04年度森基金報告書
政策・メディア研究科 修士課程1年 上原和甫
学籍番号:80424251
■研究タイトル
『東北タイ農村部インフォーマルセクターにおけるヒューマンセキュリティ』
■研究の概要
本研究の課題は、東北タイ農村部においてインフォーマルセクターに従事する人々(土地や定職を持たない人々)がどのように日々の生活を安定化させ、改善しようとしているのかを、村内に存在する様々な人的ネットワークの役割に注目し、明らかにすることである。
研究の背景と問題意識
タイでは1961年 から社会経済開発計画が始まり、急速な経済発展を遂げた。しかしその一方で地域間、農工間の不平等は拡大した。特に外貨獲得を意図して始められたアグリビ ジネスの普及は、自然環境に恵まれないタイ東北地方の農村環境・農民の生活に大きな影響を与えた。換金作物栽培は農薬や化学肥料などの外部投入物を必要と し、この外部投入物の長期間にわたる使用により、農村環境は汚染され、生産性は低下し、収支バランスの悪化により農民生活は逼迫した。そしてその帰結とし て、生活基盤である農地を失った農民が増加した。農地を失った者の多くは期待所得の高いバンコクなどの都市部工業セクターへと移動したが、一方で農村部に とどまる人々もいた。彼ら農村内外の雑業(農繁期の農作業、土木工事、行商)に従事し、生計を立てている。このような農村部における不安定・不規則な就業 形態を農村部インフォーマルセクターと呼ぶ。
農村部インフォーマルセクターは公式統計の対象とならず、またそれに関連した先行研究も少ない。そのため、農村部インフォーマルセクターがどの程度の比重で実際に農村部に存在しているのか、その実態は明らかになっていない。
本研究が取り組むべき課題は、農村部インフォーマルセクターがなぜ形成され、村内に存在しつづけるのかをヒューマンセキュリティ(個人の生活の安定)の観点から明らかにすることである。つまり、農村部インフォーマルセクターに従事する人々がどのように生活を維持・安定化しているのかを検討する。その際、彼らと村内の互助組織や互助制度との関係に特に注目したい。
問題設定
本研究の課題は、東北タイ農村部インフォーマルセクターに従事する人々の生活安定化の一つの戦略として、村内の互助組織・互助制度がどのような役割を果たしているかを調査することを通して、以下の二つの問題を検討することである。
@なぜ農村部インフォーマルセクターが形成され、それが農村に存在し続けるのか。
高 い所得が期待される都市部に移動するのではなく、雇用関係が不安定だと考えられる農村部にあえてとどまり続けるのは何故なのか。土地という生産手段を失っ ても、農村部での持続的な生活を可能にする生活基盤へのアクセスが、互助組織や互助制度を通じて確保できるのではないか。
A農村部インフォーマルセクターに従事する人々が、手元にある資料を用いてどのように自分たちの生活を安定化させ、改善していくことができるのか。
インフォーマルセクターに従事する人々が所得を増加させる以外の方法を用いて、つまり現在おかれている状態で入手可能な資源を活用することによって、生活に必要な財・サービスを手に要れ、自分たちが抱える問題を解決するためにはどうすればいいのか。
研究の意義
本 研究の意義は、既存の研究では十分に説明されてこなかった農村部インフォーマルセクターの形成・持続性に説明を与えることに加え、そこで生活する人々が手 元にある資源を用いてどのように自分たちの生活を安定化させ、改善させていくか、その手法を明らかにすることで、同様の課題を抱える多くの低開発地域の人 々の生活安定化に寄与しうることである。最終的な調査報告はテキスト形式での論文に加え、文字では伝えられない情報を伝えるため映像資料を活用することを 予定している。
■調査
調査の時期・調査対象地
研究のためのデータを得るため、2004年夏季にタイのコンケン県農村部でフィールドワークを行った。調査の時期・調査対象地の概要は以下のとおりである。
調査時期 |
2004年8月16日から9月14日(29日間) |
調査対象地 |
タイ東北地方コンケン県 ・ノンプリ村 ・ノンウェン・ナンバオ村 ・ブンチン村 |
調査対象地の選定理由
ま ず「なぜ東北地方なのか」について説明する。東北地方をフィールドに選んだのは以下の二つの理由による。@東北地方は資源に乏しく、最も所得の低い地域で あり、開発政策の弊害が顕著に観察できると言われているため。そしてA他の地域(中部、北部、南部)と比べ住民組織の組織率が比較的高いためである。その ため東北タイの農村部インフォーマルセクターに従事する人々の生活を観察することで、苦しい生活を安定化させるユニークな工夫が観察できるのではないかと 期待した。
次になぜコンケン県のノンプリ村、ノンウェン・ナンバオ村そしてブンチン村を選定したのかを説明する。これらの村を選定したのは@東北地方において一般的とされる村のサイズ(人口600〜1000人 程度)であり、A村人の多くが農業に従事しており、Bインフォーマルセクター(土地なし)が存在していて、そしてC住民組織が存在しているためである。ま た三つの村はそれぞれ都市へのアクセス、歴史、農業形態、住民組織の性質などの点においても異なっており、三つの村を比較することから興味深いデータを抽 出できるのではないかと考えた。なお村の選定にあたって、コンケン県の農村に詳しい、コンケン大学のチャイチャーン教授に協力していただいた。
三つの村の概要
ノンプリ村、ノンウェン・ナンバオ村そしてブンチン村がそれぞれどこに位置し、どのような村なのかについて簡単な説明をする。概要は以下のとおりである。
ノンプリ村 (Non Prig) |
人口650人、120世帯 コンケン市から車で一時間半(60キロ程度) 主要作物はもち米、シルク生産も行っている 住民組織 Local intellectual group(有機農業推進グループ) House wife group Volunteer for health group Saving money from government group Livestock farming group |
ノンウェン・ナンバオ村 (Nong Waeng) |
人口669人、140世帯 コンケン市から車で1時間半(60キロ程度) 主要作物は米、サトウキビ、キャッサバなど 住民組織 Organic enrichment group(有機農業推進グループ) Silk weaving group(主婦グループ) Community mill Community market Community bank |
ブンチン村 (Bueng Chim) |
人口978人、228世帯 コンケン市から車で15分(15キロ程度) 主要作物は米(うるち米、もち米)、野菜多種 住民組織 Organic agriculture group Community water supply group Farmer’s group Community fund Fishery group(魚の養殖グループ) House wife group |
ノンプリ村とノンウェン・ナンバオ村は同じポン郡に位置しており、二つの村はともにコンケン市の南、約60キロの場所にある。両村とも国道2号線から少しは離れたところにあり、交通の便はあまりよくない。それに対してブンチン村はコンケン市の東、15キ ロの地点にあり、さらに幹線道路沿いであるため交通の便はかなりいいと言える。市場へのアクセスの違いからか、もしくは灌漑設備の違いからか、都市に近い ブンチン村では近代農業(換金作物栽培)が比較的盛んに行われているように感じた。また労働交換などの互助慣行もブンチン村では比較的早い時期に失われて いるようだった。
どの村にも住民組織を観察することができたが、ノンウェン・ナンバオ村の組織であるCommunity marketは日本のNGO、日本国際ボランティアセンターからの指導を受けていた。また、それぞれ村の住民組織に関しては、インフォーマントによって提供される情報が異なる場合があったため厳密に正確とは言えない。
調査対象者の選定
最後に調査対象者(インフォー マント)選定に関しての説明をする。今回の調査は、先述のように、今後の本調査へのステップとして位置づけられる。そのためサンプル数を増やすことより も、それぞれの村の概要や農民の生活状態を把握することに力を入れた。具体的にはそれぞれの村のキーパーソン(村長、グループリーダー)や少数の村人に対 する詳細な聞き取り調査を行った。調査対象者の内訳は以下のとおりである。
調査対象者 |
・ノンプリ村 B村人5人(C土地なし2人) ・ノンウェン・ナンバオ村 @村長/A住民組織のリーダー5人/B村人4人(C土地なし2人) ・ブンチン村 @村長/A住民組織のリーダー1人/B村人7人(C土地なし1人) |
ノンプリ村の村長、グループリーダーが含まれていないのは、2004年春期の広川幸花氏によるフィールドワークによって、すでにデータが得られているからである。
@ (村長)への聞き取り調査では村の基礎的なデータ(人口、主要作物、平均所得、歴史、村の施設、住民組織)を得ることを目的としており、A(グループリー ダー)からは組織の具体的な活動内容、資金源、メンバー参加資格や現状の問題点などを聞き出すことを目的としている。B(村人)に対する調査ではそれぞれ の基礎的な情報(性別、年齢、家族構成、学歴、職業、農法、組織への参加)などを聞き出し、特にC(土地なし)に対してはどのような経路から生活に必要な 財・サービスへアクセスしているか、どのようなグループに参加しているのか、なぜ農地を失ったか、彼らにとって生活の安定とは何かを探ることを目的として いる。
調査方法
今回の調査では、効率的に調査を進めるために構造化した質問票を用いた。質問票はインフォーマントの属性によって異なる種類のもの用意した。具体的には@村長用、Aグループリーダー用、B村人一般用、C土地なし用の4種類に加え、D農地や屋敷地の利用図やE年間スケジュール・カレンダー表も適宜用いた。
@村長用 |
村の基礎情報(面積、人口、平均収入、主要作物、歴史) 村の施設(病院、学校、寺) 村の住民組織 村の互助活動 土地なし、小農民の数 村の抱える問題 |
Aグループリーダー用 |
グループの設立の契機 活動内容 資金源 メンバー数 参加資格 ルール、罰則 グループが抱える問題 |
B村人一般用 |
基礎情報(名前、年齢、性別、宗教、出身地、家族構成、職業、出稼ぎ人数) 農業関連(農地の有無、農地の位置、水源、農法、生産物の内訳) 収支の内訳 グループへの参加 足りているもの、不足しているもの 将来の展望 |
C土地なし用 |
農地を持っていない理由 都市へ行きたいかどうか 職歴 援助(親戚、隣人) |
D農地、屋敷地利用図 |
農地や屋敷地にどのような作物をどのような配置で植えているかについて |
E年間スケジュール・カレンダー表 |
作物や労働に関するスケジュール・カレンダー |
調査結果
今回のフィールドワークでは延べ24人に対する聞き取り調査を行った。得られたデータは以下のとおりである。
ノンプリ村 |
店舗経営者...1人 所有農地面積が5ライ以下の小農民...2人 土地なし...2人 |
ノンウェン・ナンバオ村 |
村長 住民組織のリーダー...延べ5人(絹織りグループ、コミュニティミル、コミュニティマーケット、有機農業グループ、絹染めグループ) 店舗経営者...1人 有機農業を営む農民...1人 土地なし...2人 |
ブンチン村 |
村長 住民組織のリーダー...1人(魚の養殖グループ) 近代農業を営む農民...5人 小農民...1人 土地なし...1人 |
さらに、聞き取り調査から得られたデータに加え
ノンウェン・ナンバオが所属するタンボンの政策文書
ブンチン村の村長の政策文書2004年度版
を入手した。今後はこれらの分析も進めていきたい。
■資金の使途
計画書の段階では、森基金から提供された資金をタイへの旅費に用いる予定であった。しかし政策COEから旅費が提供されたため、森基金から提供された資金はラップトップパソコンの購入に充てた。これはFWの際のデータの収集、分析そして論文の執筆に用いるためである。