2004年度 森基金報告書

2005年2月14日
政策・メディア研究科 後期博士課程 山本達也

1 研究課題名

「中東アラブ諸国の情報化の進展における国家の対応と地域変容」

2 研究の目的

 本研究は、過去において自国内の情報の流れ(flow of information)を厳重に管理してきた中東アラブ諸国の各国政府が、近年確実に浸透してきている新しい情報通信技術(information and communications technology: ICT)の波を、いかにしてコントロールしようとしており、その影響はいかなるものであるのかについて明らかにするものである。

3 事例の選定

 本研究では、それぞれ特徴的な(変数に偏差が生じ得る)国家を事例として選定し、詳細な調査の後、比較の視点を交えて考察を行うというスタイルを採択している。

 本研究が、比較研究の材料となり得る主な事例として採用しているのは、以下の5ヵ国である。

1)シリア
2)アラブ首長国連邦(UAE)
 *UAEに関しては、特にアブダビ首長国とドバイ首長国において調査が行われた
3)エジプト
4)レバノン
5)ヨルダン

 なお、主な事例として取りあげているのは、以上の5ヵ国であるが、前提として情報入手可能な中東アラブ諸国に関しては(これらの国の中にはイラクのように詳細な情報の入手が極めて困難な国がある)可能な限り情報を集め、分析枠組みの構築に使用した。

4 分析枠組み

 本研究における分析枠組みとしては、図表1が示すような、情報の流れに基づいた国家モデルを独自に策定し、採用している。

図表1:情報の流れに基づいた国家モデル

(出典)筆者作成。

 この図は、中東アラブ諸国における情報の流れに着目し、作成されたモデルである。図表1が示すように、同地域の政府は従来からテレビ・ラジオ・新聞などのメディアをコントロールし、モデルAのような形で情報流れをコントロールしてきた。この状況に変化を生じさせたのが、1990年頃から普及するようになった衛星放送である。国民は、衛星放送を通して初めて自国の政府が提供する情報以外の情報に触れるようになった。しかしながら、この段階では中東アラブ諸国における情報の流れに国家ごとの差異は少なく、基本的にモデルBとして表される構造を有していた。

 ところが、2000年を過ぎ、インターネットが普及するようになると同じ中東アラブ諸国の中に2つの異なる情報の流れが出現した。1つは、インターネットをこれまでのメディアと同様に「明確」に政府のコントロール下におこうとするモデルCの国家であり、もう1つが、インターネット上の情報の流れのコントロールを政府が放棄してしまったモデルDの国家である。

 本研究では、事例として取りあげた5つの国を比較検討することで、どの国がモデルCに該当するのか、そしてどの国がモデルDに該当するのかという点に関して、検討を行った。この点を換言すると、それぞれの国家をモデルCとモデルDに分類するための基準は何かという問題を検討していることにあたる。研究の結果、分類の基準は、次節で取りあげる、2つの概念を用いることで構築することが可能である点が明らかとなった。

5 モデルを判断するための2つの概念

 モデルCとモデルDを分かち合う基準は、以下の2つの概念を組み合わせることで特定することが可能である。

1)【ネットワーク・アーキテクチャ】

定義:
「コードもしくはソフトウェアの特徴に基づいたネットワークの構造的特徴」

分類のための判断基準:
「プロキシサーバーが導入されているか否か」

→国家レベルでプロキシサーバーが導入されている国は自動的にモデルCとして捉えることができる。

2)【ネットワークインフラ・アーキテクチャ】

定義:
「通信を確保するためのインフラストラクチャーの物理的構造」(広義のネットワーク・アーキテクチャとして捉えることも可能)

分類のための判断基準:
「インフラの物理的構造がツリー構造ネットワークになっているか(モデルCに該当する)、グラフ構造ネットワークになっているか(モデルDに該当する)」

6 分析結果

 ネットワーク・アーキテクチャとネットワークインフラ・アーキテクチャの2つの概念を用いて分析した結果、中東アラブ諸国は、概ね図表2のような形でモデルCおよびモデルDに分類可能であることが明らかとなった。

図表2:中東アラブ諸国のモデルC・モデルDへの分類

(出典)筆者作成。

 分析の結果明らかとなったのは、中東アラブ諸国においてインターネット上の情報の流れを放棄したモデルDに該当するのはヨルダンのみであり、他の国は新しいICTの1つであるインターネットに関しても引き続き政府の媒介のもとコントロールしようとする意思を有していることが確認された。

7 若干の考察と暫定的な結論

 なぜ、中東アラブ諸国の中で、唯一ヨルダンのみがモデルDを採用することができたのか。この理由としては、以下の5点から主に説明することが可能である。

1)ヨルダンは、あくまでも「相対的」な問題ながら、従来から周辺諸国に比べてメディア規制がゆるく、インターネット上の情報の流れに関しても自由にするだけの土壌が存在した。

2)競争政策を「お家芸」とする米国(特にUSAIDを母体として設立されたAMIRプログラム)が一貫して、ヨルダンのICT戦略の策定と改訂に関与してきた。

3)元首であるアブドッラー国王は、ICTに関して(またその他の分野に関しても一部)一貫して競争政策を重視した立場をとり続け、重要な局面でリーダーシップを発揮し、積極的な政治的判断を行ってきた。

4)ヨルダンは、2000年に念願だったWTO加盟を果たしているが、その際のコンディショナリティ(一種の外圧)を真剣に受け止め、ICT関連の法的整備および固定電話市場の自由化という決定を行ってきた。

5)アブドッラー国王のICTに対する積極姿勢を受け、ICT関係者のみならず、国内のエリート全般にICTで成功しなくてはヨルダンの将来はないという切迫した危機感を共有していた。この危機感が、少なからず、ヨルダンにおけるICT関連政策の立案・実施に影響を与えている。

 結局のところ、ヨルダンとその他の諸国との差異は、米国による戦略面での関与という点を除けば、アブドッラー国王という体制における権力者の認識、リーダーシップという個人的資質が大きな要因となって生じている。

 したがって、今後、モデルCに該当する国家が、モデルDに移行するか否かは、それぞれの体制の権力者の認識変化もしくは権力者の交代(政権交代)が重要なカギを握ることになるだろう。

 現在、中東アラブ諸国では、エジプトをはじめ、政権交代や政権委譲が行われる可能性のある国が多い。本研究は、情報化の側面からも、中東地域における政治的・社会的変化を予測するにあたっては、こうした「リーダーの交代」に注目していく必要があることを示唆している。

8 中・長期的視点から見た今後の研究課題

 本研究結果を踏まえ、中・長期的な視点から今後の研究の課題を示すとするならば以下の4点が挙げられるだろう。

1)中東アラブ諸国を取り巻く情報化への取り組みを要請するような外部環境が存在することにより、今後モデルCに該当するような国家においても政府がインターネット上の情報の流れのコントロールを放棄するか否か(ヨルダンに引き続きモデルDを採用する国家が出現するのか否か)

2)現在ヨルダンにおいて確認されるような政策形成過程の変化が他国でも起きるのか否か。こうした変化は、単に情報通信分野の政策に限られるのか、それとも他の分野にも普及していくのか。

3)ユーザー数および普及率の増大がもたらすインパクト。今後、一般のインターネットユーザー(エリート以外のインターネットユーザー)が増加していった時に、国の政治や社会にいかなる影響を与え得るのか。

4)イスラームとインターネットとの関係
 この課題は、さらに以下の2つの視点を内包している。

1. 新しいICTは、反体制グループとしてのイスラーム主義者たちのエンパワーメント(empowerment)につながるのか

2. 新しいICTが一般民衆に対してイスラーム覚醒を促すツールとなりうるのか

 本研究は、中東における新しいICT(特にインターネット)に関する研究のほんのはじまりに過ぎないものの、今後はますます同分野の研究の重要性が増すことになると思われる。中東アラブ諸国における情報化の進展は、確実に中東政治研究における新たなる研究領域を生み出しつつあるのだといえよう。