森泰吉郎記念研究振興基金報告書（2001年度）

汎用CADシステムの利用が
企業の技術知識管理に与える影響

The Effect of "Multi-Purpose CAD" Systems on Technical Knowledge Management in Manufacturing Firms

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科
Virtual Systems Research Project 榊原清則研究室
修士課程2年　大野秀敏 / ohno@sfc.keio.ac.jp

※本研究は基金申請時（2001年6月)には「日本の製品設計プロセスにおける新世代設計支援メディア導入の含意」というタイトルであったが、研究の方向性を明確にするために、新世代設計支援メディアとしてCADシステムを考察するという内容に焦点を絞り、「汎用CADシステムの利用が企業の技術知識管理に与える影響」というタイトルに改題し研究を進めた。以下に修士論文の要約を掲載し、研究成果報告とする。

要約:　本研究では製品開発プロセスへのCAD（Computer Aided Design：コンピューターを援用した設計）システム導入と、企業内技術知識・ノウハウ管理との関係について議論する。我が国では1970年頃から自動車業界を筆頭に、CADシステムを内製していた企業が多かった。しかし三次元ソリッドCADと呼ばれる新世代CADシステムが登場した1990年代以降は海外ベンダー製の市販CADパッケージ・システムが市場を席巻している。こうしたシステムは必ずしも日本企業向けに設計されているわけではなく、1980年代に栄華を極めた我が国産業の持つ強み・特長を必ずしも活かせないという恐れが指摘されている。本研究では、CADシステムを「自社開発CAD」「海外製汎用CAD」の二つのカテゴリに分類した上で、日本企業の持つ強み・特長としての「技術知識・ノウハウ」管理との関係を企業戦略の観点から分析した。その結果、製品開発において他社との差別化が図れる工程については「技術知識・ノウハウ」の囲い込みを行うために自社開発CADシステムを配置しながら、外部企業とのオープンな取引を行うためには、汎用CADシステムの利用を積極的に進めてゆくべきであるとの結論を得た。その上で、高度情報化時代に日本の機械系メーカーが国際競争力を回復・維持してゆくためには、部品の幾何データを規定する"プロダクト・モデル・フォーマット"に代わり、暗黙的な技術知識やノウハウ・設計意図といった粘着性情報を効率的に移転することのできる"セマンティック・フォーマット"といった新標準フォーマットの開発が必要であることを提案している。

Abstract:　This research discusses issues in using CAD (Computer Aided Design) Systems in product development process and internal technical knowledge management. CAD systems have been widely utilized in Japanese industries, especially in automobile industry, since 1970's. However, after the emergence of the new generation CAD system, 3 dimensional solid CAD, packaged CAD systems of foreign vendors have taken up the market. It is often pointed out that these systems are not necessarily designed for Japanese companies, and it is difficult to capitalize the strengths and features of Japanese industry, which prospered in 1980's. In this study, the relationship between the use of CAD systems and the management of technical knowledge is analyzed from the perspective of corporate strategies. CAD systems are categorized into two groups in the analysis; "In-house CAD" and "foreign-made multi-purpose CAD". In the phases of product development, which leads to differentiation from competitors, companies should adopt in-house CAD systems in order to enclose technical knowledge / know-how. In order to facilitate open transactions with external organizations, companies should actively adopt foreign-made multi-purpose CAD. Finally this thesis proposes the necessity of developing a new standardized format instead of current "Product Model Format" which prescribes the geometric data of components. In order for Japanese mechanical manufacturers to recover and retain global competitiveness, development of "Semantic Format" which enables efficient transfer of sticky information such as tacit technical knowledge, know-how and design intent is highly recommended.

1.研究の目的

本研究の目的は日本企業における製品開発インフラストラクチャー整備の問題点を指摘し、今後「産学官」が一体となって取り組むべき具体的な方策を提言することである。

2.研究の構成

研究は大きく分けて「マクロ的分析」と「事例調査」の二つのステップを踏んでいる。それぞれのステップでは異なる情報収集手段をとっている。

郵送質問票調査は2000年11月～12月に（財）機械振興協会経済研究所コンカレントエンジニアリング研究会と慶應義塾大学大学院榊原清則研究室（大野秀敏）との共同サーベイという位置付けで実施された。製品開発プロセスへの情報技術導入・活用の実態を把握し、日本機械系産業のコンカレントエンジニアリングがどのように変化しつつあるのを明らかにすることを目的としている（下記注1参照）。

調査対象：上場機械製造企業（複数の事業部門を要する場合は、そのうち主要事業部門を対象とした）合計658社、店頭公開企業・未上場企業から無作為抽出で42社、の合計700社・事業部。回答対象は製品開発関連部署の責任者とした。
調査時期：2000年11月7日（発送）～同年12月4日（回収締切）
回収率：17.0%

注1) なお、本サーベイ結果は”機械工業経済研究報告書H12-5「日本型コンカレントエンジニアリングの変容」（平成13年、財団法人機械振興協会経済研究所）”にて記述済みである。

また、2001年度はこの定量データからの発見を手がかりに質的なサーベイを行った。具体的にはインテンシブな個別ヒアリング（後述）および外部研究会への参加である。

3.マクロ的分析

マクロ的分析のステップでは、Ⅰ．CADシステムの特徴や「自社開発CAD」「汎用CAD」という分類、Ⅱ．製造業を取り巻く環境変化、Ⅲ．三次元CAD導入及び利用の実情という三つの視点から調査を行ない、先行研究をレビューした。大きなFindingsは以下の4点である。

【汎用CADと自社開発CAD】　現在存在する汎用CADシステムの多くは海外製で、それらは決して日本企業に最適化されているものではないにも関わらず、表面的にみればCADシステムの汎用化は時代の潮流となっている。

自動車業界に見る汎用CAD化への動き

【水平分業化へのパラダイムシフト】　EMS（Electronics Manufacturing Service）に代表されるような新たなビジネスモデルの台頭により、グローバルな視点での製品開発バリューチェイン再構築（垂直統合 → 水平分業）が迫られてきている。またこうした分業構造の元では組織境界をコントロールする上で、自社の持つ技術知識・ノウハウの管理が決定的に重要である。

【情報共有化と工程による三次元CAD利用率の違い　--　2000年度郵送質問票調査より】　機械系産業における三次元CADの導入・利用の実情についてマクロにみてみると、旧システム（二次元CAD）を完全に置き換える形ではなく、それに追加される形で導入されている。だが、全工程に満遍なく追加導入されているのではなく工程毎に差がある。一方で、導入に際して再重視されているのは「情報共有化・一元化」であり、現実とのギャップがある。その原因は組織間の分業構造やコミュニケーションスタイルといった因子に関連する可能性がある。

【自社開発 vs 汎用という視角】　三次元CADが製品開発パフォーマンスに与える影響については、既にさまざまな角度から議論・実証研究がなされており、イノベーション研究の枠組みの中で一定の成果を創出しているが、「汎用と自社開発」という分類を意識した研究はほとんど存在しない。

マクロ的分析からのこうしたFindingsに基づき、議論の骨格となる理論的フレームワークを構築して問題提起を行った。具体的には、上記Finding「汎用CADと自社開発CAD」という視点を採用して、グローバル水平分業環境下における企業競争力・産業競争力を探索するため、こうした分野では既に先進的な変化を遂げつつある半導体産業との比較を試みた。また、より一般性の高い議論を行うためvon Hippel(1994)の「情報粘着性仮説」を導入した。以下では「情報粘着性」について示す。

4.問題提起

情報粘着性（Information stickiness）とは「情報の移転のしやすさ」に関わる概念で、① 情報の受容者が利用可能な状態に情報を加工する過程、② 実際に移転する過程の二つの過程に必要な費用として定義される。情報移転のための費用が高ければ粘着性は高く、費用が低ければ粘着性は低いということになる（von Hippel，1994）。この概念はもともと、企業においてイノベーションが発生する場所（locus）、すなわち問題解決が行われる場所がどのように決定されるのかを合理的に説明するために導入された仮説的概念である。

*von Hippel(1994), "Sticky Information" and the Locus of Problem Solving:Implications for Innovation,Management Science,Vol.40,No.4

本研究ではこの考え方を参照しながら、半導体産業におけるEDAツールの変遷を参照することによって、（ASICなどのように）高度にカスタマイズされ複雑化した製品の設計・製造を行う際には顧客ニーズ情報や製造上のルールといった、それぞれの企業に粘着的な（sticky）情報を移転させる媒体として設計ツールが機能することを確認した。更にこうした設計ツールは、かつてはそれぞれの企業が独自に開発を行ってきたにもかかわらず、現在では"オープン化志向"の考え方を提唱するCadence社のような専門のベンダーによって提供される潮流にあることもわかった。海外汎用CADシステムの急速な広がりやEMSに代表されるような業界のアンバンドリングをみれば機械系産業もほぼ同じ道を辿っているように見える。確かに、半導体開発・製造のように高度に水平分業化された産業構造ほど外部企業との調整コストの低減を追求する傾向にあるため、ツールの汎用化（オープン化）は合理性を持つ可能性が高い。
しかし、問題はこの動きが必ずしも日本の伝統的な機械系企業において企業競争力を高める方向に進むとは考えにくいことである。その理由として、上述のとおり現在支配的になりつつある汎用システムが全て欧米製であり、日本のユーザーを意識して開発されたシステムではないという点が一つ。また、そうした海外製システムのカスタマイズを行う場合、その企業が保有している粘着性の高い技術ノウハウが外部のCADベンダーによってパッケージに実装されて汎用化し、やがて他企業へ移転してしまう可能性があるという点がもう一つである。

こうした問題意識から、本研究ではよりインテンシブな調査アプローチとして、「自社開発CADシステムを中心にしたシステム構築をしている企業」と「汎用CADシステムを中心にシステム構築をしている企業」を一社づつ選び、それぞれどのようなインセンティブを持ってCADを利用しているのか、汎用CADシステムの利用は実際に技術情報・ノウハウの流出につながっているのか、などを調査した。前者のサンプル企業としてヤマハ発動機（株）、後者のサンプル企業として本田技研工業（株）を選定した。両企業はそれぞれ自社開発CAD、汎用CADを活用している企業として（場合によってはその代表格として）一般に報じられている。機械系産業全体をカバーすることはできないが、本研究では、比較的データの得られやすい自動車産業に焦点を当て、その中でもとりわけ代表的なこれらの企業を選定することにした。なお、両企業とも、社団法人）日本自動車工業会加盟企業（2002年1月現在の加盟企業総数は14社）であり、日本自動車業界を代表するサンプルであると考える。

5.事例調査と考察

両事例の観察結果を簡潔に示すと以下の図のようになる。事前調査では得ることのできなかった事実として、いずれの事例も汎用CADシステムと自社開発システムを混在させているということがわかった（下図AおよびB参照）。

A.自社開発システムを中心としたシステム構築の例（ヤマハ発動機株式会社）

B.汎用CADシステムを中心としたシステム構築の例（本田技研工業株式会社）

これら事例からわかることは、自社開発と汎用のどちらを選択するか問題はまさにmake or buy の問題であり、自社コア・コンピタンスのベースとなっている工程には自社開発システムを配置しつつ、しかし外部企業との分業体制（情報共有化）を志向するためには原則として汎用システムを選択する方向にバイアスが働くということである。ここでいう汎用システムとは、汎用フォーマット・汎用プロトコルと言い替えてもよい。

Openな分業モデルと自社差別化

こうした発見は、マクロな観察結果としての「海外汎用システムを採用 → カスタマイズを目的として自社のstickyな技術情報をベンダーへ提示 → 汎用システムに自社情報が反映・パッケージ化（流出）」というスパイラルは、それ自体が企業競争力の低下を直接的に招くわけではないということを意味している（もちろん可能性ゼロではない）。水平分業を旨とした産業構造のもとでは、ノンコア領域の作業工程は積極的に外部資源依存を行うことで高い合理性が生まれる。こうした工程に蓄積されている技術知識・ノウハウは、仮に外部からの観察可能性が低く、また外部への移転が困難(sticky)だからといって、必ずしも他社との差別化の源泉にはなっているとは限らない。そうした工程にある情報は積極的にパッケージ化し、より多くの企業が利用可能な形で形式化することにメリットがある。一方自社は、自社のコア領域について自社開発システムの占有的な利用を行ない、外部との取引において汎用的なプロトコルを用いればよい。調査事例対象の二社は、システム構築の出発点こそ180度違ったものの、いずれも自社開発と汎用との共存バランスをうまくコントロールし、「プロトコルとしてのCAD」活用を実施していたのである（上図）。

6.提言および結論

以上のような調査結果から、本論文ではわが国の産業競争力強化という視点で「製品開発におけるコミュニケーション・プラットフォームのイニシアティブ」を日本が握ることの重要性を提起した。必ずしも海外汎用CADシステムに対する新たな和製CADを開発するということではなく、むしろ既存の汎用オープン・ネットワークを前提とした上で、日本企業が得意としてきた濃密な組織間コミュニケーションのメリットを十分に活かすことのできるセマンティック・フォーマット（下図）を開発することが効果的であるとの指摘である。このフォーマットは、製品開発プロセスにおいて発生する粘着性の高い意味的情報（セマンティクス）を効率よく他の組織・企業へ移転することを目的としており、日本企業の持つ組織間コミュニケーション能力を十分に活かした上で、オープンな取引市場の上でさまざまな技術知識の流通を可能とするものである。

Semantic Formatの位置付け

これまで展開してきた議論を振り返って当初の個人的な問題認識に立ち戻ってみると、そこには『テクノ・ナショナリズム』的な、つまり技術知識やノウハウの流出に対して非常にネガティブで技術保護主義的な立場があったことに気づく。しかし本研究が最終的に提出した提言の根底にある思想はこれとは逆の、『テクノ・グローバリズム』である。技術知識・ノウハウの積極的な流通基盤を整備してできるだけ広く効果的に活用するという発想がそこにはある。こうした思想は短期的な投資効率を追求する企業経営者にとっては確かに厄介なものかもしれない。しかし、日本企業のパフォーマンス低下が叫ばれる今こそ、我々は中長期的な視野から情報化時代における「技術の流通性」について真剣に議論をし、世界的な技術進歩への貢献をしてゆくべきではないだろうか。

以上

森泰吉郎記念研究振興基金 報告書（2001年度）

汎用CADシステムの利用が企業の技術知識管理に与える影響