2003年度 森泰吉郎記念研究振興基金 報告書

膵島β細胞のモデリングとシミュレーション

政策・メディア研究科 バイオインフォマティクスクラスター BI
修士2年 青木直人

1 はじめに

今期,膵島β細胞において,Magnus Gerhard氏([1][2][3])のモデルの一連の移植作業においてほぼ成功を収める事ができた. よって,薬物とイオンチャネル間に対する細胞の影響について実験を試みた. 膵島β細胞の静止膜電位(-70mV)はATP感受性Kチャネル(KATPチャネル)の開閉に依存している.[7]グルコース投与に伴い,グルコースは細胞内に取り込まれ代謝され,細胞内free ATP/ADP比を上昇させる.この比率の増加は結果としてKATPチャネルを閉鎖させ脱分極を引き起こす.ついでこの脱分極は電位依存性Ca2+チャネルを開口させ細胞内Ca2+が上昇し,それが直接のトリガーとなり細胞内のインスリン顆粒が細胞外に放出される.糖尿病治療薬であるスルホニルウレアは直接KATPチャネルを閉鎖させ細胞内ATP増加と同等の効果をもたらす.[7][8]
2 背景
・ATP感受性K+(KATP)チャネル
膵β細胞のグルコースによるインスリン分泌のメカニズムは完全には解明されていない. 現在のところ,以下のような経路が想定されている.
1. β細胞膜上の糖輸送担体(GLUT2)によりグルコースが細胞内に取り込まれる.
2. 取り込まれたグルコースが解糖系によって代謝され,ATP/ADP比が増加する.
3. ATP/ADP比が増加するとATP感受性K+チャネル(KATP)を閉鎖し,細胞が脱分極される.
4. これにより,電位依存性Ca2+チャネル(VDCC)が開いて細胞内Ca2+濃度が増加する.
5. これによりインスリンを含む小胞が膜に融合し,インスリンが分泌される.
 3の過程で,細胞内ATP濃度が上昇すると,細胞膜上のATP感受性K+チャネル(KATP)が閉じて,膜が脱分極する. 最近,このチャネルが内向き整流型K+チャネル(Kir 6.2)とスルホニルウレア(SU)剤受容体(SUR1)の2つのサブユニットから構成されていることが明らかになっている.
以前より,スルホニルウレア剤はKATPチャネルを閉鎖することでインスリン分泌を刺激することが知られていた.近年,スルホニルウレア剤に対する受容体(SUR)がクローニングされた[8].また,Kir 6.2はSURと結合した状態でKチャンネルとして機能することが,その後明らかになった.スルホニルウレア剤がSURに結合すると,Kチャンネルが閉鎖され,脱分極が起きる[8].
今までに,KATP遺伝子の異常によりインスリン分泌調節の障害が起こり,幼児期の持続性高インスリン性低血糖が起こることが報告された(Hum Mol Genet 5, 1809-1812, 1996).また,KATP遺伝子はNIDDMの原因遺伝子としても有力ではないかと考えられたが,現在のところその関連性は明らかではない.また,インスリン分泌にはKATPチャネルを介さない経路があるという説も有力であり,今後の解明が待たれている[9][10].
・スルホニルウレア(SU系薬剤)とは
 スルホニルウレア系薬剤(SU剤)は膵島β細胞よりインスリンの分泌を促進することによって,血糖の降下作用をもたらす薬剤である.NIDDMに対する治療薬として,最もポピュラーなもので,第一選択薬として使われることが多い.治療上問題となるのは,(1)スルホニルウレア剤の効果が長期間使用している内に無くなる例があること(二次無効),(2)肥満の解消を妨げる可能性があることなどである. (1)の原因は十分には解明されていないが,スルホニルウレア剤によって膵β細胞の疲弊が促進されるためかもしれないと考えられている.
・Magnusのモデルについて
Magnus GerhardらによりCELLML上で膵島β細胞のシミュレーションモデルが構築された[1][2][3].これはGlucoseの濃度により細胞の興奮状態を再現するものであり,3つのカテゴリー(細胞外,細胞内,ミトコンドリア)に分かれ,細胞膜に5つ.ミトコンドリアに7つのチャネルを有するモデルである. ここにおいて糖代謝部分は必要最小限に抑え中心となるのは,イオンチャネルの部分であり電気生理学のシミュレーションモデルである. また,これはE-CELLversion1でモデリングされ,28のリアクターと同じく28の物質で作られている.先学期までに,MagnusモデルをE-CELL上に移植し通常時に定常状態を維持した.
3 研究目的
本研究は膵島β細胞におけるインスリン分泌異常,それに関する薬剤に関するモデリングを行い,新たな知見を得る事を目的とするものである. 今期,後述する清野進氏のKir6.2変異に関する現象[5]をモデルで解析し,モデルの整合性,さらには作用機序などを考察する事を目的とした.
4 方法

a) 先行研究
本研究の既にそのモデルがあるかどうかを調べた結果.現段階では膵島β細胞において同じ手法を取った研究は確認できなかった.
b)イオンチャネルと抑制の構造の実装.
京都大学と共同研究で心筋の活動電位モデルを研究している秋田大学薬理学研究室のKATPチャネル抑制実験の手法を参考にした[10].
・イオンチャネルの構造(秋田大学)
IKATP = (チャネル数) × γ × P × (V - EK) IKATP:KATPイオンチャネルを流れる電流. γ:単一チャネルコンダクタンス.細胞外液のカリウム濃度に依存する.(単位は nS). P:チャネルの開口確率と ATP 濃度との関係は,50%抑制濃度 0.1 mM,ヒル係数 2 のHill 式で表されている.
・リガンド依存性イオンチャネル(IK,ATP, IK,ACh,INSCC,Ca)
リガンド依存性イオンチャネルの場合,コンダクタンスはリガンドの濃度に依存する.その関係は Hill式で与えられ,リガンドにより活性化される場合(IK,ATP, INSCC,Ca) gは,上記の式のγ(単一チャネルコンダクタンス)に相当する. g=gmax / (1 + (D / EC50)n) gmaxは上の式でのコンダクタンスγに対応する.ここで,n はヒル係数,D は薬物の濃度,EC50 は50%活性化濃度,IC50 は50%抑制濃度をさす.
c)Magnus Gerhard氏らのモデルのKATPチャネル
Magnus Gerhard氏らのモデルの基本構造は,京都モデルのイオンチャネルと同様であり,チャネルの抑制効果は,秋田大学と同じくHill式にて実装する事とした[2].
IKATP=gKATP×OKATP×(V-VK)
gKATP :最大コンダクタンス.
OKATP :開口確率.
d)化学量論係数
スルホニルウレアとKir6.2との結合実験により,Hill係数,解離定数,50%活性化濃度,等が得られている[9].この論文のHill式の値はパッチクランプとは関係ないところで実験をやっているが,近似であると判断し参考にする事とした.Kir6.2にはスルホニルウレアの結合部位が4箇所あるが1箇所にのみ結合するだけでチャネルは十分に活性化される[9].スルホニルウレアはKir6.2に結合する数が多いほど活性化され,イオンチャネルは強く閉じる. 主なスルホニルウレア4種の50%抑制濃度とHill係数を以下に表した.よってパラメータについては以下のもの使用した.
(薬剤, EC50, HILL coefficient)
(glibenclamide, 0.13nM, 1.23)
(glipizide, 3.8nM, 1.26)
(meglitinide, 1.2uM, 1.26)
(Tolbutamide, 4.9uM, 1.30)
e)Kir6.2に対して生化学的実験から得られた知見
in silicoで実験する対象として清野進氏らの実験を使用する[5].
i)実験対象:KATPのmutationと,スルホニルウレアに対しての細胞の反応について. 清野進氏らは遺伝子操作によりKir6.2-/-マウスが作成した.ここにおいてKATPの活性は完全に失われている. Kir6.2-/-の状態において,分極状態の膜電位と[Ca2+]iは,Kir6.2+/+よりも高い.一方で,Kir6.2-/-に対して高グルコース濃度やトルブタミドを与えた場合, burstのトリガーとなる[Ca2+]iを上昇させていない事(burstしない)が観察されている[5].
ii)スルホニルウレアの選択性について
スルホニルウレアのKATPに対しての効果を検討する場合,スルホニルウレアがKATPにのみ作用する必要がある.単離した膵島においてKATPチャネルのサブユニットであるKir6.2(+/+)とKir6.2-/-の双方にスルホニルウレアを与えた結果,Kir6.2(+/+)にだけチャネルの抑制効果が認められた[5].スルホニルウレアはKATPチャネルに対してのみ効果を有すると考えられる.ただし,これについてはさらなるサーベイを続ける予定である.
5 実装
・完全欠失の場合はモデルにおけるKATPチャネルに相当するリタクターの活性をなくす事(IKATP=0.0)で表現した.また,スルホニルウレアによるチャネルの抑制はKATPチャネルのリアクターのコンダクタンスに定数(k=0.00〜1.00)を掛ける事により抑制効果を表現した.k=0.00の時,完全欠失株になる.ここにおいて,mutationとはひとつの細胞の全てのKATPが異常をきたす,スルホニルウレアが全体のチャネル(1,000〜5,000)に影響を及ぼす事とする.
・タイムラグについて
スルホニルウレア,ATP,glucoseを細胞に与える場合,現実の細胞ではこれらが細胞に影響を与えるまでのタイムラグがあると考えられる.しかし,リアクターに対して活性の抑制にタイムラグを設けたがバグが発生したため中断した.
6 結果
KATPの最大コンダクタンスg_maxに10秒後に定数(k=0.00, 0.05,0.55, 0.60, 0.625, 1.00)を掛けKATPチャネル抑制の効果を見た. グルコース濃度は一定である.3.605mM. 図では上からKATPの活性の抑制の割合が(100%,95%,45%,40%,37.5%,0%)となっている.なお0%の時,リアクターは通常の状態であり 薬剤に対して抑制されていない事を示し,かつグルコース濃度(3.605mM)に対しても脱分極していない. Glucose濃度は全て3.605mMとした. 図の上から. g_max×0.00(100%抑制) g_max×0.05(95%抑制) 破綻した.この状態では実際の細胞においては生存していないと思われる. g_max×0.55(45%抑制) g_max×0.60(40%抑制) 非抑制状態において高濃度のグルコースを投与した場合と同様の波形が見られた. g_max×0.625(37.5%抑制) わずかに脱分極した.非抑制状態に比べて安定値の変化が見られた. g_max×1.00(0%抑制) 非抑制状態.グルコース濃度(3.605mMに対して反応していない)
7 考察と問題点
先学期のグルコースを上昇した実験と似た状態の遷移が見られた.清野氏の実験と同じくglucoseに比べスルホニルウレアは細胞にとって即効性のある事は確かめるられた.
8 展望
今回の結果についてさらに考察を進めたい.特に,KATPチャネルを完全に閉鎖した時とKir6.2-/-KATPチャネルと,その変異,スルホニルウレアについてさらなるデータを収集し,可能であれば,チャネルや他の部分を改変し,矛盾点を解消していく.
9 参考文献
[1] Magnus G, Keizer J.: Model of beta-cell mitochondrial calcium handling and electrical activity. II. Mitochondrial variables.(1998) Am J Physiol. 274(4 Pt 1): C1174-84.
[2] Magnus G, Keizer J.: Model of beta-cell mitochondrial calcium handling and electrical activity. I. Cytoplasmic variables.(1998)Am J Physiol. 274(4 Pt 1): C1158-73.
[3] Magnus G, Keizer J. Minimal model of beta-cell mitochondrial Ca2+ handling.(1997) Am J Physiol. Aug; 273(2 Pt 1): C717-33.]
[4] Dorschner H, Brekardin E, Uhde I, Schwanstecher C, Schwanstecher M. Stoichiometry of sulfonylurea-induced ATP-sensitive potassium channel closure. (1999) Mol Pharmacol. 55(6): 1060-6.
[5] Miki T, Nagashima K, Tashiro F, Kotake K, Yoshitomi H, Tamamoto A, Gonoi T, Iwanaga T, Miyazaki J, Seino S. Defective insulin secretion and enhanced insulin action in KATP channel-deficient mice. (1998) Proc Natl Acad Sci U S A. 1; 95(18): 10402-6.
[6] 秋田大学医学部薬理学研究室「KYOTO MODEL 」http://www.med.akita-u.ac.jp/~yakuri/km_home/index_jp.html
[7] Cook DL, Satin LS, Ashford ML, Hales CN. Diabetes. ATP-sensitive K+ channels in pancreatic beta-cells. Spare-channel hypothesis. (1988) ;37(5): 495-8.
[8] Inagaki N, Gonoi T, Clement JP 4th, Namba N, Inazawa J, Gonzalez G, Aguilar-Bryan L, Seino S, Bryan J. Reconstitution of IKATP: an inward rectifier subunit plus the sulfonylurea receptor. (1995) Science, 1995 17; 270(5239): 1166-70.
[9] 東京大学医学部 糖尿病・代謝内科 http://www.diabetes.h.u-tokyo.ac.jp/index.html
[10]分子医科学で病気を識る.第5巻 チャネルとトランスポータ:その働きと病気 井村裕夫,豊島久眞男,他 (株)メジカルビュー社