フィールドワーク報告
住民派生型森林資源管理から見えてくる「豊かさ」とは何か
−タイ・コミュニティ林管理を事例として−
政策メディア研究科2年
学籍:80233288
真田 千里
1.
研究の背景
1970年代の地球規模の自然災害の増加を受け、1986年ブルントラント委員会において「環境」と「貧困」が同次元かつ相互に関連性のある問題とした「持続可能な開発」が提唱されて以降、開発政策の中心は、「環境問題解決」と「貧困削減」が成すようになった。特に90年代以降は、それまで「経済成長が貧困を削減し、それにより環境問題が軽減する」という位置づけにあった二者が、「貧困撲滅をゴールとして確認したうえで、環境保全型の開発手段を考えていく」という位置づけへと変化していくことが求められている。
このような国際的な流れと時期を同じくして、タイにおいても国内の自然災害の増加から天候や自然環境に生活を依拠している農民を中心に、政府のそれまでの開発政策に対する批判の声が高まりをみせた。
1940年代から1960年代にかけて、タイにおいては、人口の増大、商品作物の普及、運河・鉄道・道路などの社会資本整備、政府による土地所有制度の整備によって土地の希少化が進み、多くの森林が急速に農地などに転換されていった。この結果、整備された道路などを使い、平地における人口圧力に押し出された人々や、借金返済に追われた逃亡者、自然災害の避難民などがそれまで人々を容易に寄せ付けなかった森林付近まで押し寄せることとなり、森林近くの農村部においても、土地の希少化、開墾による森林破壊がはじまった。また1960年代後半に入ると、政府のとった輸入代替工業化政策により工業部門の労働力の相対的価値が上昇したことにより、出稼ぎ者が急速に増大するとともに、農村部では、相対的価値の上昇した労働力を節約的に利用するために、農業の近代化が進んでいった。また、これと同時に貨幣経済も浸透していったのである。80年代にはいると、輸出指向型経済に移行したが、工業部門でも労働節約的な生産形態が主流となり、労働余剰により再び農村部へ向けての人口移動がおこり、さらに森林への圧力が高まった。実際に1961年には、まだ国土の53%を覆っていた森林が2000年には29%にまで減少している。このような森林資源の減少により、洪水の多発や雨量の減少、気温の上昇などの環境問題が顕在化したことから、人口の大部分を占める天候や自然環境に生活を依拠している農村部の住民による抗議行動が活発化していった。これを受け、タイ政府は商業伐採の全面禁止や、土壌の質や土地の勾配など科学的根拠に基づいた森林の使用制限などの対策を打ち出してきた。
しかし、これらの政策は、住民と政府との間に新たな軋轢を生むこととなる。政府による保護区の制定や、使用制限などにより、これまで伝統的慣習などの下で自由に森林資源を利用して生活していた住民たちの生活を変化せざるをえない状況に追い込んでしまったからである。
この摩擦の原因は、政府が森林保護を通して守ろうとしているものと、住民たちが森林を通して守りたかったものに大きな隔たりがあるからだと考える。
2.
研究の目的
これらのことから、本研究においては、タイにおいて初めてコミュニティ林に制定された森
林を所有するチェンマイ県メオン郡Huai Kaeo行政区Huai Kaeo村を対象に、その住民による管理ルールの制定過程と遵守動機及び住民の生活実態を調査することにより、森林を管理することで住民が守ろうとしたものは何か、ということを直接、住民の言葉より明らかにする。これにより、住民の考える「豊かさ」について考察していきたい。
表1.森林資源をめぐるタイ政府・農村部・国際社会の動向
年代 |
国家の動向 |
農村部への影響 |
国際社会の動向 |
-60年代 |
・換金作物栽培の拡大 ・商業伐採の拡大 →伐採技術と流通システムの 向上による ・土地所有権の制度整備によ る土地の商品価値の増大 ・鉄道建設のための森林伐採 →跡地を農地化 ・輸入代替工業化政策(60年代後半) |
・外部からの人口流入 →平地における人口圧力 の増大、借金返済に追われた逃亡者、自然災害の避難民など ・土地の希少化 |
・開発戦略=資本の形成・ 技術の進歩 ・森林=国家の収入源 外貨獲得源 (重視されず) ・FAOが4つの基本事項に焦点をあてる @森林生産力の増大 A伐採及び木材工業における廃材の減少 B熱帯諸国における未開発林の開発 C新たな森林の造成 →相対的な関心は高まらず |
-70年代前半 |
・伐採対象地域の拡大 ・森林保全法制定(1964年) →政府の独占的な伐採の法的保障 →将来的な経済林の確保 ・ダム建設 |
・貨幣経済の浸透 ・工業部門の労働力の相対的価値の上昇による出稼ぎ者の増加 ・地価の高騰 |
・FAOが林業局を設立 →環境問題の顕在化 (自然災害の増加) |
-80年代半ば |
・輸出指向型経済への移行 ・原木輸出禁止令(1975年) →77年には木材純輸入国 ・森林区画の開始 |
・労働節約的な農業への転換 ・工業部門の労働力余剰による低賃金化・失業 ・大量生産が可能になることにより、一次産品の価格が低迷→労賃低下 |
・ブルントラント委員会 「持続可能な開発」(1986) →開発政策の中心が「環境問題解決」と「貧困削減」へ 位置づけ:「経済政策が貧困を削減し、それにより環境問題が解決」 |
-90年代前半 |
・1988年に南部で大洪水 →マスコミ・NGOにより政策批判を浴びる ・国有地における天然林の商業伐採の全面禁止 (1989年) ・保護区の制定 |
・旱魃・洪水など自然災害の顕在化 →政府に対する抗議行動 ・保護区をめぐり政府と対立 |
・国連環境開発会議 「アジェンダ21」 目的:開発・貧困の撲滅及び食糧安全保障に貢献する観点での森林保全及び利用の促進 位置づけ:「貧困撲滅をゴールとして確認したうえで、環境保全型の開発手段を考える」 |
3.
フィールドワークの目的
以上のようなことを目的とした研究の導入として、今回のフィールドワークは以下の4点
を明らかにし疑問点を抽出していく目的で行なった。
<フィールドワークの目的>
@
調査対象とする村の状況
A
コミュニティ林の形成契機
B
実際のコミュニティ林の管理・利用形態
C
森林の側で暮らす人々の生活実態
<実施期間>
2003年8月29日(金)〜31日(日) NGO主催のフィールドトリップに参加、調査地決定
2003年9月 4日(木)〜6日(土) 村民宅宿泊。村内の観察、聞き取り調査など
2003年9月11日(木)〜13日(土) 村民宅宿泊。聞き取り、森林への同行など
4.
調査結果をふまえた上での調査対象地の選定の妥当性
タイにおいてフィールドワークを実施するにあたり、以下のような理由から調査対象地を選定した。
調査対象地:タイ北部チェンマイ県メオン郡Huai Kaeo行政区Huai Kaeo村
3-1. なぜタイ北部か
タイ北部には、153箇所もの「コミュニティ林」が存在し、その半数以上は住民によって形成されたものである。また、先行研究によると、タイ北部では、人々の集住によって地縁的な単位を意識して形成された「自生村」と、国家がその代理機能を担わせる目的で線引きを行なった「行政村」が100%一致していることと、以下のグラフ3が示す通り、タイ北部におけるコミュニティ林の管理主体も、その半数が行政村委員会であるため、調査をする上での境界把握や、データ把握が有利であると考えた。これらのことより、タイ北部から調査対象地を選定することとした。
3-2.
なぜHuai Kaeo村か
@
他の要素に影響されていない純粋な住民派生型環境資源管理の事例である
これまでのコミュニティ林研究においては、主に、カレン族などの森林の側で暮らす山岳民族がその対象とされ、かれらの生活実態や文化的背景などを調査し、その結果を研究者の視点で解釈したうえで、生活資源としての森林の重要性が述べられてきている。(佐藤 2002、Ganjanapan 2000)本研究においては、人々は「森林資源を守ることで一体何を守りたいと考え、どのようにしてルールを決定していったのか」ということを、そのルール制定時にNGOや学術機関の関与、および先行事例となるコミュニティ林ルールが存在しなかったタイにおける第1号のコミュニティ林を持つHuai Kaeo村のルール制定過程を追うことで明らかにしていきたいと考えた。
A平均的なタイの農村
Huai Kaeo村は、チェンマイ市内から東へ約50km、車で1時間半ほど走った丘陵地帯に広がる人口565人(2002年9月現在)ほどの村である。チェンマイ市内とは、国道と県道1230号線でつながり、都市部へのアクセスも比較的良い。生業は農業である(NGOのCommunity Forestry Support Group発行のタイコミュニティ林のケース集より)とされているが、このような地理的条件から、実際は、住民のうち15歳〜40歳くらいまでの男性はその大半が村外へ、村内に残っている男性と女性は村内でというように、村民の70%〜80%が日雇い労働で生計をたてている。(DomおよびTambon Administration Officeへのインタビューより)これは、人口の60%が農業と日雇い・季節労働を兼業しているタイの農村の平均的な風景であるといえる。また、村民にはカレン族などの山岳少数民族はおらず、全国人口の75%を占めるタイ族のみで構成された、いわゆる「タイ人」の村である。
B宗教的意味の強い森林資源管理ではないこと
また、全国人口の95%を仏教徒が占めるタイにあって、Huai Kaeo村の宗教比率は、仏教徒70%、基督教徒30%(TAOおよびキリスト教の牧師へのインタビューより)となっており、偏った宗教色の存在する村ではない。一部のコミュニティ林に関する先行研究の中では、コミュニティ林管理の契機を、「精霊の森」を祭るという歴史の古い慣習的なものからきている(Ganjanapan 1995、重冨1997)としているが、Huai Kaeo村のコミュニティ林管理は仏教、基督教の宗教区分に関係なく、住民によって共同管理されている。(Domへのインタビューより)
以上の@、A、Bより、Huai Kaeo村のコミュニティ林管理を事例にすることで、特殊な要素(宗教、民族など)が排除された「森林資源管理により住民たちが守りたかったもの」が見えてくるのではないかと思われる。
表2.Huai Kaeo村の基礎情報
Chiang Maiより |
約50Km |
|
地形 |
丘陵地。1988年頃に政府により整 備された県道1230号沿い |
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面積 |
− |
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コミュニティ林面積 |
1800ライ |
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森林面積 |
3,800ライ |
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人口 |
男 |
301人(2003.9) |
女 |
265人(2003.9) |
|
世帯数 |
148世帯(2003.4) |
|
宗教割合 |
仏教 |
70% |
基督教 |
30% |
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主な生業 |
農業 |
|
平均年収 |
29,492BTH(2002.4) |
|
村長 氏名・年齢 |
Su Pon Jino
(49歳) |
2003.9.12 行政区行政事務所(TAO)へのインタビューより作成
5.
調査結果および考察と疑問点の抽出
本章では、4章で述べたフィールドワークの目的に基づいて、実際の調査結果とその考察、そしてそこから抽出された次回のフィールドワークにむけての疑問点をみていく。
6-1. Huai Kaeo村のコミュニティ林形成契機(フィールドワークの目的A)
Huai Kaeo村には、現在2つの森が存在している。一つはPange Group、Huadoi Group、Banlao Groupが主に利用しているコミュニティ林、もう一つは、Huatung Group、Himlai Group、Taobom Groupが利用しているコミュニティ林に指定されていない森である。(付録1.Huai Kaeo村の村内Map参照)このうち、前者のコミュニティ林について、当村のコミュニティ管理活動の代表者であるAithewと、青年グループのリーダーでコミュニティ林管理活動の中心人物であるDomへ、その形成契機について伺った。(以下2003.8.28フィールドトリップでのAithewとDomの話より)
「Huai Kaeo村では、長い間、農業が生業とされてきた。丘陵地帯という地理条件から、稲作は難しく、多くの家族はMiang(お茶を発酵させて作った食品)を作るための茶畑における日雇い労働で生計を立ててきた。また、近隣の村やHuai Kaeo村においては、森林産物も重要な生活資源であった。労働のない時間には、森林産物を採集し、自給用の食物などとして活用していたのだ。しかし、この生活形態は、森林の利用販売権が開かれて@から変化することになる。この森林の利用販売権の確立後、多くの村民が木材販売業に従事するようになったA。つまり、村民の手による森林破壊が始まったのだ。
2532年(西暦1989年)、村民が多くの利益を得ていた森林に、森林再生という名目で外部の資本家が入植してきたB。この男は、森林管理組織C(調査不足のため、誰が主体となっているどのような組織かは不明)に許可をもらい、村内の235ライの土地を借用し、その土地をトラクターで開拓し、販売用樹木の栽培を開始した。
この直後、村民たちがこの資本家による行為から重大な被害を被り始めた。河川の流れの変化、トラクターで集められた大量の泥の流出などが起こり、村民の土地を埋めていった。森林再生という名目での入植のはずが、これまで村民が利用してきた生態系を破壊し始めたのだ。
タケノコ、キノコ、そして薪炭材など、多くの利益を得ることができなくなった村民は、グループを結成しD、この外部から入植してきた資本家と闘うために立ち上がった。まず、タンボンの地方行政官に訴え、そして、チェンマイ市役所にも訴えでた。これに対し、この資本家は、自分は正当な借用許可を得たうえで、森林再生・販売事業を行なっているのだと釈明した。これを受け、村民は何が起こっているのか、現状、森林がどういう状態にあるのか、ということを詳細に調査・報告する必要性があると認識し、そのための行動を開始した。
まず、村民はカセサート大学の森林学部の学生グループに森林の現状調査を依頼した。ところが、森林の状態は良好である、という結果がでたのだ。この資本家森林の状態をいい状態であるように見せかけるための工作をしたのだ。この結果の後、村民は200人からなるグループを組織Dし、資本家の農場において耕作機械や労働者の労働阻止を図ろうとした。これに対し、この資本家は法廷に村民とカセサート大学の学生を訴えた。
2532年(1989年)12月、この裁判の最中、Huai Kaeo村の学校長であり、この村民運動の中心人物であったNid Chaiwana氏が何者かの銃弾に倒れ亡くなった。この事件をきっかけに、さらに多くの村民がこの運動に参加し、村民の結束が強まった。村民グループは政府に以下のような訴えをした。
・
森の借用をやめ村民に返却し、この森林の管理者を村民にすること
・
この資本家からの訴えを取り下げ、誰も罪に処さないこと
・
黒幕を探し続けること
この訴えをうけ、RFDの長官であるParoj Suwannakonしが村内の1600ライの土地をコミュニティ林に指定することを誓ったE。これが、タイ社会におけるコミュニティ林Fの始まりとなった。以後、Huai Kaeo村においては、村民は昔よりも森林管理に力を入れるようになり、15人からなるコミュニティ林管理委員会Gも発足した。この委員会は、コミュニティ林に関するルールも制定した。(6-2資料1.参照)
当初、村人は外部者によって破壊された場所に10000本の木を植林したが、その木々の大半は育つことなく枯れてしまった。しかし、現在では自然再生したものが育ってきている。
2539年(1995年)、村民はクリスチャンと仏教徒が共に行なうコミュニティ林管理活動を開始した。ルールも整備され、森林のエコシステムは回復し、村民は再び森林から多くの利益を得られるようになった。」
今回の調査では、Huai Kaeo村のコミュニティ林管理の代表者であるAithewおよび管理ルール制定時の中心人物であった方に詳細なインタビューを実施する時間をとってもらうことができなかった。したがって、以下の疑問点が残ったままとなっている。(上記囲い内の文章の下線部に対応)
<疑問点>
@当村で森林の利用販売権(主に木材)が開かれたのはいつか
A当時、採取した木材などはどこに向けて、どのような方法で販売していたのか
B外部から入植してきた資本家は、誰に許可をもらって入植してきたのか
Cこの資本家に土地を借用したのは誰か(森の所有者は誰だったのか)
D一番初めに形成された「住民グループ」の構成メンバーはどのような人たちだったのか
(村内での居住エリア、職業、所得など)
EHuai Kaeo村のコミュニティ林制定にRFDはどのように関与しているのか
Fどういう意味でのタイ社会における第1号コミュニティ林なのか
Gコミュニティ林管理委員会のメンバー選出方法と、そのメンバー
6-2.
Huai Kaeo村のコミュニティ林管理・森林利用の実態(フィールドワークの目的B)
6-2-1.コミュニティ林管理の実態
Huai Kaeo村のコミュニティ林を歩くと、天秤一杯にタケノコを担いでいる人々やビニール袋いっぱいにキノコを持っている人々とすれ違う。一見、何にも制約されずに、自由に森林産物を採取しているかのように見えるが、実は以下(資料2)のようなルールが森林内に立つ看板に明記され存在している。
資料2. Huai Kaeo村のCommunity Forest Rules
(2003.8.30 Field Tripにて)
1.
森林を破壊するな。販売目的の木材伐採を禁ずる。ただし、すでに倒れている木は薪として利用してもよい。
2.
2544 –
2549年の5年間perennial treeを伐採せず、コミュニティフォレストを再生させること。ただし、木材伐採の必要がある場合は、Community Forest Committee(?)に許可を求めること。認められる例は以下の通り。
例>
火事などで家を失い、新築しなければならない。
結婚などで新しい家族が増え、家を新築しなければならない。
現在住んでいる家が危険な状態にある。 など
3.
他のタンボンの人があらゆる種類の竹(食用、バスケット用ともに)を持ち出すことを禁ず。ただし、権利を購入する場合はこれを認める。価格は、一度森林内に入るにつき自動車で来る場合は30BTHを、バイクで来る場合は5BTHを村の基金に支払うこと。
4.
このタンボンの住民は、販売目的のタケノコを採集する場合は、一度森に入るにつき、売上総額の2%を村の基金に支払うこと。また、採集可能なタケノコの量は、1日あたり50kgを上限とする。
5.
このコミュニティフォレスト内では、マイパイサン(バスケット用竹)は年間一世帯50本を上限とする。マイパイボンは、年間一世帯100本、マイパイライは、年間一世帯500本を上限とする。
6.
森林を焼くことを禁ずる。
7.
全種類の樹木について、樹皮を剥いだり、伐採したり、樹木を殺すようなことをすることを禁ずる。
8.
木炭(石炭?)を燃やすな。また、乾燥した木材をコミュニティフォレストから持ち出すな。
9.
動物を獲ることを禁ずる。
10.
爆発物や、電気ショックを使用して、大量の魚を獲ることを禁ずる。
1800ライもの広さのあるコミュニティ林の中で、特に監視員もおらず本当にこのルールは守られているのか、という疑問に対し、このコミュニティ林に大きく生活を依存しているPagea Groupの住民の一人Tukam氏(付録1.参照)は以下のように答えてくれた。
Q1. 「監視員もいない中で、本当に管理ルールは守られているのか。」
A1.
「この森を利用している住民同士の監視の目があるから、誰もルールを破る者はいないよ。それに、ルールを破って森林の物を取りすぎれば、次に困るのは自分たちだからね。」
Q2.
「住民みんながそのように思っているのか。」
A2.
「住民みんなといっても、森に入る人間はだいたい決まっているからね。森に入らない人たちには、自分たちが採ってきた森林の物を売り歩くか、その人たちが栽培している野菜なんかと交換したりする。」
Q3.
「コミュニティ林は広いので、お互いの目が届かないところもあるのではないか。」
A3.
「マラリアが怖いから、森林のことを知ってる者は、決まった場所までしか入らないんだよ。」
例えばタケノコを例にとって上記のTukam氏のインタビューA1.の内容をみてみる。実際に
森林を歩いていて気がつくことは、タケノコ採集をしている住民はみな同じ袋に詰め、その袋2袋までを目安にしていることがわかる。(1袋あたり15kg程度)この袋を基準に住民同士で監視しあっているのだ。また、タケノコ採集に同行して教えてもらったのだが、かれらはどのタケノコが将来立派な竹として大きく成長するか知っており、そういった可能性を持つタケノコは暗黙の了解の下避けて採集している。そのような成長の可能性をもつタケノコは、「おいしくない」という認識ができあがっており、どんなに採集量が少ない日でも、採集しない。(Pinインタビューより)A3.に見られるような相互扶助に関しては、Huai Kaeo村の住民グループの数と種類からも、非常に活発であることがわかる。Huai Kaeo村には14の相互扶助グループがあり、その内容は老人会や子供会のようなものから、預金グループといったようなものまで実に多岐にわたる。(図1.)コミュニティ林管理のグループも、この中の1つという位置づけにある。グループの構成員の決定要因は、居住エリア、年齢、宗教、職業など様々であり、活動の頻度や内容もさまざまである。村内の相互扶助は、基本的にはこのグループに関係なく、近くに住んでいるなどの理由によって行なわれるが、これらのグループに関連した問題が発生した場合は、グループ内で助け合う。(Domインタビューより)
マラリアに対しては、森林の側で暮らしているPagea Groupの人々はかなり警戒しており、この地域の大人から子供まで森に入るときはみんな長袖、長ズボンに帽子、虫除け薬が欠かせない。子供たちに「森の中で遊ぶのか」と尋ねると、「マラリアが怖いから遊ばない」という答えが返ってくるほどである。
実際の管理活動に関しては、先行研究でみられるような「森の精霊」を祭る宗教的な儀式は存在せず、年中行事の中にもコミュニティ林管理に関する活動は、不定期的に実施される子供たちの植林活動くらいである。(Domインタビューより)この植林活動のための苗木は、上記の管理ルールの中にもみられる、さまざまな場面で森林産物採取の代償として村の基金に支払われるお金でまかなわれている。
これらのことから、Huai Kaeo村のコミュニティ林管理の実態については以下のようなことが言えるのではないだろうか。
「森林を利用する人はほぼ決まっており、森林資源を採取する際の行動規定は、明文化されたルールではなく、森林を利用している人々の意識の中に残されている体験である。」
上記のことは、まだ検証されたわけではない。今後、実際のルール制定の際にどのようなメンバー構成で、どのようなことが話し合われたのか、を詳しく調査していく必要がある。
対立*1
図1. Huai Kaeo村の住民組織(Domインタビューより2003.9.5)
*1. 両者の対立は、ある年のクリスマス会から始まった。Suriya Chaipong Churchのクリスマス会でWat Huai Kaeo
Children’s Groupの子供たちが出し物をしようと、ダンスを練習していたが、当日、会場に行って申し出たところ、そんな時間はない、と会場にいた大人が拒否。ここから対立が始まった。
*2. 王室(?)か政府(?)が各村(?)にお金を1,000,000BTHづつ与えて始まった事業。村人はプライベートビジネス(例えば、種子を購入したり、子牛を購入したりする)のにローンが組める。チェアマン、秘書、会計担当は1年おきに選挙で選出される。但し、2期連続出馬は禁止されている。
*3. 他村の住民も預金可能。但し、委員会はHuai Kaeo村の住民のみで運営されている。
6-2-2. 森林利用と住民の生活実態
では、実際に森林はかれらの生活の中でどのように利用されているのか。本章では、かれらの生活の実態を通して、森林の利用方法をみていく。
次ページが、住民へのインタビューより、その利用形態を図示したものである。(図2.)この図における下草、樹木、土、水などの大分類は、DomやAithewにコミュニティ林内を案内してもらった際にかれらが示してくれた、生活の中で使っているものとその使用方法を基に私が作成したものである。したがって、かれらの中に明確に森林が樹木、下草、水、土、生物生息地という要素から成り立っているという認識があるのかは分からない。
また、添付ファイル:森林産物カレンダー.exlに見られるように、生活の中の「食」一つをとってみても、1年中森林から何らかの食材を手に入れられることが分かる。(添付ファイル:森林産物カレンダー.exl=Domへのインタビューより作成)
だが、図3.および表3. みていただきたいのだが、Huai Kaeo村の住民は多様な職業について
おり(図2.)、その職業によって得られる現金収入もちがい、生活の中での貨幣部門への依存度も異なる。これは、言い換えると、森林資源への依存度もちがうということである。表3.はそれぞれ植木業を営むKaewさんと、森林産物採取、販売と日雇い労働をしているPinさんの家計内容である。この2つの家計の食費の部分に注目していただきたい。収入の最も高い植木業従事者と収入の最も低い日雇い労働従事者の家計支出のうち、食費支出を比較してみると、後者は前者の50%であり、日雇い労働のPinさんの食費支出は総支出のわずか1%である。実際にこの2人に話を聞いてみると、植木業従事者のKaewさんは、週に2度ほど近隣都市に買い物に行き、必要な食料を購入しており、村内で採集できる森林産物などは使用していないらしい。これに対してPinさんは米、肉類以外のものはほとんど村内でとれるものを利用している。これは、生存維持に欠かせない「食」の部分の森林依存度が職業や収入によって違っていることをしめしている。
以上のようなことから、
「森林は、生存に欠くことのできない飲・食・住・医療(伝統的)に必要な要素を1年中供給可能である。」
ということが言える。
ただし、以下のような疑問点も残っている。
<疑問点>
@かれらにとって、「森林」を構成している要素は何なのか。(どこまでを森林とみなしているか)
A村内のどのくらいの世帯が森林にその生活を依存しているのか。
B森林に依存した生活から貨幣に依存した生活に移行するのは、何がきっかけか。
どのような区切りがあるのか。
図2. Huai Kaeo村の生活における森林利用形態
(含.
木材価値森林産物)
図3. Huai Kaeo村の職業種類
表3. 日雇労働者Pinさんと植木業従事者Kaewさんの1ヶ月の支出
Pin家の1ヶ月の支出(本人・息子・娘) |
Kaew家の1ヶ月の収入(本人・息子・娘) |
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食費 |
580BTH |
食費 |
1600-2000BTH |
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<内訳> |
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→週に2度、近隣都市へ買出に行く 含日用雑貨費 |
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米 |
(280BTH) |
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豚肉 |
(300BTH) |
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日用雑貨 |
218BTH |
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<内訳> |
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シャンプー |
(90BTH) |
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石鹸 |
(28BTH) |
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洗剤 |
(100BTH) |
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電気代 |
70-90BTH |
電気代 |
500BTH |
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ローン返済 |
2550BTH |
ローン返済 |
0BTH |
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<内訳> |
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葬式費用積み立て |
50BTH |
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TVローン返済 |
(450BTH) |
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バイクローン返済 |
(1300BTH) |
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生活費ローン利子 |
(800BTH) |
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ガソリン |
400BTH |
ガソリン |
600BTH |
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子供のお小遣い |
1590BTH |
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電話代 |
700-900BTH |
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ガス代 |
220BTH |
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生業への投資(肥料) |
2000BTH |
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→2-3ヶ月に一度 |
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|
1.
フィールドワークの問題点(手法および意識)
以上のように、今回のフィールドワークでは、住民の生活と森林資源管理の大枠をみてきたにすぎない。
今回実施したフィールドワークで最も大きかったのは、以下のような調査手法の問題点および調査に支障をきたしかねない固定観念の存在が明らかになったことだ。
1)
調査目的説明時における調査対象者へのバイアスの植え付け
今回の調査の中では、インタビュー対象者などに対して調査目的を「コミュニティ林について」と説明してきた。しかし、こちらが準備した住民の回答によって気がついたのだが、この最初に行う調査目的説明が、住民に「自分たちがコミュニティ林を重要だと思っている、ということが伝わる回答をしなければ」という無意識のバイアスを植えつけてしまっていた。
2)
簡潔に回答できない仮説的な質問をしてしまったこと
付録2.のインタビュー対象者の基礎情報とインタビュー内容を見ていただければお分かりいただけると思うが、住民と話をしていく中で実に多くの仮説的な質問をしてしまった。先方はこちらの調査目的を知っているため、このような質問に対する回答が非常に優等生的になってしまうのは当然のことといえる。同じ内容について尋ねるとしても、もっと簡潔に回答でき、必要以上にこちらの期待している回答が先方に伝わらないような質問を準備していくべきであった。
3)
「タイの森林の側に暮らす住民」と「日本に暮らす自分自身」という2つの軸から差異ばかりをみつけだそうとしてしまったこと
調査前、調査開始時から、自分の中には「タイの森林の側で暮らす人々と日本で暮らす自分の生活は違うものだ」という固定観念ができあがってしまっており、調査全体を通してかれらの生活の中から自分とは違うものばかりに注目し、それをかれらの普通の生活である、と勝手に位置づけてしまっていた。しかし、タイの森林の側で暮らす人々も、自分自身も物質的な人間という存在であり、その生活には共通点の方が多いはずである。このように考えると、先入観から見落としたものがたくさんあるのではないかと考えられる。
4) 村内の人々を「森林の側に暮らす住人」という一括りでとらえてしまったこと
調査にいく前および調査中、村内に暮らす人々を「森林の側に暮らす人々」という一つの視点のみから、森林を利用している人、利用していない人、という単純な分類を先に決め、とらえてしまっていた。しかし、実際には、「森林の側に暮らす人々」を分類する切り口はいくらでも存在し、これをどの切り口から見ていくかで見えてくるものは全く変わってくるということを学んだ。この切り口を先入観なしにできるだけ多くみいだし、自分の研究目的に合致した切り口を絞りこんでいき、「森林の側に暮らす人」の定義づけをきちんとしていくことこそ、次回のフィールドワークの重要な課題だと感じた。
8. 今後の予定
今後は、本報告書で記してきた疑問点に関して、今回の反省点を留意したうえで、以下のようなスケジュールで調査を進めていきたいと考えている。
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
文献調査・統計等の資料収集 |
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フィールドワーク |
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修論中間発表準備 |
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修論執筆・最終発表準備 |
9.
付録リスト
付録1. Huai Kaeo村の村内Map
付録2.
インタビュー対象者の基礎情報とインタビュー内容(添付ファイル)
付録3.
Huai Kaeo村の環境動向(ごみと排水)(添付ファイル)
付録4.
子供へのインタビュー(添付ファイル)
10. 参考文献
「人々のための公共地」佐藤仁著 1999年 東南アジア研究37巻1号
「希少資源のポリティックス」佐藤仁著 2002年 東京大学出版会
「タイ農村の共有地に関する土地制度」重冨真一著 アジア経済研究所研究双書
「コモンズの社会学」井上真・宮内泰介編 2001年 新曜社
「タイ農村のコミュニティ」重冨真一著 1996年 アジア経済XXXVII-5
「参加型農村開発の組織論」重冨真一著 1995年 アジア経済XXXVI-2
「続・タイ農村開発の構造と変動」北原淳著 2000年 頸草書房
Biodiversity
– Local Knowledge and Sustainable Development− Yos
Santasombat, RCSD, Chiang Mai University 2003
ARCレポート タイ1997、2002 WEIS