2002年度 森基金報告書 

日韓の自治体文化交流政策及び民間レベルに及ぼす影響分析

 

政策・メディア研究科 修士2年

80132889  韓承娥

anes0129@sfc.keio.ac.jp

 

1.             研究課題

 

日韓文化交流の有り型は何であるだろうか?ずっと前から行われている「日韓文化交流」であるが、何が変わって来たのか?現在、両国政府が行う文化交流政策が目指しているのはそもそも何であるのか?という問題意識を問うため、最初研究として、両国政府の「日韓文化交流政策」を調査しつつ、1984年の「新日韓時代」と現在の「新日韓交流時代」のケースを比較分析する事を通じ、政策においてのディレンマを明らかにする。更に、政府がもっとも関わりやすい民間レベルとして、自治体間の交流を調査研究する事によって、政府が民間交流に及ぼす影響を分析する。事例に挙げた自治体は、個人のつながりで30年も交流を続いている寒河江・安東市と横浜総領事の紹介で姉妹関係を結び、W杯のため交流が盛んに行われている神奈川県・京畿道でフィールドワークを通じた調査・分析を行い、政府が民間レベルに及ぼす影響まで把握する。

 

2.             研究の背景と目的

 

日韓は暦史的に見て深いつながりを持っているにもかかわらず、両国の関係は「近くて遠い」と表現されることが多い。暦史的な問題、アメリカの介入、北朝鮮をめぐる争い、経済的な問題、在日韓国人の問題等様々な懸案があるためである。

その一方で日韓関係の新たな展開として、両国首脳は(小渕首相・金大統領)1998年「21世紀新しい日韓パートナーシップ共同宣言」の発表と同時に「新日韓交流時代」を宣言した。 それをきっかけにして日韓IT協力イニシアチブや2002年ワールドカップの共同開催等、政治・経済・社会・文化の各分野でお互いに本格的な協力や交流の必要性を感じ始めたと言える。  

そこで、2002年の日韓国民交流年を迎え、両国が本当の協力国になるためにはまずなにが必要かを検討してみたいと思う。具体的には今まで数十年間行ってきた「文化政策」における「文化交流」がどのように扱われているかを顧みたいと思う。

 

外務省の「国際文化交流」に関する定義をのぞいてみると、“国際文化交流は、人や心や考え方の交流を進める事で相互理解と信頼関係を確かなモノとし、平和で安定した国際関係の構築に寄与するものである。同時に、国際的な交流を通じて、多様な文化の接触と相互刺激が実現され、より豊かな文化の創造と世界の文化の向上をもたらすものといえる。また、国際文化交流は、我が国にとって、世界各国での対日関心の高まりに積極的に対応するものである。文化交流を通じて、我が国自信の国際化を進め、国際的に開かれた豊かな文化を持つ国への発展を促す都言う意義を持つものである。”と述べている。(外務省、外交清書)

 

果たして、「相互理解や信頼関係」と「対日関心向上や自国文化の発展」が同時に達成可能なものであろうか?このような政府のディレンマを無くすためには何が必要だろうか?

このような問題意識をもって以前の政策と現在の政策を調査し、比較分析しつつ、文化政策のルーツを把握し、最近活発化された地域自治体間の交流を調査する事によって、政府の民間への関わりを分析することが本研究の目的である。

 

3.意義

 

今までの先行研究によると、韓国であれ日本であれ、「日韓国民文化交流」や「両国関係改善」に関する研究は少ない。あっても極めて一方的な傾向を示している。「文化政策」に関する研究も内容の大部分は「国民文化水準向上」や「町づくり」につながっており、「文化交流」に関する研究は欧米との交流に関する研究がほとんどである。日韓関係に関した研究としては古代史や比較文化等の内容が主になっている。そのため、私は双方的な視点を持って、今までの日韓文化交流を顧みつつ、研究を進めたい。本研究によって両国の文化交流が本当に中身のある交流になり、相互理解の土台ができて、お互いに信頼できる協力関係になるための提案ができると思う。

 

4.枠組み

 

「文化交流」は基本的に、「人」のレベルで行われる。国境を越えて、異なる文化をもつ人々が接触しあい、お互いに影響を与え合う。一国の政府は、外国の国民に対して自国の好ましいイメージを形成する事が出来るのみならず、そうした対外的イメージ形成を通じて、対内的にも自国国民のナショナル・アイデンティティの形成や国民総合を推し進める事が出来る。と同時に、文化交流政策は、国家が国民レベルの国際関係構築に入り込み、他の国との「平和的関係」構築のために文化交流を利用しようとすると、逆に国家の権力性が顕著化してしまうと言うディレンマが生じてくる。(川村陶子[文化交流政策の中の文化と国家]『国際交流の政治経済学』1999,18page)

それでは日韓両国の政府においての「文化交流」はどのように変わってきたのか?

W杯の共同開催決定後は、「新日韓交流時代」として、活発に様々な行事が行われている。その「新日韓交流時代」になってからそもそもなにが変わったのか、前との違いは何であるかを調べてみたい。例えば、84年中曽根総理と全大統領の時、「新日韓時代」として、「民間交流」の活性化等を云々する等、現在と類似性のあるケースと思われる時期があった。その時との比較分析を通じて政府が求める「文化交流」が見えて来ると思われる。

 

更に、84年度に比べて、現在地方自治団体間の友好交流や姉妹都市連結等が何倍にも増えている事にも注目するべきである。なぜなら、政府と民間レベルの間に自治体が位置づけられたため、文化交流の実施主体としては政府との関係が強いためである。現在日韓交流を行っていてかつ、申告している地域だけでも86個の自治体がある。84年の頃は27個であった事に比べ3倍の増加を表している。そのうち、74年に姉妹都市関係を結び、交流を続けている寒河江市(日)と安東(韓)、W杯共同開催によって交流が一層盛んに行われている神奈川(日)と京畿道(韓)の地域交流について、フィールドワークを通じて比較・分析してみたい。

 

. 研究対象の変更

 

 当初、研究対象として寒河江市・安東市、神奈川県・京畿道の両姉妹都市を取り上げ、これらを比較調査することを計画していた。しかし、調べたところ、寒河江市・安東市の姉妹都市交流は韓国領事の仲介により実現したもので、民間から自発的に生じた交流ではないことが分かった。そこで、新しい別のケースを探し、川崎市・富川市の姉妹都市交流を取り上げることにした。この姉妹都市交流は両市の商店街組合同士の交流に端とし、それが拡大して自治体同士の交流にまで発展したものである。この点が前者とは異なる。

 

6.川崎市−富川市の交流

6−1.姉妹都市締結の経緯

 

川崎市と富山市の交流は、「重度【ペ・ジュンド】氏と李時載【イ・シジェ】氏の出会いに端を発する。在日コリアンで桜本商店街振興組合所属の「氏と、遠美富興市場【ウォンミブフンシジャン】商友会所属の李氏が出会ったことによって91年より両組織間の交流が始まった。

また、90年から川崎の地方自治・市民社会研究/民選自治時代を迎え行政交流の動きが始まり、聖心女子大学(現カトリック大学)社会科学研究所と川崎地方自治研究センターの交流も行われた。行政交流が始まった当初は富川市から川崎市への一方的研修だったが92年より双方向交流へと行政交流の形式的推移が見られた。また、92年から少人数短期派遣研修という形での交流が続いていたが、00年には大規模ベンチマーキング調査団という形へと発展を遂げた。社会福祉面での交流では、00年に川崎・富川政策交流セミナーが開かれ好評を博したり、知的障害者福祉施設であるなごみ会と富川惠林院【ヘリムウォン】の交流が01年に実現した。

93年からは市民交流の基盤づくりという取り組みが始まり、川崎地方自治研究センター韓国研修ツアー(93〜毎年)や川崎市日韓親善協会と富川市議会韓日議員連盟(95、97、99、01)で現在に至るまで継続的な訪問が行われている。それと共に、92年から以下のような市民交流/自治研センター韓国ツアーなどを基盤にテーマ別交流が続けられている。

     川崎市職員生活協同組合と富川YMCA生活協同組合(92〜)※短期派遣研修

     桜本小学校と富川北初等学校(96〜)

     川崎教会と富川第一教会(素砂区)(96〜)

     川崎市地域女性団体連絡協議会と富川市女性団体(97)

     オルタナティヴ川崎研究会と「緑の富川づくり21推進協議会」(00)

96年からは文化・スポーツ交流を通じ、お互いの文化の紹介を行い、相互の文化学習を求めた。例えば、川崎市役所剣道部と富川市庁剣道部の間での個人短期留学(1か月;96、99)、川崎・富川(日韓)美術交流会と韓国美術協会富川支部(96〜)の交互開催、

富川市のポクサコル芸術祭に川崎市芸術団派遣(97沖縄芸能、00日本舞踊)、洪成潭【ホンソンダム】・富山妙子展(98)を両市で連続開催、川崎市民ミュージアムと富川マンガ情報センター(99〜)、川崎市ふれあい館の韓国・朝鮮文化サークル「パランセク」と富川市の「ポクサコルマダン」や「国楽【クガク】ハンマダン」の交流(01)等が行われ続いている。

98年から職員交流/交換派遣職員との交流もはじまり、コリア語学習・歴史認識の共有を求めている。交換派遣職員とは、96年友好都市協定後、97年派遣協定が結ばれ、98年から任期1年で派遣が開始されている。相互理解と信頼を増進し、友好親善交流を担う人材を育成するために国際通商課所属職員が派遣され、行政研修、情報収集・提供、交流事業支援、日本語・コリア語教室等が行われている。00年からは日本側で昼休み韓国語の会、韓国側で富川市庁日本語研修のプログラムが組まれている。また、交換派遣職員制度が、00年から始まった川崎市労働組合と富川市庁公務員職場協議会との交流として結実した。さらに、01年からは川崎市職員朝鮮史研究会セビョクに交換派遣職員が参加するようになり、歴史認識の共有を求めている。

 

00年からは、新たな市民交流も始まっている。在日コリアン運動の成果学習から多文化共生市民交流に繋がっている。具体的には、95年には川崎市で「滞日外国人と連帯する会」、98年には富川市で「富川外国人労働者の家」がそれぞれ発足している。00年から川崎南高校ボランティアワーカーズ部と富川高校日本研究班(富日研【プイリョン】)との交流の中から、00年に川崎・富川高校生フォーラム「ハナ」が発足した。

また00年に起きた歴史教科書問題をめぐって、歴史教科書川崎市民集会実行委員会と富川市のNGOである「準備する人たち【チュンビハヌン サラムドゥル】」・富川市民聯合・富川YMCA市民会(01〜)の交流も活発に行われた。NGO同士の交流はその他にも、青丘社桜本保育園・学童保育と富川市のセーロム家庭相談センターの交流、環境NGOの交流や相互訪問研修が盛んに行われている。

6−2.今後の交流予定

 今後の両都市の交流に付いて、川崎市が発表した内容を覗いて見ると、以下のようである。

(1)  基盤づくり1 幅広い交流、簡単に参加できる交流、さまざまな機会を増やす

(2)  基盤づくり2 大衆文化に触れる機会増 → 関心増 → コリア語学習の機会増

(3)  基盤づくり3 富川の情報を川崎へ → ホームページ → 共同サイト運用

(4)  橋渡し役1 在日コリアン、「新渡日」コリアン

(5)  橋渡し役2 交流コーディネート団体 → 交流団体協議会 → 広い共同行動へ

(6)  視点1 日本社会の韓国観・朝鮮観の転換 → 一方的交流を双方的交流へ

(7)  視点2 国際交流と内なる国際化 交流の対象から生活へ

(8)  視点3 在日コリアンに日本人も韓国人も学ぶ姿勢 → 歴史認識の深化へ

(9)  視点4 南北コリアの統一にむけた三角交流(川崎−富川−?)

 

7.神奈川県―京畿道の姉妹都市交流

 

【現状】

 神奈川県は、相互理解・連携をめざして積極的に友好交流を展開し、現在、8つの地域と経済、行政、教育等の幅広い分野で交流しるが、さらに、友好県省道交流会議(神奈川県、遼寧省、京畿道)など複数の友好交流先とのネットワーク交流も進めている。

韓国の京畿道との姉妹都市交流は

 また、友好交流から、福祉、青少年、環境等の分野における、目的を明確にした政策の交流へと広がりを見せている。

 

 

【課題】

 世界のさまざまな地域との多様な交流や、地域が連帯していくことが求められている。そのために、幅広い分野での県民主体の交流が、ますます重要となっている。

 

【施策の方向】

 東アジア地域における多地域間交流の核として、中国・遼寧省、韓国・京畿道との交流・協力の強化を図る。また、友好交流先を中心とする自治体との間で、青少年などの多彩な分野の交流を進めるとともに、県民主体に重点を置いた交流、協力、連携をさらに深める。

 

【主な事業】

○友好県省道交流会議の開催

 神奈川県、遼寧省、京畿道の3つの自治体で構成する友好県省道交流会議を通して、環境、文化等の分野の交流を推進し、多地域間のネットワーク交流を推進する。

 

○遼寧省・京畿道・神奈川県の文物展の開催

 友好提携先の博物館及び県立博物館が所蔵する貴重な陶磁器、絵画等を一堂に展示し、両国との文化交流の足跡をたどる文物展を開催する。

 

○アジア太平洋地域における障害者の連携

 障害者の国際会議等への参加支援や、障害者の市民レベルの国際交流活動を促進・支援するとともに、障害福祉関係職員の研修受入れや指導者派遣、アジア太平洋障害者フォーラムの開催、アジアの地域内での技術協力についての検討・支援など地域内協力を推進していく。

 また、障害者の文化活動の支援のため、友好州省等とのアジア障害者芸術文化交流を推進していく。

 

○女性の国際交流と連帯の促進

 アジア女性友好交流会議への参加や江の島国際会議の開催等を通して、世界の女性との交流や連携を深めていく。

 

○青年国際体験活動支援

 神奈川の「地域社会が直面している」または「青少年を取り巻く」諸課題について、青年が行う中期の国際体験活動を支援することで、実体験に支えられた地域や団体の活動を展開できる神奈川の若者を育成する。

 

○青年海外留学・研修支援

 神奈川の「地域社会が直面している」または「青少年を取り巻く」諸課題の取り組みを実践している青年が、その課題解決のために行う長期の海外留学や研修等を支援することで、21世紀の神奈川を担う人材を育成する。

京機道から日本語を勉強する留学生を何人か選び、奨学金を提供してきたが、神奈川県の予算の問題で去年から中止した。一方で、公務員交換派遣が始まった。公務員交換派遣に関しては上述の通りである。

 

8.分析及び結論

川崎市・富川市の姉妹都市交流と神奈川県・京畿道の姉妹都市校流を比較すると、まず見えてくるのは規模の大小に起因する問題である。つまり、神奈川県・京畿道の姉妹都市交流は規模が大きすぎて、市民の積極的な参加があるというよりは、市民は観客で過ぎない。そのため、神奈川県と京機道との間に姉妹都市関係があることさえ、知られてない。私がフィールドワークとして参加してみた、一つの交流事業を例に挙げてみる。

8−1。神奈川・京畿道の<日韓伝統舞踊の夕べ>

 「にっぽん・韓国舞い踊り」への参加報告

<かながわ県庁のメモ>

8−1−1.事業目的

 2002年ワールドカップサッカー大会の日本・韓国共同開催、並びに日韓国民交流に合わせて「日韓伝統舞踊の夕べ」を開催し、日本・韓国両国の友好交流と相互理解の一層の促進を図る。

8−1−2.事業内容

韓国より京畿道道立舞踊団を招待し、県内の伝統舞踊団体との競演を行う。

(1)  開催日時:6月25日(火)及び26日(水)「二日間上演」

         18:30 〜 20:30  (18:00開場) 

(2)  開催場所:かながわドームシアター (横浜市中区山下町54)

(3)  出演団体:京畿道道立舞踊団(50分)

        千明善韓国伝統舞踊研究院(20分)

        鶴見エイサー潮風(沖縄舞踊)(20分)

        平間わんぱく少年団・和太鼓祭音(20分)

(4)      入場料 : 無料

 

8−1−3.参加報告

(1) 参加目的:競演をすることでどのような交流が生じ得るかを観察

(2) 参加方法:舞台準備の通訳や打ち上げ会議参加

  (3) 感想

  事業目的である日本・韓国両国民の友好交流と相互理解は観客席でも舞台の上でも見えなかった。競演する団体同士の交流を提案してみたが、時間の問題で却下。

  舞台を一緒に準備するスタッフ同士では英語と手振り、私の通訳によって行われたが、舞台準備の時間も足りなかったため、現場の雰囲気は良かったが、共同作業以外の「交流」と思われることはなかった。(−言語の障害)

  また、競演団体のレベル差や年齢の差が大きかったため、日本側参加者同士でもなかなかコミュニケーションは生じなかった。そのため私が提案したのは、お互いの公演に関する感想を話し合える反省会や食事会を勧めたが、時間と場所の問題で実行されなかった。外務省や駐横浜大韓総領事館、在日本大韓民国民団神奈川県地方本部、(財)神奈川県国際交流協会、(財)横浜市国際交流協会、神奈川新聞社の後援で行われ、莫大な資金を入れて行ったせっかくの交流事業なのに、予想通り、イベントで終わってしまった。

   こういう文化紹介イベントとしてもやり方によって「交流」は出来ると思う。例えば、プロの公演を見るのもすてきだろうが、相手国の文化を学ぶ団体を紹介してお互いに自分達の文化を相手がどういう風に消化されているかを見せる方法や参加者のレベルを均等にしてプロはプロ同士、アマチュアはアマチュア同士で話し合えるようにする方法などを考えるのはどうだろうか?

  一方、私的には、両方のスタッフと仲良くなり、両側に言語からの誤解などは生じないよう仲裁の役が出来たことに少しやりがいを感じる。

  また、「伝統文化紹介イベント」の現場に直接参加することによって、自分の仮説の裏付けができ、改善案も考えるようになった。

  

また、姉妹都市交流の存続自体が県や道の予算に左右されることも明らかである。京畿道の神奈川県に対する経済的な依存度が高く、負担が偏るということなども指摘できる。

そして、二つのケースを比較した時、もっとも大きい違いは市民の参加度である。つまり、川崎市・富川市の自治体同士の姉妹都市交流として、市民同士の交流基盤作りに力を注ぎ、両市都市の市民団体やNGOが交流できるように仲介やコーディネートし、草の根レベルの交流が拡散できるような環境を作った。それに比べ、神奈川県・京畿道の場合は交流内容が行政レベルの交流や相互訪問公演に留まってしまい、市民交流の基盤作りは出来ていない。勿論、川崎市や富川市の場合は自治体行政においても、そもそも市民の参加が多いという社会的背景の違いもあるが、交流プログラムのコンテンツがなくてこうした違いが出てくるのは、やはり二つのケースが成立したきっかけや関連自治体の影響があると思われる。神奈川県・京畿道の姉妹都市交流は韓国領事の仲介によって成立したが、川崎市・富川市の姉妹都市交流は民間レベルでの自発的な交流から始まった。この成立したきっかけの差異は成立後の両ケースの活動にも影響を及ぼす。民間レベルから始まった川崎市・富川市の姉妹都市交流は比較的制約のない活動を続けており、市民同士の交流基盤の形成に寄与できていると思われる。一方、神奈川県・京畿道の姉妹都市交流は比較的制約の多い活動になってしまっているのが現状である。というのは、神奈川県・京畿道は自治体としての規模が市と比べて大きいため、上位機関である国の動向を反映しやすいという事実がある。具体的には、日本国首相の靖国神社参拝、歴史教科書問題等が起きた時には、国レベルでの日韓関係に緊張が生じたため、国の動向が都道府県にダイレクトに影響し、県レベルで行われている交流や行う予定だった交流が中断された。逆に、ワールドカップの時には他の姉妹都市との交流より、神奈川県・京畿道お互いへの交流が盛んに行われた。このように政治的影響に左右され、交流が無かったり、盛んに行われたりし、バランスが取れていない。それに比べて、川崎市・富川市の間には、交流の大部が市民交流であるため、両国間で政治的な緊張があるときも左右されず、続けて交流が行われている。

 最近では神奈川県でも、県民主体の交流の重要性を認識し始めている。しかし、政府が文化交流に関してはほとんど自治体や民間レベルに任せている日本と比べ、韓国はまだ政府の影響が何より大きいという社会的背景の違いのせいか、京畿道の方は責任者さえ交流という概念がうすい。「交流」と「協力」は違う意味である。富川市の場合は市民活動が活発であったことと共に、川崎市の交流事業の中でも、市民団体同士の交流仲介などが活発に行われ、市民交流の基盤が作られた。だが、仲介だけではなく、支援を行っている川崎市に比べ、支援が出来てなくて、富川市の市民団体の中では不満が高まりつつある。自治体の交流というのは政府と市民の間で存在しているため、政府からの影響も受けやすいし、市民からの声も聞きやすい。その中で、政府から独立し、民間レベルとの協力を行うことによって、交流そのものが目的になり、持続的で内容の裕福な交流が出来ていることがわかった。現在、姉妹都市交流が行われている86個(両側合わせれば、170個)の地方自治体が、このような交流を広げれば、両国の市民交流もより一層広がり、深めていけると言うことは間違いない。それを期待しながら、報告書を終える。