研究課題名:ユビキタス情報環境における位置取得システムの構築
氏名 :青木 俊
所属 :政策・メディア研究科 修士課程1年
今年度の研究内容と成果を以下に示す.
1 概要
近年計算機の小型化や高性能化,ワイヤレス技術の発展により,様々なデバイスに計算機を埋め込み,ネットワーク接続性と計算処理能力を持たせることが可能になった.これらのデバイスを用いて,ユーザの変化,環境の変化などの状況の変化に沿って様々なサービスを提供する環境をユビキタス情報環境と呼ぶ.ユビキタス情報環境は,状況取得のデバイスとして多数のセンサ,サービスを提供するデバイスとして多数の家電が存在する.
また,ユビキタス情報環境を実現するためには,多様な情報を扱うミドルウェアが必要となる.ミドルウェアは取り扱う情報に応じて分類され,その中に位置情報ミドルウェアが存在する.ユビキタス情報環境では,状況の取得という目的のために,位置情報を必要とするアプリケーションは増えると予想される.
従来のミドルウェアの多くはあらかじめ特定のセンサやサービスを想定し,アプリケーションや,位置情報の形式を限定している.本研究では,ユビキタス情報環境に適した位置情報ミドルウェアの考察,モデルの提案を行う.また,本モデルを用いたプロトタイプ実装を行い,評価を行う.具体的には,アプリケーションに対して柔軟な位置記述方法を提供し,また環境で利用するセンサを限定しない位置情報ミドルウェアを構築する.
2 ユビキタス情報環境における位置情報
本研究が想定するユビキタス情報環境について述べ,位置情報について考察する.
2.1 ユビキタス情報環境
ユビキタス情報環境におけるアプリケーションは,状況に依存したサービスの提供を目的とする.そのために,状況を取得するセンサ,サービスを提供する家電が必要だが,それぞれ計算処理能力とネットワーク接続性を持ったものをインテリジェントセンサ,情報家電と呼ぶ.ユビキタス情報環境では,様々なインテリジェントセンサが温度やユーザの位置など環境内の状況を表す情報を取得し,アプリケーションに提供する.また,アプリケーションは利用する情報家電を選択し,サービスを提供する.ユビキタス情報環境では,インテリジェントセンサと
情報家電が多数存在するため,アプリケーションが状況の取得からサービスの提供まですべての処理を行うことは困難である.そのため,ミドルウェアがアプリケーションとインテリジェントセンサ,アプリケーションと情報家電の仲介を行う.図1 にユビキタス情報環境におけるサービスの形態を示す.
図 1 ユビキタス情報環境におけるサービス形態
2.2 ユビキタス情報環境下における位置情報
ユビキタス情報環境下では,ユーザの状況を表す情報として位置情報が重要である.位置を取得するセンサとアプリケーションの仲介をするために位置情報ミドルウェアが必要となる.しかし,インテリジェントセンサによる位置情報は,座標情報や距離情報など多様であり,またインテリジェントセンサ自体も空間内に多数存在する.これをインテリジェントセンサの多様性と呼ぶ.位置情報ミドルウェアはこの多様性に対応し,インテリジェントセンサの数やその情報の種類に依存せずにアプリケーションに対して位置情報を提供できる必要がある.また,アプリケーションが必要とする位置情報は個々に異なる.例えば,位置情報の要求方法はアプリケーションによって
異なる.これをアプリケーション要求の多様性と呼ぶ.位置情報ミドルウェアは,インテリジェントセンサの多様性とアプリケーション要求の多様性を考慮する必要がある.以下で,アプリケーション要求の多様性と,インテリジェントセンサの多様性についてそれぞれ考察する.
2.3 アプリケーション要求の多様性
位置情報の要求や提供方式は,アプリケーションごとに多様である.アプリケーションは,位置情報を要求する際,位置を知りたい対象物を指定する場合,エリアを指定する場合,両方指定する場合が考えられる.想定される位置情報の各要求とそれに対する提供すべき情報を表1 に挙げる.
表 1 アプリケーションの要求と提供すべき情報
このように位置情報の要求,提供の両方において対象物及びエリアの情報が要素となる.位置情報ミドルウェアはこれらの要求に対応する必要がある.各要素について更に考察する.
2.3.1 対象物
アプリケーションが位置情報ミドルウェアに対象物を指定してそのエリアを取得したり,エリアを指定してそこに存在する対象物を取得する場合,対象物に識別子を付けてアプリケーションと位置情報ミドルウェアが認識する必要がある.一般的に対象物の識別は,位置情報ミドルウェアが対象物に識別子を付けることで行い,アプリケーションがその識別子に沿って要求,解釈を行っている.しかし,ユビキタス情報環境におけるアプリ
ケーションは様々な環境で利用されるので,各ミドルウェア固有の識別子を解釈することは困難である.環境に依存せず,共通して利用可能な識別子が必要となる.現在,ユビキタス情報環境の識別子付けの研究として,Auto-
IDや,ユビキタスIDが存在する.本研究では,これらの技術を用いて,すべてのデバイスとユーザにID 付けがされたユビキタス情報環境を想定する.
2.3.2 エリア
現在,アプリケーションに対してエリアを表すためには,座標情報が一般的に用いられる.しかし,実際にアプリケーションがエリアを取得したい場合,座標情報をそのまま利用することは少ない.例えば,部屋に入ったら電気が点灯するというアプリケーションの場合,座標情報を取得したあとに,その座標が部屋内に存在するかしないかという変換をアプリケーションが行っている.この場合,部屋という範囲を持ったエリアに人がいるという情報を得られることが望まれる.また,テレビ電話アプリケーションでは,ユーザの移動に伴って利用するディスプレイやマイクを切り替えたい場合,ユーザ周囲の一定範囲内に存在するディスプレイとマイクが存在するかを取得できることが望ましい.このように,アプリケーションはエリアを取り扱う際,範囲を持った情報として利用することが多い.位置情報ミドルウェアは範囲を持った位置情報の要求,提供に対応する必要がある.
2.4 インテリジェントセンサの多様性
位置情報として利用可能なインテリジェントセンサからのデータには,座標情報,距離情報,2 値情報が挙げられる.座標情報とは,空間内のx,y,z 座標を表す.距離情報とは,インテリジェントセンサと対象物との距離を表す.2 値情報とは,ある範囲内にいるかいないかという情報を指す.このようにデータは多様であり,ユビキタス情報環境ではこれらの情報を取得可能なインテリジェントセンサが多数存在すると予想される.そのため,位置情報ミドルウェアでは様々なデータの混在を想定する必要がある.
3 OASISS:ユビキタス情報環境における位置情報ミドルウェア
本研究では,ユビキタス情報環境を想定した位置情報ミドルウェア,OASISS (Optimized Abstracted Sensor Information for Smart
Space) を構築した.OASISS は,インテリジェントセンサの多様性とアプリケーション要求の多様性に対応した位置情報ミドルウェアである.インテリジェントセンサの多様性に対しては,筆者らの先行研究により解決手法を示した.本稿では,エリアを座標のような点ではなく,空間的広がりを持った
範囲として扱う手法を用い,OASISS に適用した.本章では,OASISS の概要を述べ,本研究が想定するアプリ
ケーションを挙げる.また,範囲を用いた位置情報の要求と提供を行うのに実現すべき機能要件と解決手法を示す.
3.1 OASISS の概要
ユビキタス情報環境下においてOASISS はインテリジェントセンサの多様な情報と,アプリケーションの多様な要求に対応する必要がある.OASISS では,これらの多様性を統一的に扱うことを可能にする抽象化を行うことにより,ユビキタス情報環境に適した位置情報ミドルウェアを構築する.
3.2 想定アプリケーション
・パーソナルシアター
ユーザ周囲の環境内からディスプレイとスピーカーを検索して,即興的に映画を提供するサービスを実行するアプリケーションを想定する.自分の部屋などの個人が占有可能な環境であれば部屋全体からデバイスを検索する必要があるが,多くの人が利用する公共の場ではユーザ周辺の狭い範囲からデバイスを検索する必要がある.
既存の位置取得システムを用いた場合は,各デバイスの位置情報を座標情報で通知し,アプリケーションが利用に沿って情報を判断していた.本抽象化モデルを用いた位置ミドルウェアでは,部屋全体からデバイスを検索したり,ユーザの周囲といった指定により,目的に沿った位置情報を取得することが可能になる.
・仮想空間における遠隔制御を支えるアプリケーション
環境内の情報家電を遠隔地から視覚的に操作するアプリケーションを想定する.このアプリケーションは様々な環境で利用される.そのため,アプリケーションは環境を気にせず統一的に情報家電の位置情報を取得し,操作するためのGUI を表示できることが望まれる.既存のシステムでは,環境の違いによる位置情報ミドルウェアの差異を考慮し,位置情報ミドルウェアごとに,位置情報の要求,提供を対応させる必要があった.抽象化モデルを用いたOASISS を導入することにより,アプリケーションは環境を気にせず,位置情報を取得することが可能になる.
3.3 範囲の取り扱いにおける機能要件
第2.3.2 項で,エリアを指定するには点ではなく範囲として扱う必要があることを述べた.そのため,OASISS は,範囲を扱うことを可能にする位置情報の要求,提供を実現する必要がある.本研究では以下の3つの方法による範囲の指定を実現する.
・空間の分割による指定
ユーザの移動を追跡する場合,アプリケーションは,位置ミドルウェアが対象としている空間を,一定の粒度で区切り,その粒度の位置情報でユーザの位置情報を取得することが望ましい.この一定の粒度で区切った空間を本研究ではリージョンと呼ぶ.アプリケーションは,ユーザがリージョンAからリージョンB に,リージョンB からリージョンC に移動したという位置情報を取得できる.この機能を実現するためには,アプリケーションとOASISS 間で,リージョンの形状,リージョンの大きさ,リージョンの名前の統一が必要となる.
・空間の名前による指定
部屋にユーザが入ったら電気が点灯するアプリケーションの場合,部屋という物理的に区切られた空間を1つの範囲として,部屋という名前で指定できることが望まれる.この場合,部屋という名前と位置情報の対応をOASISS 内で行う必要がある.
・対象物の指定
ディスプレイA という対象物の周囲にユーザが来たら広告を表示するアプリケーションの場合,ディスプレイA を中心とした範囲の指定方法が望まれる.これを実現するためには,アプリケーションとOASISS 間で対象物の識別子の統一をすること,1 m を周囲と呼ぶか,2m を周囲と呼ぶかという周囲を表す値をアプリケーションが指定できることが必要となる.
この3つの範囲の指定方法は,アプリケーションの位置情報要求,ミドルウェアの位置情報提供の両方で用いられる.
3.4 範囲の取り扱いに対する解決方針
本研究では,アプリケーションの範囲を持った位置情報の要求と取得を可能にする.そのために,アプリケーションとOASISSの位置情報の受け渡しを,すべて空間図形で行うことにより抽象化を行う.
3.4.1 アプリケーション要求空間の構築
範囲を数学的に表現すると,空間図形と置き換えることが可能である.本研究では,アプリケーションごとに範囲を空間図形に置き換えた抽象化空間を構築し,この空間をアプリケーションごとに提供することで,柔軟な範囲の表現を実現する.これをアプリケーション要求空間と呼ぶ.アプリケーション要求空間をアプリケーションごとに構築することで,OASISS は,異なる位置情報に対応することが可能になる.また,空間図形で表現することにより,OASISS は,範囲の扱いが容易になる.アプリケーション要求空間の構築には3つの方法が存在する.
・空間の分割による指定
空間をリージョンで分割することにより範囲を指定する場合,アプリケーションとミドルウェア間で,リージョンの形状,大きさ,名前を統一する必要がある.本研究では,リージョンの形状を任意の大きさを持つ立方体とする.立方体は,空間をすきまなく敷き詰めることが可能で,リージョンの形状として適している.アプリケーションは,リージョンの大きさと基準となる点を通知する.アプリケーションが立方体の一辺の長さを通知することで,リージョンの大きさを決定する.本抽象化では,リージョンをリージョン番号として識別する.アプリケーションが基準点を通知することで,基準点から空間をリージョンに分割し,基準点のリージョンをリージョン番号(0,0,0)とする.この番号づけにより,名前の統一が可能になる.
・空間の名前による指定
部屋の名前などで範囲を指定する場合は,部屋の形状と名前を対応させるディレクトリサービスから情報を取得し,基本立体と呼ぶ空間図形を生成する.基本立体は,OASISS が定める空間図形で,球,円錐,円柱,直方体などが存在する.これをアプリケーション要求空間とする.
・対象物による指定
ディスプレイA の周囲というような,対象物を指定する場合は,対象物の識別子を統一し,対象物の位置情報を取得し,周囲を表す値の統一を行う.識別子の統一は,本節のその他の問題で解決する.対象物の位置情報は,アプリケーションが指定する識別子から,OASISS 内から,位置情報を取得する.アプリケーションは,周囲の大きさを表す単位を指定し,これにより基本立体を生成する.これをアプリケーション要求空間とする.
このように多様なアプリケーションによる範囲の指定方法をアプリケーション要求空間として捉え,空間図形に変換することにより統一的に扱う.各アプリケーション要求空間の構築方法を図2 にまとめる.
図 2 アプリケーション要求空間の構築
3.4.2 空間図形による抽象化モデル
本研究では,アプリケーション要求の他に,インテリジェントセンサからの多様な位置情報も基本立体に変換している.基本立体を,アプリケーション要求空間内の立方体や直方体に変換することにより,アプリケーションの要求する位置情報を取得可能にする.この抽象化モデルの概要を図3 に示す.
図 3 抽象化モデル
4 設計
以下に,空間図形をよる抽象化モデルを用いた位置情報ミドルウェアOASISS の設計を行う.以下の図4 にソフトウェア構成の全体像を示し,アプリケーション要求に関する機構の説明を行う.
図 4 ソフトウェア構成
・アプリケーション要求受付機構
本機構は,アプリケーションとのインタフェースになる.アプリケーションが最初に接続する際は,各アプリケーションがどのような範囲指定方法を取るかを通知し,アプリケーション要求空間情報に変換する.また,位置情報の通知も本機構を通して行われる.
・アプリケーション要求空間機構
本機構は,実際にアプリケーション要求空間を構築し,アプリケーションが接続している間,保持する.最初に構築する際,インテリジェントセンサからの位置情報を取得し,アプリケーション要求空間に変換する.また,インテリジェントセンサの追加や移動の通知がきた際も,アプリケーション要求空間に変換を行う.
・ディレクトリサービス
本機構は,部屋の名前とアプリケーション要求空間の変換方法を保持している.
5 実装
5.1 実装環境
本実装は,linux 2.4.18-0vl3 上で,J2SDK1.4.0 を用いて行った.使用したセンサは,超音波センサ,圧力センサ,焦電形赤外線センサである.
5.2 シナリオ
アプリケーションとしてテレビ電話アプリケーションを用いた.OASISS は,一つの部屋を対象とした.テレビ電話アプリケーションは,PDA を用いて音声のみで遠隔地と通話し,周囲にディスプレイとマイクが存在する環境では,それらの機器を利用する.この場合,アプリケーションが要求する粒度内で,ユーザと機器が存在するという範囲を用いた位置情報が必要である.
本実装により,アプリケーションが指定するリージョンという範囲でユーザと機器の位置情報を取得することを実現し,目的に直結した位置情報を取得することを可能にした.
5.3 動作
アプリケーションは,本システムを利用する際,最初にリージョンの単位を通知し,以降リージョンとして位置情報を取得する.アプリケーションは,位置情報をユーザのID を指定することにより要求し,リージョン番号として取得している.OASISSがリージョン単位で位置情報を提供している様子を表示するGUIを図5 に示す.
図 5 提供リージョンの移動
6 評価
関連研究との比較,OASISS の性能評価を示す.
6.1 関連研究との比較
本研究の関連研究として,ActiveBat とPOIX を挙げ,比較を行う.
6.1.1 ActiveBat
ActiveBatはオフィスなどの環境を想定した超音波センサを用いた位置システムである.位置を知りたい対象に超音波を発信する小型デバイスを取り付け,天井に設置された複数の超音波受信機からの距離より位置を算出する.誤差は10cm 以内で取得可能であり,これらの位置情報を用いて,ユーザに位置適応的なサービスを提供する.
しかし,Active Bat は特定の超音波センサに特化してつくられており,他のセンサの利用は考慮に入れていない.したがって,アプリケーションはActiveBat に依存した形で構築する必要がある.
6.1.2 POIX
POIXはXML で記述されたインターネット上における位置情報の交換フォーマットである.位置の表現だけではなく,位置を中心として様々な情報を包括的に提供可能である.例えば,対象が移動体であった場合,移動手段,移動速度,移動方向などが提供される.位置は,緯度,経度,平面誤差,高度,高度誤差で表現される.
しかし,想定以外のデータで表現されるセンサを追加することが困難となるため,緯度,経度などで表すことができない位置情報は対象外となる.ユビキタス環境下において,緯度,経度で表すことができないインテリジェントセンサは多数存在する.また,閉鎖的な空間を想定していないので,ユビキタス環境における位置記述フォーマットとしては不十分である.また,アプリケーション要求の多様性は想定していない.
6.2 性能評価
空間を分割するアプリケーションの範囲の指定方法において,アプリケーション要求空間の構築にかかる時間を,リージョン数を変化させて計測した.また,アプリケーションが位置情報を取得するのにかかる時間を計測した.測定を行ったハードウェアおよびソフトウェアの環境を表2 に示す.
表 2 測定環境
評価結果を図6 に示す.アプリケーション要求空間の構築にかかる時間は,リージョン数の増加と共に,増加するが,位置情報取得にかかる時間は,ほぼ一定であり,短時間であった.アプリケーション要求空間の構築は,アプリケーションの初期化の際にのみ行うため,実用に耐えうるシステムであるといえる.
図 6 アプリケーションに対する性能評価
7 今年度の成果
青木俊,岩本健嗣,由良淳一,高汐一紀,徳田英幸,"ヘテロジニアスなセンサ環境における位置取得システムの構築"情報処理学会マルチメディア・分散・協調とモバイル(DICOMO2003)シンポジウムVol.2003,No.9
2003年6月 pp.197-200
ShunAoki,TkeshiIwamoto,KazunoriTakashio,HideyukiTokuda,”OASISS:A Location Service Middleware for Ubiquitous Computing Environment”CMU-Keio
Workshop 2003年10月