森基金成果報告書

ヒト赤血球全代謝モデル構築とそれに伴うモデリング手法自動変換ツールの開発

 

慶応義塾大学 政策・メディア研究科 修士1年 

慶應義塾大学先端生命科学研究所           


木下綾子

 




1:はじめに

我々 E-CELLヒト赤血球プロジェクトでは、ヒト赤血球内に含まれる全ての経路を含んだ''全代謝モデル''の構築に取り組んでいる。細胞内の逐次的な物質量の変化をを動的に捉え、酵素欠損症を始めとする細胞の異常状態を再現することがこのモデルの第一の目標である。これに向けて、主経路における反応速度式の詳細化、平衡式で表現されていた部分の速度式への置き換えた Erythrocyte version2.8の構築、赤血球内に存在することがわかった副経路における律速段階、フィードバック制御機構の調査とそれに関わる酵素の反応速度モデルの構築を行った。また、反応速度式で構成されたモデルに比べて計算スピードを大幅に改善することができ、かつ動的な状態を再現することが可能な General Mass Action(GMA)S-System型で系を表現することを試みている。

このモデリング手法を用いることで定常濃度の算出が容易になると考えられる。我々は E-CELL1上に構築された反応速度モデルからこれらの型への変換を自動的に行うツールを開発しており、今回その自動化行程を再検討し、型の変換に必要なプログラムを作成した。

 

 

2−1:Erythrocyte version 2.8の構築

背景・目的

動的な挙動の再現を目的としたヒト赤血球全代謝モデルを構築するにあたって必要になる反応速度論的な情報は非常に少なく、この情報の欠如を埋める手法として、ハイブリッドアルゴリズムが開発された(先端生命科学研究所 中山、柚木ら)。量論係数と流束で表される静的なモデルの入出力として動的に構築されたモデルからの流束を計算することで、律速段階やフィードバック機構などの例外を除き、疑似動的な振る舞いをするモデルの構築が可能になる。version 2.3.6赤血球モデルを用いた実証実験によって動的モデル、ハイブリッドモデル間において、摂動の吸収に関する挙動がほぼ完全に一致することが証明されている。またこの実証実験で、入出力となる動的モデルの流束が平衡式で表されている場合にハイブリッドモデルがうまく振る舞わないことがわかった。

ハイブリッドモデル構築、S-Systemへの変換を考慮に入れると現在の赤血球モデルで使用されているかなりの数の平衡式を反応速度論的な式に置き換える必要があると考えた。また、平衡式だけではなく、これまで暫定的に MichaelisMentenなどで補われていた反応についてもより詳細な式が見つかり次第

入れ替える、ということを行い、Erythrocyte version 2.3.6をベースとしたversion 2.8.1の構築を行った。

 

 

達成点

Erythrocyte v2.3.6において平衡式が用いられている反応は GAPDHPGKPGMENPYRtrLDHLACtrAPKPNPasePRM10反応である。

また、かなり暫定的に MichaelisBiBiが用いられているものとしてはADPRTAKHGPRTの3反応が挙げられる。これらのうち、GAPDH,PGK,PGM,EN,LDHについては、King-Altmanで導出された詳細な式が得られ、これと置き換えた。また、PYRtr,LACtrについてもMichaelisMenten型で表現された輸送の式が得られたため、こちらに置き換えた。その他の酵素については、生物種や細胞種が異なる情報を用いている。

また、赤血球を特徴づけている 2,3binsphosphate周辺の経路については、反応機構から式を導出し、更に詳細なものに置き換えた。

今後は、このモデルで新しい定常をとり、ハイブリッドモデルや S-Systemへの変換に応用可能なモデルにする。

 

ヒト赤血球モデル v2.8.1 代謝マップ

2−2:副経路における律速段階、フィードバック機構の調査及び反応速度モデルの構築

背景・目的

E-CELLヒト赤血球の副経路部分を動的表現にする事で、今までハイブリットで表現してきたモデルよりもより詳細なモデルを構築することができると考えられる。これまでの調査で、副経路部分のヒト赤血球の代謝経路についての式、パラメーターなどはあまりわかっていない。そのため、副経路部分を動的表現するにはヒト赤血球のデータに固執せず、他の組織、生物のデータを使用する必要がある。ただし、進化的にヒトと大きく異なる生物や、明らかに異なる代謝を行っていそうな組織のデータは使用してはならない。また、先行研究から、律速酵素部分を含む経路でハイブリット手法を用いると正しい動きを示さない事が分かっている。そのため、副経路部分の律速酵素についても考慮しなくてはならないと考えられる。副経路内の律速酵素だけでも動的な表現をする必要がある。今学期は、副経路部分をKineticなモデルにするために調査を行った。

 

達成点

Galactokinase UDPgalactose 4-epimeraseが律速酵素であるということが今回の調査で分かった。この2つの酵素の反応メカニズムは分かっていない。また、12の酵素についてその反応メカニズムが判明した。12の酵素の内6つは哺乳類のもので、今回調査条件にあげたものに適合している。また、この反応メカニズムよりその反応式を調べ、式を列挙した。さらに、ascorbate oxidase Beta-glucuronidase2つの酵素についてヒト赤血球内での存在を確認した。

 

 2−3:GMA,S-System型への自動変換ツールの開発

背景・目的

GMA型、S-System型のモデルは、反応速度式と比較して単純な構造を持ちつつ、生化学的反応の多様なメカニズムを表現できる性質を持ち合わせている。

また、ESSYN法などの数値積分法と併用することで、定常状態における中間代謝物質の濃度産出を高速かつ容易に行うことができ、また、シミュレーションの計算時間の大幅な短縮につながることも期待できる。しかし、GMA型、S-System型のモデルを構築する過程で必要となるパラメータ(kinetic order,rate constant)群が系の規模に伴って膨大になってしまうという点で、手動でモデルを構築することは非常に難しいという欠点があった。そこで、既存の反応速度論的データを自動的にこれらの形に変換するツールの作成を試みている。S-System,GMAの全結線モデルという特徴をいかして、代謝などにおいて全く未知な経路を効率よく予測することも理論上可能であり、こういった新たなアプローチがこの自動化ツールによって具現化されることが目標である。

 

達成点

今回、主に rate constant導出過程についての議論を行い、方向性を決定して実装に着手した。また、より高速に、より煩わしさを省いて自動化できるようにこれまでに作成したプログラムを整理し、その過程で導入が必須だと判断された MATHLINK関連モジュールの調査とそれを用いたリンキングのアプローチなどを行った。現段階では、パラメータ算出に必要な各プロセスにおけるプログラムはほぼ完成した。今後はスキーマの全自動化を目指すが、今回行った調査と効率性、拡張性を上げるプログラムの修正はその過程において大変重要だと考えている。




本研究は、慶應義塾大学環境情報学 部3年 彦坂圭介氏(2-2)、同学部3年 山田洋平氏(2-3)との共同研究である。



2002年度:主な発表実績 (筆頭発表のみ記載)