森基金成果報告書

「市民のリスク情報ニーズの調査」

(「事例からのリスクコミュニケーション手法抽出と体系化」から改題)

 

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科

修士課程一年

南部幹雄

80132142

 

 

1.研究全体の背景

1-1.リスクコミュニケーションの必要性

 現在の日本の社会状況は歴史的な変革の流れの中にあり、今後は地球環境問題として存在する様々なリスクに対して対処する事が大きなテーマになってきている。特にこれまでの環境問題は「公害」とよばれ、その利害関係者が明確であり、また原因と結果の因果関係も明らかであったためにその問題解決は比較的容易であったといえる。

 しかし、グローバル化の進展に伴いローカルな出来事が地球的規模で影響を波及させる事柄が増大しており、利害関係者が明確に定義されなくなっている。また、被害の確率が非常に小さいにもかかわらず、被害が生じた場合には甚大な影響を与える事柄が増大し、そのリスク評価にも科学の力のみでは明確にすることのできない「不確実性」の要素が含まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 


 このようなリスクへの対応として、科学者による意思決定のみではなく、リスクの内容を人々に分かりやすく伝達し、関連主体が相互にリスクに関する認識と理解を共有する「リスクコミュニケーション」の必要が求められている。

そこで、本研究ではリスク情報の共有を巡る動向に着目し、PRTR法と荏原製作所ダイオキシン問題を取り上げた。

 

2.PRTRの導入

2−1.PRTR制度の目的と概要

2−1−1.PRTR法とは

PRTR法とはPollutant Release and Transfer Registerの略称である。「特定化学物質の環境への排出量および管理の改善の促進に関する法律」に基づき、対象化学物質や届出をしなければならない事業主が決められており、それらの事業主は排出量データを都道府県を経由して国に届け、国は事業所以外の発生源(家庭、農地等)からの排出量と共に集計して、年に一回公表する制度である。また、事業所データは国から都道府県に提供され、各都道府県でも地域のニーズに応じてデータを集計し、公表する事ができる。また、国民は、国による集計結果の公表とは別に、個別事業所データを国に開示請求し、入手する事が可能となっている。

 

 

2−1−2.目的

化学物質の排出状況の把握・・・これまでは有害な化学物質に対してその一つ一つに法律による規制などが行われてきたが、現在では流通する化学物質は多種多様に変化してきたため、一つ一つの物質による効果が限定的であり、また幾つかの物質の相互作用による環境作用影響もみられてきた。そこでこの法律では354の物質の排出状況を公表する事により、総合的な化学物質の排出状況の把握を可能にしている。

行政施策や事業者の自主的取組の促進・・・この情報を基にし、行政や事業主が化学物質対策を立てる上での判断材料とする事が可能となります。また、事業者が化学物質排出状況を把握する必要があるため、把握の過程で無駄な排出に気づき、自主的な管理の改善が進む事が期待されます。

市民、企業、行政による同じ情報の共有・・・市民が自分の住む地域の化学物質の排出状況について、把握する事が可能となり化学物質問題へ取り組む事が可能となる。また、企業や行政への施策に対しても監視する事が可能となり、対策の効果や進捗状況を確認する事が可能となる。

化学物質による環境リスクへの理解を深める・・・このような市民・企業・行政の共同作業を通じて、化学物質による環境リスクへの理解が深まり、化学物質の排出量を減らす事が期待されます。

2−1−3.対象物質

第一種指定化学物質(354物質)・・・環境中に広く継続的に存在し、次のいずれかの条件に当てはまるもの

人の健康や生態系に悪影響を及ぼす恐れのあるもの

その物質自体は人の健康や生態系に悪影響を及ぼす恐れがなくても、環境中に排出された後で化学変化を起こし、容易に有害な化学物質を生成するもの

オゾン層を破壊する恐れがあるもの

第二種指定化学物質(81物質)・・・第一種と同じ有害性の条件に当てはまる物質で、製造量、使用量等が増加し場合には環境中に広く継続的に存在する事となる事が見込まれる物質

 

2−1−4.対象事業者

 業種、従業員数、対象化学物質の年間取扱量という三つの条件があり、それぞれ一定の基準に合致する事業者が、環境中への排出量及び、廃棄物としての移動量についての届出を義務付けられます。具体的には製造業や鉱業、電気業、ガス業などをはじめとする23業種が対象となる。

2−1−5.排出量・移動量の届出方式

算出・・・事業所では一年間の排出量や移動量を全て実際に測定しているわけでないので、@物質収支、A実測値、B排出係数、C物性値を用いた方法、Dその他的確に算出できると認められる方法で算定して求める。

記入精度・・・排出量や移動量はKg(ダイオキシンはmg-TEQ)単位で有効数字二桁で記入される。

 

2−1−6.届出データの処理と公表

 公表が義務付けられているのは集計結果のみである。個別事業所ごとの公表は行われず、国民からの開示請求があった場合のみ公表されるものとなっている。

 

2−1−7.事業秘密の取り扱い

 事業者が排出量等の届出をするに際しても、化学物質の使用やその取り扱いが事業場の秘密である場合には、その秘密を保護するための仕組みが用意されている。具体的には該当化学物質を対応化学物質分類名で通知を行うように理由をつけて請求する事ができる。もしも正式に当該事業秘密の請求を認めない決定が下されれば、化学物質名を通知すると言う仕組みになっている。

 

2−1−8.事業所以外からの届出

 PRTR対象となった事業所だけが化学物質の排出源ではなく、農薬散布や自動車排ガスなどもあり、これらの発生源に関しては排出している物質やその量を届け出る事が難しいため、代わりに国が推計する。推計の方法は以下のようなものである。(例:農薬)

統計資料から農薬の出荷量や使用量を把握する

PRTR対象物質の含有率を調べる

農薬の用途から、農地や家庭園芸など分野ごとに環境中への排出量を推計する。

 

2−1−9.現在の状態

 現在PRTR排出情報の把握が各企業で行われており、その結果が来年度以降に公表される予定である。また、それとは別にパイロット事業が行われており、その結果が既に公表済みである。

 

2−2.米国における先行事例

2−2−1.米国事例概要とその比較

 米国における化学物質の排出に関する情報の提出とその公表の制度が、有害化学物質排出目録(TRI)である。TRI制度は、基本的にPRTRと同じ制度であるが、日本の環境賞にあたるEPAが毎年報告されるデータをデータベース化し、WEBを通じて誰でもアクセスできるようになっている。

TRIPRTRの主な相違点など

 

TRI

PRTR

 

公表されるデータの内容

個別事業所の排出データの公表に主眼を置く

集計された加工済みのデータのみが公表。個別事業所の排出データは開示請求に応じて公表。

 

報告義務違反に対する処罰

報告義務違反に対しては25000ドル以下のシビルペナルティあるいは行政ペナルティが課される。さらに一日ごとに違反事実がひとつ成立するため違反が継続すると膨大な額になる

事業者が排出量および移動量の届出を怠ったり、虚偽の報告をした場合は20万円以下の過料

 

事業所に秘密保護

化学物質名そのものではなく、対応する化学物質の分類の名称で公開

報告対象物質と排出対象媒体

すべての環境媒体への排出にかかわるもの

排出量の届出義務を負う事業者の範囲について

事業所の規模あるいは特定化学物質の取扱量による裾きりがある

2−2−2.米国における先行事例の評価

 米国のTRIによって報告されている化学物質総排出量は、実施初年度の1988年度と比較して1997年度は42.8%の削減を達成している。そもそも、TRI制度は排出情報の把握・公表を目的とする制度であり、排出削減に対する効果は直接の目的となっていない。しかし、実際の効果をみるとTRIには明確にその機能が備わっているように認識できる。その理由として、@グリーンコンシューマーの増加、A環境保護団体の活動があげられる。

@市場からの圧力

現在、米国の市場では消費行動をとる際に、環境という要因を重視するグリーンコンシューマーが増大している傾向がみられる。そのような中で、環境を汚染しているという企業イメージは大きなマイナス要因となりうるものである。また、グリーンコンシューマーではないものにとって見ても、「汚染企業」というイメージは十分に購買意欲を下げうるものである。また、企業の環境報告書等の普及などにより、企業のグリーン調達の普及も広がっている側面も見られる。また、資本市場という側面からみても、環境に対して悪影響を与えている企業に対して投資を行う事はリスクの高いものとみなされている。これらの作用が、総合的に「市場からの圧力」となって、企業の自主的な化学物質削減へとつながったものと考えられる。

 

A環境保護団体の活動

 ただ、情報の公表がすぐに市場からの圧力へとつながったか、というとそういうわけではない。そこには、環境保護団体の存在があった。環境保護団体はTRIデータを分析・解析し、一般市民に分かりやすい形で提供をしていた。このようにして、分かりにくい科学的データを分かりやすく提供することが、最終的に市場からの圧力へとつながっているのである。

 

2−3.米国との制度・背景比較から予測される排出データ公表以降の動向

 米国と日本との制度の違い、また制度実施にまつわる背景から考えられる日本制度の懸念点として以下の三点があげられる。

公表表制度の違い・・・米国においては全ての事業所データは公表されるが、日本ではそのデータは開示請求をしなければ公表されない仕組みとなっている。この公表制度の違いが、情報が市民に届きにくくなる一要因として考えられる懸念であるが、実際のところは米国において公表されているデータだけを市民が直接見ているわけではなく、それをNGOなどの機関が加工して公表しているのが実際の所である。そのため、この部分はBのNGOの取り組みが重要な鍵となると考えられる。

グリーンコンシューマー、企業のグリーン調達の状況・・・現在の日本におけるグリーンコンシューマーの育成状況としては、その多くが「環境問題に関心がある」「どちらかといえばある」という人の合計が8割から9割を占めているが、しかしその中身を見ると、実際に環境問題に配慮した行動をとっている消費者というのはそれほど多くないのが分かっている。その原因としては「情報が手に入らない」「購入に手間がかかる」といった理由があげられている。

NGONPO組織の取組予測・・・現在の日本のNGONPO(特に地域密着型のNGONPO組織)の育成状況としては 徐々にその活動が根付いてきている(例:http://www.st.rim.or.jp/~jhattori/)事を実際に目にする事ができるが、NPO認定の要件の一つに「広域性」などもあることから、制度的な面からもNPONGO組織の働きを促進されるようなシステム設計が必要であると考えられる。

 

 

3.市民のリスク情報ニーズの調査 ‐荏原製作所などの事例を用いて‐

このような背景で今後市民に対してわかりやすいリスク情報の提供が必要となっている。そこで「具体的に市民に対してどのような情報提供を行えばよいか」という部分で、日本で話題に上がったリスクを巡る問題、特に化学物質を巡る問題において、市民がどのような情報を求めたかを調査することによって、市民に対する分かりやすい情報提供の形を模索した。具体的な事例として、荏原製作所のDXN問題を主に取り上げ、この問題をめぐって藤沢市や実施された緊急説明会などにおいて、どのような情報が求められたかを調査・分類した。

 

3−1.調査資料

調査資料としては以下のものを使用した。

      藤沢市へ寄せられた要望の集計

      引地側緊急説明会議事録

      中小企業総合事業団実施アンケート

 

3−2.情報ニーズの分類

分類

情報ニーズからの人の分類

主な質問、情報ニーズ

資料から分かる主な属性等

TYPE A

身の回りの直接影響型

**は大丈夫か?

藤沢市や神奈川県への質問者

TYPE B-1

詳細情報要求:DXNの全体像把握型

DXN全般(性状・影響など)に関する情報提供をしてほしい

消費者団体、藤沢市への質問者

TYPE B-2

詳細情報要求:対策情報型

市の対策に関する情報提供をしてほしい

個人でできる対策の情報提供をしてほしい

TYPE B-3

詳細情報要求:原因究明型

焼却炉データの情報提供をしてほしい

引地川緊急説明会参加者

過去のDXNデータ推定の情報提供をしてほしい

TYPE C-1

就業環境型:外発型

成分や取り扱い情報の提供

企業関係者、法人顧客

TYPE C-2

就業環境型:内発型

取り扱い、危険度情報

従業員

*色つきの部分⇒主に一般市民である事が推測される。また、調査資料内の質問数などから色が濃いほど、そのような質問・要望をもつ人が多い事が推測される。

 

4.現在のDXNチュートリアルとの情報内容の比較

4−1.現在のDXNに関する政府関係資料の内容

⇒リンク参照(http://www.env.go.jp/chemi/dioxin/course/index.html

 

4−2.TYPE-Aに対するリスクチュートリアル、リスク情報チュートリアルの必要性

 現在作成されているDXNチュートリアルを参照したところ、TYPE-Aの人々に対して十分納得を得られるようなリスク情報が準備されているとは考えられない。その理由として

      測定数値の意味

      環境基準値の設定

等の要素がTYPE-Aのような人々に対しては、分かりにくいものと考えられる。そこで、これらの要素に関してのリスクチュートリアルを作成することによって、彼らの不満や疑問などを解消する事が可能であると考えられる。

 

 

5.今後の計画

 リスクを巡っては先進国である欧米のリスクチュートリアルの作成状況を調査し、その国民性・宗教性などを加味した上で、日本の状況に適したリスクチュートリアルを作成し、その有効性を検証する。

 

 

6.参考資料・WEBサイト

      「リスクコミュニケーション ‐相互理解とよりよい意思決定を目指して‐」吉川肇子 福村出版

      環境省HP (http://www.env.go.jp/chemi/prtr/risk0.html )

      PRTRデータを読み解くための市民ガイドブック 環境省

      PRTRの日米比較」 黒川哲志

http://www.tezukayama-u.ac.jp/tlr/kurokawa/kurokawa4_j.htm

      TOXIC RELEASE INVENTORY PUBLIC DATA RELEASE REPORT, 4-16 & table 4-7 (Change in Total TRI On-Site and Off-Site-Releases, by Industry, 1988 and 1995-1997), EPA1997http://www.epa.gov/oppintr/tri/tri97/drhome.htm

      日経エコロジー、エコプロダクツガイド2002、日経BP社、2001128日発行

      藤沢市市民の要望集計・引地側緊急説明会

http://net.community.city.fujisawa.kanagawa.jp/MailBBS/ComED/fuji-diox/board/

      中小企業総合事業団実施アンケート  

http://www.jasmec.go.jp/kankyo/h12/book/2csb/risk/12cs_risk.htm

      関係省庁共通パンフレット                   ダイオキシン類        

      ナツメ社             図解雑学 ダイオキシン            左巻健男、露本伊佐男

      白亜書房             ダイオキシン百科     宇田川恵、毎日新聞社浦和支局