2004年度森泰吉郎記念研究振興基金「研究育成費」成果報告

経済開発と農村の生活安定化:東北タイでの生活史から

研究代表 政策メディア研究科後期博士課程 渡部厚志

▽研究課題について:

 本研究の課題は、急速な経済成長によって生活環境が変化したタイ東北部・コンケーン県の農村において、人々が生活を安定させるためにとるさまざま な戦略と、それらが周囲の人々に与える二次的な影響の理解である。国家による経済・社会開発政策が都市部・工業部門を中心に効果を挙げた一方で、農村部で は自給自足の崩壊により、人々の生活に大きな不安定要因をもたらした。農村の人々は新たな生計や生活の工夫−農業の商品化、新たなビジネス、移動労働、子 育てや農作業の分担−によって生活を安定・拡張することを試みているが、それにより、共同体の内部格差が広がり、土地のない人や老人世帯の生活はさらに不 安定になっている。人々の生活の不安定要因と安定化の試みを、国家や産業の制度的要因だけでなく、農村の人々自身が過去・現在・未来を見渡す生活史の語り から分析することにより、経済成長や収入拡大に限定されない「生活の安定」を希求することが本研究の目的である。

▽本年度の活動報告:

 上記の目的のため、今年度はフィールドであるタイ東北部・コンケーンの三箇所の農村で、生活史調査のほか補助的なインタビュー、資料による情報収 集を行なった。今年度の調査ではとくに、学校教育への参加と現金支出の拡大という二つの変化を把握することを目標としていた。7月までは、フィールド調査 のための準備期間に当て、概念整理、フィールド協力者との連絡、調査票の準備などを重点的に行なった。

 8月4日から9月11日までの39日間はタイ・バンコクおよびコンケーンでのフィールド調査を行なった。現地では、コンケーン大学農学部・チャイ チャーン・ウォンサムン助教授の協力の下に農村部に入り、計40人以上、一見当たり40分〜2時間のインタビューを行なった。この調査によって、これまで のものとあわせて本研究の主要なデータである生活史インタビューは30件を突破し、学位論文執筆に向けて着実な蓄積を得ることができた。また、現地におけ る就学率の向上や現金支出の拡大の様態についても、かなり詳細に理解することができた。これと農民たちの生計の選択との関連を分析することで、開発下の農 村における「生活の安定」に関して、新たな知見が開けるものと期待できる。

 フィールド調査終了後は、データ分析および学会報告の準備に当てた。10月の国際政治学会においては、昨年度までの研究成果を中心に、 農村部における生活環境の変化(開発政策の普及、インフラの整備、雇用拡大、支出増加)と生計選択(換金作物栽培、村内ビジネス、賃労働への参加、移動労 働)の関連に関する概要を報告した。また、11月に行なわれた国際ワークショップにおいては、本年度のフィールド調査の成果を中心に、学校教育の普及と生 活環境についての報告を行ない、タイ、ベトナムなど多様な国の参加者からフィードバックを得ることが出来た。さらに12月以降は論文執筆に取り掛かってお り、「学校教育の普及」「現金支出の増大」の二項目について、それぞれ新たな論文として執筆中である。

▽執筆・発表:

 本年度は、学会、国際シンポジウムにおける成果報告を2回行なったほか、執筆作品1本が発行された。

作品 渡部厚志、「『移動の村』の生活史:『人間の安全』としての移動研究試論」、21世紀COE採択研究「日本・アジアにおける総 合政策研究拠点:ヒューマンセキュリティの基盤的研究を通して」(慶應義塾大学)における総合政策学ワーキングペーパーシリーズNo.36、2004年4 月

報告@ 渡部厚志、「トランスナショナルな生活と農村におけるヒューマンセキュリティ:東北タイの三農村の事例」、日本国際政治学会2004年度研究大会、兵庫・淡路夢舞台国際会議場、2004年10月16日

報告A Atsushi Watabe, 'No Education, No Way Out', Alternatives in Rural Development, International Workshop on Researches and Practices for Human Security in East Asia, Hanoi University of Technology, Hanoi, Vietnam, November 27th, 2004