2005年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究報告書
情報開示型トレーサビリティシステムの研究

 

小川 美香子*、 梅嶋 真樹** 

*慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程
**慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助手


本研究は、「情報開示型トレーサビリティシステム」を導入する企業が抱える2つの課題
を解決するモデルを設計し、実装・検証することを目的とする一連の研究の一部である。
トレーサビリティシステムを導入し消費者への情報開示に取り組む食品メーカーは、
消費者に対する情報開示と、サプライヤーとの情報連携という2つの課題を抱えている。
前者は開示情報に対する信頼性をいかに担保するかという課題であり、後者は情報開示に
対するサプライヤーのインセンティブをいかに組み込むかという課題である。これらの課題は
消費者に対する食品情報の提供を共通目的とすることによって解決される可能性がある。
本研究では、キユーピー株式会社と石井食品株式会社の比較分析、消費者調査
および食品メーカーとサプライヤーに対するインタビュー調査を踏まえ、トレーサ
ビリティ情報の開示が消費者の評価や購買行動に与える影響について考察する。
それを踏まえ、情報開示型食品情報プラットフォームの存立可能性について検討する。


1.      はじめに

食品の安全性を担保し消費者の安心を得ようとする目的でトレーサビリティシステムを導入し、生産履歴情報や流通履歴情報を消費者に開示する企業が増えている。[1] 企業がトレーサビリティや情報開示に取り組む理由は、2000年以降に相次いだ食品企業の不祥事や国内におけるBSE感染牛の発見によって、食の安全を求める社会的なニーズが高まったこと、平成13年度(2001年度)以降に農林水産省や経済産業省などが実施してきたトレーサビリティ導入促進政策などがある。
 消費者視点でみると、こうした取り組みは、企業との情報の非対称性を解消し、ブランド・嗜好・価格等、個人の選好によって食品を選択する自由を拡大し、購買プロセスにおける納得性を向上させる役割を果たす。
 企業の立場からは、消費者との関係性構築において、情報開示と第三者評価によって透明性を確保することで信頼を確立する新たな可能性が生じたことを意味する。
 
しかし、トレーサビリティの実現を志向し、情報開示に取り組む企業を調査すると、①開示情報に対する消費者の疑念が根強い、②情報源であるサプライヤーのメリットが不明瞭なために積極的な関与が得にくい、といった課題を抱え、期待した効果を上げるに至っていない事例が散見される。
 本研究の目的は、消費者調査および食品メーカーとサプライヤーに対するインタビュー調査を踏まえ、(1)トレーサビリティに取り組む企業の課題を整理する、(2)消費者に対する食品情報の提供を共通目的とすることによって課題を解決できる可能性を検討することにある。調査対象は主に加工食品業界とし、事例としては、石井食品株式会社(以下、石井食品)とキユーピー株式会社(以下、キユーピー)のトレーサビリティの取り組みを比較する。
 なお、本稿では、トレーサビリティを、農林水産省に倣い「生産、処理・加工、流通・販売のフードチェーンの各段階で、食品とその情報を追跡し遡及できること。川下方向へ追いかけるとき追跡(トレースフォワード)といい、川上方向にさかのぼるとき遡及(トレースバック)という。」と定義する。また、トレーサビリティシステムは、「システムの目的に応じ、必要なときに必要な情報を遡及/追跡できる仕組み」とする。


2.       トレーサビリティシステム

トレーサビリティシステムは、組織内部の可視性(Visibility)を高める機能と、消費者の情報に対するアクセス性(Accessibility)を高める機能をもつ。サブシステムとしては、前者は品質管理システム、後者はコミュニケーションシステムといえる。品質管理システムは、メーカーであれば生産システム、卸であれば物流システムなどの基幹となる事業システムが該当する。コミュニケーションシステムは、顧客管理システムや、情報開示システムなど、消費者の安心に寄与するシステムが該当する。(小川、2005)(図1)

これら2つの機能を経営的にみれば、品質管理システムが自動化・効率化によって“事業コストの削減”を実現する可能性を持ち、コミュニケーションシステムが情報開示等による “バリューの増加”を実現する可能性を持つ。 (ポーター,1985)

次に、組織を超え、外部機能の活用という視点で捉えてみよう。トレーサビリティシステムは、検査機関、監査組織の連携によって情報の妥当性や真正性(Credibility)を担保する機能を活用する、クチコミサイトや評価サイト等との連携によって、消費者の情報編集・解釈を支援するインフォメディアリ(Infomediary)機能を補完的に活用している。

1 トレーサビリティシステム

本稿で分析対象となる加工食品メーカーの例で考えれば、トレーサビリティシステムは、生産システムとコミュニケーションシステムに分けられる[2]。生産システムは、原材料を製品に変換すると同時に品質管理を司り、生産履歴情報を収集・更新する機能を担う。コミュニケーションシステムは、生産システムが管理する生産履歴情報を、インターネットを介して直接消費者にアクセス可能にする、あるいは、電話相談窓口の担当者を介して間接的に消費者にアクセスを可能にする、といったコミュニケーション機能を支援する。

生産システムは、原材料を投入し製品を産出するインプット→処理→アウトプットシステムとして捉えられる。コミュニケーションシステムに情報を提供するために重要なことは、処理段階をブラックボックス化せず、インプットである原材料の情報をアウトプットである製品に正確に紐付けることである。そのためには、インプットのなるべく早い段階から情報管理を開始し、処理段階でその情報を正確に伝達し、アウトプットの最終製品に付与される情報検索の鍵となるデータにきちんと紐付ける仕組みが必要となる。

次項からは、トレーサビリティを実現した石井食品とキユーピーのシステムを、生産システムとコミュニケーションシステムに対応付け、インプット→処理→アウトプットの各段階を詳述することによって、両者を比較する。


3.       石井食品のシステム

石井食品の場合、原料の素性や加工履歴といった生産履歴情報を個々の製品単位に紐付けて管理する“品質保証番号システム”が、生産システムに該当する。また、消費者が手に取った製品の生産履歴情報を遡及できる情報開示システム“OPEN ISHII”がコミュニケーションシステムに該当する。これら2つのシステムでトレーサビリティを実現している。このシステムは国内4工場全てに導入され、全製品がトレーサビリティの対象となっている。(20058月時点)

生産システムのインプット段階では、サプライヤー側に自社システムに対応するシステムを持たせ、納入される原材料にあらかじめ2DCを貼付させることで、入荷検品時点における品質チェックの強化と情報管理ポイントの前倒しを実現した。


(出所:2005.11経営情報学会発表資料を加筆修正)
2 石井食品の生産システム

処理に該当する各加工工程では、情報の伝達は番号管理を通して行われる。各工程を経て子番号、孫番号が発行されても、それらは全て親番号に紐付けされる。情報伝達には2DCが活用され、各工程で投入チェックが行われる。例えばミートボールでは、①受入、②種分、③製造、④充填、⑤殺菌、⑥仕上、⑦出荷という各工程で、担当者が投入材料の2DCの情報をハンディ端末で読み取り正当性をチェックする。作業後は新たな2DCを発行し半製品に貼付して次工程に送る。次工程では投入半製品のチェックが行われる、といった具合だ。こうして全ての情報が伝達され、充填工程で製品パッケージ(アウトプット)に印刷される8 桁の品質保証番号と賞味期限に紐付けられる。消費者にとっては、この2つのデータが、自分が購入した商品の原材料の情報やアレルゲン情報にアクセスするためのキーとなる。
 コミュニケーションシステムの主役はインターネット上の“OPEN ISHII”である。消費者は、2つのデータを“OPEN ISHII”で入力するか、お客様窓口に問い合わせることによって生産履歴情報を得ることができる。

4.       キユーピーのシステム

キユーピーの場合、国内8工場のうち2002年に佐賀県鳥栖工場にトレーサビリティシステムが導入されており、ベビーフード製品に限ってトレーサビリティがシステム化された[3]。(20058月時点)
 同社は“FA生産管理システム”、“FA事故未然防止システム”、“FA工程管理システム”、“トレーサビリティシステム”という4つのサブシステムから成る「QITEC」(キューアイテック)という情報システムを持つ。最初の3つが生産システムで、4つめがコミュニケーションシステムに該当する。
 “FA生産管理システム”は、生産日程計画(MRP)をまわすシステムで、販売情報、在庫情報をもとに、製造計画を立案する。製造プロセスの①原料準備と②調合を支援するのが“FA事故未然防止システム”、③充填・殺菌・包装を支援するのが“FA工程管理システム”である。
 生産システムのインプット段階では、石井食品と同様に、原材料にあらかじめサプライヤー側で2DCを貼付させることで、入荷検品チェックの強化と、情報管理ポイントの前倒しを実現している。
 処理段階では、全工程で2DCを活用し情報伝達を行う石井食品と相違点がある。①原料準備、②調合段階では原材料や小分け袋に2DCを貼付し、それを作業毎に読み込むことで秤量ミスや投入順序ミスがないようチェックが行われる点は石井食品と類似する。それ以降の工程はキユーピーの場合、ラインの自動化が進んでいるため半製品に2DCを貼付して情報伝達する必要がない[4]伝達された情報は、すべて、生産履歴情報を検索するための“QAナンバー”に紐付けられ、最終製品に印字される。

(出所:キユーピー株式会社高山氏資料より)
3 キユーピーの生産システム

QITECの“トレーサビリティシステム”は、生産履歴情報(原料・資材の受け入れ情報、製品製造情報、製品出来上がり時の時間)をお客様相談窓口の社員が検索するシステムである。窓口担当者は、電話で消費者から聞き出したQAナンバーをパソコンで入力し、生産履歴情報にアクセスする。そして、問合せに応じた情報を提供することによって消費者の情報アクセスを仲介する。インターネットでの情報開示はしておらず、消費者が直接トレーサビリティシステムに触れることはない。両社は、生産システムでは、生産工程の自動化レベルにより情報伝達における2DCの活用方法に違いが見られるものの、インプット原材料の荷受段階から2DCを活用し情報管理を開始し、情報伝達を実現することでアウトプットである最終製品までの紐付けを実現した点は共通しているといえる。一方、コミュニケーションシステムでは、インターネット上の情報開示サイトで消費者が自分で情報を検索する石井食品のシステムに対し、キユーピーのシステムは社員がエンドユーザーであり、相談窓口業務を支援するシステムである点が大きく異なる。


5.       集約型の石井食品と分散型キユーピー

石井食品とキユーピーでは、サプライヤーとの情報連携方式に対する考え方の違いがある。この差は、システムとしてはデータベース構造の差として表れている。石井食品が集約型であるのに対し、キユーピーは分散型である。こうした構造の違いは、石井食品とキユーピーの製品特性、生産規模、原材料・資材の種類、サプライヤー数、サプライヤーの規模(情報リテラシー度合い)など、制約条件も絡んだ情報戦略に基づいて選択された結果であると考えられるが、とくに大きいのは、情報開示に対する考え方である。
 石井食品の場合、サプライヤーからより多くの詳細な情報を収集し、自社で全ての情報を集約して管理することによって、消費者がいつでもインターネット経由で購入した製品の詳細な情報にアクセスできる環境を実現した。消費者への情報開示を徹底しようとする石井食品の姿勢は、1997年に、企業の存続をかけた差別化戦略として“無添加ポリシー”を掲げたことに端を発する。石井食品は、当時、顧客であった生協に無添加を証明するよう要求されたことで情報の重要性に気付いた。無添加であることを自社で標榜するだけでは信頼は得られない、証拠となる情報を集めて提供しようという方針と、実現に向けた企業活動が、この時から始まった。ほどなくして、情報提供の相手は生協のみならず消費者にまで拡大され、2001年に商品の原材料情報やアレルゲン情報を、消費者がインターネットで検索できる情報開示サイトとして“OPEN ISHII”がリリースされた。
 そもそもインターネットでの情報開示も目的のひとつとして生産システムを構築した石井食品だが、中小規模のサプライヤーとの取引が多い点からも、目的実現のためには自社集約型の情報管理方式を選択せざるを得なかったといえよう。この点では、無添加ポリシーを徹底した時点で600社いたサプライヤーを250社に絞り込んでいたことも効を奏し、集約型の情報システム構築が実現した。
 一方のキユーピーは、ロット番号を鍵にサプライヤーと情報連携する方法をとる。キユーピー、サプライヤーそれぞれが自社内の生産システムや情報管理には責任を持つ。キユーピーのお客様相談室に入ってきた消費者からの問合せに応じて、サプライヤー側の生産方法など詳しい情報が必要であれば、キユーピーの担当者がロット番号によってサプライヤーに問い合わせを行う。これは、ワンステップバック、ワンステップフォワードの発想で、フードチェーンの各プレーヤーがそれぞれ独立して自社の情報管理には責任を持ち、こうした組織がつながればトレーサビリティが実現されるという考え方である。
 キユーピーのシステム構築はファクトリーオートメーションにより事故を未然に防止し、品質管理の精度を上げる事が目的だった。消費者への情報提供を支援するキユーピーの“トレーサビリティシステムは、当初からの目的ではなく、品質管理を追求した結果、原材料情報から生産プロセス情報まで連動して管理できるようになり、組織が可視化された結果を活用したシステムであるという側面を持つ。

4 OPEN ISHIIの画面

石井食品に比べると生産規模が大きい、サプライヤー数が多い、情報管理量が膨大となる点から自社で全てを管理することはほぼ不可能だった。2DCの導入ではサプライヤー側の反発があったのを担当者が地道に説得して回った等の努力も実り、サプライヤーもそれなりの規模があり対応可能であった点も幸いし、サプライヤーと情報管理責任を分担する分散型のデータベース構造が構築されている。


6.       コミュニケーションのターゲットとの整合性

情報開示の方法は、その企業が情報受信者として想定している消費者像を表していると推察される。
 キユーピーの場合、電話を主たる窓口とし生産履歴情報は社員が解釈して伝える方法を取る。単価が安い食品の場合、車やパソコンに比べれば一般的には関与が高い商品ではない点は留意する必要があるが、池尾(1999)の消費者行動の類型を援用すると、キユーピーは探索意欲をもつ消費者で、かつ判断力が低いために人的サポートが必要な消費者を想定していると考えられる。
 キユーピー側の想定と、消費者ニーズとの合致度について考察してみよう。主たる顧客はベビーフードを購入した母親がであるため、赤ちゃんに与える食品に関与は高いと考えられる。また、野菜等の食材が相当柔らかく調理されているベビーフードは、外見から中身を判断することは難しい。自分で作っていない加工食品を食べさせることに何らかの不安を抱えた母親の心理を考えれば、自分が抱えている個別の課題に関する専門家の判断が望まれることが想定される。原材料情報が膨大となるキユーピーの場合は、解釈を仲介する専門家による電話応対に妥当性があるといえよう。
 一方、産地情報やアレルゲン情報などをインターネットで提供している石井食品の場合は、情報を積極的に探索処理する消費者で、要約度の低い情報を処理できる人々をターゲットとして想定していると考えられる。これは池尾(1999)の類型では高購買関与・高判断力層に該当する。ところが、石井食品の顧客は、同社のターゲットとは合致していない可能性がある。
 石井食品の会員を対象とした意識調査[5]では、消費者が企業の情報開示の取り組みを評価し、情報開示する企業を安心だと評価する一方、開示情報そのものは信用しないという結果が示された。(Ogawa, Kokuryo, 2004) 

5 情報開示のジレンマ

 開示情報を探索・処理せず開示事実を重視するという結果は、内容を重視する高関与層ではなく、情報自体は活用せずにクチコミなど周辺的情報を重視する低関与層が石井食品の会員組織では主流であるといえる。(Tyboutら、1994)この結果は、石井食品が想定するターゲットとはやや乖離があると考えざるをえない。[6]


7.       情報開示のジレンマと“情報を食べる人々”

石井食品の会員調査から得られた示唆は、食品トレーサビリティ情報を開示する企業は、消費者からの信頼を得たくて情報開示をするものの、開示情報はあまり信用してもらえないというジレンマを抱えている点である。
 ここで、検討しておきたいのが、食品情報を積極的に探索・処理するような消費者層は育ちうるかという点だろう。これについては、化粧品業界事例が参考になると考える。化粧品市場では、市場の成熟につれて消費者の化粧品に関する知識・判断力も向上した。女性達は、30年前は気にしなかったコラーゲンやヒアルロン酸といった成分名まで知っており、最近ではコエンザイムQ10などのように毎年新しい知識を獲得し、ますます化粧品に関する情報処理を行うようになっている。
 20台後半から30代の働く女性達を中心にインターネットによる情報探索も進んでいる。化粧品のクチコミサイト@cosme(アットコスメ:http://www.cosme.net)は、346万件[7]以上のクチコミを集めている。@cosmeに集まる消費者は、一般の化粧品ユーザーと比較して能動的に情報収集し情報選別能力が高く、他者への情報伝播も行っている実態が明らかにされている(佐々木、2003)
 生活習慣病やアレルギー疾患の増加、健康志向の高まり、有機野菜ブーム、トレーサビリティの浸透や食育基本法の施行、といった最近の食品業界の状況を考えれば、化粧品業界における@cosmeに集まる化粧品ユーザーと同様に、高関与・高判断力の消費者層が生まれる可能性は否定できないであろう。

6 情報を食べる人は開示情報を信頼する

 消費者の中でも限られた層ではあるが、食品の選択や購買において、情報にも極めて関与が高い層として、食品アレルギー患者[8]やその家族があげられる。まだ予備調査の仮集計なので断定はできないが、こうした人々は、アレルギーの度合いにもよるが、購買の際や外食する場合に必ず原材料情報を確認する。製品パッケージの情報で不明な点、心配な点があれば食品メーカーに問合せ、納得してから購買する。アレルギーを起こさない食品を、野菜であればイネ科、アブラナ科などの植物分類で見分けるなど、一般的な消費者よりアレルゲンに関する知識も多い。単に食品を食べるのではなく、「情報を食べる人々」である。
 調査の結果で興味深いのは、前出の石井食品の会員調査のデータと比較すると、企業に対する信頼が高く、開示情報を信用している傾向がうかがえる点だ。[9] 6)。積極的な意味か消極的な意味かは図りかねるが、アンケートで寄せられた“信じなければ食べられません。” というコメントが象徴的であろう。情報開示に対するジレンマが存在する一方、食品の購買に課題を抱える当事者層には、明確に購買を判断するための情報を求め、開示情報も信用している。
 こうした人々は、単に食品を食べるのではなく、食品情報の価値を見出し、積極的に活用し、(オンラインであろうとなかろうと)クチコミなどによって他者への伝達を行うことによって、新たな情報と、情報価値を創造する主体となる。公文のいう「智民」に該当する人々である。本稿では食品情報に関する主体であること際立たせるために敢えて「情報を食べる人々」と呼んでいる。


8.       消費者から見た信頼を担保する構造

「情報を食べる人々」が今後育っていくことが期待できるならば、企業が取りうる施策としては、昨今CSR(企業の社会的責任)活動として位置づけられることも出てきた「食育」があげられる。ただしこれは長期的な施策であり、企業としては短期的な施策も考える必要があろう。喫緊の課題は、ジレンマを軽減するために何らかの手段で開示情報の信頼性を担保することだ。
 2003年度の調査によると、情報に関する安心の源泉としては何より第三者機関の担保をあげた消費者は多い[10]。外部機関との連携がひとつの手段となるだろう
 やや拡大解釈かもしれないが、第三者機関の担保に関するニーズを、企業が自社で開示した情報への信頼性が低い表れと捉えてみよう。すると、ミスミの事例のようにオープンにすることによって信頼性を高められる可能性が出てくる。自社で集約して情報開示する自己完結モデルではなく、サプライヤーと連携して開示する分担連携モデルが有効なのではないだろうか。( 7

7 自己完結モデルと分担連携モデル


また、多数派をしめる「情報を食べない」層への施策としては、要約度の低いデータを好まず、むしろ他者に解釈や判断を委ねたがる傾向から鑑みるに、インフォミディアリー(HagelⅢ& Singer,1999)の役割が重要になると思われる。[11]


9.       情報開示が価値を生む情報プラットフォーム

食品の情報開示は、顧客の信頼を獲得し購買につなげることで情報が価値を生む仕組みを創造しようとするアプローチである。企業が消費者に食品情報を開示しようとすれば、フードチェーンの上流や下流を担う他社との情報連携が不可欠になる。
 石井食品のサプライヤー調査によると、情報連携においてはサプライヤーが食品メーカー大して情報開示するメリットが認識できておらず、情報開示に対応はしているが、コスト増とみなす傾向が高いことが明らかにされている。ただし、原材料や産地など、詳細な情報項目に分けてコスト認識に関する質問をすると、「遺伝子組み換え」「アレルゲン」など一部の情報項目に関しては情報開示が自社の品質訴求にプラスで、コスト増でもないと意識していた。(梅嶋、2003)
 これは、消費者への情報提供や、消費者に情報の価値を届けることをメーカーとサプライヤーの共通目的にすることによって、情報連携の課題が解決する可能性を示唆するものではないだろうか。
 ここで、どのようなメカニズムを組み込めば、情報が価値を生む情報プラットフォームを創造できるかを検討してみよう。
情報開示が価値を生む事例として、証券取引市場に関する企業のIR情報がある。IR情報の開示が有効に機能する条件は、複数のインセンティブの埋め込みと不確実性の削減という2つのポイントがある。( 8

        情報開示のリスクへの対処として、上場の選択は企業に委ねられるが、企業には資金調達明確な参加インセンティブと、明確な開示インセンティブが存在する

        法律で定められた法定開示義務以上の開示も可能で、更なる開示インセンティブが機能する

        投資家にとっては、IR情報が投資の不確実性を削減する効果を持つ

8 情報開示が価値を生む構造-企業のIR情報

一番重要なのは、財布を握る投資家の不確実性削減である。情報の価値が経済的価値に転換される段階に当たるからだ。食品情報プラットフォームを想定した場合も、”消費者視点”は、例えば情報項目の標準化において、第一優先とするべき項目の判断に役立つ。前述したように、“サプライヤーからメーカーへの情報開示の負荷意識を減らす可能性のひとつが、最終消費者に価値ある情報提供を共通目標にすることある”。そして、“消費者にとって価値ある情報”とは、すなわち、“不確実性を削減し購買の判断に役立つ情報“である。例えば、アレルギー患者にとっては、全ての原材料情報、および生産プロセスにおけるコタミネーションの可能性の有無を知らせる情報、といった情報となる。
 開示するメリットをいかに生むか、という視点では、企業数としては中小企業が多数を占める食品業界では、一社のみで情報開示を実現するトレーサビリティシステムのコスト負担ができる企業は多くない。であれば、共同で負担するプラットフォーム構築を検討する必要が出てくるだろう。前掲のサプライヤー調査では、複数の取引先ごとに少しずつ異なる開示フォーマットがあり、情報を集約、入力、提出する煩わしさが指摘された。そこで、ある程度開示項目を標準化し、開示作業を簡略化・自動化し、複数のメーカーが便乗可能な食品情報プラットフォームが設計できれば、サプライヤーにとっては開示業務の効率化というインセンティブが生じるはずだ。

 一方、調査からは、食品情報は企業秘密との意識も多く存在することが明らかになった。国民の食の安全を担保するという視点から国家による法制度化を検討すべき分野もあるとは思われるが、まずは、民間で、開示したい企業が先行して始めることだだろう。

 情報プラットフォームを設計する場合、そこに流れる情報の精度をいかに高め、維持できるかも重要な点となる。現時点では、サプライヤーから情報プラットフォームに入力される情報の精度を高める手段として、消費者への露出増と、マーケット志向の浸透によるサプライヤーのモラル向上の効果についても指摘しておきたい。
 事例として2005年に実施したハンバーガーチェーンA社のインタビュー結果を紹介しよう。A社のハンバーガーの味は、トマトやレタスなど契約農家で栽培する野菜の品質が鍵となる。そのため、複数の野菜農家の施策を打っているが、モチベーション向上には、店舗研修が極めて有効だそうだ。店舗研修の効果は4つある。①自分が入力した野菜情報や顔写真が店頭でどのように掲示されるか具体的にイメージできるようになる、②野菜がどのように消費者に供されるかを認識する事で、“僕は育てて終わり”という生産者志向から、消費者に喜ばれる野菜を作ろうというマーケット志向に変わる、③モラルがあがり、一生懸命育てるようになるため野菜の質が上がる、④契約どおり生産記録が付けられるようになり、チェーン本部に提出される情報の精度があがり、栽培方法の改善につながる、ことが指摘された。
 情報プラットフォームの設計では、参画者のモラル維持策として、ITシステムとは別途、消費者接点を増やす施策を組み込む必要があるといえるだろう。


 これまでの議論を通して、筆者らが想定しているコモンズ型情報開示プラットフォームのイメージ(図9)と方向性をまとめると以下の通りである

消費者に情報の価値を届ける情報開示を基本理念とする

情報項目は、購買の不確実性を削減する情報から優先的に開示項目とする

複数企業の参画を可能にする
自己完結型と分担連携型は今後の調査を待ち優位なほうを決定(並存の可能性もあり)

9 コモンズ型情報プラットフォーム


10.   今後の課題

 本稿で述べた食品情報プラットフォームは、設計途上であり完成形ではない。依拠した一部の消費者調査、企業インタビュー調査はまだサンプル数が少ないなど妥当性に問題がある。
 情報開示を実現する食品プラットフォームの研究の課題は、まずは、 7で示した自己完結モデルと分担連携モデルのどちらが信頼を生むか、購買につながるかといった点を明らかにすることである。また、消費者との関係における検証と同時に、両モデルは、開示レベル、調整コスト等で一長一短があるので、存立条件を明らかにする必要がある。
 本報告書執筆時点では、2006年度末をめどに、食品メーカーもしくは小売等との共同研究を通して、まずは自己完結モデルと分担連携モデルの妥当性を検証すべく、共同研究の話を模索している最中である。
 情報がこれまで以上に価値を持つ時代になりつつある。食品業界でも、今後は、消費者視点の情報開示によって、情報の価値化に成功する企業が出てくるのではないか。そうした社会に役立つ研究となるよう、今後も食品情報プラットフォームのモデル化に向け、研究を進めていきたい。


[1] 平成16年度食品産業動向調査(農水省)より

[2] 「食品分野におけるトレーサビリティ実態調査」の内容を元に考察。本調査は、電子商取引推進協議会対する経済産業省委託調査であり、筆者も調査グループの一員として参加。

[3] ベビーフードでは、システム化によって7-10日かかっていた検索時間が大幅に短縮され、消費者からの問い合わせに迅速に対応する、製品出荷先の情報を短時間に追跡するといったことが実現した。

[4] 自動化されているといっても、生産設備の稼動状況の監視役や、最終製品のチェック作業として人が介在する。また、殺菌温度など生産設備の設定データと実績データの収集・管理は、石井食品同様、必要となる。この点、キユーピーは、ヒューマンエラーを防ぐ仕掛けとして、IT活用がより進んでいる。例えば、ハンディリーダーを接続した携帯端末を担当者が携帯し、バーコードが貼付されたマシンの側にいかないとデータが入力できないなど、必ず現場設備から情報を収集する仕掛けが実現されている。

[5] 2003年に筆者らが実施した石井食品の会員組織「わくわくヘルシー倶楽部」の会員1000名を対象としたアンケート調査をさす。

[6] 本稿は特定企業の分析・対策の検討が目的ではないが少し私見を述べておく。一般に企業発信のCM広告などは雑誌記事やクチコミと比較して消費者からの信用が低い。石井食品が製品やトレーサビリティの取り組みについてCM広告を控えてきたのはこの点を危惧したためだが、今後はこの施策の見直しも必要だろう。

[7] 200623日時点。

[8] アレルギーが重篤な場合は、アナフィラキシーといわれる症状を起こして死に至るケースもある。カナダでは、昨年、重度のピーナツアレルギーを持つ15歳の少女が、ボーイフレンドとキスをしたために死に至るという痛ましい事件が起こっている。少女の死因は、少年が数時間前にピーナツバターをつけたパンを食べていたことで、少年は少女がピーナツアレルギーであることは知らされていなかった。

[9] 2005年、湘南台の食品アレルギーを持つ子の親の会ヒアリング調査より

[10] 8と同じ

[11] 「製品について問合せる母親は専門家の電話の声で安心する」というコメントからも察せられる。


参考文献

Hagel III J., Singer M., 'Net Worth: Shaping Markets When Customers Make the Rules', Harvard Business School, 1999.
Ogawa M., Jiro K., ” Traceability Systems: How They Affect Relationships in the Supply Chain”, The 1st International Congress on Logistics and SCM Systems(ICLS-2004), Tokyo, 2004.
Tybout A.M., Artz N., "Consumer psychology." Annual Review of Psychology, 45, 1994. pp.131-169.
池尾恭一、『日本型マーケティングの革新』、有斐閣、1999.

小川美香子、「情報開示型トレーサビリティシステムが消費者行動に与える影響とその経営的意味」、経営情報学会秋季全国研究発表大会予稿集、20051112日、PP156-159.
公文俊平編、『リーディングス 情報社会』、NTT出版、2003
佐々木裕一、「CRMComRM@cosmeが開くコミュニティ・コミュニケーションの地平~」、NTTデータ経営研究所レポート2002.9月号、2002



謝辞


 本研究で実施した数回の国内出張を含む企業調査は、森基金による研究資金支援なしには実現し得なかっただろう。ここに深く御礼を申し上げる。
 また、食品情報プラットフォームに関する議論は、慶應義塾SFC研究所IDビジネス・社会モデルラボにおける議論も大いに反映されている。ラボのメンバー企業の皆様、ならびに、特別メンバーとして出席いただいた方々には、数多くの貴重なご意見をいただいた。ここに謝辞を表すとともに、今後も忌憚のないご意見をいただければ幸いである。


研究成果本年度の森基金研究成果を含む

 1)学会・研究会発表

小川美香子、「情報開示型トレーサビリティシステムが消費者行動に与える影響とその経営的意味」、経営情報学会2005年秋季全国研究発表大会、20051112
・小川美香子、「情報公開が消費者の情報行動・購買行動に与える影響~石井食品株式会社のトレーサビリティの事例から~」、情報処理学会第24回電子化知的財産・社会基盤研究発表会、2004.5.9

Ogawa M., Umejima M., “Traceability System for Disclosure – A Case of Consumer Empowerment Strategy –”, Auto-ID Labs Research Workshop Zurich, Switzerland,  2004.9.22

・小川美香子、「RFID入場券システムにおけるプライバシー意識に関する考察」、経営情報学会秋季大会、2004.11.14
Ogawa M., Jiro K., ” Traceability Systems: How They Affect Relationships in the Supply Chain”, The 1st International Congress on Logistics and SCM Systems(ICLS-2004), Tokyo, 2004.11.22
・小川美香子、「慶應SFCにおけるトレーサビリティ研究 食品トレーサビリティシステムと消費者調査およびRFID入場券システムとプライバシー意識調査」、SSR RFIDワークショップ、2005.1.21


2)投稿

・小川美香子・國領二郎、「見える流通を実現する電子タグの可能性」、「週刊エコノミスト」、毎日新聞社、2005年3月1日号、pp.43-45

3)その他発表、講演、パネル
・2005年12月『情報開示型トレーサビリティシステムが消費者行動に与える影響とその経営的意味』 食品トレーサビリティシステム標準化推進協議会(東京・八重洲ホール)
・2005年12月「ケースメソッド方式による食品製造に関わる事例の検討」 東京海洋大学講義「食品流通安全管理論Ⅳ」(担当渡辺尚彦海洋科学部教授) ・2005年11月「バリューリング情報プラットフォーム~ICタグがもたらす個体識別時代における情報プラットフォーム~」 慶應SFCオープンリサーチフォーラム2005(六本木ヒルズ)

他.毎月1回開催のIDビジネス・社会モデルラボ勉強会における発表・議論など



参考.一連の研究スケジュールと2005年度森基金充当分の対応

一連の情報開示型トレーサビリティシステム研究の全体スケジュールは以下の通りである。

今回、森基金より頂いた助成金を充当した対象は★印をつけた項目で、とくにキユーピーを対象とした調査である。

           石井食品社内調査                                            2003年6月~2004年6月(完了)

           石井食品サプライヤー調査                                 2004年6月~8月(完了)

           消費者調査①(石井食品会員)                            2004年6月~2005年12月(完了)

           消費者調査②(一般消費者)                               2005年4月~2005年3月

           トレーサビリティシステム事例調査                         2004年10月~2006年3月★

       農水省実証事業団体、キユーピー
       カルビー、カゴメ、マルハなど

           モデル設計・実装・検証                                      2004年10月~2006年3月