神戸川流域における戦後の環境変化

神戸川流域の変遷について土地利用と地形改変などの視点で整理する。現況と過去の環境とを比較から、対象地の持つ緑地環境のポテンシャルについて分析する。

 

@ 宅地開発の変遷と小流域の変化

宅地開発動向

考察

1963年(昭和38年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高度経済成長期にはいり、日本全国で急激な宅地化が進んだが、鎌倉も例外ではなく、神戸川流域では手広、腰越地域で宅地化が行なわれた。そのほとんどが腰越地区で行なわれており、大船から江ノ島へ延びる自動車道路である片瀬大船線沿いに開発されていることが分かる。谷頭部の斜面を切り崩し水田を埋め立てて造成されている。開発主体のほとんどが現在の江ノ島電鉄鰍フ前身、江ノ島鎌倉観光鰍ノよって行なわれている。

1964年(昭和39年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在では高級住宅街で知られる西鎌倉住宅地が、西武鉄道鰍ノより開発された。約50万uという規模で、これにより初沢という谷戸と地名が失われた。この地域は、開発以前は水田、畑地のほかに荒地表記が多なっており、輪作が行なわれていたことが予想される。また、この開発により神戸川水源の一つが暗渠化された。

1967年(昭和42年)

 

 

 

 

 

 

 

昭和40年代に入り、蟹田谷、御所ガ谷、丹後ガ谷にて宅地化が行なわれ始めた。御所ガ谷の谷底部入り口には「御所五郎丸陣屋跡」の表記があり、陣屋のあったことがわかる。また地形的には南向き斜面の開発が目立っている。

1973年(昭和48年)

 

 

 

 

 


大規模宅地開発は昭和40年代がピークであった。神戸川流域では、昭和40年代だけで約95万uが宅地化された。昭和48年には、神戸川の源流でもあった猫池を含む約24万uが西武鉄道鰍ノより大規模宅地開発された。当時行なわれた大規模宅地開発の開発主体では、江ノ島鎌倉観光鰍ニ西武鉄道鰍ェ主な主体となっている。

1978年(昭和53年)

 

 

 


 昭和50年代になると、宅地開発の規模は小規模化している。一度大規模宅地開発が行なわれた区域内において小規模な開発が行なわれるケースも見受けられる。

1985年(昭和60年)

 

 

 


 昭和60年代には津西2丁目でそれまで粗造成がされていた約6万uの尾根部において宅地開発が行なわれた以外に大規模な開発行為は見受けられないが、広町南部の日坂においてはマンション開発が行なわれはじめた。

1999年(平成11年)

 

 

 


 平成に入ると、主な緑地はほぼ宅地化され、残った斜面林開発や土地の相続に伴う宅地分譲が目立つようになる。開発主体も、昭和30,40年代に活躍した西武鉄道鰍竝]ノ島鎌倉観光梶A榎本商事鰍ネど大手会社がいくつもの宅地開発を行なうのではなく、様々な業者が各々宅地開発行為を繰り広げている。

2001年(平成13年)

 

 

 

 


 近年に入っても小規模な宅地開発は活発に行なわれている。平成14年度にも神戸川流域で3件の宅地開発許可登録がされている。その主な場所は猫池の大規模宅地開発が行なわれた後に残されていた斜面林と腰越5丁目である。腰越5丁目では既存の住宅敷地に加え、近くにわずかに残っていた樹林地も一体となって開発が進められている。