森基金・研究成果報告書

 

研究課題名:       イスラーム社会における女性の社会進出・労働に関する一考察

― シリアとインドネシアの事例における比較研究 −

 

政策・メディア研究科修士1

野中葉 yon@sfc.keio.ac.jp

 

1.        はじめに

2003年の夏休みの1ヶ月間、修士での研究の一環として、シリアでフィールドワークを実施した。内容は、女性とヒジャーブについてである。初めて訪れるシリア、そしてアラブ世界。日本はもちろんのこと、これまで訪れたどの国とも違う、アラビヤ語とイスラームの雰囲気にとまどいながらも、多くの人たちの協力のおかげで、充実した1ヶ月を過ごすことができた。インタビューと観察のテキスト ボックス:  結果を中心に、ここに、報告書として、その活動内容を記述しておきたい。

 

2.        フィールドワークの概略

フィールドワークの概略は、以下のとおりである。

·           テーマ:              シリアのムスリム女性とヒジャーブに関する研究

·           期間:                  2003731日(木)〜831日(日)

·           場所:                  シリア・アラブ共和国国内

(アレッポ大学日本センターを拠点に)

·           申請科目:           グローバル・イシュー・プラクティス

 

3.        フィールドワークの目的

私の修士での研究テーマは、「イスラーム社会における女性とヴェールに関する一考察−シリアとインドネシアの比較研究(仮題)」である。今回のフィールドワークは、この研究の一部として位置づけられる。

ムスリム女性とヴェールに関する研究は、これまで西欧のオリエンタリズム的観点から、批判的に論じられることがほとんどであった。本活動を通じて、実際にシリアを訪れ、町の観察、インタビュー、資料収集、人的ネットワーク作り、などの活動を実施することで、イスラームの視点から、女性がなぜヴェールを身につけるのかの問いに考察を加えることを目的とする

 

4. スケジュール

 1ヶ月のおおまかなスケジュールは以下のとおりである。

7/31(木)

アレッポ着

8/16(土)

女性クルアーン勉強会参加

8/1(金)

大学にて情報収集

8/17(日)

大学にて情報収集

8/2(土)

アル・マーラへ小旅行

8/18(月)

大学にて情報収集

8/3(日)

女性グループインタビュー

8/19(火)

ダマスカス:町観察

8/4(月)

大学にて情報収集

8/20(水)

ダマスカス:イスラーム会議参加

8/5(火)

スーク・ヒジャーブ売り場見学

8/21(木)

ダマスカス:インタビューほか

8/6(水)

スーク・ヒジャーブ売り場見学

8/22(金)

休み

8/7(木)

大学にて情報収集

8/23(土)

大学にて情報収集

8/8(金)

金曜モスク見学

8/24(日)

大学生へのインタビュー

8/9(土)

鉄道局、ムフティーインタビュー

8/25(月)

博物館見学

8/10(日)

鉄道局、イマームインタビュー

8/26(火)

大学病院見学

8/11(月)

鉄道局でのインタビュー

8/27(水)

資料まとめ

8/12(火)

大学での情報収集、新聞社見学

8/28(木)

図書館にて資料収集

8/13(水)

ハマ:町観察

8/29(金)

カラート・ハラブ見学、家庭訪問

8/14(木)

ハマ:インタビューほか

8/30(土)

資料まとめ

8/15(金)

金曜礼拝参加、イマームインタビュー

8/31(日)

女性クルアーン勉強会参加

 

 

5.       フィールドワーク実施内容

 前で示したスケジュールの内訳を、活動地域別に表わすと以下のとおりである。

 

@       アレッポ

テキスト ボックス: <アレッポの目抜き通り> アレッポはシリア北部に位置し、ダマスカスに次いで、人口300万人を抱えるシリア第2の都市である。1ヶ月のフィールドワーク期間中、活動の拠点としたのは、アレッポ大学の学術交流日本センターであり、また、家を借りテキスト ボックス:  
 
て住んだのもアレッポである。そのため、アレッポでの活動に最も多くの時間を費やし、その内容も多岐にわたる。

·           宗教関係者インタビュー(ムフティー、イマーム、アルメニアン牧師)

·           一般人インタビュー(学生、OL、鉄道局職員、その他大勢)

·           職場見学(鉄道局、博物館、病院、新聞社)

·           スーク・ヒジャーブ売り場見学

·           金曜礼拝参加

·           女性クルアーン勉強会参加

 

A       ハマ

テキスト ボックス: <ハマの名物:水車と川> ハマは、アレッポから150km程度南に位置する中堅都市であり、敬虔なムスリムが多いことでも知られている。アレッポ大学でお世話テキスト ボックス:  になった教授の紹介で、子供たちのクルアーン勉強会に参加することができた。またそこから情報をもらい、インタビューや女性たちの勉強会への参加などを行なった。12日の滞在であったが、その後のダマスカスでの活動にもつながる有意義な2日間であった。

·           ムスリム女性宗教活動家インタビュー

·           小学生クルアーン勉強会参加

·           勉強会講師たちの集い参加

·           画家ムスリム女性インタビュー

 

B       ダマスカス ダマスカスはシリアの首都であり、アレッポからはバスで5時間程度。テキスト ボックス: <イスラーム女性国際会議の様子>ハマで知り合った女性イスラーム団体に招待され、イスラーム女性国際会議に出席させてもらうため、ダマスカスを訪れた。23日のうち、丸2日間は彼らと一緒に行動し、テキスト ボックス:  様々な話をすることができた。また残りの1日は、ダマスカスの町を観察したり、博物館を訪れたりした。

·           イスラーム女性国際会議出席

·           ハマのイスラーム女性団体と終日行動

·           ヒジャーブを着けての行動

 

C       アル・マーラ

 知人の紹介でアレッポ大学考古学部の日帰り研修旅行に参加すテキスト ボックス: <アル・マーラの博物館前>ることができた。アル・マーラは、アレッポから1時間弱南に下った近郊の小さな町。ムスリム商人たちの宿場町としてかつて栄え、隊商宿(キャラバンサライ)が今は博物館になっている。その博物館を見学したり、またテキスト ボックス:  町中心部を観察したりした。

 

 

6. ヒジャーブ現代事情

 1ヶ月を通じて、あらゆる地域の様々な場所で、ヒジャーブについての観察を行なった。ここでは、町、売り場、組織の3つの切り口から、ヒジャーブの現代事情をまとめてみたい。

 

@     町の比較

<アレッポ>

ヒジャーブ着けている人、着けてない人、コート着ている人、西欧風の服装の人、きちんと化粧をしている人など様々なタイプが混在している。活動拠点としていたため、アレッポの状況が他の町での観察の際の基準となった。

 

<ハマ>

若い女性も含め、大部分がヒジャーブとコートを身に着けている。アレッポの女性と違い、カラフルな色や模様の入ったヒジャーブを着けている女性は、ほとんど見かけない。その代わり、色も黒や白、ベージュなど地味な色が目立つ。

14時頃には、仕事が終る時間なのか、多くの女性を見かけたが、16時〜18時頃は、目抜き通りでも、人がほとんどいない。いても男性ばかり。女性は、地味なヒジャーブをつけているせいか、とても大人しい印象だった。それに引き換え、男の子と男性は、テキスト ボックス: <ウマイヤドモスク>外国人の私によく声をかけてきた。

 

テキスト ボックス:  <ダマスカス>

ダマスカスの女性の服装は、アレッポとは比較にならないほど西欧的だった。ぴっちりした服装やノースリーブも当たり前という状況で、半月以上、アレッポで暮らした私は、かなり衝撃を受けた。特に、各国大使館や高級レストランが集まる地域では、ほとんどヒジャーブの人を見なかった。

しかし一方で、旧市街には巨大なスークやウマイヤドモスクなどがあり、歴史あるたたずまいの中に、ヒジャーブの女性たちも多く見かけた。ただし、この地域は観光客が地区でもあり、実際にダマスカスの人なのか、観光客なのか、見比べるのは難しい。

 

<アル・マーラ>

テキスト ボックス: <アル・マーラの町中>目抜き通りは露天町のスークになっていて、にぎわっていたが、ここで見かけた女性は、ほぼ全員がヒジャーブと黒いコート。私だけでなく、一緒に歩いたアレッポの女子学生の服装でさえテキスト ボックス:  も、目だってしまう状態だった。平日(土曜)の昼間だからかもしれないが、年配の女性が大部分であった。

 

A 売り場

アレッポの旧市街地に広がる巨大なスークの一角に、ヒジャーブ売り場を見ることができる。ここには、何十軒ものヒジャーブ屋が軒を連ねている。私は、ここに2日間通い、自分のヒジャーブを購入した。アレッポ大学で働く若い女性が、私を案内してくれた。

ヒジャーブは、筒型のもの、正方形のもの、シルク、コットンなど様々なタイプがあり、色も様々である。売り場の店員にインタビューをしたところ、売れ筋は100150SP250375円程度)のものだとテキスト ボックス: <ヒジャーブ店店員と>いう。高級志向の人用に500600SP12501500円程度)のものまであると勧められた。また、被り方にもタイプがあり、留める場所、スカーフの出し方など、その時々によって流行があるとテキスト ボックス:  のことだった。

衝撃的だったのは、どの店の店員も男性だったことだ。ヒジャーブの女性や、顔まで黒い布で覆っている女性たちが、男性の店員からヒジャーブの値段交渉をして、買っていく姿は圧巻だった。

 

B 各組織での観察

<職場>

見学したのは、鉄道局、病院、大学、新聞社など。すべてアレッポのオフィスである。ヒジャーブを着けている人もいれば、着けてない人いるし、ヒジャーブのタイプも様々だった。イスラーム教徒だけでなく、キリスト教徒もいて、同じ職場で全く違いなく、働いている。

テキスト ボックス: <アレッポの新聞社オフィスにて>興味深かったのは、病院の例である。通常、医者は手術の際に、キャップと専用の手術着(ズボン)を身につけることになっているが、ヒジャーブを身につけている女医は、キャップを被る代わテキスト ボックス:  りとして、ヒジャーブが認められ、またイスラームのコートを着ている女医は、手術着のズボンの代わりに専用のスカートが用意されているということである。職場の体制として、ヒジャーブが認知されている表れであると感じた。

 

<イスラーム女性団体/小学生勉強会>

ハマでは、イスラーム女性団体が主催している小学生の勉強会を見学することができた。ここでは、小学生の女の子が200人くらい集まって勉強している。彼女たちは、皆白いヒジャーブを着けていた。話しを聞いてみると、まだ年齢的に幼いため、この勉強会の時だけ被る子が多いと言う。

夏休みの特別講習会で、1週間に3回のレッスンが夏休み期間中続くということ。このインスティチュートでは、クラスを2グループ開催している。朝9時〜12時くらいまで、200人×2グループ、400人の小学生の女の子たちが通ってくるというのは驚きだった。

テキスト ボックス: <イスラーム勉強会の講師たち>勉強会を指導するのは、2030代の女性講師たちである。20人ほどの講師が、小学生をグループに分けクルアーン読誦の練習をさせていた。彼女たちは、みな白いヒジャーブに黒か灰色テキスト ボックス:  のコートを身につけていた。

各生徒たちが支払う授業料はなく、この勉強会の運営自体は、ほとんど寄付で賄われている。団体の責任者(ルフェイダ氏)は、政府公認の公務員の位置を与えられ、サラリーが出ているとのことだが、実際に勉強会を運営している講師たちは、みなボランティアである。この勉強会出身者が多く、別に仕事を持ちながら、あるいは家庭を持ちながら、インスティチュートに通って、小学生の指導に当たっている。

 

<クルアーン勉強会>

先生一人に、10人程度の女性が集まって、週1回ある場所に集まり(通常、先生か生徒の家)、1時間半〜2時間程度、クルアーンの読みや意味を学ぶ自主勉強会である。自発的に一般的に行われているものらしく、私もアレッポで、2つのグループの勉強会に参加することができた。先生や生徒たちの年齢は、1060代くらいまで幅広いが、先生を含め大多数が黒いヒジャーブに黒いコートという格好であった。アレッポの他の場所では、目まで覆いをしている人は、あまり見かけないが、彼女たちの中には、目なで覆いをしている人が何人もいた。勉強会中は皆、顔の覆いははずしている。

 

<金曜礼拝>

私が訪れたアレッポ旧市街地のモスクでは、本堂の脇の小部屋が女性専用の礼拝の場だった。多くの人の支持を集めるイマーム(フサイニー氏)のモスクであり、男性礼拝者も本堂に入りきらないほど、と聞いたが、女性たちも小部屋に満員状態であった。20畳くらいの部屋に6070人が集い、若い人から年配まで、年齢層は非常に幅広い。テキスト ボックス: <金曜礼拝のモスク外の様子:
普段閑散としている道が車であふれている>
夫と、息子と、父親と、など男性家族と一緒に来ている人が多いようだった。

金曜礼拝は、部屋に入ってきたら、皆それぞれに礼拝し、その後、1時間弱のイマーテキスト ボックス:  ムの説教、そして最後、みな揃っての礼拝という流れである。イマームの説教は、本堂で話している声がスピーカーを通じ聞こえてきて、また内容の要約のパワーポイントが、部屋の前に設置されたテレビモニターに映し出される仕組みであった。この日の説教は、世界中から入ってくる様々な情報を、ムスリムとして自分自身でどう処理していくか、という内容。みなそれぞれに、ノートをとるなど、熱心に聴いていた。

集まった女性たち皆が、黒いヒジャーブに黒いコートという格好だった。礼拝中は、顔の覆いをしている人はいないが、外に出るときは、目まで隠す覆いをする人が何人も見受けられた。

 

 

7.ヒジャーブを着用してみて

 ムスリム女性とヒジャーブのことを勉強するにあたり、実際にヒジャーブを身につけるとはどんな感じなのか、試してみようと思い実践した。ここでは、その内容を簡単にまとめてみたい。

 

@     着用場所・期間

ダマスカスにて、ハマの女性団体に誘われたイスラーム女性会議に出席する直前に着用した。その後、会議の参加、レストランでの食事、ホテル、アレッポへのバスなどの交通機関で、ほぼ2日間、着用をした。

 

A     感想・印象

アレッポのスークで購入したヒジャーブを着けた。二重になっていて、内側に太いバンダナ式のものをかぶり、外側にスカーフ式の覆いをするという仕組み。これで髪の毛が外に出ることを防ぐことができるので、正式なかぶり方と言われている。かぶり慣れていないせいもあるだろうが、この二重のヒジャーブは、8月のシリアではとても暑い、というのが第一の印象だった。

しかし、ヒジャーブ姿でしばらく歩いてみると、道で男性から声をかけられることが、非常に少ないことに気がついた。それまで、好奇心いっぱいのシリア人男性たちに、“変な外人”テキスト ボックス: <ヒジャーブを着けて記念撮影>

としてジロジロ見られ、あらゆる話術でちょっかいを出され続けていたのに、この違いには正直とても驚いた。

町を歩いていても、セルビス(小型乗り合いバス)や長距離バスの中でも、周りが、私のことをテキスト ボックス:  “おかしな外人”としてではなく、ムスリマとして敬意を持って接してくれている印象があった。ヒジャーブをしてもなお、顔はアラブ人には似つかない、平面的な日本人顔だし、アラビヤ語は片言以下しか話せない私のような人間でさえ、ヒジャーブを着けることで、こんなに扱われ方が違うものなのだ。日本の学校の制服以上の、強烈な身分証明なのだと思った。こうして扱われることによって、私自身、立ち振る舞いをきちんとしなければ、というような気持ちになったことも事実である。しかし反面、実際に、イスラーム教徒ではない私が、ムスリマとして扱かってくれる人たちのことを騙してしてまっているような、そんな罪悪感も感じていた。

 

8.インタビューまとめ

 1ヶ月の活動中、様々な形式で、様々な人たちに、女性とヒジャーブについてのそれぞれの見解を聞くことができた。ここでは、便宜上、宗教関係者と一般人という2つのグループに分けて、インタビュー結果をまとめておきたいと思う。

 

@     宗教関係者

 直接話しを聞いた宗教関係者は、以下の5人である。

l         アレッポ ムフティ:Dr. Hassoun

l         アレッポ イマーム:Dr. Akkam

l         アレッポ イマーム:Dr. Hosainy

l         ハマ ムスリマ活動家:Dr. Rufeida(女性)

l         アレッポ アルメニアンカトリック牧師:Dr. Marayati

 

それぞれのインタビューは、英語、もしくは日本語通訳を介した1 1 質疑応答形式で行なった。

 

多くの話をそれぞれの方から聞くことができたが、ここでは、女性とヒジャーブへの見解として、ポイントとなる言葉の記述に留めておきたい。

     男性も女性もdesireを持っているから、女性の美は特別な人(夫)だけにとっておく必要がある。(Dr. Hassoun

     ただし、イスラームはヒジャーブ着用も含め、何ごとも人間に強制はしない。神は一人一人に考える権利を与えた。(Dr. Hassoun

     ヒジャーブは、女性が自分の信仰心を外に見せるための道具。(Dr. Akkam

     イスラームには2種類の義務がある。一つは“5つの義務”。信仰告白、礼拝、喜捨、斎戒、巡礼を指す。これらは、家の建築に例えれば、なくてはならない太い柱。またもう一方は、例えて言えば、窓や内装など、なくても家が建たないわけではないが、しかし家であるためにとても重要なもの。ヒジャーブは後者の義務に含まれる。ヒジャーブをしてない人は、多くの義務のうち一つを怠っている人と看做される。(Dr. Akkam

     ヒジャーブに関する啓示は、預言者ムハンマドに最初の啓示があってから18年後に、初めて下ったもの。家族という核を守るため、男女関係のルールが定められた。ヒジャーブは男女のために、秩序ある社会のために必要なものである。(Dr. Hosainy

     神から下されたのは、女性が外に出るときは、顔と手以外を隠すということ。それ以上の細かい実践に関しては、時代や文化、個人ごとに自由である。(Dr. Rufeida

     ヒジャーブは、女性を過度に魅力的に見せず、夫のためだけに守る効力を持っている。(Dr. Rufeida

     キリスト教でも、歴史的に見れば、礼拝時には皆スカーフを着用してきた。今では一般の人の服装が変わり、教会のシスターにその習慣残っているだけになってしまったが、よってキリスト教徒にとっても、スカーフの着用は何も特別なことではない。(Dr. Marayati

 

A     一般人

 一般人に関しては、宗教活動家以上に、多種多様な人たちに話しを聞いた。主なグループと、インタビューの形式をリストアップすると、以下のとおりである。

 

l         鉄道局職員:通訳を介しての11の質疑応答形式

<内訳>

Ø         ムスリマ女性3人;ヒジャーブ無1人(30代既婚)、ヒジャーブ有2人(20代未婚と40代既婚)

Ø         ムスリム男性2人;40代既婚2人(1人は妻がヒジャーブ無、もう1人は妻がヒジャーブ有)

Ø         キリスト教徒女性2人;30代既婚と30代未婚

 

l         OL:英語でのグループインタビュー・ディスカッション形式

<内訳> ムスリマ女性4人;全員20代後半の未婚者(うち1人離婚暦あり)、

3人ヒジャーブ有、1人ヒジャーブ無し

 

l         イスラーム女性団体の講師:英語での11の質疑応答・フリートーク形式

<内訳> ムスリマ女性2人;20代後半未婚と30代前半未婚

 

l         男子学生:通訳を介しての、グループインタビュー

<内訳> ムスリム男性2人;2人とも20代前半未婚

 

宗教関係者へのインタビューのまとめと同様に、女性とヒジャーブへの見解に関する、ポイントとなる意見を列記しておきたい。ここでは、インタビュイーの性別、宗教、ヒジャーブの有無などに分けて記述する。

 

<ヒジャーブ着けているムスリマ女性の意見>

     ヒジャーブを着ける理由は、神から啓示され、クルアーンに書いてあることだから。(これは、ほぼ全員の意見だった)

     《着けていない人に関してどう思うかとの質問に対し、》多くの人が、ヒジャーブを着けるか、着けないかは、その人次第である。ヒジャーブの有無で差別される社会ではない、と答えた。ただし、本来はヒジャーブを着けるべき、とする意見が多い。

     コートの必要性、ヒジャーブの色、その下の服装、化粧などに関しても、その人次第、との答えが多かった。ヒジャーブは、男性に自分が魅力的に見えないようにする装置、と答えつつも、ヒジャーブのファッション性や流行もがある、と答える人も多い。

 

<ヒジャーブ着けていないムスリマ女性の意見>

     ヒジャーブ着けた方がいいと思っているが、今さら着けるきっかけがない。将来的にはイン・シャアッラー着けたいと思っている。普段ヒジャーブは着用していないが、礼拝は毎日欠かさず行なっている。夫は、ヒジャーブについて何も強制しない。(30歳既婚・鉄道局職員)

     私以外、家族全員ヒジャーブを着けており、母親からは、いつになったら着けるかと責められる。ヒジャーブは着用していないが、長袖を着て、足首まで隠し、自分なりに貞節を守っているつもり。(20代離婚暦あり、英語教師)

 

<ムスリム男性の意見>

     学校の友達としては、ヒジャーブの有無は関係ない。でも、自分が結婚する相手は、ヒジャーブの女性を選ぶ。(20代未婚・学生)

     ヒジャーブの女性の方が良いムスリマと思われている。でも、友達としては着けてない子との方が楽しく付き合える場合もある。(20代未婚・学生)

     ヒジャーブの男性側へのメリットとして、結婚がとてもdreamingなものになる。もし結婚する前から、その女性の全てを知ってしまっていたら、何のために結婚するのか。ヒジャーブで隠されている女性を知りたいと思えば、結婚が純粋にとても魅力的なものになる。(40代既婚・鉄道局職員)

 

<クリスチャン女性の意見>

     ヒジャーブは、個人の信仰の問題であり、仕事場では、評価の基準にはならない。(30代後半既婚女性・鉄道局職員)

     シリアは、イスラーム教徒もキリスト教徒も平等に生活し、働いていける社会。小さい頃から一緒だし、共存できる仲間。(40代前半未婚女性・鉄道局職員)

 

B まとめ

上記で示したとおり、宗教関係者および一般人へのインタビューを見てみると、ヒジャーブ着用の理由や必要性について、ある程度のまとめができそうである。

まず、クルアーンで規定されているということが大原則だ。これは、宗教関係者、一般人共に、また男女を問わず、同じように答えてくれた。その際に、示してくれたクルアーンの章句で多かったのは、以下の2つの章句である。

     信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるものの他は、かの女らの美(や飾り)を表わしてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。・・・(2431節)

     預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに長衣を纏うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう。(3359節)

(訳は、日本ムスリム協会「日亜対訳注釈 聖クルアーン」より)

また、ヒジャーブを身につけるその他の理由として、社会形成への効用と個人にとっての効用の2種類に大別できるのではないだろうか。前者に含まれるものとして、結婚の促進や家族の維持、あるいは男女間の性的問題の防止などが多く聞かれた。また、後者については、ヒジャーブを身につけることで、ムスリマであることを分かりやすく他の人に証明できる、という意見が複数聞かれた。

 

一方、それぞれのグループや個人によって、異なる意見が聞かれた内容もあった。例えば、色や模様のあるヒジャーブは許されるのか、ヒジャーブ以上に、顔を隠したり、手袋をしたりする必要はあるのか、ヒジャーブの以外の服装は、ジーンズやタイトな格好もいいのか、顔のメイクについてはどうなのか、という点については、それぞれに意見が分かれるようである。ヒジャーブを着用している人の間でも、個人によって、その実践の仕方は、だいぶ異なっている。

 

9. ヒジャーブ考察

 ここまでの観察、あるいはインタビューを通じて得た情報をもとに、いくつかの観点からヒジャーブについての考察を試みたい。

まず、女性の社会進出との関係と、西欧的価値の影響との関係である。この2つの観点は、先行研究においてよく語られる、各国で“ヒジャーブ熱”が高まっている2大理由であるからだ。私が見たシリアの状況は、この観点にマッチするのだろうか。

結論から言うと、この2つの観点は、私のフィールドワークの成果には、いまいちぴったり当てはまらない。そこで新たに、結婚・家庭との関係と、新たな見解という2つの観点を設定し、さらに考察を行なっている。

 

@ 女性の社会進出との関係

 エジプト研究の大塚和夫氏[1]、イラン女性研究の中西久枝氏[2]などの先行研究で、提示された内容である。現代の女性がヒジャーブを身に着けるのは、社会に進出するようになった女性たちが、女性としてではなく、一人の人間として男性と対等に働くための装置として有効だからだ、と言った議論である。

 今回、私が行なったフィールドワークにおいては、ヒジャーブと女性の社会進出についての相関関係ははっきり見られなかった、というのが実状だ。「職場では、基本的に、ヒジャーブの有無によって、その人の評価はされない。」というのが、インタビューに答えてくれた多くの人たちの意見だった。この意見がたとえ建前だったとしても、実際に、見学したどの職場でも、ヒジャーブをしている人としていない人が混在し、同じように働いていることは事実である。さらに言うと、ヒジャーブが、むしろ女性の社会進出の邪魔になっているかのような意見も、いくつか聞かれた。例えば・・・、

「以前は、ヒジャーブをつけていない女性の方が会社として扱いやすいと考えていたようだ。」(20 代後半・未婚女性OL)

「黒い覆いで目まで隠している同僚は、職場にくると顔の覆いをはずす。」(40代男性・鉄道局職員)

 

A     西欧的価値の影響との関係

 女性のヒジャーブの現代的意味には、西欧的な価値の侵入に対する反発が含まれているという議論は、宮治美江子氏[3]などにより、先行研究で取り上げられている議論である。

 私のフィールドワークにおいては、西欧に反発して宗教に帰る動きがあるという判断と、西欧的な価値に傾倒し、女性の服装の西欧化も進行しているという判断が混在している状況を見ることができた。インタビューの記録から、関連のものを挙げておくと・・・、

     「ヒジャーブをしている女性が増えていると思う。宗教に帰る動きの原因の一つは政治的問題。でも、これについては、これ以上答えられない。」(40代男性・鉄道局職員)

     「女性たちは、previous religionに戻り始めている。ヒジャーブをしていても社会で働けること実践している。」(20代後半女性・OL)

     「シリアでは、20年前まではヒジャーブは自然なことだった。でも、西欧の文化が入ってきて変わった。女性が商品になり始めた。」(Dr. Hosainy

現在の政治的問題について補足しておくとすれば、人々のアメリカや西欧に対する嫌悪感は、多くの場面で見られたが、それと同時に、現シリア政府への不信感も言葉の端々に表れている印象を受けた。ヒジャーブを着けるのは、イスラームを尊重しない政権に対しての、スンニ派としての静かな抵抗である、とそっと答えてくれた人もいた。但し、特に国内政治に関する発言は、宗教以上にタブー視されるテーマであり、さらに突っ込んだ話は出来なかった。

 

B 結婚・家庭との関係

 実際のフィールドワークの結果を見ると、ヒジャーブの意義として、先行研究で挙げられる2大観点(女性社会進出の装置、西欧への反発)よりも、結婚の促進や家族の維持といった、よりよい社会形成のための効用が挙げられるケースが多かった。

 まとめて言えば、ヒジャーブは、夫のためだけに、女性の美を保持する役割を果し、これによって、結婚の魅力が増大し、結婚の促進につながる。さらに、ヒジャーブは夫以外の男性から、女性を守る(逆に言えば、妻以外の女性の誘惑から、男性を守る)役割を果し、結婚と家族の維持にも貢献する、という見解である。

 

C 新たな見解:結婚否定、ファッション

 しかし一方で、特に若い女性たちからは、Bで挙げた見解に反発する意見も聞くことができた。

 まず一つ目は、従来の結婚に対する否定的な見方である。

     結婚したら、家庭を守る責任が生まれる。でも、今は仕事やInstituteでの活動(小学生への講師としての活動)が充実している。ムスリマとして妻となる以外の生き方もあると思う。(30代前半・英語教師)

     いい人がいれば結婚すると思うけど、高学歴で働いている女性は相手を見つけにくい。男性は高学歴でも、若いuneducatedな女性と結婚したがる。(20代後半・OL)

この2つは、いずれもヒジャーブ着けた女性の意見である。前者の女性は、ヒジャーブをする意義について、「ヒジャーブは、自分がイスラームを信仰していることのdeclaration」だと話してくれた。

また、女性の美を男性から隠すという従来の意義を認識しつつも、ヒジャーブとファッションの関係を指摘する声も挙がっている。

     ヒジャーブは自分を目立たせないようにするものだけど、一人一人おしゃれがあるのも事実。(20代後半・OL)

     ムスリマでも、modern girlたちは、メイクもするし、ヒジャーブの柄や色に合わせてその日の服装を考える。(20代前半・鉄道局職員)

 

上記で見てきたように、女性とヒジャーブの関係については、先行研究で言われていること以上に様々な見解を聞くことができ、その見方も、年齢や職業、育ってきた環境などでそれぞれに違いがあることが分かった。

 

 

10. その後の進捗状況

 1ヶ月間の充実したフィールドワークのおかげで、その後の秋学期には、非常に有意義な研究を進めることが可能となった。その間に行なったことを参考までに記述しておきたい。

 まずは、フィールドワークで行なった活動とその成果について、大学院のゼミで、パワーポイントを使った発表をする機会があった。ここでは、先生や院生の仲間たちから、研究の方向性やフィールドワークの進め方について、様々なコメントをいただくことができた。

 次に、フィールドワークで得た情報をまとめる際の手がかりとして、Grounded Theoryという理論生成についての方法論を、勉強した。インタビューで聞いたこと、町の観察で見た情報などをまとめて、ひとつの理論を作っていくという内容であり、今後、修士論文を作成する際に、大いに参考になるものとなった。

 その後、先行研究の調査として、西欧でのイスラームの語られ方を、マックス・ウェーバーの理論から見たり、またインドネシアでのイスラームの受容の歴史をまとめたりという作業を行なった。

 秋学期の活動全てが、夏休みのフィールドワークからつながっている、という確かな印象を持っている。

 

 

テキスト ボックス: <アレッポ城で出会った家族>11.フィールドワークを終えて

 イスラームを勉強したいと思い大学院に入学したが、実際は、テキスト ボックス:  シリアに行って初めて分かることが非常に多かった。これまでの自分の知識が、いかに断片的ものであったか、また、自分の目で見て、自分の耳で聞くことがいかに重要かを、実感した1ヶ月であった。そして、最も印象に残っているのは、公式のインタビューでも観察でもなく、自らが現地に生活し、地元の人たちと交流を持てたことである。1ヶ月間の生活で、本当に様々な人たちにお世話になった。彼らの手助けや協力がなければ、フィールドワークはもちろんのこと、毎日の生活に支障をきたしていたことだろう。心から感謝している。多くの人のやさしさやあたたかさに触れ、自分も人にうれしさを与えられる、心豊かな人間でありたい、と何度となく思ったことを、今思い出している。イテキスト ボックス: <その家族の家(郊外の村)に招待された>

スラーム=テロリストの集団、と呼ばれてしまうような昨今の世界情勢に、憤りを感じているだけではなく、自分がその誤解を解く一役を担えるようになるため、じっくりと勉強していかなければテキスト ボックス:  ならないと、改めて感じた。

真夏のシリアでのフィールドワークを終えて、すでに4ヶ月以上が経過した。このフィールドワークは、私の研究人生にとって、本当によいスタートとなった。ここで得た情報、感じた内容を生かし、今後の研究を進めていきたいと思っている。

 

 

 

 



[1] 「(ヴェールの着用によって)彼女は公的空間にいながら、象徴的には私的領域にとどまっているかのようにみなされるのである。」(大塚和夫『あご髭とヴェール −衣装からみた近代エジプトのイスラーム原理主義』1987より抜粋)

[2] 「(ヴェールの着用は)女性がヴェールなしでは本来入ってはならないという領域にまで女性の行動範囲が拡大されることになる。ヴェールがあればこそ、男性メンバーと向き合って政治的な議論をすることも、男性が参加している政治集会に行くこともできるのである。」(中西久枝『イスラムとヴェール』1996より抜粋)

[3] 「(近年のヴェールの復活は、)急速な社会変化や社会解体といった危機的状況への一種の社会的アレルギーとみられている。社会の急速な西欧化・近代化の中で、近代的中・高等教育を受けた若いムスリム女性たちが、近代化は歴史的事実として認めながらも、西欧的文化や価値の押しつけを拒否し、イスラームをアイデンティティの中心に据えた新しい価値を模索している。」(宮治美江子『ヴェールの隠すものと顕わすもの』1987より抜粋)