2002年度 森泰吉郎記念研究振興基金

研究成果報告書

 

研究課題名:メキシコと中国の「内発的」発展に関する比較研究

研究代表者:環境情報学部教授  山本純一

共同研究者:総合政策学部助教授 田島英一

         政策・メディア研究科博士課程 鄭浩瀾

         政策・メディア研究科修士課程 久保田絵里奈

         総合政策学部4年 鈴木由佳

         総合政策学部4年 田島明日香

         環境情報学部2年 岸上有沙

メキシコ共同体活動経済政治研究センター研究員 グスターボ・カストロ

メキシコ先住民経済社会開発市民連合事務局長 ホルヘ・サンティアーゴ

 

 

1 はじめに――研究の背景と目的

 

欧米先進諸国の近代化理論と開発政策を「発展途上」国に適応することの問題については、すでに1960年代後半からアンドレ・フランクを中心にして、ラテンアメリカを土壌とする従属論で展開され、世界中で賛否両論の議論が巻き起こった。日本においては、すべての国が同様のプロセスをたどって発展すると考える「単線的発展論」に対する批判として高く評価されたものの、民族や国家などのナショナル/ローカルなレベルでの枠組み・視点の欠如、貿易(流通)関係のみを重視した生産分析の欠如、低開発の原因を外因のみに求める欠陥が指摘され、従属論は勢いを失っていった。しかしながら、近代化理論にもとづく開発が貧富の格差を是正するどころか、かえってこれを助長し、開発が低開発を生むといった批判的な見方は、世界の様々な国・地域での実証研究もふまえて、衰えるどころかますます説得力をもつように至っている。

日本において、このような矛盾を抱える「近代化論」を批判的に検証した先駆者の一人が鶴見和子で、80年代に「近代化論再検討研究会」を主宰し、中国・日本の近代化を比較研究した成果として、90年代に入り、「それぞれの地域には、その地域の生態系に適合し、地域の住民の生活の基本的必要と地域の文化の伝統に根ざして、地域の住民の協力によって発展の方向と筋道をつくりだしていくことができる力があり、また、そのような内発的な発展が住民(人間)の成長(発展)にとっても望ましい」とする「内発的発展論」を積極的に展開するようになる。このような「内発的発展論」に対しては、文化人類学の立場から、ごく単純化して言えば、別の発展(開発)をめざすという意味で従来の開発論・近代化論の枠組みを脱構築するものではなく、その亜流にすぎないという根本的な批判が投げかけられている。

しかしながら、日本では単線的発展論に批判的な開発経済学者の間で鶴見の「内発的発展論」を積極的に取り入れた事例研究(『アジアの内発的発展』『仏教・開発・NGO』など)が生み出されると同時に、国際的にみても、開発の現場に立つ専門家の視点から、農村開発における住民の「主体的参加型アプローチ」(ロバート・チェンバース)の必要性が説かれるようになっている。

以上の背景を踏まえ、本研究では、第一に、西欧型の単線的経済開発(近代化)モデルのオルタナティブとして鶴見が提唱した「内発的発展論」を理論的枠組みとして、メキシコ・チアパス州先住民社会における自律的経済活動と中国江西省浮梁県の旧郷鎮企業、同河北省石家荘市村民委員会の経済活動を、現地の研究者・NGO関係者・社会運動家との共同研究およびフィールドワークによって検証・分析し、両国のローカルなレベルでの内発的発展の可能性を検討する。

メキシコ・チアパス州の先住民社会と中国江西省浮梁県の旧郷鎮企業、同河北省石家荘市近郊の村民委員会を取り上げ、比較するのは、グローバル化(経済的には市場主義の導入)という同一の世界的潮流を背景としつつも、前者がメキシコ政府からの援助をまったく受けず、先住民社会の共生の思想とネットワークにもとづき、また、国内外のNGOからの理論的指導と資金・技術援助を受けることによって国家からは自立した自律的経済社会――彼らがいうところの連帯経済――を立ち上げようとしている事例であるのに対し、後者は、鶴見の内発的発展論の事例モデルの一つとして取り上げられ、これまで国家からの庇護・支援にもとづき、地域の諸資源(天然資源、人的資源、社会的ネットワーク等)を活用した発展を遂げ、国内外から高く評価されてきたが、現在は民営化改革が推進されつつあるという、前者とは対照的な開発が進行中で、内発的発展論の射程とその妥当性を吟味する上で、非常に好対照かつ有益な事例と思われるからである。

 第二に、上記事例研究にもとづき、また、文化人類学の立場からの内発的発展論に対する批判を参照しつつ、内発的発展論を理論的に再検討し、可能であれば、同理論の精緻化もしくは修正あるいは新たな理論の構築を試みる。

 

2 研究活動の概要

 

 現地調査に先立ち、文献調査と講師を招いた勉強会(講演会)を実施した。

文献調査は主としてアジアにおける内発的発展を取り扱ったもので、西川潤編『アジアの内発的発展』藤原書店、2001年、西川潤・野田真里編『仏教・開発(かいほつ)・NGO――タイ開発僧に学ぶ共生の智慧』新評論、2001年、鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年、同『コレクション鶴見和子曼荼羅IX 環の巻 内発的発展論によるパラダイム転換』藤原書店、1999年、石田浩「書評 宇野重昭・鶴見和子編『内発的発展と外向型発展――現代中国における交錯』東京大学出版会、1994年」『アジア経済』199512月号などを取り上げた。

 文献調査段階におけるわれわれの問題意識は、鶴見などが賞賛する中国の郷鎮工業化が、鶴見のいう「土着の文化・価値観・生態系・資源などを生かした内発的発展」のモデルケースといえるのかどうか大いに疑問であるとの立場から、自由化・資本主義化の波が押し寄せ、郷鎮企業の「成功」も過去の物語となった中国農村がどのように自立的な発展を模索しているのかを探り、メキシコの先住民社会の事例と比較することにあった。

このため、講師を招いた下記の勉強会を開催した。

 

1)2002726日「メキシコ・チアパス州ラカンドン密林への入植過程と先住民共同

              体に関する考察」

              講師:大阪外国語大学非常勤講師 柴田修子氏

2)2002125日「アジアにおける内発的発展の『メイン・ストリーム化』」

    講師:名古屋大学大学院国際開発研究科助手 野田真里氏

3)20021216日「中国の村落類型と内発的発展」

講師:慶應義塾大学社会学研究科訪問助教授 李国慶氏

 

最初に、メキシコで先住民が入植する地域として有名なチアパス州ラカンドン地域の研究者であり、同地でのフィールドワークの経験豊富な柴田修子氏に、同地域への入植過程の歴史的経緯と現状について報告していただいた。同地域はわれわれが調査する先住民共同体とは隣接する区域で、同じエスニック集団も多いことから、現地調査を実施する際の参考になった。そして同地域への入植者は最周辺に置かれた人々であるので、その生活環境・発展のための初期条件は、われわれが調査する共同体よりも厳しいとの印象をもった。

次に、名古屋大学の野田真里氏には内発的発展の理論的再検討と実践での問題点に関する話をしていただいたが、グローバル化や新自由主義の時代にあって国家の役割が変容し、農村開発予算が削られる中、世銀・IMFが積極的に「自助努力」の内発的発展を評価し、これがメイン・ストリーム化しつつあるとの興味深い指摘があった。

最後に、慶応大学客員助教授として来日していた中国社会科学院社会学研究所副研究員の李国慶氏に、李氏も共同研究者であった「中国の100か村調査にもとづく内発的発展研究」の成果について報告していただいた。ここで議論になったのは、李氏が内発的発展と主張されている事例が果たして本当に鶴見が定義した内発的発展といえるのかどうかという点であった。中国の農村開発の多くは、下層農民の自発的な意思にもとづく開発というよりは、党主導の「上からの開発」という側面が強く、果たしてこれが「内発的」といえるのかという議論であった。李氏はあくまで内発的発展論は理念型であり、実際の内発的発展がこの理念型と異なる場合もあるという立場を堅持したのに対し、本共同研究者の田島助教授は、土着の文化・価値観・生態系・資源などを生かすのが内発的発展論の骨子であり、これを逸脱する開発は内発的発展とはいえないと主張した。

以上の予備研究を踏まえ、下記のフィールドワークを実施した。

 

1)2002916日から925日まで

目的:メキシコでの資料収集および同国チアパス州での現地NGOに対するインタビュー調査と農村部調査のため

参加者:山本純一、田島英一、鈴木由佳、田島明日丘、岸上有沙(ホルヘ・サンティアーゴとグスターボ・カストロとは現地で合流)

日程:

 916日 田島(英)、メキシコ市に到着し、スペイン語研修旅行で現地に滞在していた山本・岸上と合流

 917日 田島(英)、山本、岸上、チアパス州サン・クリストバル市に到着。グアテマラから現地入りしていた鈴木・田島(明)と合流し、メキシコ共同体活動経済政治研究センター(CIEPAC)において同センター研究員グスターボ・カストロ氏の世界経済とチアパス州の経済活動に関する講義と質疑応答。

 918日 マヤ・ビニック(先住民のコーヒー生産者組合)での聞き取り調査

 919日 ヌエボ・イベルホッ(先住民の難民村)での聞き取り調査、同村に宿泊

 920日 同村での集会に参加後、他の村を訪問

921日 メキシコ先住民経済社会開発市民連合(DESMI)事務局長のホルヘ・サンティアーゴ氏に同連合が積極的に推進している先住民共同体の開発計画(彼らは連帯経済と命名)について聞き取り調査。

922日 政治分析社会経済研究センター(CAPISE)創始者のエルネスト・レデスマ氏にチアパスの政治情勢について聞き取り調査

923日 田島(英)、山本、岸上はメキシコ市へ、鈴木、田島(明)はグアテマラに移動し、帰国の途に。

924日 山本は帰国の途に、岸上は米国経由で帰国。

925日 田島(英)、帰国の途に。

2)1111日から1120日まで

目的:DESMIが主催する連帯経済に関する国際ワークショップと先住民女性集会への参加と連帯経済を実践している先住民共同体でのフィールドワーク、文献収集

参加者:山本純一

日程:

 1111日 日本発。飛行機の故障により、バンクーバーにて一泊

 1112日 メキシコ市到着。

 1113日 チアパス州サン・クリストバル市に到着。そのままの足で国際ワークショップへ参加。

 1114日 先住民女性集会に参加。

 1115日 開発NGO(アルフォンソ13世財団)とコーヒー生産者組合(エヒード連合)での聞き取り調査

 1116日 テオピスカ先住民共同体での聞き取り調査

 1117日 メキシコ市に移動

 1118日 文献収集

 1119日 帰国の途に

 1120日 帰国

3)20021220日から20031月6日まで

目的:中国での資料収集および同国農村部調査のため

参加者:山本純一、田島英一、鄭浩瀾、久保田絵里奈、周潔(北京第二語言大学助教授)

日程:

 1220日:田島、訪中。(上海)

   〜1224日:上海福州路、上海図書館等で資料収集、復旦大学訪問、上海社会科学

院等研究機関訪問、出版関係者との打ち合わせ。

 1225日:山本、鄭、訪中、田島と合流。

 1226日:山本、田島、鄭、江西省景徳鎮市浮梁県訪問。

   1229日:県政府訪問、インタビュー、農村、郷鎮企業、国営企業訪問、聞き取

り調査。

 1229日:山本、田島、鄭、上海へ戻る。

 1231日:同三名、河北省石家荘市訪問、周と合流。

   〜1月3日:石家荘市周辺の農村訪問、村民委員会、地元有力者、企業等に対する

聞き取り調査。

 1月4日:山本、田島、鄭、周、北京着。

 1月5日:王府井書城、西単書城等で資料収集。

 1月6日:山本、田島、鄭帰国。

 

9月のメキシコ調査旅行は、調査対象となっている先住民社会の社会・経済活動を知り、その課題を把握することに主眼をおいた。その結果、中国との比較で言えば、メキシコ革命後の農地改革が南部のチアパス州では不徹底に終わったため、人口の自然増や開発(ダムや牧場など)によって土地なし農民が大量に出現し、少なくとも生きる糧を生産する手段=土地が保証されている中国農民との差が明確になった。メキシコが初めての経験であった田島(英)はいみじくも「(チアパス州は)革命前の中国の農村だ」と形容した。また、世界的にも有数のコーヒー生産地域であるチアパスの農民は、政府の自由化政策、補助金や技術支援の打ち切り政策によって、自立を迫られ、国際的なコーヒー価格の下落とあいまって、独自の販路獲得が死活問題で、有機栽培による付加価値の増大とフェアトレードに希望を託していた。

11月のメキシコ調査は、9月に現地開発NGO(DESMI)で聞き取り調査をしたさいに、同NGOが推進している開発活動(連帯経済)に関する国際ワークショップがあることを知り、山本がこれに参加することを希望し、招待されたものである。9月の調査時点で主要な現金収入であるコーヒーの販路獲得の難しさを聞いていたため、同地で生産されるコーヒーを日本にフェアトレードする可能性について調査することも目的とした。ワークショップと女性集会への参加、そして先住民共同体での聞き取り調査の結果、一応の結論として、連帯経済とは地域社会主義的な協同組合活動で、1980年代に日本でも盛んに紹介されたスペイン・バスク地方での活動(モンドラゴン)と類似性が高いのではないのかとの仮説を得た。また、連帯経済が機能している共同体もあれば、そうでない共同体も存在し、その差は、共同体内部で草の根的な民主主義、村民全体の合意形成が行なわれているか否かが鍵ではないのか、また、そのため開発NGOは民主主義を含む、人間教育に非常に力を注いでいることがわかった。これは、チェ・ゲバラが理想とした社会主義における人間像(新しい人間)とフレイレの教育思想(被抑圧者の教育学)に負うところが多いのでないのか、というのがDESMI事務局長にインタビューした山本の印象である。

200212月末から031月初めにかけて中国での現地調査は当研究プロジェクト初めての中国現地調査ということもあり、多種多様な農村発展モデルを俯瞰することに主眼を置き、短期間に4つの農村を訪問、生産現場の見学と、企業経営者、村の有力者、官僚に対するインタヴューを主な調査手法とした。

最初の訪問地である江西省では、茶用の有機栽培と、郷鎮企業、国有企業における工業生産という、第一次第二次産業の混在する農村での調査となった。

一方河北省においては、郷鎮企業における工業生産のほかに、観光、不動産といった第三次産業が盛んな農村を訪れた。いずれをとっても「上からの開発」との印象はぬぐえなかったが、成功の可否は、都市の輻射力にあるとの暫定的結論が導き出された。河北省の農村が、少なくとも農民の現金収入増大という意味で、比較的成功しているのは、大市場たる北京天津地区の存在、及びその衛星都市としての石家荘市の膨張にある。

当地においては、郊外を開発、市街地化することで、いわゆる「城中村」現象が起こっている。それを逆手に、村民委員会を事実上開発デベロッパーに改編、不動産経営等に乗りだした農村が、大きく収入を伸ばしている。但し彼等が「農民」であるのは、単に戸籍がそう規定しているからであって、彼等はもはや農民とは言いがたい。つまりは、農村の非農村化が収入を伸ばすという構図であって、残念ながら内発的発展のヒントにはなりえないケースであった。

なお、農村の非農村化は、農民の生活を最低限保障していた土地を手放すという結果をも生んだ。調査参加者たちは、「将来において生活保障をどうするのか、懸念される」との認識で一致した。

 

 以上の調査を踏まえ、2月と3月には臨機応変に山本と田島が話し合う機会を設け、本報告書の作成に取り組んだ。

 

3 研究成果

 

今回の調査における成果は、部分的にではあるが、2003年田島(英)が出版予定の新書(PHP出版、表題未定)ならびに山本が集英社から出版予定の『今、ここにあるグローバリゼーション』(仮題)、新評論から出版される3巻本シリーズ『失われた「10年」を超えて――ラテンアメリカの教訓』の中の一章、さらに20039月に大阪で開催される国際学会(ラテンアメリカ・カリブ海研究国際連盟第11回大会)での発表に反映されることになっている。また、フェアトレードについては、鈴木、田島(明)が卒業制作として取り組み、下記サイトにその成果が公開されているほか、渋谷にあるカフェとチアパスのコーヒー生産組合との間でフェアトレードを実現し、日本のコーヒー愛飲家にチアパスコーヒーを紹介するプロジェクトが進行しつつある。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s99479ys/

 

4 おわりに――今後の課題と研究計画

 

メキシコの連帯経済については、実際に農村社会で先住民と寝食をともにしなければわからない部分が多々あり、いずれ長期的に滞在して調査を継続し、他の地域(たとえば前述のスペイン・モンドラゴンやブラジル・ポルトアレグレにおける連帯経済的な運動)と比較しつつ、成果を1冊の研究書にまとめる予定である。

中国についても、メキシコとの比較を念頭におきつつ、言葉の正しい意味での農村部(中国のグローバル化、自由化、資本主義化の影の部分で、貧困問題を抱える地区)に入り、現地調査をする必要がある。そのためには、中国のカウンターパートとも情報交換、協力し、本研究に適したフィールドを見つけることが最重要課題である。

最後に、本研究は、今年度の研究成果を踏まえ、来年度以降、グローバリゼーションの時代における中国およびメキシコを含む他の発展途上国における農村開発の実態を比較調査するプロジェクトに発展させる予定である。