2004年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究報告書
地域医療情報ネットワークの研究
秋山 美紀*
*慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程
キーワード:地域医療連携、情報共有、コミュニケーションメディア、ネットワーク
地域医療連携とは、患者のケアに取り組む多様な主体、例えば地域内の診療所、病院、訪問看護ステーション、介護サービス提供者等の協働を言う(田中、2004;田城他、2003)。従来の一医療機関完結型の医療から、地域内の多職種が共同して医療や介護の垣根を越えてサービス、安心感を提供する包括的ケアへの移行が求められている中、本稿は、そうした連携や協働のツールとして近年注目を集めている電子的な医療情報ネットワークや地域共通電子カルテ[i]を構築し運用している萌芽的な取り組み事例を研究する。全国各地の事例から運用における成功要因をさぐるとともに、そうした電子的ネットワークの利用が地域医療にどのような影響をあたえているのかを明らかにする。
筆者は、2002年8月から2004年4月にわたり、上述の経済産業省の26事業に加えて、補助金を受けずに地域連携に取り組む6地域を加えた計32の地域について予備調査を行った[ii]。その結果、地域内の医療連携システムは、大きく以下の4分類できることがわかった。1)アプリケーションやデータベースサーバーを地域のどこか一箇所に置き、異なる医療機関がネットワークを介して同じ電子カルテを共有するタイプ(通称ASP型[iii])のシステム、2)異なる電子カルテを各医療機関が用いながらも同一のフォーマットでデータセンターに蓄積するタイプ、3)電子メールのように二者間で必要な情報を送りあうP2P型、4)最後はICカードのようなメモリに情報を入れて患者が持ち歩くというタイプである。
またこれら32地域のうち、特に経済産業省の実証実験に参加した26地域については2004年4月に筆者が行った聞き取り調査で、6割以上の地域で運用が事実上停止していることがわかった。運用を継続できない最大の理由は、システムの維持管理・運用にかかる財源がないこと、システムを使って連携することに対して診療報酬上のインセンティブがないことなど金銭的な要因であった。また電子カルテの操作性や通信回線が遅いことなどシステム的な要因、さらに診療録を医療機関外で保存することの規制や個人情報取り扱いに関するガイドライン不備など法制度上の要因も浮かび上がった。
しかし全国の利用実態を見ると、これらの理由だけでは説明できない地域差が現れていることも事実である。そうした困難を地域で克服し活発に利用している地域がある一方で、ほとんど使われずにシステムが止まってしまった地域がある。そうした地域差を探るとともに、運用がうまくいっている地域ではどのような効果が生まれているのかを探ろうというのが本年度の研究目的である。
本年度は、主に以下Part1〜3に示す3つの調査研究を行った。またそれぞれの研究について成果を学会やジャーナル等で発表している。
Part.1 地域性とメディアシステムの設計についての調査と比較事例分析
地域性とメディアシステムの設計については、大阪市内の地域医療ネットワークにおいて、聞き取り調査と患者満足度調査を実施。東京新宿地区の医療ネットワークと鶴岡地区の医療ネットワークの比較事例分析を行った。
→研究成果の発表
1.
2004年6月、情報通信学会、「地域医療連携にみる情報ネットワークと情報共有」、於明海大学。
2.
2004年7月、PACIS: Pacific Asia Conference on Information Systems、"Information-sharing Systems and
Inter-organizational Power: Implementation of an Electronic Patient Record
System for Regional Cooperation"、於上海。
Part.2 情報共有とチーム医療の質との関連についてのインタビュー調査
電子的メディアによる情報共有が組織の異なる専門職チームによる医療にどのような影響を与えているのかを探るため、二つのフィールドにおいて、異なる職種へのインタビュー調査を実施した。鶴岡地区においては、医師6名、訪問看護ステーションの職員11名へのインタビューを実施。千葉県の山武・東金地区において、病院医師1名、診療所医師3名、調剤薬局の薬剤師4名へのインタビューを実施した。
→研究成果の発表
3.
「地域医療連携〜Net4U鶴岡の取り組み」、CIAJジャーナル7月号、情報通信ネットワーク産業協会。
4.
論文は現在投稿中
Part.3 情報共有と患者満足との関係についてのアンケート調査
大阪において、ネットワーク参加群と未参加群の患者を対象に満足度等の意識を問うアンケート調査を実施した。(対象200名、有効回答数117、有効回答率58%)
→研究成果の発表
5. 「電子ネットワークでの病診連携体験患者の満足度調査」、ITビジョン2004年No.5、インナービジョン。
Part.1 地域性とメディアシステムの設計についての調査と比較事例分析
理論レビューからフレームワークを作り、二つの比較事例分析を組み立てて実施した。
まず、理論レビューでは、組織の情報システム導入に対する抵抗、資源依存論による組織間関係、コミュニケーションメディア、そして外部性などネットワークの経済的特性についての先行研究から、地域医療連携を分析する視角を検討する概念整理を行った。これらの理論の援用を受けて、組織間の関係(資源依存)とメディア技術特性(ネットワーク外部性やメディアのリッチ度)との間には、相互作用を持つのかどうか比較事例分析を行った。
比較事例分析は、仮説の導出につながるよう理論的なサンプリングを行っており、以下の図のようなのような枠組みを成している。
比較事例研究@では、大阪における紹介状交換システムとASP型地域カルテの二つのプロジェクトを比較した。変数としての地域性をコントロールし、同一地域で異なる技術特性を持つメディアがそれぞれどう受入れられたのか、違いを明らかにした。比較事例研究Aでは、同じASP型地域カルテを採用した新宿と鶴岡の事例を比較した。こちらは技術的な特性をコントロールし、同じようなシステムが異なる二つの地域でどう受入れられたのか、どのような違いが見られるのかを明らかにした。
データは、直接的観察、医師や訪問看護師、システム管理者ら30人以上への計40時間を越えるインタビュー、各地域で実施したアンケート調査の活用、文献調査など、トライアンギュレーションの手法を用いて収集した[iv]。
事例調査の結果、データベース共有型(ASP方式)の地域電子カルテは、もともと連携を必要としている近い関係の医師の間で受容されよく利用されていることが明らかになった。地域的には鶴岡のような非都市部の方が、東京や大阪よりも受容度が高いことが、浮かび上がった。非都市部における共通カルテの成功例としては、鶴岡以外にも、千葉県の山武地区や宮崎県の事例も現地調査している。本研究から導き出されたことは以下の図表にまとめる。
本調査の報告は、以下の学会にて行っている。また詳細をまとめた論文は現在投稿中である。
@2004年6月、情報通信学会、「地域医療連携にみる情報ネットワークと情報共有」、於明海大学。
A2004年7月、PACIS、"Information-sharing
Systems and Inter-organizational Power: Implementation of an Electronic Patient
Record System for Regional Cooperation"、於上海。
電子的メディアの利用が、地域内のチーム医療にどのような影響を与えているのかを探ることが目的である。山形県鶴岡地区においては、訪問看護師の医師とのコミュニケーション、患者とのコミュニケーション、ヘルパーやケアマネージャーとのコミュニケーションの実態を調査し、在宅患者の看護という業務にメディアが与えた変化を考察した。また千葉県山武当がね地区においては、生活習慣病の治療に当たる医師と服薬・食事指導を担う薬剤師の間のコミュニケーションの実態を調査し、治療に与えた影響を考察した。
調査方法と調査対象は以下のとおり。
・ 鶴岡地区の「Net4U」[v]
1. インタビュー調査(訪問看護ステーション「ハローナース」の看護師9人、ケアマネージャ1名、往診をする医師3名)
2. 参与観察(訪問看護ステーション及び訪問看護、往診の同行による観察。実施日は、2005年1月15日〜18日の4日間)
3. インタビューは、半構造化した質問と自由形式の両方を実施。インタビューのログを質問カテゴリーごとに分類し考察。
・ 山武・東金地区の「わかしお医療ネットワーク」[vi]
1. インタビュー調査(東金病院医師1名、生活習慣病療養指導室職員6名、調剤薬局4名)
2. 参与観察(実施日は2004年6月4日と2005年1月14日の二回)
3. インタビューは、半構造化した質問と自由形式の両方を実施。インタビューのログを質問カテゴリーごとに分類し考察。
両地域とも、インタビュー調査を通じて、以下のことが明らかになった。
@ メディア選択肢の増加
業務の中で、状況に応じた適切なメディア選択が行われている。
以下に特徴と優位性を簡単に分類する。
Ø 緊急時の伝達 電話>FAX>地域医療情報ネットワーク>Eメール>
Ø 情報の蓄積、地域医療情報ネットワーク>Eメール>Fax>電話
Ø フィードバックの即時性 電話>地域医療情報ネットワーク>Eメール>Fax
Ø 情報共有度 地域医療情報ネットワーク>Eメール>Fax>F2F>電話
Ø ネットワーク経済性 電話>Eメール>地域医療情報ネットワーク
地域医療情報ネットワークは、情報の蓄積とその共有という点で他のメディアをはるかに凌ぐが、緊急時の伝達やフィードバックの即時性という点では電話に劣る。しかし、逆に非同期性ゆえに、相手のタイミングや診療時間を気にせず情報を送ることができるというメリットがある。また加入者が少ないという点でネットワーク経済性は電話やFAXに比べて低い。こうした点は加入者が増加し日常的にネットワークを使うことにより改善されるであろう。また、以上のメディアは全て代替的というより相互補完的と位置づけられる。
A 医師とのコミュニケーションの向上
ネットワークを利用する医師に対するコミュニケーション手段が増え、的確なコミュニケーションが行えていると両地域において看護師、薬剤師が答えている。ポイントは以下である。
(ア) 非同期であるゆえにタイミングに気を使わなくてすむ。
(イ) 報告を医師本人に見てもらえる。
(ウ) 情報があるので提案などもしやすい。
B 患者や家族とのコミュニケーションの向上
医師と情報を共有していること、過去の記録を参照できることで以下のような変化が、患者とのコミュニケーションに現れている。
(ア) 医師に代わっての必要な説明、疾病や今後の治療について等密度の濃い話ができている
(イ) 医師への伝言を患者に頼まれるケースが多い。医師とつながっていることで患者が安心感を持ってくれていると感じている。
C 看護や服薬指導の質の向上と看護師、薬剤師のモチベーション向上
診療や処方に関する情報を得られるだけでなく、医師同士のやり取りを共有できることで、訪問看護師や薬剤師の思考余地や学習余地が増加しており、職務充実につながるような兆候が観察されている。
(ア) 情報共有をすることが良いケアができていることをほぼ全員が実感している。→職務充実。
(イ) 訪問看護師については他科への紹介や投薬処方の変更など主治医に対する提案を聞き入れてもらえ、適切な処置が施されたことが確認できる。→思考余地の拡大、参画への充足感、職務充実。
(ウ) 薬剤師については、治療法や処方内容について勉強をするようになった→学習余地拡大。
(エ) 医師の紹介状や画像、検査結果等が見られることで、患者の理解が深まった。薬についても過去の処方履歴を見て効用がわかる。→学習余地の増加。
(オ) ネットワーク参加の医師からは返事がほぼ必ず来る。チームの一員という実感が増加。→職務満足、参画への充足感。
看護師や薬剤師の自己効力、職務充実やエンパワーメントについては、さらに質問紙調査等で強固にする必要がある。
また、患者の安心感等に実際どの程度つながっているのか、患者や家族を対象にした調査の必要がある。また調査結果の詳細は今後学会論文で明らかにしていく。
<調査の概要>
ネットワークによる診療情報交換の患者にとっての意義を明確にするため、インターネットを介して診療情報提供書を交換しているNPO大阪地域ヘルスケアネットワーク普及推進機構(OCHIS)のネットワークにおいて、患者の意識調査を行った。アンケート調査は松岡診療所らOCHIS加盟医療機関と共同で実施[vii]。調査の結果、電子化された紹介所に対する患者満足度は高いことが確認された。
診療所のOCHIS利用の電子的病診連携体験群をネットワーク回線使用3回までの群と4回以上の2群に分けて、各50名、非連携の一般群100名の合計200名の患者に、来院時にアンケート用紙法による調査を実施した。本調査においては患者に説明を行い、同意を得た上で、無記名として実施し、倫理面についても配慮を行った。
調査群の有効回答数は117であり、有効回答率は58%であった。調査対象群の平均年齢は66.8歳であった。疾患別では、急性疾患54%、慢性疾患が67%、男女別の差はなかった。
2005年度に本格的に実施する予定の患者の意識調査のパイロット調査との位置づけであり、今後アンケート項目などさらに検討を加える予定である。
・ 受診に関しての情報(受診した科目、事前予約の有無、診察時間、診察の態度や進め方、かかりつけ医から他施設への紹介の有無)
・ かかりつけ医療機関への満足度(総合満足度、医師への満足度、職員の態度・施設設備への満足度、自覚症状や不安の軽減、知人への紹介、受付、待ち時間、待合室)
・ 紹介先の医療施設
・ 紹介先の病院での満足度(かかりつけ医から紹介先への予約有無、紹介先での待ち時間、紹介先での対応、受け入れ評価、かかりつけ医と紹介先の意見交換の認知、薬の重複や検査の重複についての意識)
・ 医師同士の意見交換に関する考え
・ 関心がある医療サービス
・ 電子カルテについて
・ 記入者属性(性別、年齢、職業、受診した病気、病気の程度)
・ 自由記述
調査の結果、OCHISの回線利用回数が4回以上の患者群は、紹介先の病院の受け入れ態勢に対する満足度が他の群より高いものとなった。特に自分の病状について紹介先の病院の医師がよく理解しており、検査や薬の重複、待ち時間も少ないと感じていることがわかった。これは診療所が患者を紹介する際に、電子的手段を有効に用いて、病状等必要な情報を伝達していることを表していると考えられる。
なお、本調査の報告は、投稿論文や慶応義塾大学政策COEワーキングペーパーとしてて発表する予定である。
2005年度は、本年度の研究成果を踏まえて、以下の2点について検証する作業が中心になる。
Ø
連携における地域的・組織的なニーズと導入戦略(どの職種がどのような情報をどう共有するのか)、実際のコミュニケーションパターンの関連を調査する
Ø
コミュニケーションの変化と医療連携のパフォーマンスとの関連を、1)在宅高齢患者、2)生活習慣病患者の2点において調査する。調査は、ネットワークへの参加者の意識調査、患者の意識調査が中心となる。
これらの結果を考察し、効果的なケアにつながるメディアシステムと制度の設計に向けた示唆・提言を行いたい。
(以上)
[i] 「電子カルテ」について、厚生労働省の通達「診療録等の電子媒体による保存について」(健政発第517号、医薬発第587号、保発第82号)は「真正性、見読性、保存性」の三原則を提示している。地域医療連携の現場で「電子カルテ」と呼ばれて用いられているシステムは、真正性については満たしていない場合も多く、厳密には電子カルテの定義に当てはまらないものも多いが、本稿では診療録の一部を電子化したものも含めて「電子カルテ」と呼ぶことにする。
[ii] 予備調査は、2002年8月から2004年10月までの2年あまりの期間で、文献調査、電話調査(32地域)、フィールド調査(北は山形県から南は宮崎県までの11地域)、インタビュー(42人のべ206時間)を行った。
[iii] ASP(Application
Service Provider)型とは、サービスプロバイダーがネットワークを介してコンピュータのアプリケーションソフトやコンテンツを提供するサービス形態のことを言う。地域医療連携の場合、データサーバーやアプリケーションサーバーの置き場所は、医師会や中核病院などASP以外も多く、厳密に言うとASPではないが、医師の間でこの呼び名が通っていることもあり、本稿もこれを採用する。
ASP型のメリットとしては、@共有化によりソフトやハードの導入や更新にかかるコストを低く抑えられる、A初期投資の軽減によりリスクが回避できる、B利用する各機関でのIT管理が軽減されIT人材不足がカバーできる、といったメリットがある。
[iv] 大阪OCHISについては、2003年11月〜2004年2月にかけて、2病院1診療所を訪問し、医師4名、地域連携室職員4名、システム管理者1名に、計17時間のインタビューを実施した。Net4U鶴岡については2004年4月と7月に、2病院、5開業医、1訪問看護ステーション、医師会を訪問し、計9名の医師、訪問看護師2名、システム管理者2名に、計23時間のインタビューを行っている。新宿区については一病院を二回訪問し医師と情報システムベンダー等へ計6時間のインタビューを行った。特に松岡診療所の松岡正巳医師、鶴岡市医師会の三原一郎医師、国立国際医療センターの秋山昌則医師には、データの提供等多大なご協力をいただいた。ここに感謝の意を記す。
[v] 鶴岡地区のNet4Uの調査に当たっては、鶴岡地区医師会の先生方ならびに、訪問看護ステーション「ハローナース」の全メンバーにご協力をいただいた。感謝の意を記す。
[vi] 山武・東金地区のわかしお医療ネットワークの調査に当たっては、千葉県立東金病院の平井愛山院長に多大なご協力をいただいた。ここに感謝の意を記す。
[vii]
本調査は、松岡診療所の松岡正己医師と筆者が共同で企画、実施したものである。国立大阪医療センター副院長の楠岡英雄医師、大阪大学医学部医療情報部の武田裕教授、TMマーケティングの前田泉氏と徳田茂氏にもご協力をいただいている。なお、松岡正己医師は、2004年12月末に癌のため急逝された。ご冥福をお祈りする。