 副田義也「老年社会学の展望と批判」『岩波講座現代社会学13 成熟と老いの社会学』岩波書店、1996

[6] 寺澤恵美子「ポスト・フェミニズムの中の老い――B・フリーダンとB・マクドナルドをめぐって」『岩波講座現代社会学13 成熟と老いの社会学』岩波書店、1996、天野正子『老いの近代』岩波書店、1996、江原由美子「女の老い、男の老い」『老いの様式』誠信書房、1987など

[7] 辻正二『高齢者ラベリングの社会学』恒星社厚生閣、2000、樋口恵子編『エイジズム ニューフェミニズム・レビュー4』学陽書房、1992、など

[8] 天野正子「中年期の創造力――干刈あがたの世界から――」『岩波講座現代社会学9 ライフコースの社会学』岩波書店、1996、山折哲雄「老いのセクシュアリティ――『瘋癲老人日記』注解――」『岩波現代社会学13 成熟と老いの社会学』岩波書店、1996、など

[9] ユングによれば、個別化とは自分の内部での自己彫琢であり、自己限定を指す。差異化は他者が意識され、他者との比較が問題となる。中村雄二郎「老いと生のパラドックス」『老いの思想 シリーズ老いの発見3』岩波書店、1986

[10] E・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店、20001983

[11] A・ギデンズ「ポスト伝統社会に生きること」『再帰的近代化』而立書房、19971994