森泰吉郎奨励奨学金 研究者育成費(修士課程)

欧州の河川空間をめぐる地域協力の多角的研究手法

慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程

中林 啓修(80031938

<研究課題>

 2001年度 森泰吉郎記念研究振興基金申請に際して、私は以下のような研究課題を設定した。

 すなわち、欧州の代表的国際河川の1つであるドナウ河の流域社会をケースとして、冷戦体制崩壊後の世界において進展するグローバリゼーションの中で新しく形成されつつある地域社会像を分析する。具体的には、流域社会形成の基礎となる3つの項目(ハードウエア・オルグウエア・ソシオウエア)について、環境や産業、文化・情報といった要素も織り込んだ多角的な分析を行い、どのような合力と反発力が地域形成に作用しているかを時系列的に解明する。この際、ナイカンプのペンタゴンプリズムをもとに独自の分析ツールの作成も試みる。これらは、予定される学会発表や修論作成を通じて実現され、博士課程進学後の継続研究の強固な基盤を形成する事が期待される。ここで、分析ツールとは以下に示す<ヘクサゴンプリズム>のことである。

 

<ヘクサゴンプリズム>

         ソフトウエア(多義性)

                                              :上部構造

エコウエア(持続性)             フィンウエア(効率性)

 

ガバナビリティー→            ←フレキシビリティー              :下部構造

   

     オルグウエア            リンクウエア(連結性)

     (社会組織性)                     *オルグウエア・リンクウエアからの矢印

           ハードウエア(単一性)            は共に上部構造全体にかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一般論として、地域全般を捉える概念は、地勢的に区分できる自然地域と人間と自然とのかかわり合いにおいて形成される社会地域の2つに大別できる。ある特定の地域を考察する時、両者は二項対立的に存在しているのではなく、重層的にその地域を包括している。例えば、広く「東欧」という地域について考えてみても、これは、山脈等で仕切られた自然地域としては「ポーランド平原」「ドナウ流域」「バルカン半島」とい3地域が考えられるが、一方でこの「東欧」は、そこに暮らす人々の歴史的・文化的・社会的差異に基づいて「中東欧」「南東欧」といった社会地域によっても区分しうる。特にこの社会地域について国境や民族の集住性によって無数の組み合わせがあり得る。

これを踏まえ、本研究のフィールドとなるドナウ流域について考えてみると、この地域は一方でカルパチア山脈以南、バルカン以北と言う比較的明瞭な地勢的区分をもった自然地域であると同時に、経済を軸とした様々な要因で上下流に生きる人々を繋ぐ社会地域であるとも言え、この傾向は人々の価値観が多様化した今日特に顕著である。そこで本研究では、この社会地域としてのドナウ流域を中心に考察していく。

前ページに掲げたヘクサゴンプリズムは、自然地域の概念にも留意しつつ、この社会地域としてのドナウ流域をより概念化した仮定モデルである。このヘクサゴンプリズムには、2つの特徴がある。

第一点目は人間と自然地域とのかかわり合いの中で地域から人間社会にもたらされる諸機能を指標としていることである。具体的には、自然地域としてのドナウ流域の地勢的同一性(ハードウエア)を軸に、地域社会形成力(オルグウエア)や他地域との連続性(リンクウエア)によって構成される基部構造と、社会地域としてのドナウ流域の多義性(ソフトウエア)を軸に、地域社会の環境的な持続力(エコウエア)と地域資源(人的/物的)の利用形態(フィンウエア)から成る上部構造、そして両者を繋ぐ2本の柱から成る。この2本の柱とは、オルグウエアからもたらされる自立的な地域運営能力(ガバナビリティー)とリンクウエアからもたらされる地域概念の弾力性(フレキシビリティー)である。

2点目の特徴は、この指標の中に今日の欧州統合に欠かせないガバナンスの概念と、エコウエアやフィンウエアといったガバナンスにかかわりの深い指標が含まれている点である。これによりヘクサゴンプリズムは、ガバナンス論という実際的な分析手法を伴った実体的なモデルとなっている。

 

 

<成果>

 当初、本研究は議論をハードウエア・オルグウエア・ソシオウエアに絞り込むことを想定していたが、実際に研究を進めていく中で、注目点が以下のポイントに変化していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 より具体的には、当初の注目点である下部構造については2001年度ロシア・東欧学会全国大会で、ドナウ流域におけるハプスブルク帝国の位置付けなどにも言及しつつ以下のような主旨の発表を行った。

 

成果:1

2001年度ロシア・東欧学会全国大会発表

ドナウ流域社会をめぐるガバナンスと規範形成

 今日の欧州統合はしばしば「ガバナンス」という概念を用いて説明される[1]。これは、今日の欧州統合が、一元的・中央集権的な政治システムのもとに進展しているのではなく、多様で多層的なアクターの相互依存関係の上で進展していることを指している。

この欧州統合は、具体的には「EUの東方拡大」という形をとって1989年以降共産主義体制から民主主義と自由経済への移行を図っている中東欧諸国をも巻き込んだ一大運動となっている。特にこの中でハンガリーやチェコ、オーストリアを中心としたドナウ上流域は歴史的に民族の多様性を内包してきたと言う事実から注目を集めている。いわゆる「中欧の復活」論である[2]。今回の発表では、この欧州統合の進展に伴う「中欧の復活」を起点に以下二つのテーマを取り扱う。

1テーマは今日の「中欧の復活」論に対する理論的意義付けである。具体的には「中欧の復活」論に伴い再評価の対象となっているハプスブルク帝国やドナウ連邦構想に対して、ガバナンス概念を用いた再検討を行ない、従来指摘されていた欧州統合との類似性についての理論的説明を試みる。ここでは特に19C.中葉以降のハプスブルク帝国内諸民族によるオーストリア理念の追求や同時期のドナウ連邦構想の形成過程を検討の対象とする。

2テーマは、国際河川の航行管理と言う視点からの19C.中葉以降今日までのドナウ流域の国際環境と今日の欧州統合との連続性の検討である。ここでも、ガバナンス概念を用 い、ドナウ委員会の設立と展開を中心に議論を進める。

なお、この時の発表では第1テーマについては試論的な予備的考察にとどめ、第2テーマを中心に議論を進めていった。

 

 この発表における討議を経た結果、本研究はその焦点を、下部構造そのものから、上下を繋ぐ構造、特にガバナビリティーの成り立ちにシフトした。それは、上記発表を通じてドナウ川を巡る今日の社会関係とは、先のヘクサゴンモデルそのものと言うより、上下を結び付けるメカニズムを中心に形成されていることが明らかになってきたからである。修士論文はこの観点で作成された。内容の要旨は以下の通りである。

 

成果:2

修士論文

  <要旨(邦文/英文)>

 

修士論文主旨 2001年度(平成13年度)

中東欧の国際河川管理に関する制度設計と欧州統合の研究

〜レジーム論的ガバナンス論の視点から〜

 近代以降の欧州における国際河川管理は1815年に締結されたウイーン議定書によって本格的にスタートした。当初の国際河川管理は、専門機関として各河川に設置される委員会によって河川の航路としての機能を中心に行われることになっていた。具体的には通行税の徴集や航路の確保などが委員会の主な活動であった。また、この時国際河川の「航行の自由」の適用範囲が議論された。

 ドナウ川を国際河川として管理する試みはクリミア戦争の講和条約である1856年のパリ講和条約の中で始めて行われた。この条約に基づき、ドナウ川の管理は、沿岸国委員会とこれを補佐するヨーロッパドナウ委員会という2つの組織によって始められた。しかし沿岸地域における民族問題や「航行の自由」を巡り、オーストリアと英仏が対立したことから沿岸国委員会が機能不全をおこしたため、1878年のベルリン会議において2つの委員会の機能はヨーロッパドナウ委員会に統合された。これ以降、ドナウ川は非沿岸国の代表を含めたヨーロッパドナウ委員会とその後継機関によって航路管理がなされた。ここでは「航行の自由」の適用範囲の拡大とともに英・仏・独・露が主導的な役割を果たしていた。この枠組み冷戦体制下でも曲折を経つつ一応維持されていた。

 一方、1950年代後半頃から、ライン川を中心に欧州の国際河川においても環境問題が顕在化し始め、1963年にはライン沿岸国の間で汚染防止の協定が締結された。ドナウ川沿岸において環境問題が顕在化しはじめたのは1980年代に入ってからであった。

 やがて冷戦体制が崩壊すると、EU主導による欧州統合の中で、ドナウ沿岸にも環境保全など非航行利益を維持するための地域協力が芽生えはじめた。その代表と言えるのがドナウ川保全国際委員会である。この国際委員会は環境保全のための専門委員会であり、EUも参加している。この委員会は環境保全のための様々なプロジェクトを実施している。

 そして今日、ドナウ川の管理はEUの支援のもとで、管理対象となる利益の拡大とともに、従来から活動を続けているドナウ委員会(航行利益)とこのドナウ川保全国際委員会(非航行利益)の活動を中心に進められている。ここにはNGOも含めた多種多様な主体が参加している。

 このように、今日の欧州の国際河川管理は、冷戦体制下までのような単一の目的を持って行われるレジーム的管理から、複数の目的を調和的に追求するガバナンス的管理へと移行しつつある。

 

<キーワード>

*航行利益 *非航行利益 *ドナウ委員会 *欧州統合 *ガバナンス

 

Abstract of Master’s Thesis

Academic Year 2001

The system development of international river management in Europe under the support of European Union

 

 Modern international river management was started with the Vienna Congress in 1815. Originally, a “Commission” as the Specialized Agency manages each of the international rivers as the inland waterway. The main task of the commission is taxation and keeping river condition suitable for navigation.

 The Danube River as an International River came under control with the Paris peace treaty in1856. In that time, two commissions (European Commission of the Danube: ECD and Riparian Commission of the Danube: RCD) managed the Danube. RCD however, became a failure because of the conflict over some international-political and economical problem (ex. the rising of some nations in Central-Eastern Europe and the Argument of the idea of ”Freedom of Navigation”) between Austria and Western power (French and British Empire).

Therefore, roles of these two commissions ware unified to ECD with the Berlin Congress in 1878. After that, the Danube was managed by ECD and her successor. With the Expanding coverage of the idea of ”Freedom of Navigation”, French, British Empire, German, and Russia (or USSR) have the initiative of control.

 Since the 1950`S, the idea of ecology is focused on international river management in Europe. Since the end of the cold war, more regional cooperation around the Danube basin has been organized for keeping non-navigational interest. This movement of the development under the powerful support of European Union as well as the Danube Commission for navigational interest and The International Commission for Protection of the Danube River (ICPDR) for non-navigational interest. At the same time, the support of European Union means that International Rivers in Europe is starting to be managed with harmonization between navigational interest and non-navigational interest, today.

 Therefore, it is remarked that today’s idea of International river management in Europe is in transition from a regime style system to a governance style system as the way for keeping multi interest.

 

Key Word

navigational interest *non-navigational *Commission *European Union *governance

 

 この時、ガバナビリティおよびガバナンスは特にレジームとの関連において議論が進められたが、ここでは以下に挙げる山本吉宣の類型化モデルを参考に、このモデルに動的な要素を加えていく形で分析した。

3-1:ガバナンスの類型(構造から)1山本吉宣(2001)より転用

 

3-2:ガバナンスの類型(構造から)2

類型

定義

事例

A:狭義のレジ−ム

特定問題領域における国家間のルールによる制御。

NATO

B:多問題領域のレジ−ム

広範な分野における階層的・整合的なレジ−ム。

GATT

C:国家間の協調システム

多様な手段によって共通目標を達成しようとする国家間枠組み。

コンサート・システム

(ウイーン体制など)

D:広範囲の国家間協調

  システム

広範囲におよぶ問題領域を多様な手段で解決していく国家間枠組み。

サミット

E:多様な主体による

  レジ−ム

特定問題領域における多様なアクター間のルールによる制御。

国際標準化機関(ISO

F:広範囲の多様な主体

  によるレジ−ム

広範な分野において、多様なアクターが参加した階層的・整合的なレジ−ム。

該当無し。

(将来的にWTOに非国家主体が参加した姿)

G:単一グローバル・

  ガバナンス

特定の問題領域について多様なアクターが様々な手段を講じて問題解決を図る枠組み。

対人地雷全面禁止条約(の制定過程)

H:複合的グローバル・

  ガバナンス

広範囲におよぶ問題領域について多様なアクターが様々な手段を講じて問題解決を図る枠組み。

該当無し。

(将来の国連システム?)

*この類型はグローバルガバナンスを想定したものである。しかし、ドナウ流域(ある

 いは欧州)といった規模の地域を考える時、その領域的な範囲の差が類型に与える影

 響は小さいと判断し、本研究の分析枠組みとして採用する。

 

 このときの結果を総合的にまとめると、以下のようになった。すなわち、レジームとして、当初Aの地点から出発したドナウ川の管理(オルグウエア)は第二次世界大戦後にこれに参加するアクターが拡大したことでEの地点(多様な主体によるレジーム)に到達した。更に今日、EU主導による地理的・社会的な欧州統合の過程で、ドナウ川の管理は多様なアクターにより複数の利益(環境保全・経済利益など)を追求するガバナンス的な管理に移行しつつある。このことから今日のドナウ流域社会は河川管理の分野においてガバナビリティーが生まれつつあるといえる。

 

 

成果:3

グローバル・ガバナンスプログラム最終発表

 上記成果2において、単体レジームから多様な主体によるレジームへの移行(AEへの移行)について、根拠がうすいのではないかと言う指摘がなされた。20022月に行ったグローバル・ガバナンスプログラムでの最終発表では、この指摘に応えるべく、修論の内容に以下のポイントを加えた発表を行った。なお、この時の発表で使用したパワーポイントはhttp://www.sfc.keio.ac.jp/compacts/ggfp.htm

 <ドナウ川の河川管理におけるアクターの拡大>

 ドナウ川の航路管理において、戦後大きな役割を果たした非国家のアクターとして、ヨーロッパ商工会議所連盟ライン・ローヌ・ドナウをあげることができる。これはライン沿岸からドナウ沿岸にかけての各地の商工会議所が参加する国際的な非政府組織で、1949年にロッテルダムで発足し、1998年より現在の名称で呼ばれるようになった。

 連盟は設立当初よりライン・マイン・ドナウ運河建設を主張し、これは各国の了承を得るところとなった。連盟は1965/66年の定款改定においてライン・マイン・ドナウ作業部会設置し、以降一貫して運河建設を推進してきた。1980 年には水路作業部会が設置され、運河と平行してドナウ川の改修に関する作業も行うようになった。連盟の主な活動は調査・情報交換・広報であったが、特に広報活動等は従来ドナウ川の航行管理に携わってきた流域各国の参加する国際機関であるドナウ委員会の活動にはあまり見られないものであり、連盟の存在と活動がドナウ川の航行管理に一定の多様性を与えていたことは大いに注目されるポイントである。

 



[1] Liesbet Hooghe and Gary Marks(2001)

[2] 最近の国内における著作として堀武昭(2000)などを参照。