森基金研究成果報告書

研究テーマ:「高齢者の活動選択と近代化」

政策メディア研究科 後期博士課程1

渡辺大輔(nabe@sfc.keio.ac.jp

 

研究概要

本研究の課題は、近代化の程度の異なる社会における高齢者の選択肢を左右する要因を分析することである。

高齢者の選択肢の対象となるものは、次の二つが想定される。@「余暇」活動としての時間配分のあり方、A生活基盤の選択、この二つである。以上の二つの選択肢が高齢化についての近代化の発展段階の中でどのように変化してきたのかを明らかにするため、1990年代以降の日本と、1980年の発展段階レベルにある韓国、1960年のタイ王国との比較を通じて検証する

 

調査内容

今年度は社会保障制度の比較を中心に研究を進めた。これは、近代化に伴って、人生全体を単線的に捉えるライフサイクルを前提に構築された社会制度、社会保障制度の浸透と、そして長寿化の二つの変化の帰結こそが、老後としての長い労働後時間を生み出したからであり、この時間の過ごし方の問題を生み出したからであると考えるからである。問題は、この時間を消費するノウハウを持つ高齢者が、少ないことである。このノウハウの欠如が「生きがい」獲得についての言説を流布させている。

しかし近代化という社会変動に立ち戻って考えれば、労働後時間が可能になるためには労働しなくても生活できる基盤が整っている必要がある。高齢者を対象とした社会保障制度の確立の変遷とその違いを見ることは、高齢者の活動基盤の違いを見ることに他ならないのである。このような概念形成を年度前半で進めた上で、社会保障制度に注目して分析を試みた。

今年度の研究は次の2点を中心に行った。

  1.高齢者の生活基盤を考える上で重要な位置を占める社会保障制度の近代化段階における国際比較(日本、韓国、タイ)

  2.日本の社会保障制度の進展とコーホートに関する視点の確立

1に関しては社会保障制度の整備状況とその歴史的背景を経年的に把握しなおし、この分析を日本、韓国、タイの3カ国における国際比較の形で行った。この3カ国を選択した理由は、近代化の程度の違いによる社会保障制度整備の違いを見るためである。日本については明治維新後から現在までを、韓国、タイについては第2次世界大戦後から現在を対象にデータ収集と比較分析を行った。

 その上で、1で得られた知見を踏まえて、2に関して現在高齢化の帰結として問題視されている事象を改めて捉えなおす試みを行った。その際、コーホート(同年齢集団)と制度整備との関係を中心にライフコースアプローチによる分析を行った。

 

調査から得られた知見

調査から得られた知見は次の2点である。

1点は、近代化に伴う社会保障制度の発展経路の相違点についてである。日、韓、タイ、いずれも類似的な経緯をたどりつつ社会保障制度を確立していく。それは、@地縁・血縁による扶助からもれた極少数の人を対象に慈恵的・恩顧庇護的な観点から保護を行っていくという点、A官僚や軍人など近代国民国家建設における重要なアクターを中心に制度整備を進めていくという点、B工業化政策(殖産興業)に合致する形で社会保障制度が整備されていくという点、C一般に広く普遍的な権利として保障制度が確立するのは、@,A,Bを踏まえた後であるという点であり、それも産業や職種ごとに異なった形で―工業化により重要なものから―制度整備が順次されてゆくという点、などである。社会保障制度の確立は決してパターナリスティックな、あるいはヒューマニズム的観点が牽引となるのではなく、近代化という社会変動―特に国民国家形成―を促進するための一つの手段として行われている点である。

これらの特徴は、近代化に関する後進国であるこの3国が、急速に近代化を進めてゆく中で一つの手段として意識的に社会保障制度整備を進めてきたこと、またそのモデルが日本であればドイツ、イギリスなどを、韓国、タイは日本をといった形で、先行モデルが存在していたことを示している。このように、「労働後」「労働外」の生活保障の役割を果たす社会保障制度の整備は近代化に伴って行われてきたわけであるが、それを急速にかつ意識的に進めているという点がこの3カ国に共通する点であるといえよう。

それに対して、この3国の近代化の程度の違いによる差異は、その保障制度の充実具合に如実に現れている。日本では高齢者に対しては生活保護、年金、医療給付、介護保険など様々な保障施策が存在するが、韓国では生活保護と年金に加え非常に不十分な医療給付、タイでは不十分な生活保護のみとなっている。しかし、韓国、タイでも急速な高齢化と地縁・血縁などによる扶助機能の縮小が起きており、生活基盤自体の維持が大きな問題となっている。このことから見ても、社会保障制度を自明として捉える見方自体を前提とするのではなく、社会保障制度整備の経験そのものが、今の高齢者の行動形成に大きな影響を与えているということが分かるといえるのではないだろうか。

2の知見は、コーホートに関するものである。現在の日本において、痴呆性高齢者の介護問題を中心に、後期高齢者の生活問題が多く指摘されている。その典型的な指摘のされ方は、健康上の問題を抱えている、ということとそれに伴う家族の負担である。しかしながら、今回の社会保障制度の分析を踏まえるとこれまでとは異なる結論が想定できる。現在の後期高齢者の中心を占める80歳以降の半数ほどは元雇用労働者であるが、その多くは厚生年金(企業年金)が確立されその需給対象となる以前のものである。非雇用労働者であった人も多く、生活基盤を支える年金などの制度が整っていないなかで、地縁・血縁による介助者も想定できない状況に追いこまれたために、生活基盤の脆弱性が露呈し、それが「健康問題」に還元されて説明されていることが分かる。すなわち、生活基盤の想定と実際をみることなく、高齢者の行動やその意識のあり方を分析することは不十分であり、健康や医療に還元するバイオメディカルな説明の限界はこの点にあることが明らかとなった。

 

今後への展望

 今年度の研究からえられた知見をまとめると、社会保障制度の有り方の違いが高齢者の生活基盤に非常に大きな影響を与えているという点、第二にその影響のあり方はコーホートによって大きく異なるという点、それゆえ、第三に先行するコーホートと自分自身のコーホートの違いが高齢者の意識形成に大きな影響を与え、ひいては現在の行動のあり方に大きな影響を与えているのではないのかという点である。

今後はこの知見を踏まえ、この行動のあり方と先行経験の実体をより詳細に把握するために、ライフヒストリーの観点から異なるコーホートごとの経験の相違と現状の行動への影響について把握してゆきたい。