2004年度 森泰吉郎記念研究振興基金
研究活動報告書
<日本のテロ対策の政策過程(申請時テーマ:日本のテロ対策の体制と変容)>

政策・メディア研究科 長井祐介

I. 研究内容

0 研究テーマ

主題:日本のテロ対策の政策過程

副題:地下鉄サリン事件以降の国際協調と国内実施

1 研究の概要と目的

 本研究は、日本のテロ対策の政策過程を分析することにより、G8諸国と比して日本の対策が遅れている理由を明らかにするものである。事例としては、1996年のパリ・テロ対策閣僚会議で合意した25項目の行動計画に対する国内実施に該当する4つの政策を扱う。

2 研究の背景

(1)冷戦構造融解後、テロリズムの苛烈化傾向が見られる[1]【図表1・2】。

(2)テロリズムの苛烈化傾向には、テロそのものの自己目的化という背景がある[2]

(3)かかるテロリズムの苛烈化傾向に対し、国際社会は様々なレベル[3]でフォーラムを開催し、刑事・司法という国内法の射程で対策を講ずることで合意してきた[4]

 

3 問題関心の所在

(1) テロ対策の国際協調において、G8における取り組み(1995年のオタワ・テロ対策閣僚会議および1996年のパリ・テロ対策閣僚会議)は、詳細に渡る行動計画を盛り込んでいるという点で、他のフォーラムにおける合意と性質が異なる[5]。さらに、パリ・テロ対策閣僚会議において合意された25の行動計画[6]は、国連の「国際テロリズム廃絶決議[7]」の文面に盛り込まれたように、G8の取り組みはテロ対策の国際協調の牽引役となっていると言える。

(2) 地下鉄サリン事件以降、日本のテロ対策は、被害管理(Consequence Management[8])の分野のみ進展した【図表2】。

(3) しかし、1996年のサミットで合意された25項目の行動計画の日本における国内実施は、他のG8諸国と比して遅れている。具体的には、(1)爆弾テロ防止条約批准の遅れ、(2)テロ資金供与防止条約批准の遅れ、(3)国家レベルでの包括的戦略の不在、(4)反テロ法の不在、等が挙げられる。

4 先行研究の検討

(1)日本の国内実施が遅れている理由を明らかにする先行研究としては、宮坂直史(防衛大学校総合安全保障研究科助教授)による研究[9]がある。当該論文では、日米のテロ対策の進捗状況の差異は、「戦略文化[10]」の差異に起因するという。すなわち、地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教に対するイメージは「単純に恐怖以上に、数々の珍奇な発明、サブカルチャー異存体質などから、国家安全保障上の脅威というには余りに大袈裟で心地悪い[11]」と認識したことが、地下鉄サリン事件後に執られた日米の対策の差異につながったというものである。

(2)宮坂の示した「戦略文化」の定義に近い視点から日本の安全保障全般を見渡した研究としては、グリーン(Michael J. Green)の研究がある。グリーンは日本の安全保障政策は、「現状からのわずかな変更[12]」を繰り返してきた過ぎないと指摘している。

(3)筆者は、戦略文化の差異が日本のテロ対策の遅れの原因となったという論に対して異存はない。しかし、とりわけ(3)国家レベルでの包括的戦略[13]や(4)反テロ法の制定は、所管する官庁が多岐に渡り、政策の策定にせよ法案の提出にせよ、省庁の縦割り行政の弊害[14]も、対策の遅れの理由となろう。何故ならば、実際に政府の中にも包括的戦略や反テロ法の策定を検討した形跡があり[15]、有識者の間からも同様の提言[16]が出されているとするならば、必ずしも文化的側面のみによってテロ対策の遅れを説明できるものではないからである[17]

5 研究の手法

(1) 従って本研究では、日本のテロ対策、すなわちテロ対策分野においてG8で合意した事項の国内実施が遅れている理由を明らかにするべく、各々の政策の政策過程分析を試みる。

(2) 分析の範囲としては、包括的戦略や対テロ法を策定する機会になり得た次の4つの事例を扱う。

イ)行政改革会議の最終報告書策定過程[18]

ロ)団体規制法の政策過程[19]

ハ)警察法の改正の政策過程[20]

ニ)包括的テロ対策の政策過程(年内に策定予定・現在骨子が完成[21]

(3) 分析にあたっては、主として内閣官房、警察庁、外務省、法務省を研究対象とする。

(4) 以上のような事例の政策過程を明らかにすることにより、政府の組織的・構造的要因による政策への影響を明らかにできる。

6 研究の意義

(1) 宮坂論文では、日本のテロ対策の遅れている理由を戦略文化の観点から明らかにすることにより、制度論や組織論、特定の政策決定者のリーダーシップ論などの観点からの説明を補完できるとしている。しかし、実際には制度論や組織論等、政策過程に着目して日本のテロ対策が遅れている理由を説明する研究はない。本研究は、かかる役割を担い、国際協調を阻害する要因を浮き彫りにすることができる。

(2) 既に日本では、数々のテロ対策の提言がなされ、現に包括的戦略にあたる「包括的テロ対策」の策定も近い。しかし、包括的戦略が策定された後は、刑事訴訟法の改正をはじめとする様々な法改正が必要となり[22]、さらなる「遅れ」も予想される。本研究は、宮坂氏やグリーンによる研究とあわせ、国内の省庁間協力の弊害[23]となる要因も浮き彫りにすることができよう。

7 論文の構成

序説

第1章 テロ対策の射程

第2章 G8の合意と国内実施の状況

第3章 行政改革会議の最終報告書策定過程

第4章 団体規制法の政策過程

第5章 警察法改正の政策過程

第6章 包括的テロ対策の政策過程

第7章 分析

結論

8 参考文献(一部・書籍のみ記載)

加藤朗『テロ』(中央公論新社、2002年)

近藤重克、梅本哲也共編『ブッシュ政権の国防政策』(日本国際問題研究所、2002年)

社団法人共同通信社ペルー特別取材班編『ペルー日本大使公邸人質事件』(共同通信社、1997年)

田中明彦監修、外交フォーラム編集部編『「新しい戦争」時代の安全保障』(都市出版、2002年)

東海大学平和戦略国際研究所編『テロリズム(増補版)』(東海大学出版会、2001年)

防衛大学校安全保障学研究会編著『安全保障学入門(最新版)』(亜紀書房、2003年)

松井芳郎『テロ、戦争、自衛』(東信堂、2002年)

宮坂直史『国際テロリズム論』(芦書房、2002年)

「テロリズムと日本の安全保障」研究会『テロリズムと日本の安全保障:9.11で国際社会はどう変わったか』(PHP総合研究所研究報告書・20029月)

「日本の国際テロ対策」研究会『政策提言:包括的かつ戦略的な国際テロ対策の推進に向けて』(PHP総合研究所研究報告書、20039月)

Anonymous, Imperial Hubris: Why the West Is Losing the War on Terrorism, Brassey’s Inc, 2004.

Arnold M. Howitt, Robyn L. Pangi, Countering Terrorism: Dimensions in Preparedness, MIT Press, 2003.

Bruce Hoffman, Inside Terrorism, Columbia University Press, 1999.(邦訳:ブルース・ホフマン著、上野元美訳『テロリズム』原書房、1999年)

Charles Townshend, Terrorism: a very short introduction, Oxford: Oxford University Press, 2002(邦訳 チャールズ・タウンゼンド著、宮坂直史訳『テロリズム』岩波書店、2003年)

David E. Kaplan and Andrew Marshall, The Cult at the End of the World: The Terrifying Story of the Aum Doomsday Cult: from the Subways of Tokyo to the Nuclear Arsenals of Russia, London: Hutchinson, 1996.

Jane Boulden, Thomas George Weiss, Terrorism and the UN: Before and After September 11, Bloomington: Indiana University Press, 2004.

Joseph S. Nye, Understanding International Conflicts: An Introduction to Theory and History, London: Pearson/Addison Wesley, 2002(邦訳:ジョセフ・S・ナイ著、田中明彦、村田晃嗣訳『国際紛争』有斐閣、2003年)

Joseph S. Nye, Addressing the New International Terrorism: Prevention, Intervention and Multilateral Cooperation, Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 2003.

Michael Jonathan Green, Japan’s Reluctant Realism: Foreign Policy Challenges in an Era of Uncertain Power, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2003.

Paul K. Davis and Brian Michael Jenkins, Deterrence and Influence in Counterterrorism: A Component in the War on Al Qaeda, Washington, D.C.: RAND’s National Defense Research Institute, 2002.

Peter Chalk and William Rosenau, Confronting “the Enemy Within”: Security Intelligence, the Police and Counterterrorism in Four Democracies, Washington, D.C.: RAND’s National Defense Research Institute, 2004.

Paul R. Pillar, Terrorism and U.S. Foreign Policy, Brookings Institution Press, 2004.

Peter J. Katzenstein and Yutaka Tsujinaka, Defending the Japanese State, Cornell University: New York, 1991.

Richard A. Clarke, Against all enemies: Inside the White House’s War on Terror, New York: Free Press, 2004(邦訳:リチャード・クラーク著、楡井浩一訳『爆弾証言』(徳間書店、2004年))

Richard A. Falkenrath, Robert D. Newman and Bradley Thayer, America's Achilles' Heel: Nuclear, Biological, and Chemical Terrorism and Covert Attack, Cambridge: MIT Press, 1998.

Robert Jay Lifton, Destroying the World to Save it: Aum Shinrikyo, Apocalyptic Violence, and the New Global Terrorism, New York: Henry Holt & Co, 1999(邦訳:ロバート・J・リフトン著、渡辺学訳『終末と救済の幻想』岩波書店、2000年)

Russell D. Howard, Reid L. Sawyer and Barry R. McCaffrey, Terrorism and Counterterrorism, Boston: McGraw-Hill College, 2003.

[1] ブルース・ホフマン著、上野元美訳『テロリズム』原書房、1999年、272-274頁。

[2] 兵頭慎治「チェチェン・テロリズムとプーチン政権」『防衛研究所ニュース』第81号(200410月)<http://www.nids.go.jp/dissemination/briefing/index.html>

[3] 1980年代の取り組みについては、大友孝平「国際テロリズムの現状、対策及び今後の課題」河上和雄、國松孝二、香城敏麿、田宮裕 編著『講座 日本の警察 4 防犯保安警察・警備警察』立花書房、1993年、1990年代前半の取り組みについては折田康徳「テロ防止のための国際協力」東海大学平和戦略国際研究所編『テロリズム(増補版)』(東海大学出版会、2001年)、1990年代後半から現在の取り組みについては、宮坂直史『国際テロリズム論』芦書房、2002年を参照されたい。

[4] 宮坂直史『国際テロリズム論』芦書房、2002年。

[5] 折田、前掲論文、60頁。

[6] 米村敏朗「サミット・テロ対策閣僚級会合について」『警察學論集』第49巻第3号、1996年を参照されたい。

[7] UN Doc. A/51/631.

[8] 被害管理とは、「万一テロがあった場合に被害結果を最小限化することを目的に、その現場でいかに諸機関(警察、消防、医療、軍など)が協力するかという問題意識のもとに使用されている概念」を指す。宮坂直史「テロリズム 日本の対応」渡邊昭夫/(財)平和・安全保障研究所編『9.11事件から1年』第一書林、2002年、112頁を参照されたい。

[9] 宮坂直史「テロリズム対策における戦略文化:1990年代後半の日米の事例として」『国際政治』第129号、2002年。

[10] 宮坂論文によれば、「戦略文化」に関する研究は既に数多く展開されているものの、スナイダー(Jack Snyder)、ジョンストン(Alastair Iain Johnston)、グレイ(Colin Gray)、ブース(Ken Booth)らによる定義は、それぞれ異なるという。こうした中で宮坂氏は「戦略文化」を、「一国の安全保障問題の認識、政策の形成、危機への対処、力の行使の方法などに大きな影響を与える、その国で支配的に共有されている観念(信条、教訓、態度など)」と定義付けている。

[11] 宮坂、前掲論文、71頁。

[12] Michael Jonathan Green, Japan’s Reluctant Realism: Foreign Policy Challenges in an Era of Uncertain Power, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2003, p. 71 and p.271.

[13]ここで言う「包括的戦略」とは、外交、情報、司法、警察、運輸、厚生、エネルギー、金融、軍事等、あらゆる関係省庁のテロ対策が調整され、ムダなくまとまり、政府の政策として統合されたものを指す。「日本の国際テロ対策」研究会『政策提言:包括的かつ戦略的な国際テロ対策の推進に向けて』(PHP総合研究所研究報告書、20039月)を参照されたい。

[14] 川北隆雄『官僚たちの縄張り』新潮選書、1999年。

[15] 例えば川口順子氏(当時外務大臣)は、月刊誌『論座』への寄稿の中で、反テロ法の制定の必要性を訴えている。川口順子「変化する安全保障環境と日本外交:新たな脅威への対応めぐり国民的議論を」『論座』第94巻、2003年。

[16] 「日本のテロ対策」研究会、前掲報告書。

[17] この点は宮坂論文でも、「個別の措置や法制度の策定、運用において、どれほど文化的な影響が反映されているのか、より詳細な分析を重ねる必要がある」と見ている。宮坂、前掲論文、73頁を参照されたい。

[18] わが国は1999年に、中央省庁改革基本法をもとに大規模な中央省庁の再編を行なったが、当該法の素地となったのは19961121日に設置された行政改革会議の報告書である。行政改革会議では、テロ対策等の組織犯罪を念頭に、警察機構の改革も検討された(行政改革会議『警察庁説明資料』<http://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/keisatu507.html> 20041019日)。しかし実際には、警察機構については最終的に現行制度が維持されることが決定された。北村滋「行政改革会議最終報告と警察組織(上)」『警察學論集』第51巻第2号、および「同(下)」同巻第3号を参照されたい。

[19] 団体規制法は、オウム真理教に対して破壊活動防止法に基づく規制措置をなし得なかったことから、オウム真理教に類する団体を規制する目的で制定された。この際、政府内では包括的戦略と対テロ法を制定するべきとの意見も上がったが、実現はされず、破壊活動防止法の枠組みを踏襲することとなった。警視庁関係者に対するインタビュー調査による。

[20] 警察法の改正の主たる目的の一つは、「テロ対策の強化」であり、このため警備局に「外事情報部」が設置された他、NBCテロに関する個別具体的な指揮管理を規定する等した。警察庁『平成16年度における警察庁の組織改編構想について』<http://www.npa.go.jp/seisaku/soumu5/gaiyou.pdf> を参照されたい。

[21] 『読売新聞』20041018日。

[22] 『読売新聞』20041018日。

[23] See, Peter J. Katzenstein and Yutaka Tsujinaka, Defending the Japanese State, Cornell University: New York, 1991.


II. 具体的な活動と研究費の使途について

 今年度は文献の読み込みに加え、政策担当者へのインタビューや情報公開法に基づく情報開示請求による調査を重点的に行った。いただいた研究費についても、こうした活動にかかる経費に充当し、活用させていただいた。


以上。

 
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