2004227

 

2003年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究活動報告書

 

政策・メディア研究科 修士課程1

長井 祐介 <nagai@sfc.keio.ac.jp>

 

 

研究課題名:日本のテロ対策における被害管理の研究

(現在の研究テーマ:日本のテロ対策の体制と変容)

 

 

1 研究概要

 本研究は、日本のテロリズム対する包括的対策が、諸外国と比較すると遅々として進んでいない理由を、行政府の政策過程の構造の視点から明らかにするものである。手法としては、政策過程分析を用いる。

 宮坂直史は、例えば地下鉄サリン事件以降テロ対策において、日米の温度差があることは、戦略文化の差異に起因するとしている(宮坂直史「テロリズム対策における戦略文化:1990年代後半の日米を事例として」『国際政治』第129巻、2002年、61-76頁)。日本は、戦後続く消極的な警察権行使という原則の中でかつての赤軍に対し、「消耗・封じ込め」の戦略をもって対処したが、オウム真理教に対しても同様の姿勢であった。また、後に制定されたサリン防止法も、保有の罪を重く問うものではなかった。一方の米国は、対テロおよび効果的死刑執行法により、テロリズムおよびその予備罪に、極めて重い刑をし、一度テロリズムを起こした組織・団体を国内に残さず、海外であってもその団体を指定して、資金凍結を行うなどしている。宮坂直史によれば、これらはテロリズムに対する認識の差異が原因と見られるが、その根幹には戦略文化の差異があるとしている。

 しかし、警察、消防は、地下鉄サリン事件に際して警察官・隊員の負傷者を出しているし、自衛隊は災害出動という形態ではあるものの、初めて化学兵器汚染の除去として働いた。それぞれの組織にとってのインパクトは、かなり大きかった。確かに国民の認識は、特異な事件でしかなく、各種の法整備が進まなかった原因として考えられる。しかし、国民の関心がない政策は、進ちょくしないとは限らない。行政府の認識が高ければ、テロ対策は進んだはずである。

 以上のような問題関心から、本研究では地下鉄サリン事件以降のテロ対策の政策過程を分析し、テロリズムに対する認識の変容を追う。研究にあたっては、地下鉄サリン事件以降のテロ対策が、欧米と比較して何故進まなかったのか、明らかにすることを目的とする。また、手法として政策過程分析を用いる。すなわち、政策過程分析により、(1)各事件への対処過程を振り返り、(2)国際的取り組みおよび国内の被害管理に際して、どのような教訓を得て、政策に反映し、体制を構築していったかを明らかにする。

 本研究の意義は、宮坂直史が日本のテロ対策の遅れを、諸外国(とりわけ米国)と日本の「戦略文化」と違いに起因していると指摘しているが、実際に地下鉄サリン事件や在ペルー日本大使公邸占拠事件の後、警察庁や外務省の中で包括的対策が検討された形跡について説明しきれていない点を補完できる点である。

 

2 仮説

 仮説として、テロ対策においても、一般に日本の行政府が省庁を横断して調整をする必要性がある政策は、官邸が主導しなければ進ちょくしないという傾向が見られたのではないかと考える。

各行政組織は他の先進国並みの意識改革と対策の強化を認識していたのであろう。しかし、法政策にあたっては、刑事罰の強化が含まれる法律は、制定には極めてエネルギーを要する。また、包括的なテロ対策は、警察庁、防衛庁、外務省、法務省、財務省、国土交通省、厚生労働省、内閣官房と、多数の省庁に渡るが、このように多省庁が共同で実施する必要性がある政策は、内閣官房に強力なイニシャチブがないかぎり、進展は望めない。ともなると、日本は95年以降も多数のテロリズムに巻き込まれてきたにも関らず、戦略文化の影響は内閣府に最も大きく影響し、包括的なテロ対策や対テロ法の整備に際してのイニシャチブがとれないことが原因ではないかと考える。

 

日本の対策が遅々として進んでいない:2000年沖縄サミットにおける宣言に、各国が包括的対策を講ずること(例の1つとして、対テロ法の制定が挙げられる)が明記されているが、日本には存在しない。また、各種の対策を総合した戦略も不在である。

 

3 研究テーマの変更について

 研究助成金の申請書を提出した時点では、日本のテロリズム対策における被害管理(Consequence Management)の構造を、政策過程分析によって明らかにすることを計画していた。手法としては、1995年の地下鉄サリン事件以降、日本国内で発生したテロリズム事件・事案を事例として政策過程分析を行い、日本のテロ対処過程を一般化・抽象化することを目的とした。

 日本のテロ対処過程を一般化・抽象化することは、他国の事例との比較の視点が得られ、将来的には現在の日本のテロ対策の進ちょく状況を明らかにすることの一助となりうる。従って、まずは当初方針に基づく研究の実効性を確認する調査を行った。その結果、米国土安全保障省(United Stated Department of Homeland Security)はテロリズム等に際して、州等の地方自治体の被害管理能力に応じて補助金の増減を決めることから、被害管理能力の評価について統一的な基準を持っていることがわかり、この評価基準を援用することを検討した。すなわち、国土安全保障省の評価基準を一般化・抽象化のための視点に設定し、日本国内で発生したテロリズム事件・事案に適用することを検討した。しかし、この評価基準は様々な視点について数値化する極めてテクニカルな手法をとっている上、その基準自体を疑問視する声も少なくないことが判明した。加えて、日本の事例にあてはめることを検討したとしても、あくまで能力評価ができても、組織的な問題点等を明らかにするには不向きであることもわかってきた。

 一方、国土安全保障省の評価基準以外にも、様々なケース・スタディから視点の抽出を試みた。しかし、地下鉄サリン事件は化学兵器が用いられ、在ペルー日本国大使公邸占拠事件は人質をとられる形式であり、函館全日空機事件はハイジャックという形式であり、また2件の不審船事案については洋上での対処に留まったことから(もちろん原発周辺の警備が強化はされたが)、過去の他国のケース・スタディから分析の枠組みを抽出したところで、並列に事例を置いて分析することは事実上不可能であろうという予測がついた。従って、研究計画の変更を決めた次第である。

 そもそも私自身がテロリズムとその対策に興味を持ったのは、9.11事件の際にワシントンD.C.におり、ペンタゴンの瓦礫を整理する様を目の前にし、個人的な危機意識を持ったことを発端としている。従って、修士課程における研究は、必然的に対策が遅れている日本の現状を研究対象としたいと考えていた。つまり、どうしても扱う事例を先行させたいという思いがあった。従って、新計画を考えるにあたっても、日本のテロ対策を研究するにあたり、どういうアプローチをとるかということが争点となり、この点について調査を行った。その結果、次のような研究計画をあらたに立てるに至った。

 

4 今年度の研究活動について

 今年度は助成金をもとに、文献調査および政策担当者へのインタビューの実施を中心として、地下鉄サリン事件およびペルー日本大使公邸占拠事件に関する報道情報の収集を完了した。とりわけ、今回の研究テーマの変更にあたっては、次の文献および政策担当者へのインタビューが基盤となった。

 

<インタビュー(警察庁政策担当者)>

¨         地下鉄サリン事件の捜査は、はじめて警備局と刑事局が合同で行った。しかし、その後の対策検討にあたっては、警備局が単独で進めている。

¨         地下鉄サリン事件以降、警察庁内では包括的なテロ対策が検討されるも、エネルギーは「団体規制法」の制定に注ぎ込まれていた。

¨         法律の拡大解釈により、十分な対策を講じることができるという認識。

<文献調査>

¨         辻中豊の研究(1960年代から90年代前半・辻中豊「テロリズムと日本の警察」『アスティオン』第22号、1991年、72-80頁)

日本の警察のテロ対策は、大きな事件の2年後に対策を完了し、次の事件の拡大を防止している。

刑法改正するなど罰則を強化する法律案は国会を通すことが難しく、従って法律の拡大解釈(例えば、テロを未然に防止するために別件逮捕を乱発するなど。オウム真理教に対する捜査でも、同様の手法がとられた)によって、対策を講じてきた。

 

5 今後の検討課題

 今後の検討課題は、概ね次の3点に集約される。

 

¨         包括的対策の必要性を認識しつつも、オウム真理教に関する事件のインパクトから、必ず包括的対策を講じる方向に行かなかった可能性があるが、必ずしも「テロ対策」とラベリングされた「包括的対策」がなくても、制度としては十分なのではないか?

 

包括的対策(諸外国の法制度から):テロリズムの定義、テロリストの指定、在外テロリストの資金凍結、各国情報機関の間での情報交換、被害管理における権限集中、強力な捜査権限、通常の刑法犯罪よりも重罰を規定、国内における軍事的行動。

 

¨         各省庁とも、「法律の拡大解釈」によって対策を講じることで一致しているのではないか?(仮説の妥当性、意義が低下)

¨         別の見方:内閣官房の安全保障担当は警察庁出身者が多く、「拡大解釈」の方向性を内閣自体たひきずっているのではないか?

以上。