森基金報告書

「歴史資産を擁する都市研究−金沢のデジタルアーカイブ化に関する試み」

 

 前島 美知子

慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科

 

構成

序章

0.1 研究の背景 :

   歴史的デジタルアーカイブの必要性

0.2 研究の目的 :

   歴史的デジタルアーカイブの提案

0.3 既往研究 :

   都市史研究の枠組

    日本都市史−佐藤滋、宮本雅明、玉井哲雄、伊藤裕久、伊藤毅

    西欧都市史−陣内秀信、鈴木隆

    その他   −増田達男(金沢)、

0.4 本稿の講成 :

   本論文の流れ

 

1

1.1 対象敷地説明 :

   金沢市における対象敷地

1.2 地籍図・登記簿読込調査 :

   金沢市での地籍図・登記簿読込調査

1.3 建築物悉皆調査 :

   金沢市での建築物悉皆調査

1.4 建築物実測調査 :

   金沢市での建築物実測調査

1.5 金沢市行政データの位置づけ :

 

2

2.1 史料批判 :

   金沢市の史料(古絵図、古地図)批判

2.2 悉皆調査 :

   調査方法と得られた情報について(GISを用いる)

2.3 実測調査:

   建築物タイポロジー:町屋、武家屋敷、近代和風。

 

3

3.1 近世における土地利用形態の復元 :

   金沢地籍図(公図)と古絵図・古地図からの復元(中世→近世→近代)

3.2 対象街区変化のプロセス :

   地籍変遷・悉皆調査の分析

3.3     地籍・登記簿から見る都市構造の継承 :

居住者分析、金沢独自の文化(「御神楽作り」、城下町文化)

 

4

4.1 金沢の歴史都市論 :

   金沢の継承都市構造分析

4.2 土地(地籍)と建築における分析 :

   土地(地籍)と建築物の関係性

   地籍ベースのデータベースの効用性

4.3 建築物生成論 :

   建築物タイポロジー、近代和風建築の位置づけ

4.4 歴史都市デジタルアーカイブの展望 :

   近世からの城下町文化論

 

 

なお、本報告書では、概要と第1章のみを記す。(詳細については michikom@sfc.keio.ac.jp までご連絡ください。)


 

 

概要    

 

keyword:

歴史資産  都市  アーカイブ  地籍  変遷  復元

 

研究の目的と方法

本研究の目的は、日本の金沢市を事例に歴史都市における環境保全、文化財の活用などを見据えた都市変遷の基礎調査を行う事である。諸々の調査を通じて、対象敷地の特性を都市史分析によって明らかにし、その保全・活用の際のベースとなる、地籍に基づいた都市の歴史的変遷或いは重層性を明らかにする事を目標としている。

 対象地である金沢では、都市計画図等の基本図を市から入手、その他必要な地籍及び建築物詳細データは調査を行い、GISを利用したベースマップに落とし込む。

調査方法

1、建築物調査(現状把握)

(1)推定建設年代、階高、構造、用途、状態、駐車場の有無等を目視調査。GISデータベースにまとめる。

(2)建築物実測調査。 対象地区内の町屋・近代和風を実測、ディテール検証や木造建築の増築についての分析を行う。

2、基本図の収集(諸条件との相関関係の解析)

(1)金沢市から空間基盤・都市計画に関するデータを入手。GISデータベースに落とし込む。

(2)歴史的な絵図などの史料は、「金沢市史」に掲載されているもの、金沢市立図書館蔵のものを入手。

(3)対象地区の航空写真は、昭和50年度のものは国土交通省のホームページから入手。

(4)古写真は、対象敷地や周辺の様子を歴史的に辿るため入手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、地籍・登記簿調査(歴史的変遷)

金沢市法務局で、明治末期から昭和初期のものと、昭和56年の2種類の地籍図(公図)を入手、トレースを行い、各々の加筆部分を取り除いた復元図も作成し、地籍形成過程を追う。また、登記簿に相当する資料を金沢市役所で入手、読み込み作業を行う。

 

対象街区

対象地域は石川県金沢市尾張町一丁目・二丁目、彦三町一丁目・二丁目、主計町、東山三丁目、大手町の約700件である。金沢城から北に浅野川を挟む地域で、前田候の時代には城に近いところから、武家地、町屋地、足軽武家地に分かれていた。現在も武家屋敷や町家が多く残る地区だが、今後開発の動きが最も強くなると想定される地区でもある。近世の都市構造、現代の土地利用などの観点から対象地域の位置付けを行う必要がある。

 

 

 

 

 

 

4章    

 

4.1 金沢の歴史都市論

 


 江戸時代の城下町構造を継承する金沢における、地籍をベースとしたデジタルアーカイブ化の試みを行うことで明らかになった事柄を示す。

 前章で記述したように、1798-1811年の地籍復元図では、武家地と町屋地に分かれて住宅のあった対象地区に対して、1981年の地籍図には地籍内に「宅地」という、用途の記述がある。

 本研究以前に神奈川県鎌倉市の住宅地である雪ノ下地区において約200件の地籍を対象に同様の調査を行った際、街区の中心部が江戸から明治時代にかけて広い田畑であったことが明らかになり、当時の住宅或いは建造物は街区の所謂ガワ部分のみにしか存在しないことがわかった。その地区は鎌倉市の鶴岡八幡宮の真南に当たる地区であり、鎌倉時代には幕府が存在した場所である。しかし、その痕跡は跡形も残っていない。

4-1-1、4-1-2 金沢対象地区における風景

 
一方、金沢の本対象地区においては、街区全てが江戸時代には金沢城下として武家屋敷地、町屋地、つまり現在の言い方で言えば住宅地と呼ぶことのできる用途地区であった。洗濯や炊事の場としての水路沿いのコモンオープンスペースを除き、大きな田畑などは一切見受けられない。そして、江戸末期から明治初期、明治以降1980年以前、1981年、そして1981年以降と変遷を追うと、街区全体が宅地としての機能は全く変化していないことが分かる。

この両者の違いの原因として、鎌倉市の事例における、鎌倉時代という時代と、金沢市の江戸時代との古さの差が一つ挙げられる。また、以前に存在していたものの質の違いもある。これはつまり、鎌倉市雪ノ下地区に存在していたのは幕府であったことから、政権交代による建物自体の不要化および破壊など、一般住宅より残存する可能性が極端に少ないということである。したがって、鎌倉雪ノ下地区の場合は幕府移転後更地になり、田畑として長らく利用されることとなったが、金沢の対象地区の場合は、武家屋敷地も含まれてはいるものの、全区域が金沢城下の住宅地であったことから、現在もそのままの用途が引き継がれていると言える。この結果、鎌倉雪ノ下地区では現在では発掘調査の結果を見ない限り鎌倉初期幕府の片鱗も見ることができないが、金沢対象地区では、武家屋敷と町屋の点在する、城下町の風情を見ることができるのである。

 

 

 

 

 

4-1-3 金沢対象地区における風景

 
4.2 土地(地籍)と建築における分析 元武家地のあった地区では細分化が進み、地籍の形状をそのまま保っている地籍は皆無であるが、町屋地であった地区では所謂短冊状の地籍をそのまま継承して現在も利用している地籍が多く見られた。そのうち、当時の町屋をそのまま利用しているものや、何らかの改修・改築を加えて利用しているもの、或いは町屋を破壊した後に同じ短冊状の敷地に新しく家屋を建てているものなど、その利用の形態は様々である。しかし、江戸時代の金沢における住宅であった町屋の規模が、現在の生活にそのまま適用できるということは事実である。

4-2-1 青空駐車場

4-2-2 金沢城内兼六園の風景

 
 一方、武家屋敷地のほうでは、元々広大であった敷地を利用するかのようにNHK石川支局の大規模な建物が建っているものと、同じく広大すぎる土地を扱いかねたのであろう、そこかしこに見られる青空駐車場が目を引くほかは、元町屋地の敷地と同じような狭小住宅が立ち並んでいる。現存する武家屋敷は大手町に位置する寺島蔵人邸のみであり、その他はかつては武家屋敷が塀を連ねていた場所であるとはとても想像することはできない状況となっている。

武家地は金沢城に隣接しており、場所における歴史性は大変高い。主計町に代表されるように、町屋地区は現在既に歴史資源としてのポテンシャルを生かした政策を多々打ち出しているが、そのエリアと金沢城を結ぶ地区である武家地においてこそ、今後歴史性を踏まえた政策を行っていくべきである。


現在の武家地において、悉皆調査の結果から、意外なことに良質な近代和風建築が多々残存することが判明した。その中には武家風近代和風建築も含まれており、武家屋敷そのものではないにしても、東立ちなどの武家風装置を見ることができる。これを武家地における新たなポテンシャルと評価し、歴史資源として生かしていくことが有効である。

 

 

 

 

 

 

 

4-2-3 大手町地区の武家風近代和風

 
 


4.3 建築物生成論

 

 金沢の対象地区における建造物を、幾つかのタイポロジーに分類し、それらの位置づけを試みた。


 大きく分けて、江戸時代に端を発する武家地の武家屋敷と町屋地の町屋、明治時代に多く建てられた洋館、明治から昭和初期にかけて建てられた近代和風建築、そして昭和中期から現在までの現代建築がある。武家屋敷と町屋については、既に多くの研究および調査がなされ、建築タイポロジーとしてはほぼ確立された定義だと言える。しかし、その後、現代建築に移行する間に建てられた近代和風建築については、各々の風土や文化に合わせてさまざまな特性の取捨選択が行われているため、その類型は全国に見られるものの、確固たる地位は得られていない。


 本研究内で、建築物悉皆調査および実測調査の対象の中に近代和風建築も多く見られた。そこで、金沢の対象地区における近代和風建築のタイポロジーを示しておく。

 金沢の対象地区は、江戸時代には主に武家屋敷地と町屋地に分かれており、部分部分に足軽屋敷が点在する地域であった。本地区で見ることのできた近代和風建築は、武家屋敷の流れを汲むものと町屋の流れを汲むものの2種類に大別することができる。それぞれを「武家風近代和風」、「町屋風近代和風」と呼ぶことにする。

4-3-1 町屋風近代和風

4-3-2 武家風近代和風

 
 「武家風近代和風」は、武家屋敷の象徴的なモチーフである東立ちを持つものが多い。実測調査を行った彦三町の新谷邸もその一つである。また、同様に武家屋敷固有のものである塀と外門がある。つまり、町屋の建物への入り口が道筋或いは道路に直接面しているのに対し、武家屋敷は道筋に対し塀があり(大抵の場合は土塀)、塀に設けられた屋根付の門を通り、建物の入り口へ向かうことになる。「武家風近代和風」も、道路に対して塀を設け、大抵はそこに屋根付の門を設けて道路から一呼吸おいた上で建物が建つ形態となる(図4-1-6参照)。玄関の間の左右どちらかに外からでもそれと分かる洋間が付属する場合もある。

 一方、「町屋風近代和風」は、町屋に特徴的なオブジェクトを備えた近代和風建築である。敷地は大抵以前町屋があったのであろう、短冊形で、建物自体も町屋同様細長い形状をしている。実測調査の対象の一件であった大手町の能勢邸はこの「町屋風近代和風」建築である。

また、金沢には御神楽造りが存在することも実測調査により明らかになった。元々は、建物を初めに建てる際は平屋で建て、その後2階を付け足すものであるが、町屋に対して用いられる語であった。それが、明らかに伝統的町屋とは異なり、近代和風建築である能勢邸において聞かれたため、このタイプの建物は意識の上でも確実に町屋の流れを汲んでいると言える。

 

 

4-3-3、4-3-4 町屋風近代和風

(能勢邸)

 
 

 


4.4 歴史都市デジタルアーカイブの展望

 

4-4-1 金沢の住宅地風景

 

 金沢の対象地域において、金沢の歴史資産である江戸時代の建物が多く残り、あるものは形を変えながら現在も利用されていることがわかった。本地区は伝統環境保全区域には指定されているものの[1]、全域が一般的に住宅地であることから、江戸時代からその用途に変化がなく、建物の継承につながっていることを既述した。一方で、住宅地であることから、対象地区内の一部の地域においてしか現在は保全などの規制がかけられておらず、今回調査を行った建物のうち歴史的要素を評価できるものの多くが自主的な保存或いは利用である。

 実測調査中にヒアリングを行った彦三町の新谷邸では、2005年中には土地建物の権利が所有者の息子さんに移転すると聞いた。新谷邸は、歴史的町並みを紹介する市内の小冊子の表紙を飾ることもあったが、特に保護を対象とした指定などは受けていないため、その後、新しい所有者がその建物を保存するか否かは不明であるという。


 また、東立ちなど歴史的建物の外観を比較的よく残している新谷邸とは別に、古い構造を残してはいるものの、改修・改築を大いに加え、一見しただけではその歴史性が分からない建物も多く存在している。これらの建物も、歴史資産という観点から見ると、たとえば古い屋根瓦が残っていたり、少し覘くと軒裏が大変凝った作りになっていたり、資産として生かすことのできる要素が沢山ある。


 しかし、これらは歴史資産ではなく、一般住宅としての枠組みとなっているため、既述の新谷邸のように権利移転などでいつ壊されるかは全く分からないのである。しかも、常にその危険性と隣り合わせであると言ってよい。現に、2003年から2004年にかけて何度も現地に足を運ぶ中で、対象地域においても、2004年春まで軒を連ねていた町屋の一件が、2004年夏の調査の時点では立替のためだろうか、ちょうど壊されている途中の無残な姿を晒していた。

4-4-2、4-4-3 金沢の住宅地風景

(歴史資産のポテンシャル)

 
 このように、住宅であるからこそ江戸時代からそのままの形を保ってきた建物が多い一方、行政の認識としてはそれらの建物がごく一般の住宅でしかない点において、その崩壊がいつでも起こり得る状況なのである。


 今回のデジタルアーカイブ化の作業によって、歴史資産としてのより多くのポテンシャルをこの地区に発見することができた。それらはすべて、地籍レベルでの歴史性を読み解いて、現在の建物一件一件を詳細に調査をして得られた結果である。今後の方向性として、このデータベースを使って個々の建物レベルでの施策の検討および実行が可能となる。

4-4-4 金沢の住宅地風景

 
 

 

 



[1] 近代的都市景観創出区域:
 尾張町〜橋場〜東山1丁目区域




共通事項

眺望景観や周辺の街並みとの調和に配慮し、落ち着いた街並みの景観形成を図る。

位置

3階以上の部分は前面道路から後退させるよう努める。

高さ

31m以下

形態

上部の形態を整え、こう配屋根の軒線をそろえるなど街並みの連続性に配慮する。

色彩

茶、グレーなどを基調とした落ち着いた色調とする。

広告物

街並みとの調和を図る。

設備

外部に露出させないよう工夫する。

駐車場

前面道路から直接見えないよう工夫する。

その他

塔屋は目立たないよう努める。





共通事項

豊かな歩行者空間を確保するため、できるだけ公開空地等を確保する。

緑化

敷地内の緑化を図る。

垣・さく

原則として前面道路に面して設置しない。

その他

可能な限り歩道と敷地内空地を一体的に計画する。

公共空間

落ち着いた金沢らしさを感じさせるデザインに努める。

金沢市ホームページより

http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/keikan/jourei/jo_index.html