2004年度森基金報告書

研究題目:
交換日記サイトの作成による

コミュニケーション文化の把握

慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科
荒井 大樹


 

1、  

 現在のコミュニケーション文化は対人関係困難症やコミュニケーション不全症候群などの一部の例を挙げるまでもなく難しいと感じている人が増えている。その理由はメールなどでいつでもコミュニケーションが取れることに対して、相手との距離が近すぎると感じているからであろう。私はそのような人たちが利用しやすいような近すぎず遠すぎずの「ゆるい」コミュニケーションの場を提供したい。さらに小6同級生殺害事件などでも大きく取り上げられたが、小中学生くらいの年齢でHPを開設しているユーザーが少なくない。彼女らのHPの利用方法を調べていくと、日常生活におけるコミュニケーションの延長として利用しているような節がある。彼女らにとっても前記コミュニケーションの場は使いやすかろうし、新たなコミュニケーションというものを構築する可能性が強いのである。

 

2、既存のコミュニケーション手段

 PCメール

     時間を気にせずいつでもすぐに相手に送ることができる。

     相手が受信作業をするまで届かない。

     相手が受信したのか、してないのか確認する手段が通常存在しない。

 

携帯メール

     相手が圏内である限りすぐに届く。

     相手が寝ている間も受信するので時間を気にする必要がある。

 

チャット

     メールよりも素早く相手とコミュニケーションをとることができる。

     相手と合わせて同じ時間にインターネットに接続しなければならない。

 

メッセンジャー

     お互いがオンラインになったときにチャットを開始することができる。

     相手の状態を確認するにはオンラインになったことを知らせなければならない。

 

3、「ゆるい」コミュニケーションの条件

1、どこでもすぐに相手に伝達することはできない

2、相手の更新状況がわかる

3、相手がオンラインであるかはわからない

4、相手のスケジュールなどを閲覧することができる

 

4、これらを満たすコミュニケーション手段とは?

一番近いのはメッセンジャーであるが、起動時に相手にサインインしたことを表示してしまうため、先に特にあまり話す予定の無い相手がいたときなどプレッシャーを感じてしまう。よって一番『近すぎず遠すぎずの「ゆるい」コミュニケーションの場』に近いものであるにもかかわらず、一番起動することにプレッシャーがかかるコミュニケーション手段であった。しかしまだデータ版ではあるが、MSN メッセンジャー7.0でサインイン前の状態変更が可能となった。これはサインアウト状態でサインインが可能となり、相手にサインインしたことを伝えることなくサインインできるということなのだ。つまり必用な時だけ相手にサインインしたことを伝えることが出来るので、『近すぎず遠すぎずの「ゆるい」コミュニケーションの場』として最適である。またMSNスペースの開始によりブログによる日記サイトとの連携も簡単に行えるので理想的な交換日記サイトも可能になったのである。

 

5、インターネット新人類による文化形成

 小6同級生殺害事件などでも大きく取り上げられたが、小中学生くらいの年齢でHPを開設しているユーザーは少なくない。彼女らのHPの利用方法を調べていくと、日常生活におけるコミュニケーションの延長として利用しているような節がある。そこはインターネットの発達によって培われてきたソーシャルネットワークというものを完全に拒否された世界なのだ。

 

6、ソーシャルネットワークとは

ソーシャルネットワークとはアメリカを中心に人気となっているサービスであり、ビジネス上の人脈開発や友達・恋人探しなど幅広く活用されている。しかし日本では2003年始めごろに一部の日本人がLinkedInなどに参加して話題になったことがあったが、全く盛り上がらなかった。それはソーシャルネットワークサービスの多くでは、人脈の形成や紹介に関して「承認」「非承認」という選択肢を設けているが、日本人の気質として「非承認にしては気が悪くなるのでは?」という懸念から、非承認ボタンを押さないユーザーが増えネットワーク全体の質の悪化してしまったということが原因であろう。また「友達の友達はみな友達」という「友達の輪」という文化が日本では特に難しいということも原因である言える。なぜなら日本にはいまだに地域単位に留まらず、小さな範囲ではマンションの中の住民単位やクラスの一部のグループなど潜在的なコミューンが多く形成されており、その中の独自のルールが「よそ者」からはわかり難く「異文化の衝突」が行われるからである。通常最も適したコミューンへの「入会方法」はその中の一人と仲良くなり、ローカルルールを厳守しつつ紹介されて加入することである。しかし「人脈図」というコミューンが形成されているソーシャルネットワークにおいて「紹介される」ということは不可能である。またローカルルール、例えば挨拶に行く順番を間違えたことによってそのコミューン内で怒りを買い修正が不可能になるという現実世界で起こりうる事象に似たようなことがソーシャルネットワーク上で起こる可能性も十分にある。

そのため一部のソーシャルネットワークサービスでは「すでに加入しているユーザーからの紹介」でないとアカウントが作れないようにしてあったり、人脈がその人の人物像を明白にしているので「人脈図」によって信頼できるかどうかの指標にしたりすることによって、ネットワーク全体の質の悪化を防いでいる。さらに日本でのblogの普及はトラックバックという機能によって誰でも気軽に誰にでもメッセージを残したり出来るようになったため、コミューンという文化を限りなく薄め、いうなればネット社会全体が大きなひとつのコミューンに成ったと言えるだろう。

これは新たな文化を形成したといっても過言ではない。事実2004年初頭にGoogleOrkutが話題になったときは、瞬く間に日本人ユーザーが増えていったし、「グリー」(http://www.gree.jp/)と「ミクシィ」(http://www.mixi.jp)という二つのサービスが日本でスタートしている。どちらも日本の文化を考えて作られており、「グリー」の場合相手についてコメントを書くことができ、「ミクシィ」の場合日記機能があり、さらにblogの更新情報を常にモニタできる機能がある。これらの目指すところは「身近な人の意外な一面を見つけたり、友人の友人と共通の趣味を発見したり。そんな楽しみ方をして頂きたいと思っています。」(ミクシィ広報:小堀氏)であるといえる。

 

7、「ぱどタウン」というコミュニティ

 「ぱどタウン」と呼ばれるサイトがある。そこは「グリー」や「ミクシィ」と同じくソーシャルネットワークサービスの一つとして作られているが、そこに集まってきたユーザーに小中学生が多いのが特徴である。彼女ら(女性のユーザーのほうがかなり多いのでここでは彼らではなく彼女らとする)の利用方法と(他のソーシャルネットワークサイトを含む)他のユーザーの利用方法で大きく異なる点が存在する。

 

8、小中学生の特殊なルール

・チャットとして利用する掲示板

まず自分の掲示板に「INしたよ」などと書き、最後に「寝ます」などと書く。それ以外のメッセージはお互いの掲示板に書き込みあうことによって会話を行っている。つまりその掲示板のオーナーではない人同士が会話するという状況は存在しないのである。またオーナーが読み終わったら書き込みを削除してしまうことが多く、第三者がその書き込みを読むことも考慮していない。つまりケータイメールのやり取りのようなことを行っているのである。

 

・「はしご禁止」という文化

これがもっとも特徴的なルールであるが、「はしご」とは、例えばAの部屋に書き込んでいる、B(知らない人)の部屋に書き込みに行くことである。「荒らし・はしご・チェンメ・悪口禁止」など一まとめに書かれていることも多く、もっとも嫌われる行為のひとつである。これはソーシャルネットワーキングと正反対であり、友達紹介のところに「取るなよ!!」と書かれているところもあるように「奪われた」と思うのである。

 

※あるユーザーの例

↓ここから↓

部屋でのヤクソク

ココに書ぃてるの守らんかったらブラリス行きw

 

OKw↓

・タグ・専ァィ付きカキコ{レス100% 可愛いし、部屋明るくナル!

・タメの人とか年上の人{カナリ話合ぅしUu

・ロンカキ{マジウレシィ

・モノくれたり専ァィ作ってくれる子{一生愛スw

 

NGw↓

・ダサ子{絶対ダメェw

・パクリ{拒否ル

・ハシゴ{バレルョ?1番ウザィんで・・・ダチとんな!!

・敬語{ウザィ!

・1行カキコ{これマジぅざぃからwwほとんどの人がゃってくる

・荒らし・空カキ{おもしろいでつヵーー??[プ

・チェンメ{回したらたくさん回してやるw

・ナリキリ{話し合わなぃから無理w

ゥチが最初にカキコしたならOKだょww

 

・初なのにぃきなり「何かちょうだぃ」「○○になって」「○○作って」とか言う人{ダチ子とかならOKw

 

何回も言ぅけど守らなかったら即ブラリス行きw

↑ここまで↑

 

 とりこ氏曰く、これは昔からある女の子文化の延長である。つまり誰かが誰かに対し、他の誰かより優先権・独占権を持っている、というのが非常に重要視される文化であるという。AとBが友達という優先権を持っていた場合、Aの知人だがBとは非知人であるCが、Bと友だちになりたいとすると、例えばAの紹介を受ける、とか、AのホームグラウンドでBの目にとまりうるかたちでAと知り合いであることを示し、Bから言い出される形で「友だち」認定してもらう、などといった何らかの手続きを経る必要があるようなのだ。面倒なように思えるが、それが「スジを通す」ということであり、これを怠るとルール違反、礼儀知らずということになるのだという。

彼女らの掲示板の利用相手は実際の学校の友達の場合が多く、ケータイメールの代替として利用していることが多い。ここにオンラインの友達が加わりその境界線が無くなっていくのである。そのため彼女らにとってネットの世界はケータイなどと同様の日常生活の延長線上なのだろう。しかし物心つく前にネットが存在しなかった我々は、ネットの世界を普段接している社会とは少し違っていると無意識に思わざるを得ない。我々よりも彼女らのほうがネットの世界を自然体で使えているのではないか。だがそれはネット利用の発展系であるといえると同時に極めて旧来保守的なものであるとも言える。コネが重視される世界である、しがらみにとらわれた従来の日本的な文化をネットに導入することは果たして是なのであろうか?ただこれを非とするとしても近いうちに彼女らの方が大多数を占めるのは明らかであり、これを無いものとすることは厳しいであろう。彼女らはソーシャルネットワークを拒否しソーシャルネットワークサービス内で独自の文化を編み出したのだ。問題は日本では以前盛り上がらなかったソーシャルネットワークサービスが企業努力によって土台を作りblogが普及にすることで受け入れやすい環境が整って、はじめて浸透してきたのに対し、彼女らは普及したソーシャルネットワークサービスの中で独自のコミュニティを形成している点である。これでは受け入れやすい環境を作るまでの過程を踏むことが出来ない。

 

・貨幣のように取引される情報

Lazy Cozy Diary氏曰く、第三者が作成したイラストやバナーを、「発見」し、「自分のもの」と認識し、その画像へのリンクを、他人に「譲渡」する。またお互い同士のリンクすら、私的所有物のように扱う。リンクのリンクを辿って友人を捜す行為は、「はしご禁止」として仁義に反する行為となる。ここには、従来のネットの常識に反する二つの態度が見え隠れする。一つは、作者がこめた労力を無視し、あたかも情報を、そこに転がっているものとして捉える態度。もう一つは、そうした情報の「所有」に強くこだわること。どんな情報であっても、「オープンな情報」という概念がなく、一個人が所有し、しかる後に、他人に使用許可を与える、という手続きにこだわる態度だ。

 しかし無料素材サイトに直リンクしたり、Wikiを乗っ取って直リンクしたりと他人の迷惑をかえりみない自分勝手なふるまいをして、注意されると逆ギレするという態度は一部のユーザーではあるがまったく改善されないため、2004630日についに外部サーバ画像へのリンクが禁止になってしまった。このあたりの最低限のリテラシーは学校で学ばせるべきである。これはここにある管理人への態度についても言えることで、他人の迷惑をかえりみない自分勝手なふるまいをして、注意されると逆ギレするという態度は重大な問題であるといえよう。

 

9、彼女らとの共通点と目指す場所

 warezなどを提供しているコミュニティはDOM(Download Only Member)を極度に嫌っており、必ず掲示板などにお礼を書き込むようにとしている。またWinMXでは貨幣のようにデータが取引されている。これはソーシャルネットワーキングをWinnyと例えるとちょうど良い対比となるだろう。それが良いことであるかという問題は別として、彼女らの世界観は我々の中にも少なからず存在しているのだ。また彼女らの特殊なルールは私が理想とする「ゆるい」コミュニケーションサイトに適する条件がかなり多い。これは彼女らが私の考察対象である、メールなどでいつでもコミュニケーションが取れることに対して、相手との距離が近すぎると感じているユーザーだというわけではなく、無料という利点があるケータイメールの代替としてたまたま条件が合致しただけであろう。しかしただの「日記/掲示板」サイトから彼女らは新しい秩序を生み出したように、メッセンジャー文化が発達していくことによって(もちろん最低限のリテラシーは必要だが)新しい秩序が生まれることを期待している。